38話『遠天に願いを』

「――まあ何はともあれ、一件落着といったところですわね」


 久々に制服に袖を通したオフィリアが、優雅に扇子を広げた。

 親睦会から二週間。

 事件解決後のゴタゴタで、結局、彼女を見舞いそこねたローレンを交え、アラヤたちはいつぞやオフィリアと口論を繰り広げたベンチで、遅めの昼食をとっていた。

 青々と生い茂る緑に、抜けるような青空。

 さらにグラウンドの白、校舎の赤も加えれば、クラリオン王国を象徴する四色が揃い踏みだ。


 もともと軽傷だったキアナ、そしてアラヤはもとより、オフィリア、ローレンも傷が癒えたため、晴れて学院に復帰していた。

 古城での戦いについては、もちろん学院生の耳には一切届いていない。

 だが、ギュンターを始めとする伝統派の貴族や教師らが、唐突に学院から姿を消した理由については、さりげなく﹅﹅﹅﹅﹅漏らされた情報が知れ渡っていた。 

 ローレン自身は全てを公表し、自らも表舞台から去る決意をしていたのだが、オフィリアがそれを止めたのだ。


『真に国を想うのなら、陣頭で贖罪を続けたほうがため﹅﹅になると思いますわ』


 そんな彼女に説得され、ローレンは情報開示に関する事柄を、オフィリアに一任することを承諾した。

 その結果、ローレンはあくまでギュンターら伝統派の悪行に気づき、苦悩の果てに告発した勇気ある青年という設定になり、ギュンターの手先だったことについても、おおむね好意的に解釈できる噂が広まっていた。

 そして、オフィリアは利害を超えてローレンと手を組み、王都に巣食う悪の排除に尽力した立役者であり、自らが後見人を務めるアラヤと、その弟子キアナを駆使してギュンターの懐柔工作を行った切れ者、と褒めそやす評価が、主に革新派の学生たちの間でささやかれるようになった。

 これによって、ローレンに負けて以来、散々だったオフィリアの立場も回復し、それどころか以前にも増して発言力を強めていた。

 

(まあ、いちおう嘘はついてないけど……)


 強いて言うなら、自分がオフィリアの手下として扱われていることだけが不満なキアナだった。


 

 けれど、一つだけ消せない痕跡が残っている箇所があった。


「あら、恥じらいのない方ですこと。乙女の胸元をそう凝視されては困りますわ」


「……すまない。すべては僕に責任がある。僕がうかつなことを言ったから、ギュンターさんが刺客を放ったんだ」


 オフィリアにからかわれるも、沈鬱な面持ちで唇を噛むローレン。

 大胆にあらわになったオフィリアの胸。

 その中心には、うっすらと引きれのような傷跡が刻まれていた。

 なおも謝罪を口にしようとするローレンを、オフィリアが首を振って押し止める。


「もともと敵対していたアラヤさんと貴方を引き合わせれば、どこかに無理が出るのは仕方のないことですわ。そのしわ寄せがわたくしに来たというだけのこと。それに、貴方もお城で大変な目に遭われたのでしょう? ならもうそれで手打ちに致しましょう」


「ミス・ベルジュラック……」


「ちなみに言っておきますけど、この傷はわざとアラヤさんに頼んで残してもらったんですのよ」


「それは……どうしてだい?」


「おほほ、それはもう、ここに傷があれば、先ほどの貴方のようにひときわ殿方の目を惹くからですわ。ね、アラヤさんもそう思いますでしょう?」


「……チッ」


「いやー……どうでしょうね。難しいです」


「もう、つれない人ですわね」


 苦笑しながらさらっと受け流すアラヤ。

 オフィリアは彼の隣で、たかのような鋭い目つきをしているキアナに流し目で挑発しつつ――ふっと表情を緩めて、オフィリアは胸の傷をなでた。


「初めて私、命のやり取りというものを致しました。とどめを刺したのはキアナさんですが――撃滅手の――ブルートさんの最期を見届けたのは私です。ならば、私にはあの殿方の死を覚えておく義務があると思ったんですの。もちろん、あの方は私の使用人を殺した憎い相手ですわ。このまま考えないようにして、存在ごと忘れてしまうのも復讐の一つかもしれません。でも、それでは使用人ウォレスたちの死さえもなかったことにしてしまうようで……」


