第21話 応援②

 法蓮高校野球部は無事2回戦も突破し、3回戦へと駒を進めていた。しかし、野球応援があろうと、私たちのコンクールは刻一刻と近づいてくる。

 野球部には勝ってほしい。でも勝てば勝つほど私たち吹奏楽部の負担は大きくなる。


 昨日は音楽室ではなく、実際にコンクールが行われるホールでの練習だった。普段練習している音楽室と比べてホールはずっと広いため、隣の奏者との間隔や音の響きなどが異なり、それが明暗を分けることもある。周囲の環境に適応することも本番では求められるのだ。


「シンバルうるさい。もっと上品に」

「木管もっと前に出てきて」

「音ホールの前の方で止まってる。一番後ろまで届かせて」

「あなたたちの耳は何を聞いてるの? 何も考えずに吹かないで」


 バスドラムをホールから運び出しながら、樋口ひぐち詩乃しのに話しかける。


「いつもより隣と遠いからなんとなく心細くない?」


 彼女は課題曲ではクラリネット、自由曲ではピアノを担当している。私と同じようにあごラインで髪を切り揃えているが、長く伸ばした前髪を片耳にかけていた。


「わかる。聞こえ方も違うし、自分の音も浮いてる気がして」

「別に変な風には聞こえなかったよ」

「マノンレスコーは?」

「いいと思うよ、ほんとに」


「そうかなあ」と詩乃は首をひねっているが、彼女の謙虚さや慎重さは並々ならぬ練習に繋がるのだろう。


「練習しすぎて腱鞘炎とかなるなよー」


 バスドラムを転がしながらのんびりとした声で言うのは双子の兄、富田とみた亮太りょうただ。喧嘩っ早い双子の弟とは違い、穏やかな性格をしている。裏を返せば闘争心に欠けるともいえるので、弟のみがAメンバ入りを果たしたのは、そのあたりも関係しているのかもしれない。


「今調子崩すのはまずいしなー」

「それは間違いない」


 亮太の言葉に私も大きく頷く。せーの、と声を上げてトラックの荷台で待ち構える人に楽器を渡す。力が必要なため、楽器を荷台に引き上げるのは男子部員が務めることが多い。


「おーい、悠」荷台でぼーっと突っ立っていた悠に亮太が声をかける。

「あ、悪い」

「大丈夫かー?」

「ああ」


 楽器をトラックに載せた後も、まだ運ぶべき楽器はある。ホールに戻ろうとすると亮太に声をかけられた。「俺の思い過ごしだといいけどさ」


「悠、なんかへんだと思うんだよなー」

「やっぱりそう思う?」

「なんかぼけっとしてることが多いっていうかなー」


 亮太は悠と同じクラスのため、普段から一緒にいることも多い。朗らかな性格だが的を射た発言をすることもあった。なんとなく最近の悠に違和感を感じていたのかもしれない。


「体調よくないのかなー、あいつ無理してでも練習続けそうだし」


「ちょっと心配だなー」と寂しそうにつぶやいた亮太の顔が脳裏に焼きついた。



 応援がある日は特に過酷だ。

 楽器を積み込み部員は徒歩で駅まで移動。電車に乗って球場に着くと炎天下で演奏。試合が終わるとすぐに楽器をトラックに積み、再び徒歩と電車で学校に戻り、楽器を下ろす。午前中に合奏をすることもあれば、今日のように帰ってから合奏をすることもある。指摘された点を個人練やパート練ですぐに修正する必要があるため、合奏以外でも気を抜くことはできない。

 暑さと肉体的疲労、そして気を抜けない精神的ストレスも重なり、体調を崩す生徒も出てくる。今日も野球応援中にクラリネットの1年生が体調不良を訴えていた。十分な水分補給、栄養補給そして睡眠。それらのうちどれか一つでも欠ければ、それはすぐに身体に跳ね返ってくる。


「最近、袴田変じゃない? 無表情だし」


 合奏を終え、譜面台を引きずりながら階段を下りる。野球応援では演奏していないものの、やはりぐったりとした佳穂に話しかけた。2年の先輩を差し置いて、Aメンバーただ一人のオーボエ奏者である佳穂は、合奏での席も隣のため話すことも増えていた。


「それはいつもでしょ」


 答える佳穂の声も弱々しく、覇気がなかった。強豪校で揉まれ長い練習には慣れている彼女だが、どうやら暑さには弱いらしい。


「まあそうだけど」

「私は全然そうは思わないけど、気になるなら本人に聞いてみたら? 薫、仲いいじゃない」


 心底どうでもいいというような投げやりな佳穂の言葉に、疲れ果てた脳が一瞬停止する。「へ?」


「へ、じゃなくて。桑島先生も言ってたでしょ。部員同士お互いの体調もチェックするようにって。何かあってからじゃまずいよ」

「はあ」


 もう正常に頭が働いていないのか、頭には何も浮かばなかった。


「っていうか薫こそ大丈夫なの? 応援のとき顔真っ赤だったよ」

「フルートの他の子たちがバテてたから頑張ろうかと」

「どう見ても吹きすぎ。フルートがそんなに頑張ってもたいして変わんないでしょ、手抜きすればいいのに」


 佳穂の言うことはもっともで、外ではフルートの音は聞こえにくい。逆にトランペットやトロンボーンといった直管系の金管楽器の音はよく通る。


「佳穂だって暑いのに飛び跳ねてたからいっしょじゃない?」


 む、と口をつぐむ佳穂がかわいらしく見える。


「ともかく、一に練習、二に体調、三に練習、四に体調、五に練習、なんだから!」


 パート部屋に消えた佳穂の姿を見つつ、この後のことを考える。少し自主練習をしてから帰るべきか、今日は疲労を取るためそのまま帰るべきか。譜面台を引きずりながら歩いていると、飴色の大きな楽器が視界に入る。


「袴田」何も考えないうちに声をかけていた。


「今日、一緒に帰らない?」


 暑さで頭がやられているのだろうか。めずらしく見開かれた目を見て、案外大きい目をしてるな、と思った。

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