17話『予感』
「まったく、一体どこまで手段を選ばないつもりなんですの、あの陰険爺は!」
試験が終わった後、事の顛末を聞いたオフィリアは怒り心頭といった様子で悪態をついた。
試験監督の教師が、アラヤが現れた途端ぎょっとした顔になったことを除けば、実に形式的な予定調和だったと言えよう。
二限目の講義へ向かう道すがら、アラヤが律儀に訂正する。
「まだ、ギュンターさんが手引きしたと決まったわけではありませんよ」
「この状況でほかに誰がいますの? 貴方の存在は
「しかし、証拠がないですからね」
「そこが問題ですわ。向こうもそれが分かっていますから、問い詰めたところでしらばっくれるだけでしょうし……せめて襲撃者の所属くらい明らかになればまだ調べようもあるのですが」
「男女の二人組で、両方とも僧服を着てしましたが、紋章の類はついていませんでした」
「まあ、所属を示すような服で襲ってくるようなお馬鹿さんが相手ならやりやすいですわね。そのお二人の特徴は?」
「赤い包帯を巻いた長身の男性と、小柄な銀髪の女性です。歳はどちらも二十歳前後ではないかと」
「殿方の方は分かりやすいですが、女性の方が少々弱いですわね……」
と、そのときキアナの脳裏に昨夜の光景が蘇った。
血を吐きながら膝をつくゼッケンドルフ。
何かに勘付き、跳躍するアラヤ。
白い杭が何本も敷石に突き立ち、ひらりと一人の少女が降り立った。
そして――
「……
「何ですの?」
「神に選ばれし撃滅手がどうとかって、女の方が言ってた」
その単語を聞き、オフィリアがはっとしたように顔を上げた。
「知ってるの?」
「いえ、私も詳しいことは。ですが、その『神に選ばれし~』という言い回しには聞き覚えがありますの。帝国の国教、
「何か知っているんですか、オフィリアさん?」
アラヤも興味津々といった体で尋ねるが、オフィリアはすぐには口を開かなかった。
それとなく辺りを見渡し……そして首を振る。
「万が一人に聞かれると
「そんなに危ない連中なの?」
「無辜の一般市民を無闇に襲う輩が、危なくないということはないでしょうね」
至極もっともなことをのたまい、オフィリアは扇で顔を扇いだ。
焦れったそうにアラヤは再び尋ねる。
「いつお聞かせいただけますか?」
「そうですわね……長話になるかもしれませんし、放課後に……」
「「放課後に?」」
「私の邸宅へお越しいただく、というのはいかがでしょう?」
アラヤ(だけ)に向け、とびきりのウィンクを決めるオフィリア。
キアナはそれをしらーっとした目でそれを眺め、
「……そのためにもったいぶってたってわけ?」
「何をおっしゃいますの? 貴女がお住まいの
「悪かったわねアナグマで……!」
「それに、帰り道で待ち伏せをされたということは、貴女のお家は割れている可能性が高いですわ。保安上の観点からしても、当面は私のところに
「む……」
すこぶる筋は通っているので、キアナは二の句が継げなくなった。
これも、アラヤを独占するための策なのだろう。
しかし、現実として、今キアナの家はとても安全な場所ではない。
一番問題なのは、自分が完全にアラヤの足かせになっていることだ。
昨晩だって、全力で戦えていれば無駄な手傷を負うことなく、ゼッケンドルフを撃退できていたかもしれない。
昨日のオフィリアの言葉が思い出される。
『――人は竜とは暮らせませんのよ。遠くから眺めて憧れるくらいが、ちょうどよい身の振り方というものです』
今のキアナでは、アラヤの手助けをするどころか、戦闘の余波で勝手に死にかねないのが現状だ。
それを思えば、ここは距離を置くのが正しい選択なのだろう。
「……分かった。なら、私は学院の中で暮らすから。頼めば宿直室くらい貸してもらえるかもしれないし」
「何を言ってますの? 貴女もお招きするに決まっていますわ。私、そんなに器の小さい女ではありません」
今度はキアナが驚いて顔を上げた。
そこには、きまりが悪そうに縦ロールの先端をいじっているオフィリアがいた。
「……私、今まで散々貴女に絡んでいましたのに、昨日の会見のあと、貴女は惨めな私をあざ笑ったりしなかったでしょう? それで、なんというか、私も少々思うところがあったんですの。ですから、これは私なりの謝罪の意思として、受け取っていただければと……」
いつもの高飛車な態度はすっかり鳴りを潜めている。
奥歯にものが挟まったような口調で、オフィリアはボソボソとつぶやいた。
キアナはぽかんと口を開け、しばらく固まっていた。
遠回しではあるものの、あのオフィリアが
黙ったままのキアナに、オフィリアが不安そうに上目遣いで問いかけてくる。
「あの、キアナさん?」
「えっ? ああ、な、何?」
「もし、私と同じ屋根の下で過ごすのがお嫌なら、離れを用意いたしますわ。少々手狭ですが、滞在に不都合するようなことはありませんから……」
「い、いやいや! 全然ありがたいんだけど、でも、刺客に居場所がバレたら、あなたの家が狙われることになるけど……」
「無論、すべて承知の上での提案です。むしろ、そのくらいの危険を冒さなければ、これまでの非礼に対する詫びになりませんもの」
気後れなく、決然と言い放つオフィリア。
貴族としての高いプライドが、彼女にそう言わせているのだろう。
時に、そのプライドの高さが悪い方向にも作用することはあるのだが。
あれこれと嫌がらせを受けた恨みは完全に消えたわけではない。
それでも、彼女なりに反省していることについては、認めるべきだろう。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
キアナは憑き物が落ちたように、柔らかく微笑んだ。
そんな彼女の晴れやかな気分に水を差すように、窓の外ではポツポツと雨が降り始めた。
みるみるうちに雨足は強まり、やがて雨粒が屋根を打つ轟音が校舎内に響く。
「……帰るまでに止むといいのですが」
ぽつりと漏らすアラヤの言葉を、耳に留めた者はいなかった。
その日の放課後、改めて礼を言うために門番の詰め所を訪れたアラヤたち。
しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、あまりに無情な現実だった。
「エミルさんたちがクビに……? どういうことですか?」
「ああ。職務怠慢とかなんとか、そんな理由をつけてな。ろくに挨拶もさせてもらえなかったらしい。ひでえもんだよ。二十年も勤め上げた老兵にな……」
交代の門番は、そう言って肩をすくめる。
狭い詰め所の中、アラヤとキアナはただその場に立ち尽くしていた。
もはや、誰が裏で手を引いているかなど、アラヤでさえ疑いもせず確信していた。
外は土砂降りの大雨。
クラリオンの街を、どす黒い暗雲が埋め尽くそうとしていた。
雨はまだ、止む気配はない。
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