 言葉を探すように口ごもり、縦ロールの先端をこねくり回すオフィリア。

 やがて、吹っ切れたように言った。


「つまり、そんな小器用なことはできませんから、両方とも記憶に留めておこうと思った次第ですわ。奇妙なことだと思うのなら、存分に笑ってくださいまし。賓客ゲストを危険に晒した無能な主人として、甘んじて受け入れようと思いますわ」


 彼女自身、決断の理由をうまく言語化できていなかったのだろう。

 敵であるからといって、全てを否定し、価値のないものと蔑むのではなく。

 あくまで一人の人間として扱う姿勢は、アラヤの理想に通じるものがある。

 アラヤも、彼女の選択を喜ぶように、たおやかに口の端を持ち上げた。

 一皮むけた様子のオフィリアに、ローレンが肩をすくめる。


「……参ったな。今の君には、僕じゃ逆立ちしても敵わないよ。うかうかしているうちに、ずいぶん先に行かれてしまったような気持ちだ」


「あら。貴方ならすぐに追いついて来れるはずですわ。ともに高め合いましょう、同じ『九大名家』の当主として」


「ああ。ご指導ご鞭撻のほど、よろしく頼むよ」


 かつてはいがみ合っていながら、今では好敵手のように不敵に笑い合う二人。

 と、オフィリアがふと視線をそらした。

 その先にいるのは、一人の少女だ。

 アルハーゼン家のメイド服を身にまとい、手には絹の手袋をはめている。

 

 肩で切り揃えられた、くすんだ銀色の髪。

 猫のように目尻が吊り上がった琥珀色の瞳は、どこか虚ろ。

 空を飛ぶ鳥の群れを目で追っているうちに、小さな口が半開きになっていく。

 風になぶられた前髪が乱れても、整える仕草も見せない。

 彼女の名はヘルムート・フォーグラー。

『狂信』の聖者と呼ばれていた頃の面影は、今やどこにも残っていない。


「あれが本当に『七大聖者』ですの? にわかには信じられませんが……」


「私の『邪心穿つ星霜の槍』は、刺した対象の邪心――『正当性なく他者を害そうとする意思』を消し去る効果があります。要するに、罪人を取り押さえようとする憲兵の方などには効きません。ヘルムートさんの場合だと『教義の実現のためなら何でもする』という邪心がなくなったことになります。まあ消すといっても、つい頭に血が上ったとか、お金が欲しくて盗みを働いたとか、その程度のものでしたら数時間も経たないうちに効き目はなくなるんですが……」


「なるほど。思考や人格にあまりに深く根付いた邪心を祓うと、廃人状態になってしまうわけですわね」


「ええ。きっと、ヘルムートさんにとっては星黎教を信仰することは、本当に人生の全てだったんだと思います。ですから、この手はあまり使いたくはなかったんです」


 命は奪わず、しかしそれ以外の全てを奪う、ある意味もっとも残酷な仕打ち。

 だが、ヘルムートが今まで蔑ろにしてきた人々の数を思えば、妥当とさえ言える。

 少なくとも、キアナはやりすぎだとはまったく思っていなかった。


「でも……よく彼女の身柄を手元に置いておけますわね」


「何、君のおかげで、僕は今回の一件において最大の功労者になれたからね。事情聴取、という名目があれば、当分は無理を通せるのさ」


「いえ、そうではなく。……彼女はギュンター先生を殺したんでしょう? なぜ身内の仇を付き人に?」


「考えてもみたまえ。大陸全土にその名を轟かせる『救世軍』最高戦力の一角を手駒にできるんだ。記憶や人格こそ破壊されているが、わざわざ手放す方がどうかしている。せいぜい彼女が持つ魔法の秘奥、存分に引き出してからでも、処遇に頭を悩ませるのは遅くないと思うがね」


 言ってから、ローレンは校舎を見やった。

 正確には、主のいなくなった副学院長室の窓をだ。


「……まあ、憎しみを感じることがないとは言わないさ。でも、今の彼女を痛めつけたところで、自分が何をしたのかも理解できない。そんな相手をいたぶって、さもしい復讐心を満たすなんて、僕の流儀に反するからね。それに……これは僕への罰でもある。アラヤ君の弟子として、彼の教えは尊重したいからね」


