35話『悠久の果てから』

 ――初めて手にかけたのは、実の父親だった。


 イスラ王国第一王子アラヤ・イスラは、まさに規格外と呼ぶべき少年だった。

 武術、魔法のみならず、政治や戦術への理解も早く、五歳になる頃には、大人顔負けの才覚を存分に発揮していた。

 彼が即位すれば、イスラ王国の向こう五十年の安泰が約束されるだろう。

 周囲の人間たちはそう言ってアラヤを褒めそやし――同時に、当代の王ダルマの愚昧ぐまいさを嘆いた。


 ダルマ王は実に平凡な独裁者だった。

 玉座を追われることに怯え、暗殺を警戒し、実の息子アラヤすら信用していなかった。

 あるとき、ダルマ王は信じられない決断を下した。

 齢七つのアラヤが、ダルマ王の暗殺を計画したとして、王宮から追放したのだ。

 次代の王、それも稀代の天才に対するあまりの仕打ちに、王妃を始めとした周囲から激しい糾弾の声が上がったが、ダルマ王はまるで意に介さなかった。

 ことさら彼を厳しく責め立てた王妃は投獄され、数ヶ月後に心労を起因とする病にたおれた。


 母親の非業ひごうの死に涙しながらも、アラヤは父を討とうとは考えなかった。

 自分さえ我慢すれば、これ以上家族同士でいがみ合わずに済む、と。

 郊外に用意された別荘で、鍛錬と勉強に明け暮れる平穏な日々。

 特に、武術の稽古は、早すぎる母の死がもたらした悲しみを、一時的に忘れさせてくれた。


 追放から一年が経ち、少しづつアラヤは笑顔を取り戻しつつあった。

 仕事を手伝ったり、獣を追い払ったりしたことで、近隣の村からの信頼も勝ち得ていた。

 こんな日がずっと続けば、どんなに幸せだろうと思っていたのもつかの間。

 アラヤのもとへ、一人の精悍せいかんな青年が現れた。


 ――アラヤ様。イスラ王国に平和をもたらすため、どうかそのお力をお貸しください。


 彼から聞かされた国の内情は、悲惨の一言だった。

 姿なき暗殺者を恐れ続けたダルマ王は、精神に異常をきたし、周りの人間を手当り次第に処刑する有り様。

 自然と側近は彼に媚びへつらう者たちばかりが集まり、国を憂う有能な文官たちは、みな閑職かんしょくに追いやられていった。

 王宮がそんな有り様であるから、治安維持や福祉など、完全に機能停止状態。

 食糧の備蓄など皆無に等しく、次に飢饉ききんや災害が訪れれば、国民の大半は餓死するだろうともくされていた。


 ――民は今、真の王としてふさわしいアラヤ様の戴冠を何よりも望んでいます。


 王国を救うためには、もはや父王ダルマを退位に追い込むよりほかにない。

 アラヤが反乱軍の旗頭はたがしらになれば、賛同者は何倍にも膨れ上がり、ひいては無用な流血を防ぐことにもつながる。

 これも、持って﹅﹅﹅生まれた者の務め、とアラヤは首を縦に振った。


 革命は、驚くほど速やかに進行した。

 愚王によって不遇を強いられていた非凡な王子が、憂国ゆうこく烈士れっしたちを率いて王宮に舞い戻るという筋書きは、国民のみならず、王宮を守る兵士たちにも大いに受け入れられたのだ。

 兵士たちは反乱軍をほとんど素通しするどころか、自ら槍を手に隊列へ加わる者まであった。

 玉座の間に追い詰められたダルマ王へ、首謀者のルドラが降伏を呼びかける。

 

 ――殿下。賢明なご決断をお願いします。


 しかし、発狂した王は剣を手にルドラへ斬りかかり――割り込んだアラヤによって斬られた。

 今際いまわきわに、父は息子に呪詛を吐いた。


 ――お前など、生まれてこなければよかったのだ。


 呪いを耳にしたのはアラヤ一人。

 そして、彼は生涯このことを誰にも話さなかった。


 王は『己の罪を償うため、潔く死を選んだ』と発表され、盛大な葬儀が催された。

 次代の王として戴冠したのはアラヤ。

 だが、若すぎる彼に代わり、政治の実権を握ったのは、摂政せっしょうとなったルドラだった。

 

