第8話『アラヤ様、謝られる&会見を開かれる』
王都の東部。
多くの自然が残る丘陵地帯の一角にそびえる白亜の宮殿。
高さ四メートルの外壁に囲まれた学院内は、関係者以外一切立ち入り禁止だ。
門番の門番は、見るからにお貴族様な風貌の生徒は顔パス。
しかし貧乏臭い身なりの平民は、時折呼び止められて恥をかくことになる。
特に、コソコソして挙動不審だと目をつけられやすい。
キアナも、入学したての頃は、学生証代わりのメダルをポケットに入れて登校したものだった。
「おい、見ろよ。エルマンと例のガキだ……」
「テオドラを病院送りにしたって本当か?」
「先生、もう二度と歩けないらしいよ……」
「右足を素手で引きちぎったんだって……」
すでに話が広まったのだろう。
アラヤたちに向けられる好奇の視線は、昨日の比ではなかった。
「……尾ひれどころか羽が生えてるわね。噂に」
「うーん……まあ、よくあることですよ」
訂正する気もないのだろう。
苦笑いしながらアラヤは歩を進める。
と、そこへ二人を呼び止める声があった。
「おい、そこのガキ! ここはお前みたいなのが来るところじゃない! とっとと失せろ!」
高圧的に怒鳴りつけたのは、若い門番だった。
恐らく、末端までしっかり話が通っていないのだろう。
しかし、まだ正式に入学したわけでもないので、身分を証明する術がない。
当然、制服もないので服装は浮浪児同然のボロ姿だ。
どうしたものかとキアナが悩んでいると、
ぱこんっ!
小気味よい音がして、すっ飛んできた中年門番が若い門番の頭を引っ叩いた。
「バカ! この方はいいんだよ! お通ししろ!」
「いてっ! 何するんすかエミルさん!」
「指令くらい読め! ベルジュラック様ご推薦の特待生なんだよ、この方は!」
「ええっ!? こ、こんな小汚いガキンチョがですか!?」
「バッカ野郎、お前はもう喋るな! ……大変申し訳ございません! こいつはまだ新入りでして、何も分かっちゃいないんです! あとでよく言い聞かせておきますから、何卒お許しを……!」
若い門番の後頭部を引っ掴み、コメツキバッタのごとくアラヤとキアナに平身低頭する中年警備員。
若者の方も、ようやく事態を飲み込んだのか、なすがままになっている。
「みっともねえ。いい年して……」
「あーあ、死んだわあいつ」
「死んで当然だろ、あんなクソ平民」
その滑稽な仕草に、周りの生徒たちは失笑する。
すると、しばらく黙り込んでいたアラヤは、深々と頭を下げた。
ざわっと野次馬たちがどよめいた。
このような場合、平民は地に額をこすりつけてでも許しを請うもの。
貴族を貴族として扱わないのは、それだけ侮辱的なことなのだ。
中年警備員は、泡を食って腕をばたつかせた。
「な、何をしておられるのです! 悪いのは全面的にこちらなのですよ!?」
「クラリオンでは、貴族を平民扱いすることは罰金刑に値すると聞きました。なのに、こんな格好で出歩いていた私が不用意だったのです。あなた方は何も悪くはありません」
「いえいえいえ! とにかく、頭を上げてください!」
「す、すいませんした! 自分がうっかりしてたせいで……!」
「謝るのは私の方です。間違いは誰にでもありますから、お気になさらず」
そう言い残し、アラヤはすたすたと歩き去った。
呆気にとられていたキアナも、慌ててその後を追う。
「た、助かった……あんな貴族の人初めて見たっすよ……」
「全くだ……まだお若いのに人間ができていらっしゃる……」
(まあ、全然若くもないし貴族でもないんだけど)
そんな言葉を背中で聞きながら、キアナは心の中で突っ込みを入れる。
しばしの間、二人は無言で校舎までの道を歩いていた。
足元は白い石畳で舗装され、周囲は丹念に手入れされた芝生に覆われている。
かたわらの植木は様々な動物の形に刈り込まれ、見ているだけでも惚れ惚れするような仕上がりだ。
ふと、アラヤがこんなことを尋ねてきた。
「キアナさん。今、どんな気分ですか?」
