第16話『暗雲』
◆
「……何だか知らねえが、面倒なことになっちまったな」
詰め所の椅子に腰掛けた中年門番が、苛立たしげに頭をかいた。
木製の小さな机と、二脚の椅子。
それなりに手間暇のかかる煉瓦造りとはいえ、内装は至って質素なものだ。
「エミルさん、手続き開始を早めてもらうことってできないんすかね?」
「そんな融通の利く連中じゃねえよ、あいつらは。ましてや門番の俺たちが言ったって聞く耳持ちゃしねえ」
「やっぱそっすよね……」
「行く振りだけしようったって絶対ついてくるだろうしな。あいつらの要求に乗っかった時点で負けだ」
まさに万事休す。
重苦しい雰囲気が満ちる中、中年門番はおもむろに机の引き出しから何かを取り出した。
そして、背中越しにアラヤの方へ投げてよこす。
ぱしっと受け取ったアラヤは目を丸くした。
「これは……」
「アラヤのメダル、拾ってくれたんですか?」
「……おう。まあな。とりあえず持ってけや」
「ありがとうございます! 良かったわね、アラヤ」
まさかのファインプレーに顔をほころばせるキアナ。
だが、当のアラヤの表情は振るわない。
メダルの表裏をためつすがめつすると、小さく首を振った。
「残念ですが、これは私のものではないようです。私のものはもっと綺麗なはずなので……」
「そりゃそうだ。そいつは俺が何年も前に構内で拾って、そのまま机の中に放り込んだもんだからな。今さっき思い出したんだよ」
「ええっ! エミルさん、まずいでしょそれ。ちゃんと届け出出さないと!」
「バレやしねえし、とっくに持ち主は卒業してるから問題ねえよ」
「いや……でも、バレたら本当にヤバいっすよそれ」
なおも食い下がる若い門番に、中年門番は鼻を鳴らすだけで黙殺した。
そんな門番に、アラヤはメダルを返そうとする。
「お気持ちはありがたいですけど、もしエミルさんに何かあっては」
「なあ、アラヤさんよ。アンタ、昨日こいつに頭下げてくれたよな」
「え? はい、あれは私が悪かったので……」
「そうじゃねえんだよ」
中年門番は、机に置いてあったカップの中身を美味そうにすすった。
そして、口ひげの下でにっと笑みを作る。
「俺はここに勤めてもう二十五年になるが、お貴族様に謝られたことなんざただの一度もねえ。一度もだぞ? 頭のてっぺんに平民に見られたら爆発する仕掛けでもついてんのか知らねえが、とにかく奴らは謝らねえ。非を認めねえ。そういう風に育てられたんだから、しゃあないとは思うがな……」
(まあ、貴族じゃない……あれ、でも王族だし貴族?)
話がこじれそうだったので、水を差すのはやめておいた。
「アンタが初めてだよ。貴族の中で門番に謝ったのも、ましてや庇ったのも。俺はお前さんみたいなのを助けるためなら、別にクビになったって構わねえ。本当だぜ?」
「……何言ってんすかエミルさん。アンタまだ借金残ってるでしょ。ここクビになって、次どこ行く気なんすか?」
「う、うるせえ! 余計なこと言うんじゃねえよ、せっかくカッコつけてたのによ!」
呆れ顔の若い門番が、中年門番の話に割って入った。
若い門番は頭一つ分低いアラヤに、そっぽを向きながら言った。
「……もしバレたら、俺からもらったってことにしといてください。俺はまだ若いから、
「ホスタ……お前」
「昨日はマジで死んだって思いました。実際、殺されたって文句言えない……まあ殺されたら文句は言えないっすけど、とにかくそのくらいビビりました。でも、なんつーか……そんな貴族ばっかじゃいって分かって、めっちゃ感動したんすよ。だから、これでお礼させてください」
深々と一礼する若い門番。
多くの平民にとって、貴族とは恐怖の象徴であり、理不尽な存在である。
仮に、いきなり殴りかかられたとしても、反撃した途端に賠償金をとれなくなってしまうのだ。
そもそも、貴族相手に裁判を起こせるほど生活に余裕のある平民はまずいない。
すなわち、必要以上に貴族とは関わらないこと。
それが、健やかに日々を過ごす秘訣だと大抵の平民が考えている。
しかし、アラヤはそんな平民の一人、若い門番の価値観を変えた。
貴族=敵という図式を塗り替え、彼の世界を少しだけ広げたのだ。
今までずっと毛嫌いしていた人間と酒を飲んだら、一晩で親友と呼べるほど打ち解けたようなものである。
長いこと黙っていたアラヤだったが、やがて手のひらのメダルを固く握りしめた。
「……分かりました。そこまでおっしゃるのなら、お借りしておきます。ですが、拾ったのはあくまで私です」
「あっ、ちょっと待て!」
反論をさせないためだろう。
言うが早いが、アラヤはすっくと立ち上がって詰め所を出た。
彼の後を慌てて追うキアナ。
予想通り、また上級生たちがハイエナのようにアラヤに近寄ってくる。
「おいガキ! メダルは見つかったかよ?」
「ええ。こちらに」
「ははは! あるわけねえ……あ?」
アラヤがポケットから取り出したメダルを見て、上級生たちはぽかんと口を開けた。
そして、約束が違う、とばかり目に見えてうろたえ始める。
「お、おい。どういうことだよ」
「知らねえよ。聞いてねえし」
ひそひそ話を始めた上級生たちをよそに、アラヤはさっさと校門をくぐって行ってしまった。
「お、おい! ちょっと待て、まだそれが本物かどうか……!」
なおも呼び止めようとする上級生。
すると、アラヤは振り向いて言った。
「あなたがたにそこまで確かめる権利があるんですか? もちろん、正当な理由はあるんですよね?」
「せ、正当な理由……?」
「あなたがたは誰彼構わず先ほどのように因縁をつけ、通学の妨害を働いているようですが、これはそれこそ総務部に持っていけば立派な問題になる行為だと思いますよ」
「いや、別に誰彼構わずってわけじゃ……」
「馬鹿!」
うっかり口を滑らせた学生を小突く上級生。
しかし、アラヤは聞き逃さなかった。
「つまり、入学して二日も経っておらず、何の面識もない私を待ち構えていたと。たまさか私はこれからギュンター副学院長が実施する臨時試験を受けようとしているのですが……これは何らかの関与を疑わざるを得ませんね。正式に訴訟でも起こしてみましょうか?」
立て板に水を流すような弁論に、上級生たちはすっかりしどろもどろになった。
「わ、悪かったよ。ちょっとむしゃくしゃしてて……別に、お前を狙ってたわけじゃねえって。なあ?」
「お、おう。当たり前だろ、ははは……」
「でしたら、先に行かせてもらいますね」
そうして、アラヤは二度と振り向くことなく校舎の方へと歩いていった。
彼の隣に並んだキアナが、感心したように言う。
「上手いことやるじゃない」
「まあ、人と喋ることは多かったので。単なる慣れですよ。……それにしても、エミルさんたちには助かりました。今日の講義が終わったらお礼を言いに行かないと」
「そうね」
キアナは晴れやかな気持ちで空を見上げる。
世知辛い世の中にあっても、ささやかな厚意に救われることがあるものだ。
彼女の爽快な心持ちとは裏腹に、空模様はさらに悪化していた。
午後からは、桶をひっくり返したような雨が降り出しそうだ。
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