第6話 始動①
週が明けた月曜日。今日はパートの発表が行われる予定だった。
授業後の掃除を終え、音楽室に向かう。階段を踏みしめる足に意識を集中させ、駆け出しそうなはやる気持ちを抑えながら4階へと上っていく。
音楽室にはすでに多くの人が集まっていた。1年生は部屋に並べられた椅子に座るよう指示されているらしい。上級生は部屋の壁に沿って立っており、幹部の先輩は教壇に並んでいた。
視線をかわすように身をかがめながら、1つ空いていた最前列の席に着く。横からプリントが回ってきたので一枚取って隣に回す。
「今日欠席連絡があった人以外、全員揃ってそうだな」
首藤副部長の言葉に藤原部長が頷く。
「今配った予定表を見ながらきいてください。平日は授業後、春と夏は午後6時半まで、秋冬は6時までです。平日の朝練は強制ではありませんが、7時半から音出し可能です。周りが住宅街ですので、それより前は絶対に音を出さないでください。土曜日は基本朝9時から夕方5時まで。土曜朝は8時から音出し可です。お昼ごはん持参でお願いします。日曜祝日も基本そうですが、休みだったり午前練だったりすることもあります。パート練や合奏など、大まかには予定表に書いてありますが、その日によって動きは変わってくるので、その都度パートリーダーの指示に従ってください。とりあえず直近としては、ゴールデンウイークにある、ショッピングモールでの依頼演奏です。1年生も経験者の人には演奏してもらいます。楽器が変わった人や未経験の人にはダンスで参加してもらいます。楽器の運び方などもそのうち教えるつもりです。副部長や学指揮から付け足すことは?」
「いや、大丈夫」
「学指揮からも特にないよー」
「では、これから一年生の楽器発表に移ります。桑島先生、お願いします」
先生はいつ入ってきたのか、扉の脇に静かに立っていた。藤原先輩の言葉に軽くうなずき、音楽室の真ん中へとゆっくり歩いてくる様子を見ながら、鼓動が速くなるのを感じた。桑島先生の少し低めの声だけが音楽室に響く。
「それではこれから楽器を発表します。名前を呼ばれたら各自返事するように」
「はい!」
「私や絹田先生、学指揮、パートリーダーで決定したこのパート分けは、今年のベストの編成だと思っています。先に言っておきますが、希望の楽器になれた人もそうでない人もいます。経験者の人でも楽器が変わった人もいますし、紙に全く書いていない楽器になった人もいます。ですが、1つとして無駄な楽器はありませんし、それぞれに重要な役割があります。最初はわからなくても、練習を重ねるうちにその楽器の持つ魅力や奥深さがわかるようになると思います。希望が通った人はもちろん、そうでない人もその楽器に誠意を持ち真剣に取り組んでください」
「はい」
「では、木管から発表します」
膝に置いた手でスカートの生地を握りしめ、祈るような思いで先生の言葉を待つ。正直なところ、オーディションのときの私の演奏は、もう一人の経験者の子よりは上手かった、と思う。そもそも他人より上か下かなんて考えてしまう自分が嫌になるし、得てして自分に対する評価は甘くなりがちだから結果を聞くまでは安心できない。
「フルート。
「ひゃいっ」
「
「はい!」
「
「はい」
「以上、フルート3名。次、クラリネット」
どっと力が抜ける。
周りに気を配る余裕が生まれると、誰かがすすり泣く声が耳に入った。おそらくフルートが第1希望だったのだろう。フルートになれた嬉しさ。安堵。そして他人を蹴落とすという罪悪感。様々な感情が胸の中でうずまき、手放しで喜ぶことはできそうになかった。
「
「はい!」
今、ホルンパートで菜々子の名が呼ばれたところだった。
