27話『傷が隠すは癒えぬ過去』
「――急所は避けたが、よもや死んではいるまいな?」
息を切らしながらも、勝利を確信したように頬を歪めるゼッケンドルフ。
その身体からは、雨に打たれた後のように、ポタポタと血が滴り落ちている。
「かっ――こふっ、げほっ」
「あと一手打つことができれば、あるいは俺を倒し得たかもしれんが、土壇場で魔力を切らすとは。配分を誤ったな」
だが、オフィリアからの出血に比べれば、取るに足らないと言える量だ。
二の腕、手のひら、腿、ふくらはぎ、腹、その他数か所。
錆びついた長剣や、刃こぼれした鎌、短剣、
仰向けに倒れたまま咳き込み、そのたびにオフィリアは何度も血の塊を吐き出す。
「お嬢様!」
「クソッ、アラヤ様はまだいらっしゃらないのか!?」
「む、無理だ。アルハーゼン邸はここからじゃ遠すぎる……早馬でも間に合わない」
割って入ることもできず、歯噛みしながら戦いを見守っていた使用人たちが騒ぎ始める。
彼らの声を聞きながら、ゼッケンドルフは鼻を鳴らした。
「救えぬ弱者どもが。主を思うなら、せめて身を挺して庇おうという気概はないのか。それとも、貴様への忠誠が足りぬだけか?」
「……いいえ、彼らは皆、私に忠実な者ばかりですわ。常に合理的な選択をせよという私の教えをよく守っているのですから」
「ハ、では貴様の部屋で俺に殺された連中は何だ? 俺を見た途端、いきり立って殴りかかってきたのだが……奴らには、ご自慢の教育は行き届いていなかったようだな」
忠義に
「我が使用人への
「まあ当然といえば当然か。
ピク、とオフィリアの眉が動く。
図星と見たのか、ゼッケンドルフは
「あれは正真正銘、神の寵愛を受けし天才にして理不尽の具現だ。奴は己に
「意味が分かりませんわ」
「なぜ分からん? 奴は一山いくらの凡人に見果てぬ夢を
才ある者への憎しみをにじませるゼッケンドルフに、オフィリアは薄く微笑んでみせた。
「何が
「良かれ悪しかれ
ゼッケンドルフはしばし黙り込むと、自嘲げに笑った。
「一理ある。だが、貴様に真の不幸というものを教えてやろう――
手のひらをオフィリアに差し向け、神父は
「――『
ゼッケンドルフの傷口が開き、肉をかき分けるように武装が投射される。
だが、それは手のひらからではない。
左肩だ。
鮮血を撒き散らしながら、使用人たちがいる方へと、刀身の曲がった小刀が宙を駆ける。
「っ……!?」
その意図が汲み取れず、オフィリアは小刀の飛んでいった方角を見やった。
そこには、
「キアナさん……!?」
「気づいていないとでも思っていたのか? 舐められたものだ」
使用人たちの間から、キアナが一目散に駆け出してきていたのだ。
とっくに誰かが手引きし、脱出しているものと思っていたオフィリアは愕然とする。
客人の安全を守るのは屋敷の主の義務であり、使用人の義務でもある。
つまり、彼女がここにいるのは、彼女自身の意思にほかならない。
未だ燃え続ける木々。
オフィリアたちの問答。
この二つが要因となり、ゼッケンドルフからの発覚を遅らせた。
だが、まだ遠い。
両者の隔てる距離は十メートル以上。
石ころやナイフを投げたくらいで、何がどうなるわけもない。
「かっ――!」
「キアナさん!」
両腕を顔の前に交差していたキアナだったが、そんな防御は何の意味も為さなかった。
小刀は上がった
視界の端でしか捉えていなかったにも関わらず、恐るべき命中精度。
否、ある程度まで目標に近づけば、自動的に軌道を修正し、急所を狙うようにできている。
そういう理念から編み出された武装だ。
「また一人死んだな。アラヤ・ベルマンに憧れた、哀れな
せせら笑うゼッケンドルフ。
キアナは走っていた勢いのまま数歩だけ進み、そして前のめりに倒れ込んだ。
身体が宙に浮き、地面に落ちる一瞬前。
しかし、振り乱した黒髪の合間から、その目はなお
「――よかった。使えて」
心臓は停止した。
だが、キアナの魔力源は脳。
アラヤと自身を襲撃し、無価値な虫けらと見下した男への。
平民の自分にも、礼を尽くしてくれた使用人たちを殺した男への。
そして、本人にも意外だったのが、オフィリアを瀕死に追い込んだ男への。
神経細胞を焼き尽くすほどの『憎悪』が起動する。
地に倒れ伏す間際、キアナは振りかぶっていた腕を思い切り振り下ろした。
届くはずもない射程外の一撃。
だが、腕の延長線上へとオーラが展開し、巨人の棍棒のごとき鈍器となって、ゼッケンドルフを殴りつけた。
「ぐおっ……!!」
家一軒、丸ごとのしかかったかのような重圧。
殺したはずの人間からの逆襲に意表を突かれ、ゼッケンドルフはただその場で打撃を受けるよりほかなかった。
腕で頭部を守り、全身くまなく最高強度の『身体強化』をかける。
だが、足りなかった。
彼の『魔剣工房』は、自身に刻まれた古傷を開き、その傷の原因となった武装を召喚するという魔法。