「どんなって?」
「偉くなりたいとおっしゃっていましたが、ああしてペコペコされる側に回った気分は」
(……ヤなこと聞いてくるなー)
キアナは口をへの字に曲げ、うつむき加減につぶやいた。
「……ちょっと気持ちよかった。いっつも謝ってばっかりだったから」
「仕方のないことです。私もキアナさんの立場なら、きっとそう思っていました」
キアナの告白を責めるでもなく、アラヤは微笑をたたえる。
「人にされて嫌なことは自分もしない。口にするのは簡単なんですけどね」
と、血相を変えて一人の教師がアラヤたちの方へ走ってきた。
「あ、いたいた! こっちです! すぐ会見が始まりますから!」
「会見? 誰のです?」
「聞いておられないんですか? ベルジュラック様ですよ」
(……なんか、ろくでもないことやらかそうとしてるような)
予感は的中した。
◆
「――お待たせいたしましたわ! これより、この私、オフィリア・シルヴィ・ド・ベルジュラックが推薦いたしました、アラヤさんの入学会見を始めますわ!」
キメキメのドレスに身を包んだオフィリアが、朗々と宣言した。
会場となった大講堂に詰めかけた人々は、およそ百名。
新聞部の部員や、
「まず、私がアラヤさんと出会った経緯からお話いたしましょう。あれは二ヶ月前の――」
演台に立つオフィリアの口から語られるのは、聞くも涙語るも涙の物語。
不遇の身だったアラヤを見出した己の先見性をさりげなく自画自賛しつつ、いかにアラヤが優れた才能の持ち主かをよどみなく話し続ける。
「――そして昨日、私は裏庭にて確信したのです。アラヤさんが将来、この学院を背負って立つ人材たりうる、と。まあ、もっと詳細にお話することもできますが、
(かいつまんでこれ……?)
舞台袖で聞いていたキアナは、げんなりして壁にもたれかかった。
思う様喋らせていたら、日が暮れていたのではなかろうか。
(まあ、誤解を解く手間が省けたのはよかったかな)
いちいち個別に説明するのは、手間がかかりすぎる。
その上、説明した内容が正確に広まるとも限らない。
ならば、こうして公の場で大々的に発表してしまった方がいい。
……早速、大嘘を並べられたのにも、この際目をつぶるとしよう。
貴族のオフィリアは元より、アラヤもまた注目に動じる様子はない。
このくらいの人目など、物の数にも入らないのだろう。
オフィリアの演説の効果はまずまずといったところ。
しかし、情報に敏感な一部の生徒たちはあざむけなかったようだ。
雨後の筍のごとく、回答を求める質問者たちの手が乱立した。
「新聞部のアリッサ・シラノーです! 昨日お昼休みに行われた
「そうだそうだ!」
「どういうことだ、説明しろ!」
やんやと野次が飛ぶが、当の本人は涼しい顔でうなずいている。
このくらいの指摘は想定内なのだろう。
オフィリアは落ち着き払って答えた。
「具体的に、私がどんな奇声を発したというんですの?」
「え、えーと……『こんな辱めを受けたのは生まれて初めてですわ』と」
証拠があるわけではないのだろう。
口ごもるアリッサ記者に、野次馬たちの不満の矛先が向けられる。
「はあ!? 『こんなことは初めて』だろ!」
「『こんなの』じゃなかったか?」
「『こんなこと認めませんわ』だって聞いたぞ」
「どっちなんだよ!」
「だから『こんな屈辱』だって!」
「言ってねえだろそんなこと!」
あっという間に、
大講堂の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
(こ、これが貴族のやり方……)
罵声が飛び交う中、キアナは壇上のオフィリアが密かにほくそ笑むのを目の当たりにした。
正しくは『こんな屈辱は初めてですわ』である。
だが、録音されていたわけでもあるまいし、正確なことなど誰にも分からない。
しかし、人は自分が見聞きした物事こそ真実だと思いこむもの。
そして、誰かが間違えていると思ったら、それを訂正せずにはいられないのだ。
