第12話『アラヤ様、席を譲ってくれと頼まれる』
「あ、あのさ。ほんとごめん、ちょっといいかな……」
次の講義がある教室にたどり着き、空いた席に腰掛けたアラヤたち。
そこに、おずおずと声をかけてくる者があった。
気弱そうな顔をした、一人の男子学生だ。
身長はキアナと同程度。
茶色の癖っ毛を、しきりに指でいじっている。
「はい、何でしょう?」
「その席さ、もしよかったら、他の席に移ってもらえないかな、って」
「ええ、構いませ――」
「何で? 空いてる席なんていくらでもあるでしょう?」
早くも腰を浮かせかけたアラヤを制止し、キアナがギンと睨みを利かせる。
すると、男子学生は顔を真っ赤にしてあたふたし始めた。
「い、いや! 別に大した理由があるわけじゃないんだけど! でもどうしてもそこに座りたいって人がいてさ!」
「何で?」
「それは別に……ほら、全然大した理由じゃないし、話すほどのことでもないから!」
「大した理由じゃないなら別にどかなくてもいいでしょう?」
「うっ……」
苛立ちを隠さなくなったキアナの態度に、たじろぐ男子学生。
次の瞬間、彼は勢いよく床に這いつくばった。
「た、頼むよー! そこどいてくれよー! ほら、お金なら払うから! 俺の家金持ちだから! はいあげるよ五万リオン! 庶民の一ヶ月分の生活費!」
「え? やだ、ちょっと、何この人。怖いんだけど。怖いんだけど、ねえ!」
「まあ、くれるというならもらっておきませんか? お金だけでも」
「もらうな!」
スパンとアラヤの頭をはたき、キアナは男子学生を無理やり立たせる。
「ほらもう埃だらけじゃない! 何考えてんのアンタ!? これしきのことで男が土下座なんかするな!」
「だ、だって……そうしないと俺……あいつらに……」
とうとう半べそになった男子学生に、キアナは呆れのあまり額に手をやった。
気位ばっかり高くても仕方がないが、ここまで低いのも考えものだ。
これではまるで小さな子どもではないか。
と、教室のドアが開いて、どやどやと学生の一団が入ってきた。
ジャラジャラと装飾品を身に着けたり、整髪料で髪を逆立てたりと、いかにも遊び人といった風体の者たちばかり。
先に教室に来ていた学生たちも、彼らが入ってきた途端さっと目を反らすほどだ。
先頭に立っていた茶髪の男が、男子学生の姿を見て大声を出した。
「おい、エリオット! ちゃんと席とっといたんだろうな!? そこ寝てても絶対ばれないんだよ!」
「ギ、ギース……さん。すいません、すぐとりますんで!」
「はあ~~~? おめ今まで何してたんだこのボケ! このギース・ケストナーに立ったまま授業受けろってのかあ~~~!?」
「ふざけやがって! どう落とし前つける気だコラァ!」
「罰金百万リオン払え! そしたら許してやんよ!」
「ひゃ、百万!? そんな金持ってないです! 勘弁してください~~~!」
絵に描いたようなチンピラっぷりを見せつけるギース一味と、涙ながらにペコペコ頭を下げるエリオット。
見ていられなくなったキアナは、カバンをひっつかんで立ち上がった。
「……どうぞ。座ってください。私たちはよそに行きますから」
「ほ、本当に!? よかった、ありがとう! 助かったよ! これ、ほんのお礼……」
喜色満面のエリオットが差し出した手には、数枚の一万リオン金貨が。
しかし、キアナはその手を強く弾いた。
バシッという鋭い音とともに、金貨が床の上に散らばった。
呆然と立ち尽くすエリオットに、キアナは鋭い声で吐き捨てる。
「……悪いけど、それやめてくれない? すごく不愉快」
「え? な、何で?」
「私が金で心変わりする卑しい女みたいだから」
「ご、ごめん……」
自分でも理解できないほどの怒りに駆られ、キアナは大きく深呼吸した。
すると、ギースがくつくつと粘着質な笑い声を上げる。
仲間たちも、顔を見合わせながらせせら笑った。
「何か?」
「いや、別に? ただ――」
