28話『彼らの後悔』

「すまない。全ては僕に責任がある。僕が口を滑らせ、ミス・ベルジュラックをかばうようなことを言ったから、ギュンター先生を不審がらせたに違いない」


 数日後。

 学院の廊下を歩きながら、ローレンは苦い顔で後悔を口にする。

 授業と授業の間の休み時間。

 学生や教授たちが行き交う構内は活気に満ちており、密談にはもってこいだ。


「ミス・ベルジュラックの見舞いに行きたいのだが、今夜の親睦会が終わるまでは控えるべきだろうね」


「それが賢明でしょう」


 言いながら、アラヤはせわしなく眼球だけを動かし、周囲の様子を精査している。

 ゼッケンドルフの遺体は、ベルジュラック家によって内々うちうちに処理された。

 破壊された邸宅や庭園も、いえの息がかかった大工や庭師が、内密に修繕を行うこととなっている。

 メンツが云々うんぬんという次元の話ではない。

 王国でも有数の貴族である『九大名家』の一つ、ベルジュラック家が襲撃を受けたことを公表すれば、同じ革新派を強く刺激することになるのだ。

 下手な動きをして、親睦会が開催延期にされてしまっては目も当てられない。

 ギュンターを破滅させる日が遠ざかれば遠ざかるほど、アラヤたちに降りかかる災難は増える一方なのだから。


「ミス・ベルジュラックの容態は?」


「なんとか一命はとりとめたそうですが、当分は絶対安静でしょうね」


「君の判断にケチをつけるわけではないが、回復魔法で治すことはできないのかい? ギュンター先生を確保するときのために、戦力は一人でも多く揃えておきたい」


回復魔法あれで強引に治した傷はものすごく目立つので、緊急時でなければ自然治癒に任せた方がいいんです。危ない箇所は応急処置として治させてもらいましたが」


「そうかい。まあ、君がそういうのならそれで正しいのだろうね」


 階段を降り、踊り場の鏡でさりげなく前髪を直しながら、ローレンは続けた。


「聞けばミス・ベルジュラックは撃滅手を相手に、単身で食い下がったというじゃないか。あれで僕も彼女に対する見方が変わってね。できれば謝罪がてら、その戦いぶりを見せてもらいたかったのだが……仕方あるまい」


「本人が聞いたら、きっとお喜びになりますよ。……親睦会の会場に、変更等はありそうですか?」


「さすがにもうないと思いたいところだけどね。だが、ギュンター先生のことだからね。土壇場で変わることも十分にありうる」


 そこでだ、とローレンは懐からあるものを取り出した。

 革製の紐に、藍色の宝石がわえられた腕輪だ。

 深海の一部を結晶化したような、奥行きのある輝き。

 見るからに、高価な装飾品と分かる仕立てである。

 アラヤが気まずそうに苦笑いをした。


「すみません、お気持ちはありがたいのですが、そういった贈り物は受け取らないことにしていまして……」


「いや、これは実用品だ。『通心つうしんの腕輪』なる魔道具でね。二つで一組になっていて、着用者はお互いの話し声を聞くことができる。これがあれば、いきなり場所が変更になっても、さりげなく君に伝えることができる」


「あ、なるほど。それは良いものです」


 警戒を解き、腕輪を手首のあたりにはめるアラヤ。

 宝石が日光を反射し、きらめく様をしげしげと見つめている彼に、ローレンは思いつめたように尋ねた。


「……野暮な質問であることは承知の上だ。もちろん、いざそういう局面になったとしても、僕は決して君を止めはしない。だが、一つだけ聞かせてくれ――君は今夜、ギュンター先生をどうするつもりなんだい?」


 ギュンターの裏の顔を知らされたときと同じ、深い葛藤と苦しみをたたえた灰色の瞳が、アラヤを見つめた。


「あの人が君たちや、君たちと関わった人々に何をしたのかは分かっている。頭を下げたくらいで許されるはずもない。一緒になって片棒をかついでいた僕も含めてね」


「…………」


 アラヤは黙ってローレンの言葉を待っていた。


「あの人の行いが全て明るみに出れば、どんなに金を積んだとしても、禁固刑は免れないだろう。場合によっては死罪もありうるかもしれないが、それが司法の場で、公正に裁かれた結果であるのなら、僕は甘んじて受け入れようと思う。

 だが――あの人が血みどろで床に転がっている姿なんて見たくない。君からすれば殺しても飽き足らない相手かもしれないが、僕にとっては小さい頃から可愛がってくれた叔父さんなんだ。たとえ打算による愛情で、僕を駒として手懐てなづけるための演技だったとしても」


