32話『激突』

「逃がしはしないのであります……!」


 爪牙そうがの届く獲物を、みすみす行かせる獣はいない。

 新たに召喚した白釘を、ほとんど手首のスナップだけで投擲し、自らも追撃に向かうヘルムート。

 狙うはもちろん、逃走するキアナの後ろ姿だ。

 しかし、


「ふっ……!」


 受けきれぬのなら、受け流すまで。

 概念強化を解き、元のサイズに戻した盾を、アラヤは裏拳気味に振り払った。

 強打。

 黄金による打撃が、白樺しらかばの釘を弾き飛ばした。

 窓ガラスを突き破り、中庭へ消えていく白釘。

 その行方になど目もくれず、アラヤは足元から無数の槍を召喚し、槍衾やりぶすまを築き上げた。

 このまま突っ込めば、ヘルムートとて串刺しは免れない。


「近接戦は大幅に不利と見たのであります」


 だが、そう容易に仕留められるほど甘くはなかった。

 予め読んでいたかのように、ヘルムートは踏み出した右足の裏から白釘を召喚。

 地面に突き刺し、即席の足場として、後方へ大きく飛び退く。

 一瞬前までヘルムートがいた位置を、嵐のごとく槍の刺突が襲ったが、わずかに僧衣の裾を裂いただけだった。


「見上げた強度であります。大神殿の最奥、霊廟門れいびょうもんにも匹敵するその護り、業腹ごうはらではありますが、物理的に破るのは不可能と見ました」


「どうでしょうね。比べたことはありませんから」


 キアナたちが逃げたのを確認し、アラヤは改めて盾を掲げ直した。

 完璧に近い防御性能と引き換えに、概念強化を施した『終天・誰が為の盾』は、担い手自身でも取り回しには苦労する巨重を誇る。

 定点防衛ならばまだしも、高速戦闘においてはその鈍重さは致命的だ。

 白釘を両手に握ったまま、少しづつ間合いを詰めるヘルムート。

 アラヤは出口を塞ぐ立ち位置に陣取り、彼女の出方をうかがっている。


「なぜキアナさんを狙うのですか? ゼッケンドルフさんの仇討ち……というわけではありませんよね?」


「愚問。他者の死を悼むような感傷は、神罰の化身たる撃滅手には不要であります。そも、オフィリア・ベルジュラックとキアナ・エルマンに殺される程度の男など、惜しむにも値しないのであります」


「……そうですか。報われないことですね、あの方も」


 殉教した同胞さえも、無能とそしることにいささかの痛痒つうようも感じていない冷酷さ。

 否、たとえゼッケンドルフが十年来じゅうねんらい朋友ほうゆうであったとしても、彼女は痛みなど覚えなかっただろう。


「かつて我ら星黎教徒を迫害したアカシア人の血は、我らに特効を持つ魔法を発現する素質があります。帝国の永遠なる繁栄のために、キアナ・エルマンの殺害は必定ひつじょうであります」


 と、今度はヘルムートの方からアラヤに問いを投げかけた。


「時に、アラヤ・ベルマン。貴方はなぜギュンター・テイルローブを庇ったのでありますか? あの男は貴方やキアナ・エルマンに害しかもたらさぬ存在。その死を望みこそすれ、助けようなどとは、理解に苦しむのであります」


 単なる時間稼ぎではなく、真に彼女は回答を欲しているように見えた。

 自身とは縁遠い存在に、少しでも近づきたいと思っているかのように。

 アラヤは迷わず言った。


「国民を裁く権利があるのは司法だけです。裁判官でも国王でもなく、ましてやこの国の人間でもない私が、ギュンターさんの処遇を勝手に決めるなど、この国の秩序を乱す行いに他なりません。そのような横暴は、決して許してはならないのです」