 最初の数年は、アラヤの意向をんだ善政を敷いたものの、徐々にルドラは本性を表し始めた。

 後宮こうきゅうとして国中から美女を集め、ときには金と権力に任せて強引に家族から引き離した。

 連日のように酒池肉林の宴が開かれ、その費用を捻出するため、兵に支払う給料すら削減する始末。

 当然、不満を持って抗議しにきた軍の上官たちには、でっちあげの罪状をつけて王宮から追い払った。

 ルドラが願っていたのは国の平和などではなく、己の欲望を充実させることだけだったのだ。


 十七になり、将官として国の防衛に努めていたアラヤだったが、とうとう我慢できずにルドラへ

直談判をしに行った。


 ――ルドラさん。あなたの専横せんおうぶりは目に余るものがあります。我が父から国を救ったときを思い出し、今一度生まれ変わってください。


 欲情を誘うこうかれ、鼻を刺すような臭気に満ちたルドラの遊戯部屋。

 十人は優に眠れるだろう広い寝台の上には、何人もの美女や美少女たちが、一糸まとわぬ姿で横たわっている。

 仄暗い部屋の向こうから、変わり果てたルドラが、痰の絡んだような唸り声を上げる。


 ――まあまあアラヤ様。そうお怒りにならず。一度気をお鎮めになってから、ゆっくりとお話いたしましょう。ほら、それ﹅﹅ならちょうどよいでしょう。ご自由にお使い﹅﹅﹅ください。まだ未熟ですが、アラヤ様の可愛らしいモノなら収まりがよろしいかと。


 どんなに鍛えても、少女のように華奢なままの彼を嘲る言葉。

 アラヤの肉体の成長は、第二次性徴に入る前。十代前半の時点で止まっていた。

 だが、そんな嘲弄など耳に入っていなかった。

 ルドラが顎でしゃくってみせたのは、大理石の床に放り出された一人の少女だ。

 整った顔立ちに、しなやかで優美な手足。

 いずれは、さぞ目を引く美人に育つことは間違いない。


 しかし、どう見ても彼女はとおにさえ達していなかった。

 指名された少女が、小枝のように細い腕で上体を持ち上げ、アラヤの顔を見上げた。

 そして、赤黒く腫れた頬に、泣き出しそうな笑みを浮かべながら、床に額をこすりつける。


 ――み、ミナと申します。よろしくお願いします。何でもしますから、お家に返してください……。


 彼女の言葉で、アラヤは決心を固めた。

 何かを守りたければ、何かを犠牲にしなければならない時がある、と。

 細く長くため息をつくと、ミナをルドラの遊戯部屋から連れ出し、厳重にかくまった。

 数日後。

 突然、監査に入った憲兵により、ルドラの執務室から隣国と内通している証拠﹅﹅が多数発見された。

 さらに、禁制品とされていた麻薬や、国庫から横領した多額の通貨も。

 アラヤとて、ルドラが浪費の限りを尽くしている間、ただ手をこまねいていたわけではなかったのだ。

 アラヤの配下による長い尋問﹅﹅の末、自白﹅﹅したルドラは処刑され、その首は腐り果てるまで城門の上に晒された。

 

 そうして、イスラ王国に真の王が君臨した。

 民を第一に考え、汚職を許さず、さらなる繁栄を求め、周辺国と積極的に融和を図った。

 それでいて、侵略者に対しては一切容赦せず、徹底的に叩きのめした。


 誰も傷つけたくないという願いなど、所詮は青臭い理想論に過ぎない。

 ならば、守るべきものと、倒すべきものは、明確に区別する必要がある。

 この戦乱の世を平和に導くのは、圧倒的な武力を置いて他にないと信じて。


 アラヤは徐々に王宮から遠ざかり、ひたすら修羅となって戦場を駆け続けた。

 正式な即位から二十年。

 国を離れてから、五年が経過した頃だった。


 ――アラヤ様。貴方には謀反の疑いがかけられております。至急、王都までお戻り下さい。


 王宮からきた伝令の言葉に、アラヤは耳を疑った。

 数年間、家にも帰らず戦争に明け暮れている自分が、どうやって謀反など目論むというのか。

 そして、すぐに悟った。


 ――ああ。

 結局、自分は間違っていたのだと。

 

