23話『憎悪覚醒』

 変装のつもりなのか、撃滅手の女ヘルムート・ケテルブルクはキアナと同じ学院の制服に身を包んでいた。

 猫のような琥珀色の目が、キアナの顔を至近距離から見つめる。

 まるで、昆虫のような無感情な眼差しに、キアナはぞっとした。

 

「キアナ・エルマン。座学は優秀。また、受講態度は申し分ないが、実技においては凡庸ぼんよう、またはそれ以下。しかし、資質とは裏腹に、カリキュラムは実戦的な魔法習得をこころざしているという印象。希望進路は王立魔法研究院、または王国軍の魔法科部隊などが推定される」


 この二週間で、キアナのことを調べ上げたのだろう。

 外部の人間では知りようのない情報を、ヘルムートは淡々と述べた。

 

「学生としての貴女については、余すことなく調査したと自負するところであります。ですが、一個人としての貴女については不明点が多い。学院側の書類では、貴女は王都で生まれた私生児しせいじとされ、市民名簿にも記載はなかったのであります。そこで第一の質問ですが、親のいない貴女がいかにして学院に入学したのでありますか?」


 口を封じていた女の手が緩む。

 しかし、キアナの口から言葉が発せられることはなかった。

 恐怖と緊張で呼吸を浅くしながらも、目だけはヘルムートを睨みつけている。

 すると、空いている方のヘルムートの手が、ゆっくりと指でキアナの身体を上からなぞっていった。

 喉、鎖骨、胸、みぞおち、下腹部、太もも。

 まるで毒蛇に這われているような感触に、キアナは総毛立った。


「貴女に許された選択肢は二つ。沈黙を守るか、己を守るか。しかし、私と信仰の強度を競い合おうというのなら、その判断は過ちであると断言するのであります。……質問を変えましょう。学院入学に際し、貴女を支援した者の名は何でありますか?」


「……その前に、私の質問に答えて」


 そう言った瞬間、キアナは腹に焼けるような激痛を覚えた。

 ヘルムートの手のひらから伸びた白い釘が、彼女の腹部に突き刺さったのだ。

 一瞬にして顔面蒼白になり、苦悶の声をあげようとするキアナ。

 しかし、万力のごとき力で口を塞がれ、便所の外にはうめき声一つ届かなかった。


「苦痛を用いた立場﹅﹅の教育を開始。殺さず壊す審問術の真髄しんずい、その身で味わうのであります」


 人の腕ほどもある釘が深々と食い込んでいながら、キアナの傷口からは一切の出血がない。

 恐らく、ヘルムートが具現化した白い釘は、それを可能とする概念を付与された武装なのだろう。

 非殺傷用にして非人道的。

 相手を死に至らしめることなく、極限の苦痛を与えることを目的とした兵器だ。 

 外傷は存在しないにも関わらず、キアナの脳髄には皮膚、筋肉、腹膜を貫かれた苦痛の信号が絶え間なく送り込まれている。

 だが、それでもキアナは屈しなかった。

 大粒の涙をこぼしながらも、燃えるような瞳で背後のヘルムートをめつける。


「っ……! 私の故郷を、ファーラントの村を焼いたのは誰!? 知ってるんだからね、アンタたち星黎教がやったんだってことは!」


 血を吐くようなかすれた叫び。

 間近で激情を浴びせられてもなお、ヘルムートの表情は揺るがない。

 最初から、そんなものに興味はないとでも言うように。


「ファーラントの生き残り。なるほど、やはり貴女はアカシア人だったのでありますね。あの作戦は完遂されたはずでしたが……黒髪黒目、日輪にちりん教徒の証もどこかにあるはず。……それにしても」


 と、ヘルムートはまばたきをして、一つ息を吐いた。

 そして、どこか遠くの故郷でも思い出すかのように、しみじみと、


「十年も前にうしなったものを未だにいたんでいるとは。よほど大切だったのでありますね。正直、憧憬しょうけいを禁じ得ないのであります」


「――――」


 何を言っているのか分からなかった。

 本当に、心の底から、救いようがないほど、この女は頭がいかれていると思った。

 自分たちが理不尽に蹂躙した相手に対して、なぜこんな台詞を吐けるのか。

 一体、誰のせいで全てを喪ったと思っているのか。

 巨大な虫が人の皮を被り、人語じんごによく似た鳴き声を発しているだけなのではないかと本気で疑った。

 何事もなかったかのように、ヘルムートは話を続ける。


「最初の質問ですが、聞き方を変えるのであります。貴女が学院に入学するのに協力した人物は?」


「……学院の規則を変えて、平民でも試験を受けられるようにしてくれたのは、学院長のランドルフさん。話せるのはそれだけ。ほかは何も知らないし言えない。拷問したければすれば? 空のバケツを逆さに振るようなものだけどね」