ちなみに、最初にいちゃもんをつけた野次馬は、オフィリアが用意したサクラである。
聴衆が静まるのを待ってから、オフィリアは自信たっぷりに言った。
「正しくは『こんな
「で、でも、明らかに試しているような雰囲気ではなかったと……」
なおも食い下がるアリッサ記者だが、その声に力はない。
自身の
オフィリアの方も、もはやこんな相手など歯牙にもかけない。
心外だとばかりに肩をすくめて、とどめを刺す。
「雰囲気? 困りますわ。もっと確固たる根拠を提示していただかないと、こちらも反論のしようがありません。はい、次の方?」
詭弁。逆質問。論点ずらし。はぐらかし。
巧みな話術で、意地の悪い質問者を何人かさばいた頃。
講堂の扉が開き、一人の男子生徒が入場してくる。
オフィリアは眉をしかめながら注意しようとして、固まった。
「誰ですの? 途中入場はお断り……と……」
「すまないね。でも、どうしても気になったもので、係の子に無理を言って入れてもらったんだ」
身長は優に百八十センチを超えている。
細面の耽美な顔立ちに、ミディアムの金髪。
引き締まった四肢は驚くほど長く、ただ歩くだけでも人目を引きつけるスター性を放っていた。
「嘘、ローレン様じゃない!?」
「え、待って! 今日超メイク適当なんだけど最悪!」
「一度でいいから、あのセクシーなお声で名前を呼んでいただきたいわ……」
思わぬ人物の登場に色めき立つ女子生徒たち。
一方、男子生徒たちからの視線は冷たいものだった。
「けっ、いい気になりやがって」
「見ろよ、あの女みたいな髪型。手入れに何時間かけてるんだろうな」
「暇なときはずっと前髪いじってるんだってよ」
嫉妬丸出しの中傷に、ローレンと呼ばれた男子生徒は機敏に反応した。
「そこの君たち! 二年のオーソン君、マリオ君、キシル君! 陰口はせめて本人に聞こえないところで叩く程度の慎みは持ってくれ……それ以上、君たちには何も期待していないからね」
「な、何だと!? お前、この俺をドノヴァン家のオーソンと知っての――」
「もちろん知っているとも。『九大名家』たるアルハーゼンからすれば、吹けば飛ぶような『浅い』家だろう」
「こ、この……うっ!」
座席から立ち上がったオーソンだったが、すぐに青ざめた。
「売られた喧嘩は買う主義でね」
ローレンの頭上には、すでに魔法で作られた
尖った切っ先をオーソンの心臓へ向け、主の命令を待つようにゆらゆらと揺れている。
「すごい……詠唱もなしにあんな大きな氷柱を!」
「それに、瞬きしたらもう具現化されてたわ! どんなイメージを持っていらっしゃるのかしら」
魔法戦の勝敗は、魔法の発動速度に大きく影響される。
早いほど強い。これが基本原理だ。
すっかり気力が萎えてしまったのか、オーソンは舌打ちしながら腰を下ろした。
そんな彼にはもう目もくれず、ローレンはまた舞台の方へ顔を向けた。
「すまない、とんだ茶々が入ってしまった。なかなか愉快な催しをやっているそうだね、ミス・ベルジュラック」
緊張もあらわに、オフィリアはたどたどしい口調で返答する。
よほどローレンの登場は予想外だったのだろう。
「え、ええ……でも、残念ですわ。たった今終了しようとしていたところですの」
「一つ、質問をする時間をくれないか? 一つだけだ。五分とかからない」
「……よろしくてよ」
「感謝する。……おっと、一応規範に則っておこうか」
芝居がかった仕草で一礼し。ローレンは改めて名乗りを上げた。
「二年のローレン・ラルフ・ド・アルハーゼンだ。君とのダンスは素敵な体験だったよ、ミス・ベルジュラック。
では単刀直入に聞こう――君の推薦したアラヤ君とやらは強いのかい?」
彼こそは、新入生歓迎パーティにて、唯一オフィリアを魔法戦で打ち負かした男。
人呼んで『
伝統派最強と噂される、学内有数の実力者である。
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