 王宮でアラヤを待ち受けていたのは、怒りに燃える国民たちだった。


『戦費増加の負担を国民に押しつけ、自分は最前線で略奪に勤しんでいた』


 国民からのアラヤの評は、概ねこのような内容で共通していた。

 それを広めたのは、政治を任せていた宰相タクシャ。

 十年以上、アラヤの忠実な右腕として働き、誰よりも信頼していた男だった。

 最初から乗っ取りを企んでいたのか。

 それとも、擬似的な最高権力者という肩書きが、彼を狂わせてしまったのか。

 アラヤには、何も分からなかった。


 ――王よ。賢明なご判断を、お願いします。


 かつてルドラがダルマに言い放った台詞を、今度はアラヤが言われる番だった。

 力ずくでアラヤをねじ伏せることは不可能と考え、世論に訴える形で自発的な退陣を迫ったのだ。

 慇懃にひざまずくタクシャを始めとした臣下を前に。

 アラヤは、心が砕ける悲鳴おとを聞いた。


 理想ねがいだけ、正義ちからだけでは、何も守れはしない。

 自分はどうすればよかったのか。

 あのままタクシャに国を委ねることは、正しい選択だったのだろうか。

 ――ならば、タクシャを始めとした反逆者たちを、残らず斬り捨てればそれでよかったのかと。

 ……そもそも、自分に見る目がなかったのが問題なのに?


 祖国を追放され、長い放浪生活の中で、彼は幾人もの人々を救った。

 回復魔法で怪我人を癒やし、村を襲う野盗の群れを壊滅させた。

 そんな彼のもとに、いつしか庇護を求める人間が集まり、一つの宗教を築き上げた。

 紅顔の美少年でありながら、超人的な武術と魔法を操る戦士。

 アラヤが神格化されるのは、ある意味必然だった。

 しかし、教えを請う信徒たちに、アラヤは何も授けようとはしなかった。


 ――私は人を導くような器ではありませんから。


 迷いに満ちた生涯。

 どれだけ救いの手を差し伸べようと、本来自分が守るべきイスラ王国の民には何もしてやれていない。

 所詮は、罪悪感から逃れるための、自己満足に過ぎないのでは――。


 七十を超えても、未だ若々しい外見とは裏腹に、その心は疲れ切っていた。

 苦悩の果てに、アラヤはある決断を下した。

 ほとほと嫌になったアラヤは、イスラ王国から遠く離れた地に御堂みどうを建て、飲食を一切断って籠もることにした。

 信徒には『衆生救済しゅじょうきゅうさいを祈願する』と説明はしたが、何のことはない。

 要は、自殺したかっただけだった。


 毒をあおっても、首を吊っても、心臓を刺しても、彼の肉体はたちどころに再生してしまう。

 まるで、何者かが、アラヤの死を許していないかのように。

 だから、こんな長く苦しむ手段を選ぶしかなかった。

 数千人の信徒たちに見守られながら、アラヤはゆっくりと御堂の扉へ続く階段を登っていく。


 ――アラヤ様! 大聖者アラヤ様! どうか、我々に救いを! 我らに永遠の救済をもたらしくださいませ!


 感極まった信徒の一人がそう叫びだすと、すぐにアラヤを呼ぶ声で一杯になった。

 その騒ぎときたら、山を挟んだ反対側の街にまで届くほどだった。

 涙を流し、自身の死を惜しむ信徒たちの姿にも、アラヤは何も感じなかった。

 人が一人死んだくらいで、誰が救われるというのか。

 けれど、それほど自らを慕っている彼らに、何も遺さずに死ぬのは、あまりに身勝手なことではないか。

 アラヤが小さく手を挙げると、ぴたりと喧騒が静まった。


 ――誰も殺さないで下さい。殺さずに済む強さを身に着けてください。武力でも、精神力でも構いません。それだけが、私の教えです。


 そう言って、アラヤは御堂に己を封印した。

 一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ――一年が過ぎても、まだ彼は死ななかった。

 空腹という次元を超越した、完全な虚無。

 薄めを開け、無明の闇を見つめるだけの存在となったアラヤに、語りかける者があった。


 ――さすがは私が愛した。こんなになっても狂ってしまわないだなんて。でも、せっかくあげた力はほとんど使ってくれなかったのね。なんだかがっかりだわ。もし使っていれば、今ごろ貴方は大陸の頂点に立っていたでしょうに。