 殺したいほど憎んでいる者をあえて身近に控えさせ、しかし殺さないよう自制し続ける。

 彼にそうまでさせるのは、自身に対する呵責かしゃくの念と、アラヤへの敬意の表れだ。

 と、不意にオフィリアの名を叫ぶ少女たちの声が響く。


「オフィリア様ー! そろそろ次の講義が始まってしまいます!」


「必修ですから、落とすと大変ですよー!」


「あら、失礼。私の可愛い友人たちに呼ばれてしまいました。では、そろそろおいとまさせていただきます」


「そうかい。なら僕もご一緒しようかな」


「じゃあ、私たちも行きましょうか、キアナさ――」


「……アラヤ君。君はここに残りたまえ」


「え? どうしてですか?」


 はあ、とため息をつきながら、ローレンがキアナへ目配せを送った。


「誰が話していても、彼女は君の顔ばかり見ていたからね。あれで察せないのは君くらいなものだよ」


 図星を突かれ、キアナは胸がドキンとした。

 伝統派がどうなったとか、撃滅手の女をどうするとか、そんな事柄にはまったく興味がなかった。

 ただ、なんとなくうやむやにしていた気持ちと向き合い続けるにつれ、どんどんそれは彼女の中で大きくなっていって。

 ついには、そのこと以外なにも考えることができなくなっていた。

 しかし、いざ口に出そうと思うと、尻込みしてしまう。

 キアナは弱々しく首を振ってうつむいた。


「あっ、いや……別に、そんな大したことじゃないから」


 思ってもいないことを言うキアナをじっと見つめ――アラヤは真剣な顔をしてローレンに尋ねた。


「こういう機微きびには疎いのですが……たぶん、大事な話なんですよね?」


「なぜ僕に聞くんだね。目の前に本人がいるじゃないか」


 やれやれと肩をすくめながら、ローレンは歩き去っていった。

 少し遅れて、彼の後ろに、ヘルムートがものも言わずに付き従う。

 途中、ローレンが彼女を振り向くと、ヘルムートは小走りに駆け寄っていった。

 その背中をじっと見送り、周りの木を見たり、空の雲を眺めたり、無意味に髪をいじったり。

 たっぷり五分以上は間をとってから、キアナはおずおずと話し始めた。


「な、なんか、ごめん。みんな大事な話してるときに、どうでもいいことばっか考えてて」


「いえ、キアナさんにとっては、それが大事なことだったんですよね? なら、どうでもよくなんかありませんよ」


 にっこりと笑顔を見せるアラヤに、キアナは耳まで赤くなる。

 

(うわー……なんかもう無理。ほんと無理。言えるわけないじゃん。あのキザおとこマジ許さん)


 しかし、いつまでもおたおたしているわけにはいかない。

 意を決してキアナは顔を上げた。


「あ、歩きながら話さない?」


「はい、いいですよ。ちょうどいい風が吹いていますからね」


(バカ――そうじゃないーー!)


 木漏れ日が差す雑木林の下を、キアナはアラヤと並んで歩く。

 思えば、こんなに穏やかに過ごしたのはいつぶりだろうか。

 実際には一ヶ月かそこらだろうが、体感的にはもっと長いこと殺伐とした日常を送っていたような気がした。

 特に濃密だったのは、古城で明かした一夜だろう。

 あの日だけで、間違いなく寿命が十年は縮んだはずだ。

 もう二度とこんな目には遭いたくない。

 オフィリアが向かわせた馬車の中で、心底そう痛感したはずなのに。

 日常には日常の大変さというものがあるのだなあと、キアナは現実逃避気味に思っていた。


「キアナさんの魔法のことですが、自死を伴わなくても発動できるようになったんですね」


「あ、うん。肉体的な痛みはあくまできっかけでしかなくて、本当は強い感情が必要なんじゃないかな……って、勝手に思ってるけど」


「強い感情ですか。つまり、ヘルムートさんのは星黎教への信仰心を糧に、あれほどの魔法を使えていたわけですね。概念武装も身体強化も、まさに目を見張るものがありました。彼女のような戦士が私の治世にいれば、何か変わっていたかもしれませんね」


 感慨深げにヘルムートほかの女のことを語るアラヤに、キアナは苛立ちを覚える。

 なぜこんなときにそんな話を持ち出すのか。

 嫉妬に駆られたキアナは立ち止まり、アラヤの顔を正面から見た。


(……やっぱり、背が伸びてる)


