37話『終わりを告げる黎明』
「かはっ、ごふっ……!」
肺を貫かれ、咳き込むたびに血の塊を吐き出すヘルムート。
辺りは嘘のような静けさに包まれ、戦闘の余韻さえも感じさせない。
城壁の下。剣を片手に己を見下ろすアラヤを、ヘルムートは憎々しげに見上げた。
「殺、せ……敵に、命乞いなど……」
無尽に等しい聖者の魔力とはいえ、致命傷をいくつも負った状態では、回復もままならないのだろう。
瀕死の有り様でもがくヘルムートを、アラヤはただ冷たく見つめていた。
「……正直、迷いがあります。あなたを生かし、情報を引き出すか。それとも脱走の可能性を考慮して殺しておくか。こればっかりは人の命がかかった問題ですから、どちらが正しいかの判断は必要です」
「はっ……! 私が、祖国に、教義に背くような真似を、するとでも……」
「そう。あなたにとってはここで死んだ方が都合がいいはず。なのに自殺を選ぼうとはしない。つまり、あなたは私に殺してもらわなければならない事情がある。だから迷っているんです」
「…………」
「脳に不自然なほど魔力が集中していますね。おおかた、殺した相手を道連れにする魔法でしょうか。そういう使い手は知らないわけではないので、いちおう警戒していたんですよ」
アラヤの推理に口を挟もうとはしないヘルムート。
切断された腕からの出血はすでに止まり、咳もだいぶ収まっている。
つまり、失血死や溺死では、彼女が意図する魔法は発動できないということ。
そのことを見抜いた上で、アラヤはヘルムートの処遇を決めかねていた。
「あなたが『七大聖者』のうちの『狂信』……ってことでいいんですよね。キアナさんと同じ、脳による魔力生成ができる人材の集まりと見ましたが、どういった基準で選抜されているんですか?」
「……先代聖者による指名であります。先代の権能を引き継ぐ者もいれば、自ら開発する者も」
「しかし、それでは筋が通りません。キアナさんは星黎教や『七大聖者』との関係はないはずなのに、なぜああいった力を?」
「さあ。いずれにせよ、本格的に星黎教は貴方とキアナ・エルマンを敵性存在と認定するはずであります。もはや、
ヘルムートの
「なら、私はキアナさんを守るだけです。国を守れなかった私でも、人ひとりくらいは死ぬ気で背負いきってみせます」
「……私を破ったその理想、どこまで貫けるか、はなはだ見ものであります」
そのとき、遠くからキアナが駆け寄ってくる音が聞こえた。
その瞬間、
瀕死の重傷とは思えない俊敏な動作。
虚を突かれ、迫る『狂信』を目を丸くしながら呆然と見るキアナ。
聖者は最期の力を振り絞り、すでに
「『
それは、かつて彼女が組んでいた撃滅手の魔法。
天性の素質に任せ、見様見真似だけで組み上げた即興の切り札。
白釘本来の詠唱には身体が耐えられないと判断し、あえて消費の少ない簡易な魔法を作り出したのだ。
本人も自覚していなかった、彼女が本当に
それは模倣。
何も愛せず、人間らしい目的を持てず、空虚そのものだった彼女の人生に彩りを与えたのは、信仰に身を捧げる者たちへの憧れだ。
彼らのようになれたなら、自分も幸福を実感できるかもしれないと。
そう信じて愚直に演じ続けた結果、偽装は真実へと
――無意味な仮定ではあるが。
もしも彼女が真似たモノが、別の何かであったなら。
ヘルムート・フォーグラーには、まったく違う人生が待っていたのかもしれない。
肉を裂き、矢のごとく発射された二振りの白い長剣。
何の変哲もない、ただ貫通力に優れるだけの武装。
だが、油断しきったキアナを殺すのには、十分すぎる殺傷力を秘めている。
「――ハ」
しかし、当然のごとくアラヤは白剣を砕き割った。
概念武装の破壊に特化した剣なら、この程度の芸当は造作もない。
続く二撃目で振り抜こうとして――アラヤの視界にキアナの姿が映る。
死に体だと思っていた相手に殺されかけたことではなく。
鬼気迫る表情のアラヤに恐れをなしたかのように、彼女は怯えたように眉をハの字に寄せていた。
「――『
結局ヘルムートにとどめを刺したのは、剣ではなく、宝槍による刺突。
心臓を穿つその一刺しに、ヘルムートがせせら笑うように唇を歪める。
誰も傷つけたくないというアラヤの理想を、最後の最後で折ることができたという愉悦。
けれど、アラヤがその顔に
力の抜けたヘルムートの身体を抱き止め、柔らかく着地するアラヤ。
その眼差しにこめられた想いは、憐憫か、それとも後悔か。
立ちすくむキアナは、恐る恐る尋ねる。
「ねえ、そいつ殺したの?」
「……いいえ。ですが、彼女にとっては、死よりも残酷な結末かもしれません」
見れば、刺されたはずの胸に新たな傷は見られない。
ヘルムートの白釘と同じく、外傷を与えないことを選択できる概念武装なのだろう。
疲れた子供のように目をつぶったままのヘルムートを、キアナはまじまじと見た。
「甘いと思いますか?」
「ううん。私の故郷を襲った奴だし、死んだって別に何とも思わない。でも、アンタがこんな奴のために傷つくとこは見たくない」
「……奇遇ですね。私も、キアナさんを怖がらせたくなかったんです」
照れたようにはにかむアラヤに、キアナも口元を緩めた。
思いを口にせずとも、もっと深いところで通じ合えているような気がして。
キアナは、彼に問いただそうと思っていた事柄を、頭の隅に追いやった。
「そういえば、私に言いたいことがあるとのことでしたが、よろしければ伺いましょうか?」
「えっ!? あ、あれ聞こえてたの?」
「五感を強化していたので、キアナさんの可愛らしい声が、一言一句よく聞こえましたよ」
「なっ、ばっ……! つまんない冗談言わないでよね!」
「いえ、本心ですよ本心。それより、お話というのは?」
「いや、別にいいから。こういうのは言わないほうがなんていうか
「は、はあ……ちょっとよく分かりませんが、そういうことにしておきましょうか」
よく分かりませんは余計だ、と思いつつ。
「そろそろ夜が明けます。帰りましょうか、キアナさん」
「……うん」
遠くから聞こえるのは馬車の一団。
アラヤの連絡がなかったことにしびれを切らし、オフィリアが独断で迎えをよこしたのだろう。
気がつけば、東の空は黄金色に染まり、群青の宵闇が溶けるように澄み渡っていく。
その果てに見える
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