 耳心地良く、だがどこか神経を逆なでするような無神経さを帯びた女性の声。

 喉が干からび、発声もままならなかったアラヤは、黙ってそれを聞いていた。


 ――私はマリエル。貴女を愛し、永遠の若さと才能を授けし者。長らくたのしませてくれたお礼に、願いを一つだけ叶えてあげる。何がいい? 天界に来るというのはどう? 貴方好みの女の子と永遠に遊んで暮らせるけど、貴方はあんまり性欲がないものね。まあ何でも構わないから、適当に言ってみなさい。ああ、思うだけでも聞こえるから。


 アラヤは即答した。


 ――未来にて書かれた、イスラ王国についての書物を読ませて下さい。


 これには、さすがのマリエルも予想外のようだった。


 ――どういうこと?


 ――私は国を守れなかった。正しく守る方法を知らなかった。けれど、後世の方々かたがたなら、客観的な資料をもとに、アラヤ・イスラはどうするべきだったのかを、教えてくれるかもしれませんから。


 しばらくマリエルは黙り込んで――やがて大声で笑い始めた。


 ――そんなことを知ってどうするの? 歴史書をありったけ抱えて、また過去に戻してほしいなんてお願いしたりしないわよね? あっはっは――そんなつまらないこと考えているなら、この世が終わるまで寿命を追加してあげましょうか? それとも地獄に落としてほしい? 好きな方を選ばせてあげる。


 虫の脚をちぎって遊ぶ童女のような、純粋な悪意に満ちた声。

 神は人を愛すれど、決して救いはしない。

 長過ぎる生に飽き、屈折した欲求を叶えることにしか快楽を見いだせない人格破綻者だ。

 けれど、アラヤは動じなかった。


 ――まさか。王族だろうと貧者だろうと、人生は一度きりです。だから誰もが必死に生き、願いを叶えようともがくのです。たとえどんな結末になったとしても、やり直すなんてことは許されない。そんなのは不公平です。……そもそも願いは一つだけでしょう? 私はそんな図々しい真似はしませんよ。あなたならよく理解しているはずです。


 ――ちぇー。面白くない。少しは取り乱すところが見たかったのに。


 打って変わって拗ねたような声を出すマリエル。

 そして、また今度は慈愛にあふれた優しい声音で言った。


 ――でもそういうところが好きよ、アラヤ。だからどうせなら、貴方の目で見てきなさい。二千年後の世界を。貴方が救いたかった世界を。そこに、まあもしかしたら欲しかった回答モノがあるかもしれないから、せいぜい頑張って探すことね――。


 マリエルの声が消えると同時に、アラヤの意識も途絶えた。

 数秒か。あるいは数百年か。

 完全な無から目覚めたアラヤの耳に、少女の声が聞こえてきた。


『……平民の分際で、失礼なことを言ってすいませんでした。重々反省し、以後このようなことがないよう気をつけます』


 いきなりこじれた場面に遭遇したものだと思いつつ。

 少しだけ外で行われているやり取りを聞いてから――アラヤは御堂の扉を押し開けた。


 ◆


「――――?」


 来ない。

 覚悟したはずの死が、未だにキアナを訪れることはない。

 もしかしたら、と思った。

 こんな奇跡が起きたら、どんなに嬉しいだろうと。

 その万が一を信じていたから、キアナは最後の最後まで戦ったのだ。


「ッ……! どうして、確実に、殺したはずなのに……!」


 右腕を肘のあたりから切断され、苦しげにあえぐヘルムート。

 その猫のような目が、キアナの前に立ちはだかった者をめつける。


「な……何で、アンタ……!」


 ありえない再会に、キアナは声を震わせる。

 聖者と少女が見つめるのは、その間に割って入ったアラヤだった。

 立場こそ違えど、両者が抱いた疑問は同じ。

 すなわち、死んだはずの彼が、なぜ生きているのかと。

 そんな問いに、アラヤはわずかに微笑んで、


「――差し出がましくて申し訳ないのですが、あなたを救って差し上げたいと思いまして」


 いつか聞いた台詞を口にした。

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