20話『作戦開始』

「それで、僕は何をしたらいいんだい?」


「少々小耳に挟んだことなのですが――親睦会と呼ばれる会合について、ローレンさんは何かご存知のことはありますか?」


 親睦会。

 その単語を聞き、キアナは二日前に行われた入学試験を思い出した。


 ――――


「テオドラ君。君は来月の親睦会には来なくていい。来季も、これからもだ」


「……承知しました。今までお世話になりました、ギュンター副長」


「正直失望したよ。私は君の腕っぷしだけ﹅﹅は買っていたのだがね」


 うなだれるテオドラに痛烈な皮肉を投げかけ、ギュンターは他の教師たちとともに演習場を出ていった。


 ――――


 おおかた、ギュンター率いる学院の伝統派を集めた集会のことだろうとキアナは予想していた。

 せいぜい、いかにして学院から非貴族の学生を追い出すかについて、差別と偏見に満ちた益体やくたいもない議論を繰り広げているものと思っていたが、こうなると話が変わってくる。

 ローレンも、眉間の皺を深くしてうなずいた。


「ああ。僕はまだ参加させてもらったことはないけどね」


「なるほど。ちなみにですが、来月の会からというのは?」

 

「頼んではみるが、まあ期待はしないでくれたまえ。前々からお願いしてはいるんだがね」


 肩をすくめるローレン。

 伝統派の学生でも、筆頭格にある彼でも厳しいとなると、他を当たるのは時間の無駄だろう。


「どこで開かれているのかは聞いていますか?」


「いや、会場は毎回変わるらしいんだ。伝統派の要人たちが多く集まる会合だからね。特定される危険性を少しでも低くしようという狙いだろう。もちろん、場所は参加者にしか知らされない」


「ふむ、決まるのはいつごろでしょう?」


「もう一ヶ月前だから、さすがに決まっているんじゃないかな? でないと参加者が予定を調整できないからね」


「なるほど。つまり、ローレンさんが親睦会に出られないと何も始まらないわけですね」


「そういうことになる」


 ローレンは鷹揚おうようにアラヤの言葉を肯定した。

 横合いで繰り広げられる会話の終着点を、キアナは何となく察し始めていた。

 ギュンターの地位を失墜させるためには、このキナ臭い会合に潜入し、なんとしてでも手がかりを手にしなくてはならない。

 あるいは、ローレン自身にスパイとしての役割を任せてもいい。

 動かぬ証拠さえあれば、その場でギュンターを取り押さえ、憲兵に引き渡すことも視野に入れたいところだ。

 

 だが、そのためにはこちらも手札を一枚切る必要がある。

 ローレンがギュンターから認められるための手札を。


 このことは、言うまでもなくローレンも理解しているはずだ。

 そして、ギュンターを失った後でも、伝統派が勢力を維持できるだけのものを要求してくるに違いない。

 問題は、その要求の中身なのだが。

 金も名誉も、並みの貴族より潤沢に持ち合わせているはずのローレンが、一体何を欲しがるのだろうか。

 ごくり、とキアナは生唾を飲み込む。

 ローレンはテーブルに頬杖をつくと、獲物に狙いを定めた猛禽もうきんのように眼光を強くした。

 視線の先にいるのは、もちろんアラヤだった。


 ◆


 二週間後。

 学院内にある噂が流れ始めた。

 それは、あの新入生アラヤ・ベルマンが、生徒会長ローレンの――ひいては伝統派の傘下に入ったというものだ。

 だが、革新派のオフィリアが彼の後見人であることは周知の事実。

 最初は誰も信じようとはしなかったが、じょじょに噂は信憑性を増していくことになる。

 

「――実に興味深いな。魔力の流れを見る方法か。それは訓練次第で誰でも?」


「ええ。一ヶ月ほど集中して取り組めば、さほど難しくはありません」


 構内の至るところで、ローレンと連れ立って歩くアラヤの姿が相次いで目撃されたのだ。

 まるで長年の知己ちきのような親しげな振る舞いとは対称的に、アラヤはキアナやオフィリアたちとは一切関わりを持たなくなった。


「あ、アラヤさん! ご機嫌いかが……」


「――――」


 すれ違っても視線を合わせず、あるじであるはずのオフィリアからの挨拶も、完全に無視だ。

 それでも健気に声をかけ続けるオフィリアには、周囲から敗軍の将を見るような哀れみをこめた視線が注がれていた。

 

「まったく、なんて恩知らずなのでしょう! これだから男はいけません。ね、そうですよねオフィリア様?」


「うーん……ああいうことする子だったなんて、ちょっとがっかりかも。生徒会長からオフィリア様をかばってくれたときはかっこよかったのになー」


 廊下を歩きながら、取り巻きのリーシアとアニェーゼが口々にアラヤの悪口を言う。

 そんな二人をとりなすように、オフィリアが力なく笑った。


「いいんですのよ。私にはアラヤさんを引き止めておけるような魅力がなかった。ただそれだけのことですから……」


「そ、そんな……! オフィリア様はとっても魅力的です! 強く気高く、それでいて上を目指すための研鑽を怠らない努力家でもいらっしゃるではありませんか!」


「ふふ、そう言っていただけると嬉しいですわ、リーシア」


「その上、御髪おぐしは絹にも劣らぬ艶やかさを誇り、蒼玉サファイアのごとき御目おめは見た者すべてをとりこにしてしまうこと間違いなし! 特にその芸術の神が手ずからノミを振るったかのような御身体おからだときたら、美の女神が裸足はだしで逃げ出すようなお美しさです! もっと御自分に自信をお持ちになってください! オフィリア様の御心と御身体の素晴らしさは、誰よりも近くで貴女を見てきたこのリーシアが保証します!」


