30話『許されざる罪』

 基本がなっていないとは、技量や速度云々うんぬん以前の問題だ。

 魔力で編み上げた刃が、身体強化をかけてあるとはいえ、柔い人皮じんぴすら斬れていないのだから、話にならない。

 

 純粋な格の違い。

 たとえ百回斬りつけられたとしても、アラヤは微動だにせず、ギュンターの魔力切れを待つだけで勝利できるということだ。

 一連の光景を目撃した参加者たちが、驚嘆の面持ちで顔を見合わせた。


「信じられん。魔法の刃を素手で防ぐとは、噂通りの化け物ぶりだ……」


「テオドラを一蹴したというのもうなずける……」


「あれが『ベルジュラックの懐刀ふところがたな』か……!」


(……なんか変な異名ついてるし)


 オフィリアが聞いたら、さぞや喜んで採用するに違いない。

 彼女が考えて吹聴している説すらある。

 治療を終えたのか、アラヤは立ち上がると、初めてギュンターと正対せいたいする。 


「投降を。争いは無意味です」


「舐めるなよ餓鬼が……! 『我が盾となれブークリエ、影の騎士・オルドル』!」


 舌打ちし、ギュンターが大量の魔力を練り上げる。

 ローレンでさえ聞いたことのなかった、ギュンターの詠唱。

 それは、イメージを補強し、本気の魔法を繰り出す合図だ。


 墨を垂らしたように、ギュンターの影が大きく拡張する。

 暗黒の沼から這い出てきたのは、五体の甲冑騎士。

 二メートルを超える巨躯に、黒曜石を連ねたような鋭利な鎧。 

 先程のかすみのような騎士とは、段違いの完成度だ。

 

「思い知らせろ!」


 ギュンターの怒号どごうを皮切りに、騎士たちは猟犬のごとくアラヤへ突っかけた。

 三本の長剣による大上段からの斬撃。

 棍棒メイスによる殴打。

 そして、長大な馬上槍ランスによる刺突。

 騎士の誰もが達人級の武力を有し、どの攻撃も致命の破壊力を秘めている。

 さしものアラヤでさえ、生身で受けるのは至難だろう。


 だが、無意味だった。

 アラヤから半径二メートルの間合いに踏み込んだ途端、床から突き出した何本もの宝槍ほうそうが、騎士たちを一体残らず串刺しにしたのだ。

 日輪のごとき炎を象った宝槍の一群は、さながら破邪の光のごとき荘厳さを孕んでいる。

 百舌もず早贄はやにえのごとく、騎士たちは槍に穿うがたれたまま、空中でギシギシと甲冑を軋ませた。

 アラヤとギュンターの間にある、鳥と昆虫、あるいはそれ以上の力量差を如実にょじつに示す残酷な光景だった。

 

莫迦ばかな……ありえん。このようなことが……」


「今のは悪くありませんが、次はあなたに当てます。もちろん急所は外しますけどね」


 柔和に微笑みながら、茫然自失となったギュンターに近づいていくアラヤ。

 まるで、挙手した学生の机へ歩み寄る、熟練の老教師のような悠々ゆうゆうたる振る舞い。

 アラヤの中では、自分はもはや敵ですらない。

 手ではたけば死ぬ小さな羽虫を、誰も脅威とは感じないのと同じ。


 心の底から思い知らされ﹅﹅﹅﹅﹅﹅、ギュンターはがっくりと膝を折った。

 日頃から表に出ることはないが、いざ正面から戦えば誰にも負けはしない。

 そんな根拠のない確証に支えられていた彼の自尊心が、粉々に砕け散った瞬間だった。

 

権謀術数けんぼうじゅっすうろうするのも結構。それで王都でも筆頭の地位に成り上がったのですから大したものです。しかし、他人をこまとしか思わないそのり方はいただけませんね。おとなしく、あなたが今までかいくぐってきた、この国の法で裁いてもらってください。……ああ、逃げても無駄ですよ。朝になれば憲兵の方たちがいらっしゃると思いますから」


