第35話 お祭り①

 法蓮高校の文化祭は2日間にわたって盛大に開かれる。正門から旧校舎の昇降口までの間には3年生が運営する食品模擬店がせせこましく並び、2年生は各教室でお化け屋敷等の展示を行う。1年生は校内各所の飾りつけと、グラウンドに組み立てられた特設ステージでの出し物だ。


 吹奏楽部のステージは1日目の最後に体育館で行われる。楽器のセッティングはもちろんのこと、椅子並べや照明なども自分たちの手で行う必要がある。舞台上で発表している軽音楽部が撤退するとすぐに準備に取りかかることができるよう、部員たちは体育館の外と音楽室に別れて待機していた。

 暗幕をかき分けて体育館の中に入り、入口近くの壁にもたれかかって軽音楽部のライブを見る。


「体育館の飾りつけって、何組が担当したの?」


 揃いの黄色いTシャツに身を包んだ木村多恵先輩が近づいてきた。長身にショートカット、そしてコントラバス担当のこの2年生は、後ろ姿が碓氷うすいみやこに似ているが、いつも飄々とした余裕のある表情を浮かべている。話しかけやすい雰囲気をまとってはいるものの、実際に何を考えているのかよくわからない先輩だ。


「あー、9組です」

「ということは?」

「私と菜々子のクラスですね」

「あのメロンみたいなやつ、何?」


 多恵先輩が指さしているのは、ステージにぶら下がっている緑色の球体だ。今年の文化祭の統一テーマに従い、背景には地球や星を描いていた。


「天文部の子曰く、タイタン、らしいです。クレーターとかまでこだわってました」

「土星かなんかの衛星だっけ」

「そうなんですかね」


 ステージ上では軽音楽部がタイタンに目もくれず、最後の1曲へと移っていた。観客も一体となり大盛り上がりだ。


「千秋、あんた、先輩が引退だからって舞台上で泣くんじゃないよ。あんたが泣いたらディープパープル崩壊するからね」

「泣きませーん。それぐらいわかってますー」


 多恵先輩の向こう側に立っていた千秋先輩がこちら側に顔を向けた。今回のステージでは1・2曲目を新学指揮の海堂先輩、3曲目を桑島先生、そして最後の4曲目は千秋先輩が指揮することになっていた。


「ね、千秋が泣いて潰れるのと、トランペットが吹き潰れるの、どっちが早いか賭けない? 結構面白い賭けになると思うんだけど」


 反応に困っていると千秋先輩が怒ったように小声で言う。


「へんなことにうちの後輩を巻き込まないで。私は泣かないし、コンバスはコンバスの心配をしてて」

「ところがどっこい。今回わたしは演奏しないんだなー。照明係だからね。文字通りみんなを輝かせるの。任せなさい」

「それ、余計に心配した方がいいんじゃないの」

「昨日のリハのときも問題なかったから大丈夫じゃない? 考えてみて? 悠は普通に上手いし、京だって1人でコンクール出たんだから、あいつらだけで何とかするでしょ。いつまでも過保護にするのもよくないんじゃない? 崖から突き落としたら勝手に泳げるようになるもんでしょ」


 どきりとした。舞香も紗英もひと夏で見違えるほど上手くなった。それこそ1人で自分のパートを責任をもって吹くことができるくらいに。その反面、高い技術を持つ先輩とずっと一緒にいた私は、無意識のうちに先輩に頼り切ってしまっているのかもしれない。


「言ってることは正しいけど、多恵が言うとただ面倒くさがっているようにしか聞こえない」

「あ、バレた?」


 あはは、と多恵先輩が笑ったその瞬間、ドラムやギター、キーボードの音がぴたりと止み、体育館は拍手や口笛の音で包まれた。暗幕をかき分けて外へ出ると、外の明るさに目が細くなる。暑さは既に和らぎ、過ごしやすい秋の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 次期部長の川崎遥香先輩が高らかに手を鳴らすと、体育館の外に散らばっていた吹奏楽部員が一瞬にして集まる。ハキハキとした声は多数の生徒や保護者が行き交う雑踏の中でもよく通った。


「手はずどおりに、まずステージの下にひな壇を出します。その最中に音楽室隊が打楽器を入れるのでぶつからないように。その後、木管はひな壇、金管はステージ上に椅子を並べてください」

「はい!」

「あと、体育館の中は薄暗いので、音響用のコードを引っかけないように気をつけてください。お客さんを待たせることのないように、できるだけ急いでください」

「はい!」


 入部して初期の頃の1年生の動きはぎこちなく、何をしていいのかわからず右往左往することもあった。でも今は違う。自分がすべきことをそれぞれが考え、準備がスムーズに進んでいく。先輩から受けた厳しい𠮟責は演奏面だけではない。


「お客さん、多いですね。結構立ち見の方もいらっしゃいますし。毎年こんなに多いんですか」


 セッティングを終えると、音楽室で待機していた部員が各々の楽器を持って体育館に来ることになっていた。3本のフルートを持つ優奈先輩から楽器を慎重に受け取り、小声で尋ねる。


「いつもはこんなに多くないよ。大体友達とか親とかくらい」


 後からやってきた瑞穂先輩も楽器をたくさん持っている。紗英が大量の譜面台を腕の中に抱え、少しよろけているのも見えた。使いやすい譜面台は、その細い見た目に反して案外重量があるのだ。


「やっぱり関西大会に出た効果じゃないかな。制服姿の中学生が多いでしょ」

「確かにそうですね」

「なんだ、こんなもんかって思われると来年の春に入ってもらえないからね。期待に応えられるように頑張ろうね」

「はい!」


 にっこりと優しく微笑む優奈先輩を見ていると、とても寂しい気持ちになってくる。

 でも、涙は流さない。私たちに涙は似合わない。最高の音楽と最高の笑顔。祭りを楽しみ、先輩たちに安心して引退してもらうために必要なのは、それだけだ。

 全員が席に着くと、薄暗い状態のままで海堂先輩が指揮台に上がる。彼の長い腕が動き始めるよりも先に、スポットライトを浴びた軽快なボンゴの音が体育館に鳴り響く。

 さあ、楽しい祭の幕開けだ。

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