 キアナとしては、これが精一杯の抵抗だった。

 この撃滅手の女は、わざわざ人目を嫌い、便所で襲撃をかけてきた。

 つまり、学内では表立って騒動を起こすなと指示を受けている可能性がある。

 それがギュンターからなのか、はたまたもっと上からなのかは定かではないが。


 あと、ものの五分もすれば、図書館の戸締まりが始まる。

 机に置きっぱなしの勉強道具を職員が発見すれば、見回りに来てくれるだろう。

 そのときまで自分が生きているかどうかは、それこそ賭けでしかなかったが。

 やがて、ヘルムートは目をつぶると、


「――ならば、我が正義を穢す汚点を、ここですすいでおくのであります」


 肉を穿つ鈍い音とともに、キアナの心臓に白い釘がめりこんだ。

 青ざめていた唇に、見る間に鮮血のしゅが差しこまれる。

 

「かっ――」


「かつて、星黎教を異端と断じ、同胞を迫害せし罪科ざいかの歴史。貴様らアカシア人が忘れようと、決して我らは忘れない。血の一滴すら後世に残さず、恐怖と絶望のさなかで絶え果てることのみが、貴様らに許されし唯一の贖罪しょくざいと知れ、罪人」


 端正な顔を歪めながら放たれたヘルムートの苛烈な罵倒は、かろうじてキアナの耳に届いた。


(罪人? 私たちが? 罪人だから殺された? 父さんも母さんも、兄さんも姉さんも?)


 消えかけていた意識が再燃する。

 眠っていた回路に火花が走る。


(――ふざけるな。ふざけるのも大概にしろ。罪もない人々を、私の家族や友だちを虫みたいに殺した口が神を語るな。正義を語るな……!)


 愛するものを亡くした悲しみ。

 理不尽に襲われた怒り。

 そして、自分だけが生き残ってしまったという後悔。

 十年間、キアナの中でくすぶっていたもの全てが渾然一体こんぜんいったいとなった感情の渦は、やがて一つの形へと収束した。

 それは憎悪。

 心臓を貫かれた痛苦にもまさる、臓腑を焼き尽くすような憎しみが、キアナの休眠状態だった魔力経路に火を入れる。

 再び、キアナの目が大きく見開かれた。

 瞳孔から迸る、黒炎のごとき禍々しい魔力。

 ごく短時間のうちに、大量の魔力が生成された場合、眼球や口腔からオーラのようなものが確認される例は少なくない。

 だが、それらは普通、陽炎かげろうのような朧げな事象としてしか知覚できはしない。

 ましてや、物理現象と錯覚するほどの魔力の現出など、前代未聞だった。

 キアナの胸に刺さっていた釘が、ゆっくりと彼女の体内へ飲み込まれていく。

 ヘルムートは早口につぶやいた。


「心臓の再生と同時に、私の聖釘せいていを自らの魔力として還元していると。どうやら、眠れる竜を起こしてしまったようであります」


「――――――」


 振り向きざま、ハエを払うような仕草でキアナは裏拳気味に腕を振るう。

 少女の細腕で放たれたものながら、放出した魔力の余波だけで仕切りを崩壊させ、壁にヒビを入れた。

 だが、そのときにはすでに、ヘルムートは個室の仕切りを飛び越え、窓の隙間から校舎外へ逃れていた。

 

「今は貴女を殺せない。決着は再戦のときへ持ち越しとするのであります」


 そんな捨て台詞を残すと、ヘルムートの小柄な体躯は夜闇へと溶けていった。

 その数秒後、心身を消耗し尽くしたことで、キアナは個室の中で倒れ、壁伝いに滑り落ちた。

 

(これならいける。やっと帝国に復讐できる)


 突如として発症した激しい頭痛にあえぎながら、それでもキアナは固く拳を握りしめた。

 無力さ故にかえりみられなかった少女が、比類なき力を得たのだ。

 その行き着く果てにあるものを、彼女はまだ知らない。




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