発動のたびに、治りかけの傷を切り裂かれる激痛がイメージを補強し、武装の強度や破壊力を増強するというギミックが組み込まれている。
登録されている武装が、錆びていたり刃こぼれしていたりするのは、少しでも召喚時の苦痛を増すことで、魔法の威力を底上げしようという狙いだ。
しかし、その代償として『魔剣工房』を使うごとに、回復魔法で傷を癒やさなければ、出血多量で戦闘不能に陥ってしまう。
極力、消耗を抑える戦い方を好むのは、この欠点を考慮した上でのことだ。
だが、追い詰めたはずの
圧倒的な制圧力と引き換えに、身体に与える負担、要求される
結果、キアナのオーラを防ぐのに必要なレベルの『身体強化』をかけることができなかったのだ。
彼の足元を中心に、地面に放射状の亀裂が生じたかと思うと、火傷を負った右脚からへし折れ、その身体はオーラに押し潰されて見えなくなった。
キアナが意識を失い、オーラが消失したとき、そこには体中の骨を砕かれたゼッケンドルフが横たわっていた。
「……危ないですわね。私まで潰されていたらどうするおつもりだったのかしら。非合理の塊のような人ですわね、全く」
オーラの持ち主に憎まれ口を叩きつつ、オフィリアはかろうじて上体を起こす。
「魔力は綺麗に使い切ったようですわね、撃滅手さん」
「……なぜ分かる?」
ほとんど蚊の鳴くような声で、ゼッケンドルフは
すると、オフィリアは自慢げに自らの両目を指差して見せた。
「魔力の流れを見れば、一目瞭然ですわ。最低限の生命維持に必要な魔力さえ残っていませんから。その分だと、とどめを刺すまでもなさそうですわね」
「……あの小娘の力も計算
忌々しげなゼッケンドルフの言葉に、オフィリアはしばし口を閉じると、自信満々に言い切った。
「当然ですわ! 彼女が
「嘘だな。ケテルブルクの報告だと、学院内では貴様らは一切つるんでいなかった。学友と呼べる仲ですらなかっただろうに、そんな不安定なものを戦術に組み込むはずがない」
「むぐっ……ま、まあ、なんとでもおっしゃってくださいまし。結果が全てですわ」
「そう。結果が全てだ。俺が敗北し、貴様らが勝利した。それ以外の事実に、今更なんの価値もない」
突然、ゼッケンドルフが大量に吐血し、ゼエゼエと苦しげな吐息を漏らす。
その命脈が尽きるときが、間近に迫っていることを意味していた。
「その赤い包帯……
「……逆だ。
魔力とは、生命力の同義語。
よって、体内の魔力経路を循環する魔力が増えれば増えるほど、自動的に肉体の機能は強化される。
だが、ゼッケンドルフはそれがもたらす傷の修復さえもを嫌ったのだ。
また、物体の保存という聖骸布の効能は、擬似的な肉体強度の向上にもつながる。
ゼッケンドルフは、この効果をも
だが、一秒とかからぬ蘇生という人知を超えた所業を目にしたことで、その計算に狂いが生じた。
オフィリアによって焼かれた右脚が、聖骸布を失っていたことを失念してしまったのだ。
そのわずかな差異が『身体強化』の振り分けを誤らせ、結果ゼッケンドルフは敗北した。
もし『凶器乱舞』を使用していなければ。
もし、オフィリアのフェイントが成功していなければ。
勝利の女神は、オフィリアに目もくれなかったに違いない。
オフィリアは眉をひそめる。
「なぜそこまでして苦痛を伴う魔法を? 貴方なら、ただ武装を召喚するだけでも十分な戦力となり得るでしょうに」
「『
自らが所属する機関の名を告げるとき、その声音に誇らしげな気配が宿る。
ただ、強者との戦いを熱望するだけの戦闘狂からは出てこない響きだ。
オフィリアはそんなゼッケンドルフを咎めた。
「そこまでして、幾人もの罪もない人々を殺すことが、貴方の誇りでしたの?」
「知ったことか、俺を化け物と蔑み、罵倒し、排斥した奴らのことなど! 俺を受け入れたのは神託派の同胞たちだけだ。彼らと肩を並べ続けることだけが、俺の誇りだった!」
血を吐くように吠えるゼッケンドルフ。
オフィリアは、包帯の間から見える彼の地肌を凝視する。
無傷の表皮など皆無と言っていいほどの、おびただしい傷跡の数々。
それらの下に、広範囲に渡る皮膚の
明らかに『魔剣工房』とは無関係なものだ。
薬剤によるものか、高熱によるものか、それとも別の原因があるのか。
今のオフィリアに、それを知る
彼の抱えた
オフィリアは静かに言った。
「……先ほどの発言は撤回いたしますわ。貴方にも、良き出逢いというものはあったのですね」
返答はなかった。
代わりに、ゼッケンドルフが召喚した武装が消滅し、栓を失ったオフィリアの傷口から血が噴き出した。
「お嬢様! お気を確かに!」
「今しがたアラヤ様が到着なされました。すぐに治療していただきましょう!」
戦いの終結を悟ったのか、使用人たちが一斉に駆けつけてくる。
遠くで倒れているキアナも、彼らの介抱を受けていた。
そのことを確認してから、オフィリアは目をつぶった。
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