22話『帝国への道』
翌日。
キアナは昨日と同じように、一人で講義を受け、一人で食事をとり、一人で図書館の机についていた。
何のことはない。
アラヤと出会うまでは、これが当たり前のことだったのだ。
オフィリア個人と打ち解けはしたものの、取り巻きたちとは未だに反目しあったまま。
そのオフィリアとも、アラヤを間に挟まなければ、好き好んで談笑する仲でもない。
従って、作戦開始から二週間。キアナにはつるむ相手がいなかったのだ。
(……意外と気に入ってたのかもなー、アラヤたちのこと)
それまでの日常が帰ってきただけなのに、どうしてかキアナの胸中には
なまじ昨日の夜、久しぶりにアラヤと話したからこそ、今の空虚な気分に拍車がかかったのかもしれない。
ここまで自己分析したところで、キアナはハッとなった。
(……え? 何この感じ。なんか私アラヤのこと……いや全然そんなんじゃないし。師匠と弟子だし、見た目は子供だし、そんなことあるわけないない冷静に考えて)
頭をブンブン振って余計な思考を追い出し、キアナは目の前に積み上げた書物の山から、一番上を抜き取った。
(まずはこれからいこうかな。『魔法の発展・歴史』)
彼女が調べているのは、自らの魔力経路に秘められた謎についてのことだ。
あまり信頼のおける教授もいない現状、いきなり部屋に押しかけて『私の魔力は心臓ではなく脳で生成されているらしいんですが』などと切り出すわけにもいかない。
下手をすれば、正気を失ったと思われ、病院送りにされかねないからだ。
そうでなくとも、今後その教授からは腫れ物扱いを受けること必至である。
よって、キアナは独学でこの問題を解決しようと試みていた。
ちなみに、今日はオフィリアに別の用事があるとかで、帳簿との格闘に勤しむ必要はない。
もとより、オフィリアもさほどこの作業に望みをかけているわけではないのだろう。
あくまで、本命はローレンが親睦会に乗り込み、現地で情報を収集すること。
しかし、万が一そのリスクを冒さずに、ギュンターを仕留める手立てが見つかるのなら、それに越したことはないというわけだ。
(ダメだなー……普通の専門書だと大前提すぎて解説すらしてないし、入門書や教養書じゃ私でも知ってることしか書いてない……こんなこと研究する時点でどうかしてるって感じなのかなーやっぱり……)
二時間後。
座ったまま背伸びをすると、肩や首のあたりから、ゴキゴキと不穏な音が響く。
(根本的に調べ方を変えた方がいいかな。でもどう調べたものか……)
借りた本を書棚に返し、腕組みをして歩くキアナ。
と、偶然にもカウンターに腰掛けている司書の少女と目が合った。
「…………」
肩口で切りそろえられた、青みがかった黒髪。
前髪は外界と己を隔てるかのように眉の下まで伸び、ヘッドホンのような耳あてをかぶっている。
特に言葉を発するでもなく、またすぐ少女は手元に視線を落としてしまったが、キアナの脳裏にあるやり取りが蘇ってきた。
キアナたちが、ゼッケンドルフたちに強襲された晩のことだ。
――――――――
いぶかしげに小首を傾げるアラヤを、じっと見つめる少女。
やがて、何事もなかったかのように椅子に座り直した。
「何だか、変わった音がする。聞いたことがない音」
「音ですか?」
「心音。普通の人と違う。どういうこと?」
「そう言われましても、特に心当たりがないのですが」
「……そう」
それっきり、少女は黙りこくってしまった。
キアナはアラヤに目配せして、今度こそ図書館を出た。
――――――――
あのときは気にも留めなかったが、もしかすると彼女は、アラヤの特異性に気づいていたのではないだろうか。
心臓の性能は、魔法の練度に大きな影響を与えると言われている。
その差異を、少女は心音という要素に着目して見出したに違いない。
そんな彼女なら、キアナの秘密について何か解決の糸口を提示してくれるのでは。
淡い期待感とともに、キアナは少女の座るカウンターにやってきた。
「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「…………」
無言で顔を上げる少女。
言外に、つまらない質問をするなら相手にしない、と告げているような、冷徹な目がキアナを射抜く。
だが、それくらいで
構わず話を続けた。
「魔力が心臓以外の器官で作られることって、あると思う?」
教授にはこんな質問は到底できないが、学生にならまだ気安い。
ましてや、相手は図書館の外で見かけたこともない本の虫。
いつも読んでいるのがくだらない娯楽本でないのなら、その知識量には信頼が置ける。
たとえ多少の不興を買ったとしても、大して困りはしない、というのがキアナの
ところが、少女は二度まばたきをすると、鈴の音のような声でつぶやいた。
「物事には例外なく例外がある。大多数の人間が心臓で魔力を生成しているからといって、それが絶対の法則とは限らない」
「! ならさ、そういう題材について調べた人の本って、ここには置いてない? たとえば、脳で魔力が作られることもある、みたいなことで」
「置いていない。クラリオン王国の魔法使いで、そんなことを
「ああ、やっぱり……」
キアナはがっくりきてうなだれた。
中途半端に期待してしまった分、あてが外れたときの落胆も大きい。
礼を言い、
「クラリオンには居ないと言っただけ。そういう研究者は他国に逃れた。『魔力心臓生成説』を疑うことが許される、エカトリオン大陸唯一の魔法研究機関がある国へ」
「どこなの、それ」
「レムリア帝国」
「っ!」
予想外の角度から、思いがけない名前が飛び出し、キアナは激しく
両親と故郷の仇である帝国と、自身の共通点が見つかったことは、少なからずキアナに嫌悪感を与えた。
帝国に行けば、この疑問は解消される、と思ってしまったことも含めて。
「……
「ない。敵国人の思想に感化される学生が出ては困るから、という理由で」
飲食物や衣類ならまだしも、書物は著者の思想を強く反映する。
たとえそれが、私情を一切排し、事実のみを論じたものであってもだ。
それに、帝国では年間に何千冊も新しい本が発行されるため、
「そう……分かった。いいこと教えてくれてありがとう。名前、聞いてもいい?」
「……ルゼル・メイデル・パステルナーク」
わずかに赤くなった頬を隠すように、ルゼルと名乗った少女は深くうつむき、以後は何も喋らなかった。
キアナは壁にかかった時計に目をやる。
本当はもう少し早く帰る予定だったが、つい没頭してしまったせいで、時刻はすでに閉館の間際だ。
しかし、荷物を取りに行くより先に、便所に立ち寄ることにした。
王都にある普通の公衆便所には、仕切りというものがない。
ちょうど、座るところに、用便のための穴が一定間隔で開いた、サウナのような形だ。
しかし、魔法学院は貴族の学生が多く通う、先進的な造りの施設である。
人に見られながら用を足すなど考えられない、という彼らの要望に応え、男女ともに便所には個室が設けられていた。
ハンカチを口にくわえたまま、キアナは無心に手を洗っていた。
何時間も堅苦しい文章を読み続けた疲れが、どっと彼女を襲っていたのだ。
だから、背後の扉が開き、誰かが入ってきても、振り返りすらしなかった。
キュ、と蛇口を閉め直したのと同時に、何者かの手がキアナの口元を抑えた。
「っ――!?」
驚愕に身をこわばらせるキアナ。
しかし、刺客は構うことなく、引きずるように彼女を手近な個室に引きずり込んだ。
ガチャリ、と鍵がかけられ、キアナは刺客とともに狭い正方形の個室に閉じ込められてしまう。
キアナの口を封じたまま、刺客が耳元でささやいた。
若い女の声だった。
「私の質問に答えるのであります」
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