「そ、そこまで私のことを思ってくださっていたなんて知りませんでしたわ。でももうそのへんでよろしくてよ」


 ギラギラした目で熱弁を振るうリーシアに、オフィリアが引き気味で口元をひくつかせる。

 そんな三人組を少し離れたところで観察しているキアナに、話しかける者があった。


「ようエルマン! なんだなんだ聞いたぜ、アラヤの奴がローレンに取られちまったんだろ? ははは、そう落ち込むなって。代わりと言っちゃなんだがこの俺が慰めに来てやったぜ」


 やけに馴れ馴れしいその男子生徒を、キアナは上から下まで眺め回した。

 男子にしては小柄な体格に、茶色い癖っ毛。

 数秒ほど顎に手をやったあと、キアナは真剣な面持ちで尋ねた。

 

「……誰?」


「嘘だろ!? ほら、『魔法教練Ⅰ』とってるエリオット・ベルトーニだよ! 先週もちゃんと授業出てたんだぞ!」


「『魔法教練Ⅰ』はとってるけど、アンタなんか知らない」


「あーじゃああれだ! お前に席譲ってくれって這いつくばりながら泣きわめいてた情けない奴だよ!」


「……ああ。あのチンピラの財布にされてたみっともないボンボンでしょ。で、なんか用?」


「そ、それで思い出されるのも嫌だな……本当にそんな印象なのかよ俺って……」


 あれ以来ろくに話してもいないのに、どんな印象を抱けというのか。

 呆れて目をすがめるキアナに、なぜかエリオットは頬を紅潮させた。


「お、おい! その目やめろよ! なんかドキドキしちゃうだろ!」


「だから用は何って聞いてるでしょうが。さっさと答えないとマクラウド先生呼ぶよ。ちょうどあそこにいるから」


「分かった! 分かったからあの人はやめろ! ていうか、用なら伝えただろ! お前を慰めに来たんだよ!」


 エリオットなりの精一杯のアプローチ。

 だがキアナにはまったく通じていなかった。

 異教の言葉でまくしたてられたかにように、困惑顔で小首をかしげる。


「……何で?」


「何で!? 何ではおかしいだろ。理由は分かるだろ! お前を……その、気遣ってるってことだよ!」


「はあ。どうも。じゃあ忙しいから」


「つれねー! てかどうなってんだよ! お前とアラヤめちゃくちゃ仲よかっただろ!」


「さあ? ああいう雲の上の人間が考えることなんて、私みたいな凡人に分かるわけないでしょ」


 なおも追いすがるエリオットを適当にあしらい、キアナは次の授業に向かった。

 無論、これらは全て、ギュンターを追い落とす作戦の一環である。

 アラヤに強い敵意を向けているギュンターだが、裏を返せばそれだけ彼を恐れているということでもある。

 そこにきて、アラヤが伝統派に参入するための工作を行ったとなれば、ローレンの評価がよくなるのは必至。


 そうなれば、親睦会に参加する許可を得られるのでは、という意見がアラヤとローレン、オフィリアの間で一致したのだ。

 しかし、つい先日まで矛を交えていた相手が、いきなり頭を下げてきたところで、おいそれと信用されるはずもない。

 従って、しばらくの間はこうしてアラヤがオフィリア陣営に見切りをつけ、ローレン陣営にくだったような演技を続けているわけだ。

 

「アラヤ君、以前から思っていたのだが、君の手は本当に美しいね。とても武人の手とは思えない。ああ、褒めているんだよこれは」


「ありがとうございます」


「柳の枝のようなしなやかさ、細さ、何者にも侵し難い白皙はくせきの肌……まさに美の神からの賜り物に違いないよ。この手で髪をかれたら、きっと天にも昇るような心地ここちなのだろうね」


「さ、さあ……どうでしょうね……」


「そうだ。今度、君にぴったりの腕輪をあげよう。はるか西方から仕入れた舶来はくらいの品なんだが、上背うわぜいのある僕には少々、優美ゆうびに過ぎると思ってね。その点、君の少女のように華奢な肢体にならよく似合うと思うんだ」


「あ、ありがとうございます……楽しみだなあ……」


 アラヤの手をとり、何やら口説き文句のようなものを並べているローレン。

 さしものアラヤも、愛想笑いを作るのに難儀しているようだ。

 ちなみに、クラリオン王国に限らず、エカトリオン大陸においては、同性愛は特に珍しい嗜好ではない。

 特に、家督を継ぐ立場にある者の場合、下手に婚約者との間以外に子を成してしまえば、後継者問題にまで発展する恐れがあるからだ。

 よって、そういった﹅﹅﹅﹅﹅心配をする必要のない同性同士の恋愛は、貴族の間では気軽に楽しまれているのである。


(だ、大丈夫だよね? いざとなったらアラヤだって抵抗するだろうし、ローレンなんかに負けるわけないし……でも、もしかしたら案外その気になったりとかして? アラヤだって王族だったわけだし、あいつがいたイスラ王国? にもそういう風潮があったかもしれないし。ていうか、そもそもローレンだって本気じゃないよね? ちょっとからかって遊んでるだけでしょ? うん、多分、ていうか絶対そう)


 もっとも、キアナにとっては別の意味で心配だったのだが。



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