21話『魔力経路』

「作戦はおおむね上手くいっているとみていいのではないでしょうか。他の伝統派の方々からも、私はもうローレンさんの味方として受け入れられているような印象を受けます」


 その日の夜。

 久しぶりにオフィリアの邸宅へ戻ってきたアラヤは、出された紅茶を飲みながら言った。

 邸宅は小高い丘の上に建てられているため、二階のテラスからは王都全体を視界に収めることができる。

 墨を流したような暗闇の中に、ぽつぽつと浮かぶ小さな灯りは、夜空にまたたく星々を思わせる輝きを放っていた。

 少し冷たさの残る春の夜風が、キアナの前髪を優しくなぶった。


「……それはいいんだけどさ」


「あらキアナさん、私に何かおっしゃりたいことでも?」


「いや、もう何も言いたくないっていうのが本音なんだけど……」


 キアナは横合いで繰り広げられている光景を、ちらっと視界の端に収めた。

 肘掛けとクッションのついた椅子には、優雅にティーカップの中身をすするオフィリア。

 そして、その膝の上には、絶賛苦笑いを浮かべているアラヤが、肩をすぼめて座っていた。


「あの、重いですよね? 絶対私、降りた方がいいと思うのですが」


「まっ、お子様がそんなことを気にしなくて構いませんのよアラヤさん! 手近にアラヤさんが高貴なお尻を載せても失礼でない椅子が見当たらず、やむを得ず私の膝にお座りいただいてるんですから、むしろ私の方が心苦しいくらいですわ」


「いえ、私多分……というか間違いなくあなたより年上なので、そういったお気遣いはありがたいのですが……」


「おほほ、相変わらずアラヤさんはご冗談だけはお上手でなくってよ」


 ローレンに迫られ、たじたじとなっているアラヤを見て何かひらめいたのか。

 これもまた、オフィリアによる新手の懐柔工作とみていいだろう。

 ……と、キアナは自分を納得させていた。

 なぜだか腹の底からこみ上げてくる、言いようのない不快感をこらえつつ。

 知らず、カタカタとつま先で貧乏ゆすりをしているキアナに、アラヤが水を向けた。


「キアナさん、文書での証拠集めの方は、その後進捗しんちょくはいかがでしょうか?」


「さあ……私はひたすら帳簿の内容を検算して結果をオフィリアさんに回してるだけだから、なんとも」


伝手つてを頼って、ここ半年分のワルド商会の酒類に関する帳簿を漁っているのですが、それらしきものは見当たりませんわ」


 通常、商取引を行えば、売り手と買い手の間で商品と金銭のやり取りが記録される。

 しかし、胡散臭い取り引きの場合は別だ。

 商品名には当たり障りのない別の名前を記したり、あるいは売上も他の商品の数字に上乗せしてごまかしたり。

 多種多様な隠蔽工作を見破るには、ひたすら地道な作業を繰り返さなければならない。

 ここ二週間、キアナとオフィリアは学校が終わったらずっと邸宅にこもり、紙面と格闘していたのだ。

 アラヤが申し訳無さそうに眉尻を下げる。


「私もお手伝いできたらよかったのですが……」


「そんな気に病まないでくださいまし! アラヤさんはアラヤさんのお仕事に集中していただければよろしくってよ! 幸い、キアナさんも簿記の才能はそれなりにおありのようですから、助かっていますわ。まあ、魔法の方はちょっといただけない部分もありますが……」


「……悪かったわね」


 キアナはむっつりと口をへの字に曲げ、近くにあったランプの火をじっと見つめる。

 さらに十数秒ほど目をつむっていると、不意にボッと音がして、彼女の手のひらの上で一瞬だけ火花が散った。

 それで終わりだった。

 オフィリアが額に手をやり、大きなため息をつく。


「この『炎嬢王えんじょうおう』オフィリア・シルヴィ・ド・ベルジュラックが手ずから教えを授けて差し上げているというのに……言っておきますけど、火の具現化は魔法の中でも初歩の初歩ですのよ」


「むう……これでも精一杯やってるつもりなんだけど」

 

『炎嬢王』なる初耳の二つ名については一切触れず、キアナは再び発火現象を起こそうとする。

 だが、結果は同じだった。


「本当に火を具現化するって簡単なの?」


「実体のある水や氷、目に見えない風などよりはよほど。ゆえに火炎魔法は全ての魔法の原点であり、『魔法の王道は炎にあり』という格言が作られるほど、火炎魔法の歴史は古く深遠しんえんなもので――」