「その司法の目をかいくぐり、悪行三昧あくぎょうざんまいに勤しんでいたのがギュンター・テイルローブであります。法を守らぬ外道にも、そのような慈悲がふさわしいと?」


「人として当然のことをしているまでです」


 殺されかけてもなお、相手を恨まず、憎まず、報復も願わないのが人の道理だとアラヤは言い切る。

 机上の空論とさえ言える彼の信念を聞き、ヘルムートは一瞬不快げに眉をしかめたかと思うと――せせら笑うように歯を見せた。


「おかしな話であります。私が調べた限りでは、聖者アラヤ﹅﹅﹅﹅﹅はそのような王ではなかった。殺戮の官能に酔い、侵略の快感に溺れ――挙げ句の果てに国を追われた、生粋の殺人者であったはずであります」


「――――!」


 それは二千年の昔。

 血族はとうに途絶え、歴史の彼方に葬られたはずの忌まわしき過去。

 だが、その罪を突きつけられたアラヤは、心臓を鷲掴みにされたかのように表情をこわばらせる。

 

「図星だったようであります!」


 勝ち誇るように高らかに告げ、ヘルムートは白釘を二発とも投げ放つと、窓の外に飛び出していった。

 城外に逃れようとする、キアナを仕留めに行ったのだろう。

 一本を体捌きで、もう一本を盾による打ち払いでいなすと、アラヤは無言でヘルムートの後を追った。

 

 ◆


「……ありがとう、ミス・エルマン。もう歩ける。見苦しいところを見せてしまったね」


「別に気にしてないから。それより急いで」


 玄関の大扉をくぐり、中庭へ出たあたりで、ローレンが正気を取り戻した。

 とはいえ、腹部の傷が癒えたわけでもなく、その足取りはひどく重い。

 乗馬での長距離移動は、彼にとって大きな負担となるだろう。

 また、馬に乗れないキアナは、馬車でなければこの場を離脱することは敵わない。

 そんな彼らにとって、目の前の光景はあまりに残酷に映った。

 馬屋うまやに繋がれていた馬は、ことごとく胴体から引き千切られたように両断され、辺りに凄まじい臭気を放つ臓物や血肉を撒き散らしている。

 横に停めてあった何台かの馬車も、巨人に踏み潰されたかのような有り様で、無残に破壊されていた。

 誰の手によるものかなど、考えるまでもない。


「くそっ! 無事な馬はいないのか!?」


「もういい。走った方が早い!」


「生身で夜の平原に出るなんて自殺行為だ! 獣の餌にされちまう!」


 取り乱し、唾を飛ばしながら怒鳴り合いをしている参加者たち。

 彼らの混乱に飲まれないよう、焦りを抑えながら、キアナは頭上を見上げた。

 何度も鳴り響く、武器同士がぶつかり合う甲高い音。

 きっと、城の屋根の上で、壮絶な闘いが繰り広げられているのだろう。

 もはや城外への脱出は困難となった以上、壁の中に安全地帯など皆無と言っていい。

 となれば、せめてアラヤたちの様子を把握でき、かつなるべく距離を置いた地点に位置取るのが正解ではないか。

 魔法が使えないローレンを連れ、凶暴な獣が跋扈する夜の平原に出るくらいなら、アラヤがヘルムートを倒してくれることに賭けた方が、よほど分があるように思える。


「危ない!」


 誰かが悲鳴を上げる。

 直後に、尖塔の一角が落下し、馬屋を下敷きにした。

 そして、逃げ遅れた参加者のうちの何人かも。

 尖塔の下からはみ出た血だらけの手足に、キアナはぞっとする。

 もし数メートル立っている場所が違ったら、ああなっていたのは自分だと。

 恐らくは、ヘルムートの白釘によって吹き飛ばされたものだろう。

 やはり、ここも安全な場所ではない。 


「門の近く! あそこなら、城全体を見渡せる!」


「……ああ」


 顔中に玉の汗を浮かべるローレンが、力なくうなずく。

 とても戦力として期待できる状態ではない。

 自分だけではなく、彼の命さえも、キアナが背負っている。

 その責任の重さに、腹の底がキリキリと疼痛とうつうを発し始めた。


(これくらい何だっての! あいつは命賭けて戦ってんだから!)


 今一度気合を入れ直し、キアナはローレンの手を引いて駆け出した。







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