次々と名前が呼ばれていく。喜ぶ者、胸をなでおろす者、悔しがる者、悲しむ者。楽器に向き不向きがあるのはわかってはいるが、全員の希望が通るような世界があればいいのに。それともそう思うのは、希望が通った者ゆえの
「
「はい」
「以上、パーカッションパート4名。これで全員の発表が済んだと思います。あとは部長、お願いします」
桑島先生のあとを引継ぎ、藤原部長が前に立つ。
「では、各パートに分かれて顔合わせをしてください。楽器の説明とかもしてあげてください。今日さっそく練習するかどうかは各パートに任せます。あと練習後のミーティングは6時20分から楽器庫前で行います。1年生はまだよくわからないことも多いと思うので、遅れないよう早めに行動お願いします」
「はい!」
♪
「じゃあとりあえず自己紹介しようか」
私たちフルートパートは1年8組の教室に集まり、机を寄せ合って座っていた。基本的にパート練習はこの部屋で行うそうだ。先輩方は誰から自己紹介するかと押し問答していたが、結局自己紹介を提案した緑スリッパの先輩からになったらしい。やや恥ずかしそうに前髪を手でいじっている。
「じゃあ自己紹介させてもらうね。私、3年の
「さすがあたしらのお母さん」
すかさずもう一人の赤スリッパの先輩が茶々を入れる。確かに優奈先輩は慈愛の笑みを浮かべているように見える。
「じゃ、年功序列的に次あたしね。あたし、3年、
「完全にすべってますよ」
決め顔をする瑞穂先輩に対し、冷え冷えとした口調でショートカットの先輩が突っ込む。
「
「瑞穂先輩が悪いんですよ、大体さっきだって音楽室でも」
「はいはい、そこまでね」
優奈先輩は文句を言い始めたショートの先輩をやんわりと止める。どうやらパート内の仲は悪くないらしい。
「じゃあ次は千秋ちゃん」優奈先輩になだめられ、渋々といった表情でショートの先輩が口を開く。
「フルートパート2年、
「すごい、なんか自己紹介っぽい」
千秋先輩の自己紹介に反応したのは、ふんわりとしたおかっぱの先輩だった。楽器決めのときには楽器を組み立てるのにいそしんでいた人だ。
「っぽいんじゃなくて、自己紹介なんだけど」
「じゃあ私も。好きなものはこんにゃくです。よろしくお願いします」
どう反応すればいいかわからず私たち1年が固まっていると、千秋先輩があきれ顔で言う。
「名前は」
「え?」
「だから自己紹介って先に名前を言うもんでしょ」
「あ、そっか。2年、
よろしく、と座ったままお辞儀すると、危ないと思う間もなく額と机が当たり、鈍い音が響く。
「いたた……」
陽菜先輩はおでこをさすり、心配そうにしているのは優奈先輩。瑞穂先輩は爆笑し、千秋先輩はあきれ顔で首を振っている。混沌とした雰囲気に戸惑っていると、もう一人の2年生が口を開く。「ごめんね、いつもこんな感じなの」
私たちの方を向いて唯一申し訳なさそうな顔をしているのは、楽器決めのときに楽器を手渡してくれた先輩だ。今日も前髪をピンでとめ、白いおでこがかわいらしくのぞいている。
「私、
未来先輩は気苦労が多そうだ。お疲れさまです、と心の中でつぶやく。
「じゃあ1年生も自己紹介してくれる?」と未来先輩に促され、私から自己紹介することになる。
「
「お、礼儀正しいね。感心感心」
「瑞穂先輩はちょっと黙っててください」すかさず千秋先輩が釘をさす。
「
次に口を開いたのは赤縁眼鏡の彼女だった。ひどく恥ずかしがり屋なのか、背中を丸めて小さくなっている。そんなに緊張しなくていいよ、と優奈先輩が優しく声をかけている。
「じゃあ私が最後ですねー。
元気にそう言い切ったもう一人の1年生も、これまただいぶ違うタイプの子らしい。これからうまくやっていけるだろうか、と不安を感じながら笑顔を作る。
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