 正しい償いとは何か。

 第三者が間に入り、誰もが認める法律のもと、公平な判決に身を委ねることか。

 それとも、被害者の意向を最優先に、あるいはどんな復讐さえも許容することか。

 全体の秩序を重んじるのなら前者を選ぶべきか。

 個人の感情を重んじるのなら後者を選ぶべきか。

 答えなどない。

 ただ、ローレンという少年は、個人の感情に基づき、公平な裁きを求めた。

 それが、自身に許された最大のエゴだと知っての懇願だ。

 そんな彼の意図をみ、アラヤはただ微笑みをもって答えた。


「ご安心ください。個人による裁定さいていなど、復讐の連鎖を生むだけの自己満足でしかありませんから。罪人つみびとに真の更生を望むのなら、おおやけの罰を受けてもらうのが一番です。キアナさんやオフィリアさんも、きっと納得してくれると思います」


 それを聞いて、ほっとしたようにローレンは表情を和らげた。


「そうかい。いや、不躾ぶしつけなことを聞いてすまなかった。君ならそう言ってくれるだろうとは思っていたが……覚悟はしておきたくてね」


「気持ちはよく分かります。ですが、その心配は必要ありませんよ。私利私欲のままに力を振るい、他者を断罪する快感に溺れるなど――けだものに等しい行いです」


 いつになく強い口調で、アラヤはそう言い切った。

 

 ◆


「わざわざ呼び出してすみません。ですが、人目を避けるにはここしか思いつかなくて」


 放課後。

 雨上がりの夕空は、紅葉のごとく朱に染まっている。

 いつぞやの中庭で、キアナはアラヤと対面していた。

 オフィリアの家以外で彼と話すのは、実に一ヶ月ぶりだ。

 わざわざ危険を冒してまで伝えたいことといえば、キアナには一つしか思いつかなかった。


「今夜のことでしょ?」


「ええ。オフィリアさんの家には監視がついている可能性があるので、打ち合わせするなら今しかないと思いまして」


「打ち合わせ? 私、ずっとオフィリアさんの家で待機してるつもりだったんだけど」


「以前まではその予定でしたが、事情が変わりました。キアナさんには、私と同行してもらいます」


 アラヤと同行。

 つまり、親睦会に直接乗り込むかもしれないということだ。

 キアナは心の中で小躍りしていた。

 今回の一件に関して、彼女がことさらに必要とされるような局面はほとんどなかった。

 ゼッケンドルフを倒したのも、オフィリアの奮闘があってこそ。

 最初から、オフィリアはアラヤが来るまでの時間稼ぎと割り切っており、キアナの力など当てにはしていなかった。

 また、前例――ディアドラに拷問されたときを再現したとはいえ、黒いオーラを出せたのも偶然だ。

 本番である親睦会の最中に、自分の出る幕などない。

 

 そう納得しつつも、アラヤからの自分への評価が変わっていないことに不満を感じていたのだ。

 だから、アラヤの言葉は素直に嬉しかった。

 少なからず、アラヤは自分の実力を認めてくれたということだろうから。

 ともすると、自分にも何か役割が与えられるのかもしれない。

 そんな期待を秘めつつ、キアナはつとめて平静を装う。

 

「ふーん。でもいいの? 私が居たら、あの女と戦うとき邪魔じゃない?」


「いえ、近くに居てもらった方が都合がいいんです。オフィリアさんのときのようなことがあってはなりませんから」


「……え?」


 腹を殴られたような衝撃を受け、キアナは呆然とした。

 オフィリアのときのようなこと。

 要するに、アラヤの不在を狙われては困るという意味だ。

 だが、戦いの場にお荷物を連れて行くリスクは計り知れない。


 それはキアナ自身、最初にゼッケンドルフに襲われたときに痛感していた。

 自分をかばってさえいなければ、アラヤは手傷すら負わずにゼッケンドルフを仕留められたに違いない、と。

 しかし、アラヤはその上でキアナを連れて行くと決めた。

 これが意味する事実は一つだ。

 キアナは失意に声をわななかせる。


「私には留守番も任せておけないってこと?」


「そうではありません。キアナさんが努力を重ねていることは、私が一番よく知っています。ですが、また撃滅手の方に襲撃される可能性が高いことを思うと、やはりついてきてもらうのが一番かと」


「でも、私なんか居たら邪魔でしょ!? 私もうアンタの足手まといになんかなりたくないし、自分の身くらい自分で守れる! ちゃんと証明してるじゃない!」


「すいません、私も弁が立つ方ではないので、上手く言えませんが……」


 アラヤが苦笑しながら顎に手をやる。

 まるで駄々っ子をなだめすかそうとしているような態度に――自覚があるだけに――キアナはますますカッとなった。

 