そこでギースは、キアナが羽織っているボロボロのベストや、当て布をしてあるカバンに目をやった。
「――見栄っ張りの貧乏人より惨めな人種はいねえなって思っただけだ」
どっと下品な爆笑を轟かせるギースたち。
そのやかましさたるや、同じ頭数の猿よりもひどかった。
彼らの様子を無表情に眺めているキアナのこめかみに、くっきりと青筋が浮かび始める。
危険な気配を感じ、アラヤがとりなそうと口を開いたそのときだった。
「やけに楽しそうにしているけど、鏡でも見ていたのかな、ギース君」
「ああ!? てめえぶっ殺……」
背後からの嘲弄に、瞬間的に激怒したギース。
しかし、声の主の正体に気づいた瞬間、不快そうにしかめ面をした。
「……何か用かよ、ローレン生徒会長サマ」
「『生徒会長』だなんて、そんなかしこまった呼び方はしなくていいよ。それより、よってたかって女の子を笑い者にするのがケストナー流の余暇の過ごし方なのかい?」
彫像のごとく整った面立ち。よく手入れされたミディアムの金髪。
ただ言葉を発するだけで、教室中の空気を支配するようなカリスマ性。
ローレン・ラルフ・ド・アルハーゼンその人だった。
傍若無人を人の形にしたようなギースも、彼の前では
「べ、別にそんなつもりはねえよ。ただそこの女のスカした態度が笑えただけで……」
「分かっていないね。弱者を大勢であざ笑うこと自体が品位に欠けるという話をしているんだよ」
彼の口ぶりにカチンときたのか、キアナの目つきが一層鋭くなる。
しかし、当の本人は至って涼しげだ。
むしろ、彼女の苛立ちぶりを楽しんでいるようですらある。
「仮にも伝統派の端くれを名乗るなら、それなりの振る舞いというものを身につけてもらいたいものだね。……もっとも、
「テメエ――!」
家柄を嘲られ、ローレンに突っかけようとしたギース。
だが、その手がローレンの襟元にかかることはなかった。
「席につけ――幼児か貴様らは。こんな下らんことを言わせるな」
いつの間に教室に来たのか。
顔に大きな向こう傷のある、三十代の男性教師が教壇に立っていた。
軍人のように刈り込んだ黒い短髪。
さほど上背はないが、無駄な肉が削ぎ落とされ、引き締まった肉体。
ローレンとはまた違った意味で、部屋の空気を変える風格を持った男だ。
ローレンが優雅に一礼した。
「大変失礼いたしました、マクラウド中尉」
「……ここは学院だ。教諭と呼べ」
「はっ」
もう一度深々と頭を下げると、ローレンは手近な空き席に腰を下ろした。
彼以外の学生が全員着席したのを確認し、マクラウド教諭は淡々と喋り始めた。
「では、これより『魔法教練Ⅰ』の講義を開始するが、その前に一つ言っておく。貴様らも知っての通り、ここ最近、我が国とレムリア帝国の関係は大変緊張している。貴様らがどんなつもりでこの学院の敷居をまたいだのかは知らんが、有事の際は魔法教育を受けた者としての、
マクラウド教諭の射るような視線が、柱の陰にいるギースたちの方を睨む。
「ついでに言っておこう。他の講義で居眠りしようが内職をしようが知ったことではないが……俺の講義では決して許さん」
先ほどのやり取りは、廊下まで響いていたようだ。
「とはいえ、退屈な講義をしていた俺にも責任の一端はある。よって、急遽貴様らが俺の講義に集中したいと思えるような方策を実施することとした。
――各講義終了十五分前に小テストを行い、及第点以下――六十点を下回った者は欠席扱いとする」
言葉には出さずとも、学生たちは露骨にげんなりした。
その気配を察したのか、マクラウド教諭は小さく唇を歪める。
「安心しろ。このテストの点数は成績には反映しない。問題も俺の講義をしっかり聞いていれば、十分に点数がとれる程度のものにする」
(……また面倒な講義が増えた)
ただでさえ落第気味なキアナは、さらなる負担の増加にため息をついた。
◆
「やべえよ……何が授業聞いてりゃ点取れるだよ……あの野郎、嘘ばっか言いやがって……」
