第3話『アラヤ様、噂が広まる』
「ところでキアナさん。ここは一体どこなんですか?」
「その説明から始まるわけね……」
キアナは小さくため息をつく。
彼女が所属するクラリオン王立魔法学院の校舎は、古い貴族の屋敷を改装して作られている。
そのため、どこもかしこも不必要なほど広かった。
廊下など、二頭立ての馬車が走れそうなくらいだ。
「クラリオン王立魔法学院。魔法を教える学校」
「魔法を教える……学校ですか。訓練所とは言わないのですか?」
「んー……それは兵士とかになりたい人が通うところ。ここは魔法を勉強するところよ」
「? 兵士は魔法を訓練しないのですか?」
「しないこともないけど、そういうのは軍学校を出てるようなエリートだけ。ていうか、まず普通の人は魔法とか使えないでしょ」
ここクラリオン王国において、総人口に対する魔法使用者の割合は五パーセント足らず。
魔力自体は誰しも持ち合わせているが、魔法という形で出力できるのは、ごく一部の才能ある者のみ。
そういった常識に照らし合わせての発言だったが、アラヤは驚いたように目を丸くした。
「……そうなんですか?」
「当たり前でしょ。そんな誰でも魔法なんか使えたら、世界中めちゃくちゃになっちゃうじゃない」
「うーん、そうかもしれませんが……」
納得いっていないのか、首を傾げながら歩くアラヤ。
「何、アンタの
「全員とは言い切れませんが、少なくとも、私の知る限りでは使えない人はいなかったと思います」
「嘘ばっかり。そんな国あるわけないじゃない」
アラヤの言葉を一蹴し、キアナは廊下の途中にある扉から展望テラスへ出た。
まだ少し肌寒さの残る春の風が、さわさわと頬を撫でては通り過ぎていく。
まばらな白い雲が散りばめられた、抜けるような青空。
そして眼下には、クラリオン王都の全景が広がっている。
アパルトメントと呼ばれる白い集合住宅が所狭しと立ち並び、その中にポツポツと点在する赤瓦の家が、貴族のものだ。
さらに遠くの方には、王都を冠の取り囲む緑の木々が、青々と萌えている。
白、赤、緑、そして空の青。
この四色こそが、クラリオン王国を象徴する色だと言えよう。
「わああ――! いい眺めですね!」
「ま、私はこんなの見慣れちゃったけどね」
手すりに駆け寄り、キラキラした目で辺りを見渡すアラヤ。
照れ隠しに憎まれ口を叩くキアナだったが、彼女がここに来たのは二度目だった。
一度だけ、入学当初のお昼休みに立ち寄ったのだが、居合わせた貴族たちから露骨に奇異の目で見られ、それ以来近づいていなかったのだ。
手すりにもたれかかると、キアナは本題に入った。
「で、アンタ何者なの? まさか、本当にただの浮浪児なわけないでしょ?」
アラヤは景色を眺めたまま、ポリポリと顎をかいた。
「……うーん、信じてもらえる自信がないのですが」
「とりあえず言ってみなさい」
「まあ、そういうことならお話しましょう。隠しておく必要もありませんし」
意を決したように、アラヤは体ごとキアナの方を向き直る。
「キアナさんは、マリエルという神をご存知ですか?」
「白翼の神マリエルでしょ? そりゃ知ってるけど」
「では、マリエル様が
「えーと……確か、東方にあるイスラとかって国で
そこまで答えて、キアナはハッとした。
イスラ王国。
かつて東方一帯を支配した大帝国の
そして、白翼教の開祖となり、大聖者と呼ばれた僧侶が生まれた国。
開祖の名はアラヤ。
およそ
彼が最期に籠もった御堂が現存しているのが、ここ魔法学院の裏庭なのだ。
「……アラヤって、本当に? あの大聖者アラヤが、アンタ……いや、あなたなの?」
「その大聖者という大仰な二つ名はいただけませんが、その通りです。あと、今まで通り気軽に話してもらって結構ですよ。私はそんな大層な人物ではありませんから」
ひらひらと顔の前で手を振るアラヤ。
にわかには信じがたい超常現象。
だが、あのオフィリアを子ども扱いして見せた実力は本物だ。
さらに彼は、誰一人開くことのできなかった御堂の中から姿を現した。
あるいは、信じてみてもいいのかもしれない。
「いやいやいや、大層も大層でしょ。歴史に名前残ってるんだし」
「いえ、私の名前などどうでもよいのです。大事なのは神より授かりし教えの方です。私の名前など、覚えたところで何の足しにもなりませんから」
少なくとも、試験の点数の足しにはなる、と思いつつ。