 もう十回目になろうかというオフィリアの薀蓄を聞き流しつつ、キアナは三度みたび挑戦しようとする。

 すると、アラヤがオフィリアの膝から下り、キアナのもとへやってきた。

 そして、こめかみに血管を浮き上がらせているキアナをじっと眺めると、首をかしげた。


「……変わった魔力経路ですね。今まで見たことがないような形をしています」


 魔力経路とは、読んで字のごとく、人間の体内を巡る魔力の流れのことである。

 通常、心臓で生成された魔力は、血液によって全身に運ばれていくため、魔力経路は血管とほぼ同じ形になるもの。

 だが、キアナのそれは違ったらしい。


「変わってるって言われても……具体的にどう変わってるの?」


「普通、魔力は心臓を基点として身体中に広がっていくものなんですが、キアナさんの魔力は頭部が基点になっているんですよ」


「まさかそのようなことが……にわかには信じがたいことですが、他ならぬアラヤさんがおっしゃっているわけですし……」


 アラヤを信望しんぼうしてやまないオフィリアでさえ、動揺を隠せていない。

 それも当然。

 魔力が心臓で作られるというのは、百年以上前からクラリオンでは常識とされていることだ。

 この定説に疑いを投げかけるような魔法使いは、例外なく糾弾きゅうだんされ、公式な魔法探求の場からは追放のき目に遭っているほどである。

 学院長の号令一下ごうれいいっか、先進的かつ実戦的な魔法教育を推進しようとしている﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅キングストン王立魔法学院でさえ、あまり大っぴらに口にすることははばかられるテーマだ。

 キアナもそのことは習っていたため、解せない様子で小首をかしげる。


「……てことは何? 私は頭で魔力を生成してるってこと?」


「道理であまり質がよろしくないわけですわね」


「しばくぞ」


 今すぐ目の前の縦ロールに放火しようかとキアナが真面目に検討していると、アラヤが首を振った。


「いえ、魔力の質も量も申し分ありません。これでキアナさんが魔法を上手く使えないとなれば、何か別の原因があるとしか考えられませんね。まあ私も魔法の専門家というわけではないので、確かなことは言えませんが……」


「アンタが専門家じゃなかったら誰が専門家なわけ?」


「私は魔法を道具としてしか扱えませんから。学問として探求している方に聞けば、もっときちんとした解答がいただけると思いますよ」


「んまーさすがアラヤさんですわ! 相変わらず謙虚なお人ですこと!」


 学問として魔法を探求している人間なら心当たりがある。

 というより、ありすぎるくらいだ。


「ふーん、なら学校でちょっと調べてみようかな」


「それがいいでしょう。あとは常日頃から自分の魔力経路を意識することですね。今のところ確認はできませんでしたが、もしかしたら、どこかで詰まってしまっているのかもしれません」


「いや、アンタが見えないものが私に見えるわけないでしょ」


「そうですわ! すっかり忘れていました。アラヤさん、私に魔力経路を可視化する方法を教えていただけませんこと!?」


 いきなりオフィリアがぐわっとアラヤの肩を掴んだ。

 そういえば、それを教えるという名目で家庭教師など始めたのだったなあ、と遠い目をするキアナ。

 

「でも、あれって一ヶ月くらいみっちり特訓しないとできるようにならないんでしょ? 今からじゃ親睦会には間に合わないし、余計なことに手を出さない方がいいんじゃないの?」


「そ、そこは私の才覚でなんとかしますわ!」


 強がりを言うオフィリアだったが、アラヤが一ヶ月かかると言っている以上、無理筋なのは分かっているだろう。

 しかし、アラヤはにっこりと微笑んだ。


「あ、問題ないと思います。その気になれば、三日もあれば身につくはずなので」


 その悪びれるところのない無邪気な笑みに、キアナはつられてにやりと笑ってしまう。


「……アンタ、ローレンに嘘ついたわけ?」


「別に意地悪をしたわけではありませんよ。ローレンさんに教えたことはギュンターさんの耳に入りますし、ひいてはゼッケンドルフさんたち帝国陣営にも伝わってしまいますから」


「なるほど……」


「んまーさすがはアラヤさんですわ!」


 オフィリアの甲高い声が、夜の空気を震わせる。

 可視化の訓練は明日以降にすることとして、一同はひとまず休息をとることにした。



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