 こそこそと広間を抜け出そうとしていた参加者たちに、アラヤがしっかりと釘を刺す。

 ギュンターさえ捕らえられれば構わないにせよ、みすみす取り逃がす道理もない。

 また、アラヤから逃走することも不可能と察したのだろう。

 彼らもまた、諦めたように肩を落とした。


「ありがとう、アラヤ君。あの人を殺さないでくれて……」


「ローレンさん」


 いつの間に意識を取り戻したのか。

 じょじょに蒼白だった顔に血の気が戻り始めたローレンが、弱々しく笑みを浮かべた。


「はは、僕と戦ったときは、だいぶ手加減していたようだね。君が本気になったら、僕なんか瞬殺だったろうに」


「あ、いえ。今回もきちんと手加減はしましたよ。最初に降伏勧告もしましたし」


「…………」

 

 微妙な顔をしながら、ローレンがなんとか上半身を起こした。

 未だ衰弱の隠せない瞳で見据えるのは、敬愛していた彼の叔父だ。

 己の将来を悲観してか、すっかり生気を失ったギュンターは、ただのしょぼくれた老人と化していた。


「ギュンター先生……いや、叔父さん﹅﹅﹅﹅。僕が腕のいい弁護士を探します。重罰は免れないでしょうが、拷問刑ごうもんけいだけは回避できるよう尽力じんりょくするつもりです」


「……何を白々しい。貴様が私を破滅させたのだろうが」


 餓死しかけているかのような、弱々しい声でうめくギュンター。

 否定はせずに、ローレンは言葉を続ける。


「貴方にも、賞賛を受けるに値する功績はいくつもあります。街道の整備、流通の効率化、税の引き下げによる経済の活発化……すべて御自身の利益のためにされたことと分かってはいます。ですが、これらの行いは、間違いなく王都の発展に大きく貢献したはずです。僕は、そんな貴方の背中を見て育ってきました。貴方のような貴族になりたいと、心から思っていたんです」


 人を動かし、街を作り変え、巨万の国益を生み出してきた男に、かつての少年は憧れを抱いた。

 彼こそが正しい貴族であり、目標とすべき存在だと。

 だから、先に裏切ったのは男の方だ。

 見たくないものまで見てしまってもなお、彼を信じ続けた、たった一人のおいを。

 だれもの理想となる偉人ではなく、断罪されるべき邪悪であると確信させてしまったのは、紛れもなく男自身なのだから。

 ギュンターはしばし固まった後、憑き物が落ちたように苦笑をこぼした。


「本当に――青臭い若造だよ、お前は」


 つられたように笑うローレン。

 数年ぶりに、二人は叔父と甥っ子に戻れていたのだ。

 首魁しゅかいが観念したことで、他の参加者たちも投げやりになったようだった。

 どこか弛緩した空気すら流れ始める大広間。

 一見、すべてが丸く収まったかのように思える。

 だが、キアナは未だに神経を張り詰めさせていた。

 

(あの女は……? ここには来てないの?)


 ゼッケンドルフの二度目の襲撃以後、彼女がキアナを仕留めに来なかったのは、本人の言っていた通り機をうかがっていたのだろう。

 下手に殺害することで、キアナ自身にも制御できていない、黒いオーラの暴走に巻き込まれるのを嫌ったのだ。

 また、アラヤが確実に居合わせないタイミングを探っていた可能性もある。

 だとすれば、彼といるこの城に、撃滅手の片割れが現れる確率は低い。

 そう楽観したかった理性に説得され、キアナは制服のポケットに忍ばせたナイフの柄から手を放す。

 出番が来なかったことに安堵あんどしつつ、アラヤのもとへ駆け寄ろうとするキアナ。

 そのときだった。


 突然、開いていた窓から何かが飛んできて、ギュンターの頭に当たった。

 

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