18話『撃ち滅ぼすは神の敵』

「訳がわかんねえっすよ。いきなり学院の職員が来て、勤務中に酒を飲んでいるのを見た者がいるとかなんとかって言って、一時間もしないうちに敷地内から追い出されちまいました」


 ホスタは困惑したように肩をすくめた。

 場所は、エミルとホスタが行きつけにしている酒場。

 彼らの同僚から居場所を聞いたアラヤたちは、すぐさまオフィリアの馬車でここまで駆けつけたのだ。

 アパルトメントの一階部分にある、こじんまりとした店構え。

 四人がけの机を六つも置けば、それでホールはほとんど満杯だ。

 相当深酒したのだろう。

 テーブルに突っ伏し、いびきをかいているエミルからは、数メートル離れていても酒臭さが漂ってくる。


「まあ、俺なんかはまだマシっすよ。王都はそこら中で道路工事やら下水工事やらやってるから、働き口はいくらでもあるんです。でもエミルさんは何年か前に腰やっちまってっから、力仕事なんか……」


 苦渋の面持ちで、ホスタは安酒をぐいっとあおる。

 そして、まずそうに舌を出した。


「うえっ、こいつは帝国の酒っすね。エミルさん金ないからってこんなの頼んでたのかよ……」


「帝国の……」


 何かをひらめいたのか、アラヤがホスタの言葉をオウム返しにつぶやいた。

 

「飲んだだけで分かるんですか?」


「ええ。俺もエミルさんも酒飲みなんで」


「……ホスタさんは王都の生まれですよね? 王都ここで帝国のお酒を扱っている酒屋さんはどのくらいあるんですか?」


「え? どうっすかね……このへんならどこもかしこもって感じっすよ。俺はこの区でしか飲まないんで。はっきりしたことは言えないっすけど」


「ふむ。ちなみに、帝国のお酒を見かけるようになったのはいつからですか?」


「本当に何年か前、つい最近っすよ。クラリオンは酒が美味いので有名でしたからね。俺がガキの頃なら、こんな馬の小便みたいな酒、絶対出回らないっすよ」


「なるほど」


 そう言ったっきり、アラヤは顎に手を当てて黙り込んでしまった。

 何を考えているのかさっぱり理解できず、キアナはホスタと顔を見合わせる。

 やがて、すっくと席を立ち、アラヤはホスタに頭を下げる。


「貴重な情報、ありがとうございました。私たちが必ず、あなたがたの濡れ衣を晴らしてみせます」


「いや、別にそんな……」


 半笑いで恐縮したように手を振り、しかしすぐに笑みを消したホスタは、かたわらのエミルを見た。

 

「……エミルさんは俺の恩人なんすよ。仕事もせず毎日ぶらぶらしてた俺を門番に推薦してくれて、仕事まで仕込んでくれたんです。俺、まだ何も恩返しできてねえ……俺が門番として一人前になったら、きっと喜んでくれると思って頑張ってたのに……」


 話すうちに、だんだん声が震え始める。

 血がにじむほど唇を噛み締め、ホスタはテーブルに手をついた。


「こっちからもお願いします! エミルさんをクビにしやがったクソ野郎を、絶対に後悔させてください!」


 ◆


「見せしめ、ということでしょう。考えるまでもありません」


 ことのあらましを聞き、オフィリアは開口一番に言い切った。

 三人が乗っているのは、ベルジュラック家の送迎用馬車。

 沈み込むような座り心地の真紅のクッションや、最新式の衝撃吸収機構サスペンションなど、この馬車一台で、庶民の年収三人分の超高級仕様だ。

 しかし、今のキアナには、その乗り心地を楽しむような呑気さは残っていなかった。

 豪雨に霞む灰色の街並みを見つめながら、キアナは毒づいた。


「信じられない。本当にムカつく、あの糞爺」


「奇しくも同感ですわ。罪もない者を腹いせで虐げるなど、貴族の風上にも置けぬ悪党です。必ずや報いを受けさせねば」


「……正論かもしれないけど、それをアンタが言う?」


「すでに謝罪は済ませましたでしょう? 不満がおありならお降りになってもよろしくてよ」


 しれっと言ってのけるオフィリアに、キアナは噛みつく気力も失せた。

 それよりも、直近の敵に集中すべきと思い直したのもある。

 

「そういえばアラヤ。アンタさっきいろいろ聞いてたけど、あれ何?」


「ああ。今までなら入ってこなかったようなお酒が急に流通し始めたというのが気になりまして。しかも帝国のお酒が」


わたくしも聞いておりますわ。ワルド商会のエール酒でしょう? あの商会、ここ数年で規模を大幅に拡大したのをいいことに、悪どいやり方で稼いでいると評判ですわ」


「悪どいやり方ですか? 具体的には?」


「帝国産のまずいエール酒を買わなければ、うちの酒はもうおろさない、と小売こうりや酒場を脅しているんです」


「うわー、きったな……」


「店側もほとんど投げ売りのような値段で売っていますから、利益なんて皆無でしょう。そんな酒しか飲めない貧困層は喜んで買いますが、強い酒精アルコールに毒されてすぐに廃人になってしまいます。我がクラリオン王国に害しかもたらさない代物ですわ、あの酒は。まったく、一体どこのどなたが仕入れているのだか」