 前までは鼻先にあったアラヤの頭頂部が、今では頭上にある。

 目線の高さはほとんど同じだ。

 目つきが若干鋭くなり、こころなしか顎の輪郭もシャープになったような印象。

 首元や手首は太く、筋肉質に変わっている。

 有り体に言えば、アラヤは成長していた。

 さらに言うなら、キアナ的には格好良くなっていた。

 思わず目をそらしたキアナを、どう勘違いしたのか、アラヤはしゅんと眉尻を下げる。


「生前は、マリエル様に頂いた力は、極力使わないようにしていたんです。使えば使うほど、どんどん私が私でなくなっていくような気がして」


 ヘルムートと戦っていたときの、酷薄で冷笑的なアラヤを思い出す。

 彼がマリエルの寵愛を受けた使徒であった話はすでに聞かされていた。

 肉体が十代前半のままだったのは、マリエルがもっとも好む姿で固定するため。

 だが、アラヤが自分の意思で人間性を捨てるのなら、見返りとして少しづつ年齢を重ねることを許していた。

 

「キアナさんの事情も理解はしています。でも、あなたにはヘルムートさんやあの私﹅﹅﹅のようにはなってほしくないんです。他人よりも自分の目的を優先する生き方は、衝突と摩擦の繰り返しになります。そうしていろいろなものを削り落としていった先に残るのは、絶望と後悔だけ。誰も幸せにはできません。ですから、キアナさんには目一杯幸せになってください。それがあなたから受け取る、師匠としてのお給金ということにさせてもらいます」


 一切道を外さず、正しい道のりだけを歩み続けるなど、常人には不可能だ。

 けれど、気に入らないもの全てをなぎ倒して道を作る在り方も、また不可能。

 一方で何かを許し、もう一方で何かを許さない。

 そんな矛盾を抱え、葛藤しながら前へ進む。

 それが人の道だと、アラヤは噛み締めるようにいた。

 

「……アンタが言ってること、全部いますぐやるっていうのは無理だと思う。私はアンタほどいろいろ割り切れてるわけじゃないし、ムカつく奴を簡単に許せるほど余裕もないし。だから、もっと強くなりたい。なんでも力ずくで解決しなくても済むような力があったら、私はアンタみたいになれると思う」


「……ええ。焦る必要はありません。できることから一つづつやっていきま――」


 アラヤの頬に、キアナはそっと手を添えた。

 切れ長の瞳が、驚いたように丸く見開かれている。

 黒水晶を思わせる漆黒。木漏れ日を反射するきらめきは、まるで天球の星のよう。

 二人の距離がゼロになる。

 視界いっぱいに満たされたアラヤの顔を脳裏に焼き付けながら、キアナは目を閉じた。

 

「――キ、キアナさん?」


「だ、だから、これが最初の一つってことで」


 一瞬にも満たない時が過ぎ。

 顔を離し、キアナはボソボソとつぶやくように漏らした。

 火が出るような恥ずかしさ。この感情を利用して、新しい魔法が開発できるのではなかろうか。

 どうしてこんなことを突然思いついたのか。

 どうして勢いでこんなことをしてしまったのか。

 数秒前の自分に説教をくれてやりたい気分だった。

 照れ隠しに、キアナは早足に校舎へと歩き出す。


「ほ、ほら。そろそろ戻ろ。あんまりのんびりしてたら、オフィリアとかに何言われるか分かったもんじゃない」


「キアナさん、待ってください」


 すぐに追いついてきたアラヤがキアナの手を取る。

 そして、くるりと彼女の身体の向きを変えさせると、そっと腰に腕を回した。

 後頭部を引き寄せられ、反応する暇もなく、キアナは再びアラヤに近づいていって――。


「っ――――!」


「――うん。身長が伸びたのは、素直にいいことですね」


 数秒後。

 いたずらっぽく笑いながら、アラヤがそっとキアナを抱く腕を緩めた。

 完全に茹で上がったキアナは、すっかり彼のされるがままだ。

 そのままアラヤはキアナの手をとり、校舎へ足を向ける。


「ふふ、オフィリアさんたちには内緒ですよ」


「……あっ、あ、当たり前でしょ。言えるわけないじゃない、このバカ」


 憎まれ口を叩きながらも、手を引くアラヤを拒もうとはせず。

 逆に二度と放さないようにと、強く握り返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最強聖者はすべてを救いたい~浮浪児と見下されていた少年、実は英雄王にして大聖者だった~【旧題:アラヤ様は救いたい!】 石田おきひと @Ishida_oki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