死んだ目をしたエリオットが、ぶつくさと呪詛を吐きながら果実の切り身を口に運んでいる。
場所は学院の食堂。
四人がけの丸テーブルが、大広間にいくつも点在している。
絵画や彫刻、ワインレッドの絨毯が敷き詰められた食堂は、晩餐会の会場のような絢爛ぶりだ。
「……別にそんなに難しくなかったでしょ? ちゃんと板書とってれば六割は固いはずだけど」
「テスト中はノート見れないとか聞いてねえよ!」
「いや、見れたらテストじゃないし……」
呆れ顔で肩をすくながら、キアナは昼に食べ残したパンをかじった。
講義が終わって、深刻そうに声をかけてくるから何事かと思えば、ただの愚痴相手に選ばれただけとは。
こんな用事なら断ればよかった、と思うキアナ。
彼女のどうでもよさそうな態度を見るや、エリオットはアラヤに水を向けた。
「なあアラヤ! あんなテスト出すなんてひでえよな!?」
「そうなんですか? 私、学校とはこういうものだと思ったのですが」
「かあー! 違う違う、こんなひでえことする教師普通いねえって! まあでもお前はいいよな。まだこれでも欠席一回だろ? 俺もう四回目だからヤバいんだよ!」
「一ヶ月で三回もサボる奴が悪いでしょ」
「しょうがないんだよ! ギースの奴らにパシらされて一回サボりで、あとの二回は寝坊しちゃったんだから!」
「なら二回分はエリオットさんが悪いですね」
「四限目を寝坊ってどういう生活してるわけ?」
「う、うるせー! お前ら寄ってたかって俺のこといじめんじゃねーよ! もっといたわれ! 弱者を!」
拳を握って力説するエリオットの背後に、すっと現れる人影があった。
気配を敏感に察知したエリオットが振り向くと、ぎょっとしたように目を見開いた。
「うわあっ!?」
「……どうして誰も彼も、僕を化け物みたいに扱うんだろうね。そんなに怖いかい?」
「あ、す、すいません……」
若干傷ついた様子のローレンだった。
キアナは警戒心もあらわに腰を浮かせる。
高潔そうな立ち居振る舞いをしているが、彼は貴族至上主義の伝統派なのだ。
わざわざこちらに近づいてくるからには、何かしら理由があるに違いない。
しかし、ローレンはキアナに目もくれず言った。
「アラヤ君。明日の臨時試験の件については聞いているかな?」
「いえ、何も。臨時試験とは?」
「君は入学時に筆記試験を受けていないだろう? まあ、特待生は免除される規定だから何も問題はないんだが、最低限の教養や基礎知識があるかを確認しておきたいと、ギュンター先生がおっしゃっていてね」
(……もはや言葉もないわね)
ギュンターの平民嫌いは周知の事実だが、ここまでやるとは。
キアナの中で、ただでさえ劣悪なギュンター株が、最低まで落ちた瞬間だった。
「生徒会長さん。いくら何でもやりすぎじゃない? 昨日の試験だって、魔法学院の試験で武術を試すなんて無茶苦茶なことやったのに、またそんな嫌がらせしようってわけ?」
「気持ちは分かるけど、今回は違う。ただの形式的なものだ。その証拠に、出題範囲の問題集も預かってきている。これを一通りやっておけば、落ちるようなことはまずないとのことだ」
『今回は』ということは、前回は明確に嫌がらせだったのだろうか。
突っ込む気も失せたキアナは、机に頬杖をついた。
ローレンの手にある問題集は、小冊子と呼べる大きさのもの。
今から取り組めば、寝る前には間違いなく片付くだろう。
ましてや、天才的な記憶力と理解力を持つアラヤのことだ。
何も心配することはないはず。
「試験は明日の一限目――午前中最初のコマに、第二会議室で開始する。くれぐれも遅刻したりしないでくれよ? こんなことで退学にでもなったら、君の好敵手たる僕の立場がないからね」
「了解しました。精一杯努力します」
(いつ好敵手に……?)
まあ、本人が勝手に言っているだけだからいいかと思いつつ。
何となく、胸騒ぎがした。
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