 眉をしかめ、オフィリアは語気を強める。

 貴族として、国力を落とすような害悪を憎んでいるのだろう。


「まあ、一旦このことは置いておきましょう。緊急なのは撃滅手にアラヤさんが狙われていることの方ですわ」


 撃滅手

 朝にも聞いたその単語に、キアナが耳ざとく反応した。


「オフィリアさん。その撃滅手とか星黎せいれい教とかの話、もっと詳しく聞かせてくれない?」


「ええ。最初はその話をするつもりでしたし」


 コホンと咳払いをして、オフィリアは話し始めた。

 曰く、星黎教とは、レムリア帝国にて国教とされる一神教の宗教である。

 その信徒数の膨大さ故、宗派も数多く枝分かれしているのだが、中でも大きな力を持っているのが『神託派』と呼ばれる集団だ。


 彼らの特徴は、帝国の永遠なる繁栄という教義の実現を至上とすること。

 撃滅手とは、その目的のために設立された特務機関『救世軍サルヴェニア』に所属する者たちの肩書きである。


 孤児院などから集められた、見込みのある子どもを徹底的に訓練し、過酷な試験に合格した者だけが撃滅手を名乗ることを許されるのだ。

 多少の誇張は含まれていると思いますが、と前置きし、オフィリアはこんな逸話を披露した。 


「帝国はいくつもの小国や民族を強引に併合し、従わない国は容赦なく攻め落とし、支配下に置いてきました。ですが、エスト山脈に住んでいた﹅﹅山民族だけは、百戦錬磨で知られる帝国軍ですら手を焼いていました」

 

 山民族たちによって結成された連合軍の数は二千。

 対する帝国軍の兵が五万。

 山脈全体が戦場になると踏んだ軍部は、不測の事態に備え、過剰とも言えるほどの大戦力をもって侵攻にあたったのである。

 当初は、半年もあれば行って帰ってこれると楽観視していた帝国軍だったが、その予想はすぐに裏切られることとなった。


 原因は、所詮は山の猿と侮られていた連合軍による、凄まじい抵抗である。

 死をも恐れぬ勇猛さ。

 地の利を生かして繰り出される、奇襲や撹乱などのゲリラ戦術。

 夜には捕虜を惨たらしい拷問にかけ、山々に響き渡る味方の絶叫を耳にした帝国軍の兵士たちを、心底震え上がらせた。


 補給部隊は優先的に狙われ、数百人単位で餓死する部隊や、水や食料を巡って同士討ちを始める部隊まで出る始末。

 そして何よりも脅威となったのは、険しい山岳地帯での暮らしや、普段は敵対している他の民族たちとの抗争によってつちかわれた、強靭極まる武力である。

 連合軍の戦士を一人仕留めるために、平均して二十人の帝国軍兵士が犠牲になった。

 しかも、餓死者などの、戦闘と無関係な死者を除いての平均である。

 特に、各民族の首領とその側近たちの実力は飛び抜けており、数人で百人からなる帝国軍の部隊を殲滅できたほどだ。

 これらの要因が重なり、侵攻開始から、わずか一ヶ月足らずで、帝国軍はその数を半分以下にまで減らされることとなった。

 

「この事態を重く見た当時の司令官が、最後の手段﹅﹅﹅﹅﹅として呼び寄せたのが、三名の撃滅手でした」


「たった三人?」


「そのたった三人の撃滅手が、山民族の連合軍を全滅させたそうですわ」


「っ!」


 このエスト山脈侵略戦において名を馳せたのが、現在では『救世軍』最高戦力『七大聖者ななだいせいじゃ』に数えられる、三人の撃滅手たち。


『悲哀』の聖者、サヴォナローラ・エクシヴ。

 その権能けんのう『降りしきるアリアドネ』が降らせた莫大な豪雨により、山肌はことごとく剥がれ落ち、幾多の精強なる戦士たちを冷たい土砂のさなかに沈めた。


『激情』の聖者、カロナック・ドレルシュカフ。

 その権能『火葬猟犬群ハンス・フォン・ハックレンベルク』は、数多の燃え盛る猟犬を創生そうせいし、大地も川も戦士たちも、何もかもを焼き尽くした。


『絶望』の聖者、ベテグレイン。

 その権能『永劫銀河・厭世の澱メランコリック・ミソロジー』は、あまねく万象ばんしょう無間むげんの闇へと引きずり込み、塵一つ残さず消滅させた。


 そして、これらの殺戮は――

 彼らがエスト山脈を後にしたとき、その背後には虫一匹、草一本、帝国軍の兵士など、指のかけらすら残されていなかった。

 生き残ったのは、責任をとらせるために連れ帰った司令官と、数名の将官のみ。

 彼らもまた、報告書をしたためたのち、秘密裏に処刑された。

 帝国に害なす者であるならば、たとえ同胞だろうと遠慮会釈えんりょえしゃくなく撃ち滅ぼす。

 それが撃滅手なのだ。

 




 

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