キアナの中で、むくりと黒い感情が鎌首をもたげた。
誰からも認められ、評価を得ている偉人。
そんな存在を前にして、自分の凡人さ加減に嫌気が差したのだ
キアナは頬杖をつきながら、地平線を睨みつけた。
「ふーん、私は有名になりたいけどね。有名になって強くなって、偉そうな貴族たちに威張り散らしてやるのが私の夢」
「ええ、夢があるのは良いことです。存分に励んでください。私も応援します」
「……お説教したりとかしないの? 欲を断ち切れとか、しがらみを捨てろとか、そんな感じでしょ、白翼教って」
「布教はしない主義ですので。どんなにありがたい思想でも、無理やり押し付けられると気分が悪いでしょう?」
「確かに」
キアナはクスリと笑みをこぼした。
学院に入って一ヶ月。
初めて心から笑ったのではないかとさえ思った。
はたと、もっともな疑問が頭をよぎる。
「……ていうか、アンタ二千年前に死んだはずじゃないの?」
「ええ。そのはずなんですが……先ほど何故か目が覚めてしまいまして」
「目が覚めたって……」
深く言及するのを諦め、キアナは次の質問に移った。
「……まあいいや。何でそんなに若いの? 聖者とかいったら、よぼよぼのお爺さんみたいな見た目だと思うんだけど」
「それはちょっと、説明すると長くなるんですが……」
と、不意に耳をつんざくような大音響が学院中に響き渡った。
『あーテステステス。一年のキアナ・エルマンさん! と、アラヤさん! 今すぐ第一演習場までお越しあそばせ! 決して悪いようにはいたしませんわ!』
いたしませんわーいたしませんわー……と反響しながら消えていく、高飛車そうな少女の声。
音の発信源は、屋上に設置された巨大スピーカーのようなもの。
放送室にある伝声管で伝えた声を、数十倍にも増幅して学院全体に響かせる魔道具だ。
こめかみを揉み込みながら、キアナはぼやいた。
「ろくな用事じゃなさそうね」
「まあ、行くだけ行ってみたらいかがです? もしかしたらいい話かもしれませんよ?」
「あの女が私にいい話なんか持ってくるわけないでしょ……」
◆
「おい、来たぜ。エルマンだ」
「何で平民のあいつがベルジュラックに呼び出されてんだ?」
「なんか、昼休みにオフィリアさんと決闘したらしいよ」
「マジかよ。つか、あのガキ誰だ? 小汚え格好だな」
予想通り、演習場の入り口は、野次馬たちでいっぱいだった。
来るなり大量の無遠慮な視線をぶつけられ、さすがのキアナも尻込みしてしまう。
「なあおい。何があったんだよ」
「すいません、急いでるので……」
「ちょっとくらいいいだろ」
ガタイのいい上級生たちに行く手を遮られ、歯噛みするキアナ。
いちいちこんな連中の相手をしていたら、オフィリアたちにどんな因縁をつけられるか分からない。
すると、アラヤが笑顔のまま一歩進み出た。
「申し訳ありません。先約がありますので、通していただけませんか?」
「あ? 何だこのガキ」
「俺たちはエルマンと話してるんだよ。すっこんでろ」
と、そのときだった。
新しくやって来た野次馬の一人が、アラヤの顔を見るなり叫んだ。
「あ! あいつだよあいつ! ベルジュラックを医務室送りにしたガキだ!」
「でもすごかったよな。いきなり地面から槍がズドドド! って生えてきて、ベルジュラックを串刺しにしたんだよ」
ザッ! と一気にアラヤの周りから人がはけた。
中には、不安げに足元を気にしている者もちらほら見受けられる。
「えーと、通ってもよろしいですか?」
「あ、ああ……」
青い顔で壁にはりつく野次馬たちに苦笑しつつ、キアナたちは講堂の扉をくぐった。
「うーむ、だいぶ尾ひれがついてしまったみたいですね」
「そうね。オフィリアさんが死んだことになってるし」
遊技場を改造して作られた演習場は、教室八つ分はある広々とした施設だ。
入学試験の実技も、ここを会場として実施された記憶がある。
演習場にいるのは、いつぞやの三人組。
そして、壁際に立っている数人の教師陣だった。
演習場を貸し切るだけあって、学院側も巻き込んだ仕掛けがあるらしい。
「ようこそおいでくださいました。これより、アラヤさんの入学試験を行いますわ!」
開口一番、オフィリアはそう宣言した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます