34話『憎悪し狂信を穿つ』

「あ――アラヤ?」


 恐る恐る名前を呼ぶキアナ。

 それは、自身の問いかけに対し、少年から返事が得られないのではという確信めいた予感への恐怖。

 

「――――」


 そして、予感は正しかった。

 心臓を破壊されれば、人は絶命する。

 ごくわずかな例外こそあれど、どんな回復魔法の使い手でも、致命傷を癒やすほどの魔力を、心臓なしで生成することはできない。

 一般人にとってそうであるように、魔法使いにとっても心臓は急所なのだ。


「う、あ……あ……」


「――ああ、そういえば貴女が居たのでありました。あまりにも取るに足らず、失念していたのであります。結果論ではありますが、王都で身を潜めていれば、墓石に刻む言葉くらいは用意できたものを」


 一度深く押し込み、傷口を広げてから、ヘルムートは槍を引き抜く。

 すでにアラヤへの興味は完全に消え失せているのか、アラヤの方など見向きもしない。

 自室に入り込んだ不快な害虫を、叩き潰すかどうか思案しているように、猫のような目が冷徹にキアナを見下ろす。

 もはや彼女の盾となる者はいない。

 数秒後の死は目前。

 白釘や聖槍など用いるまでもなく。

 ただヘルムートが、石ころを蹴飛ばすように脚を振り上げるだけで、キアナの人生は終わりを告げる。

 だが――そんなことはどうでもよかった。

 

(ああーーなんで、今さら気づいちゃうんだろう。本当に私って救いようがない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅


 胸が痛い。息が苦しい。

 まるでそれは、心臓を貫かれたような痛み。

 気づかないうちに、自分の中で大きくなっていたモノをうしなったからだ。

 

「アラヤ――アラヤ、アラヤ、アラヤっ!」


 感情に任せた金切り声。

 振り向く者はもういと知っていながら。

 とめどなく流れる涙が頬を濡らし、暗い地面に滴り落ちる。

  

『――靴でしたら、私が綺麗にしますよ。磨き方さえ教えてもらえればの話ですけど』


 いつかの昼休み。

 陰気な中庭の雰囲気を払拭するような爽やかな声とともに、少年はキアナの前に現れた。

 最初は一体どこの誰かと戸惑ったものだが、すぐにキアナは彼に興味津々になった。

 比類なき実力を持ちながら、決しておごらない物腰の低さ。

 それでいて悪を許さず、断固たる態度でもって、何度もキアナを守ってくれた。

 

 自分よりも幼い外見でありながら、遥かな高みにある彼に対し、みっともない嫉妬を抱いたこともあった。

 けれど、少年はそんな彼女を護り、教え、導いてくれた。

 強く、気高く、しかし外見相応に弱味を見せる彼に――キアナが惹かれていると自覚したのは、皮肉にも今この瞬間だった。


『……いいえ、それでもキアナさんは特別ですよ』


『あなたは私の弟子ですからね。弟子を守るのは師匠として当然のことです。まだまだ教えて差し上げたいことは山ほどありますから』


 目をそらしながら告げられた、告白めいた台詞。

 どうしてあの場で問いたださなかったのだろう。

 押しに弱い彼のことだ。案外、すんなり白状してくれたかもしれないのに。

 だが、その真意を聞く機会は、永遠に訪れない。

 奪われたからだ。

 目の前の、この女に。

 胸を抉るような激痛﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅は、肺腑はいふを焼くような激情へと形を変える。


 生まれながらに刻まれた魔法が起動する。

 憎悪装填。激流のごとく迸る漆黒の瘴気オーラ

 そして、彼女は理解した。この魔法ちからの使い方を。

 ただ闇雲に振り回すしか能のない、原始的な暴力とは訳が違う﹅﹅﹅﹅

 焦がれるほどの羨望。力を手に入れるためならば、どんな手段をも厭わぬ覚悟の証明。

 アラヤのそばで膝をついたまま、キアナはおもむろにヘルムートを見上げる。

 暗黒の中で青く輝く魔眼。

 それはまるで、闇夜を照らす蒼月そうげつのよう。

 彼方から届く陽光に中てられた月光は、いかなる邪悪をも喰らう権能を宿していた。


「ッ――!」


 ヘルムートでさえ総毛立つほどの魔力。

 手にしていた聖槍を最速でキアナへ投じつつ、大きく背後で跳ぶヘルムート。

 顔面目掛けて飛来した槍は、瘴気に触れた時点で軌道を変え、彼女の右肩を刺し貫いた。

 深手といえば深手。だが、決して致命傷などではない。


 瘴気に物理的な干渉力があるのは、ヘルムートも承知。

 だが、それならば詠唱もしていない概念武装など、容易に防御できたはず。

 キアナの憤激に猛る青い瞳が、この行動が意図的なものだと雄弁に語っている。


「――本当はもっと痛かったよね、アラヤ」


 小さくつぶやき、キアナは手のひらを中空に舞うヘルムートへ差し向けた。

 今、もっとも必要なものは何か。

 あの女の殺害を成し得る武装は何か。

 ――決まっている。

 彼女が最強と信じる存在を打ち倒した、忌まわしき槍に他ならない。


「『偽典・神伐聖槍イミテーション・ロンギヌス


 呑み込んだばかりの聖槍が、闇の中から姿を現す。

 だが、その意匠は様変わりしていた。

 初雪のごとき純白の柄は、赤くひびが走った夜のごとき黒へ。

 異端を穿つ白銀の穂先は、鈍色にびいろの黄金へ。

 受けた攻撃・武装を模倣し、我がものとする。

 それが、キアナに目覚めた魔法の正体だった。

 音もなく射出された黒槍。

 否、音さえも置き去りにする高速で、槍は本来の担い手へと疾走した。

 

「くッ――!」


 回避は不可能と諦め、最大強度の身体強化を展開する。

 同厚の鋼鉄にも匹敵する防御性能。

 だが、ロンギヌスの有する特殊効果は『あらゆる防衛の無効化』

 いかな魔法・防具であろうと、それが防衛を意図したものであるなら、何であれ無効化する。

 的中。

 腹を貫き、骨盤を粉々に砕きながら、古城の外壁へと黒槍は女を縫い止めた。

 

「あッ……がッ、ぐゥうう――!」


 槍の穂先が、重力に従ってずり落ちるヘルムートの腹を引き裂いていく。

 だが、彼女がそのまま真っ二つに裂かれるのを受け入れるはずもない。

 足元と手元に一本ずつ白釘を召喚し、体重の支えとする。

 そして、僧衣の肩口を噛み締めながら、鬼の形相でヘルムートは槍を引き抜いた。

 

「はッ、あぐッ……ぎィッ……! なぜ貴女がその権能を……! 先代『憎悪』の権能『反鏡天・倍憎悪トライゾン・カウンターヘイター』を――!」


「そんなの知らない。興味もない。ただ私は、アンタを倒せればそれでいい」


「舐めるな、蛮族風情が!」


 気炎を上げたヘルムートが、不意にその場から落下する。

 直後、彼女の頭があった場所に、墨を塗ったような黒い釘が突き刺さった。

 

「学院でアンタにもらった分、今から返してあげる――!」


贋造・磔刑の釘ベトルーク・アインズホルン

 夕闇を飛び交うからすの群れのように、黒釘が地上へ向かうヘルムートへと飛んでいく。

 対するヘルムートは、被弾の可能性があるものだけを、最小限の動作で弾きながら、損傷した身体の回復に努めていた。

 いくら覚醒したとはいえ、照準の精度はキアナの視力に委ねられる。

 後方へ一直線に移動しているならまだしも、光源が皆無に等しく、二十メートル先で自由落下する物体を正確に狙うのは、訓練なしでは不可能だ。


 たん、と地上に両足を着けたときには、すでにヘルムートは走れる状態にまで怪我を癒やしていた。

 強引に繋いだ骨格は歪んだまま癒着し、破れた腸に至っては、体内に溢れた血液も内容物もそのままだ。

 歩くどころか、何もしていなくとも、途方もない激痛に絶え間なくさいなまれているに違いない。

 だが、それで足を止める程度ならば、彼女は聖者と呼ばれていない。

 

「――天におわします我らが神よ。これより不敬なる神敵しんてきの撃滅を遂行致します。その煌々たる輝きをもって、我が神罰の代行を見守り下さい」


 陶然とうぜんと頬を紅潮させ、口元に笑みさえ浮かべたまま、ヘルムートは手に白釘を呼び出した。

 神の意思を請負うけおうという高揚感が、一時的に苦痛を快楽にさえ変換しているのだ。

 神罰代行への道のりが困難であればあるほど、彼女は『自らの信仰を試されている』と奮い立つのである。


「ハッ――!」


 狂気すら伺わせる笑顔、しかし目だけは見開いたまま、ヘルムートがキアナへと肉迫した。

 アラヤとの戦いでは、常に空間や足元からの槍召喚を警戒し、一定の間合いを保ったまま中距離戦を行っていたヘルムート。

 それでも、初手での白釘命中によって利き腕を封じ、有利な状態で戦況を進めていた。

 しかし本来、彼女の戦闘スタイルは、白釘を布石として強引に接近し、白兵戦に持ち込むというもの。

 それを可能とするのは、自ら投げ放った白釘と並走するほどの圧倒的走力。

 しかも、稲妻のごとき不規則な進路変更を行いながらだ。

 蹴りつけた敷石が爆ぜ割れ、巻き上げた風だけで雑草が引き千切られる。

 当然、彼女は自身の機動力を完全に制御できていた。

 

「このっ……!」


 狙いを定めるのを諦め、闇雲に弾幕を張るキアナ。

 秒間数十発の高密度。

 着弾した古城の外壁は、編隊による爆撃を受けたような有り様。

 だが、それでも当たらない。

 時に踊るように、時に猛獣のごとく荒々しく。

 一瞬のうちに、十を超える曲折きょくせつを織り交ぜながら、ヘルムートは全くの無傷でキアナの至近へと到達した。

 狂信に歪んだ聖者の顔を目前に、キアナは血が滲むほど強く頬の内側を噛み締めた。


 ああ、駄目だった。

 世の中、そう都合よくはできていない。

 ちょっと怒ったくらいで何かが解決するなら苦労はしないのだ。

 ましてや相手は、大陸でも有数の実力者である。 

 日々の地道な積み重ね。

 それだけが、降りかかる艱難辛苦かんなんしんくを払いのける力となるのだ。

 自分にできることなんて、せいぜい十数秒を稼ぐことくらい。

 でも、それが何の役に立つというのか。


(ごめん、アラヤ。やっぱり私じゃ仇なんて――)


 自覚した途端に叶わなくなった恋心。

 心残りがあるとすれば、この思いのやり場がないことくらいだった。

 奇妙に引き伸ばされた体感時間の中、キアナはゆっくりと目をつぶる。

 せめて、死後にまた逢えたらと願いつつ――。


 そして、刃が夜闇を一閃した。

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