「あのオーラの出し方ならなんとなく分かってる! 最悪、また心臓を刺せば発動できると思うし、殺されるくらいならやってみせる! 何で信じてくれないの!? そんなに私って頼りない!?」


「ええとですね、それが怖いんです」


「怖い? 何が?」


 気炎を上げるキアナの目をしっかり見つめながら、アラヤは噛んで含めるように言った。


「修行せずに魔法が備わっている人というのは珍しいですが、心臓を刺すのが条件の魔法なんてちょっと考えにくいですし、第一まだ使いこなせていないんですよね? なら、あまり当てにせず、少しづつ謎を解明していきましょう。もちろん私も付き合いますから」


「……何が言いたいの?」


「では、はっきり言います。キアナさんは危なっかしいんですよ。たった一度、偶然、それも勝手に発動した魔法を頼りに、本来勝算もない相手にわざわざ挑んでいったんですよね? しかも、その気になれば逃げることもできたのに」


 それまでは言葉を選んでいたのだろう。

 わずかに語気を強めたアラヤに、キアナはひるんだ。


「そ、それは……でも、そうしなかったらオフィリアさんは死んでたし、上手くいったんだからいいじゃない!」


「ええ。前半に関してはそうだと思いますし、間抜けにも居合わせなかった私としては感謝しています。しかし、後半に関しては同意しかねますね。上手くいったからいい、ではなく、上手くいかなかったら、助かったはずのキアナさんまで死んでいたんですよ」


「…………」


「考えたくもありませんが、もしそうなっていたら、オフィリアさんの使用人の方々はどれほど苦しむかを想像してみてください。『自分がもっと強く止めていれば、あの子を死なせずに済んだのに』という後悔を一生抱えることになるんですよ。大体、逃げてもよい場面で、勝ち目のない勝負を仕掛けるのは、勇敢ではなく蛮勇というものです。申し訳ありませんが、とても褒めることはできません」


 こんこんと諭され、キアナは羞恥心でどうにかなりそうだった。

 馬車を用意してくれた使用人たちの制止を振り切ったのは、自分でもやれると証明したかったからだ。

 客人を守るのは使用人の務めだ。

 もしあのまま死んでいたら、彼らの厚意や誇りまでもを踏みにじることになる。

 そのことにまったく思い至らなかった浅はかさに、ほとほと嫌気が差した。

 だが、引っ込みがつかなくなったキアナは、苦し紛れに言い返した。


「じゃあ何? オフィリアさんを見捨てた方がよかったってこと?」


「その言い方には悪意がありますね。繰り返しますが、キアナさんの行動のおかげでオフィリアさんが助かったこと自体は大変喜ばしいことですし、感謝もしています。ですが、それはそれとして、今のキアナさんを一人にしておくのは危険だという話です」


 難癖じみた反論まで綺麗に返され、今度こそキアナは黙りこくった。

 これ以上何を言っても、恥の上塗りにしかならないからだ。

 口を尖らせたまま、むくれているキアナに、アラヤは優しく声をかけた。


「きついことを言ってしまってすいません。ですが、これは必要なことなんです」


「……そんなに私が大事? まだ出会って一ヶ月しか経ってないのに」


 なじるのではなく、単純な疑問としてキアナはたずねた。

 そして口にしてから、だいぶ自意識過剰な質問であると気づき、顔を赤らめる。


「あ、いや。違うか。アンタは周りの皆が大事で、私はその一人ってだけだし。ごめん、今の忘れて」


 誰も傷つけず、傷つけさせず、可能であったとしても殺さない。

 きっと彼は、人間全てが尊いのだろう。

 自分に向ける慈悲は、所詮はその中の何千万、何億分の一でしかないと。

 キアナがうつむいていると、アラヤは言った。


「……いいえ、それでもキアナさんは特別ですよ」


「えっ?」


 思いがけない台詞に心臓が弾む。

 トクントクンと鼓動が早まり、体温がどんどん上がっていく。

 まさか、アラヤが自分のことを……。

 しかし、そんな期待はあっさりと裏切られた。


「あなたは私の弟子ですからね。弟子を守るのは師匠として当然のことです。まだまだ教えて差し上げたいことは山ほどありますから」


「…………あ、うん」


 まあ、大方そんなことだろうとは思っていた。

 だが、こんな肩透かしはあんまりではないだろうか。

 落胆しながら、キアナは恨みがましくアラヤを睨む。

 夕日を背負ったアラヤの表情は、逆光になってしまっている。

 けれど、彼にしては珍しく――キアナの方を見ていないような気がした。



 

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