24話『悪意胎動』

 図らずも、敵であるディアドラの手によって、予期せぬ力を手中に収めたキアナ。

 このことをきっかけに、帝国への復讐という悲願へ向け、破竹の勢いで快進撃を続けていく……かと思われたのだが。


「くっ……ふんぬっ……!」


「……えーと、少し休憩しましょうか。あまり根を詰めるのはよくありませんから」


 あれから数日間寝込み続け、ようやく回復した日の夜。

 オフィリアの邸宅を訪れたアラヤに、修行の成果を見せると意気込んだのだが、はや三十分。

 アラヤが目にしたのは、顔を真っ赤にして力むキアナと、ぷるぷると虚しく震える右手だけだった。

 もちろん、先日の黒い魔力など、これっぽっちも出てきはしない。

 とうとうキアナは諦め、手すりにもたれながら、ぜえぜえと肩で息をする。

 

「な、何で出ないの……この間はあんなにたくさん出たのに……」


「魔力の生成量は体調によって変わるものですから。それに、キアナさんは今までずっと魔力がどこかでつっかえていたんですよね? なら、撃滅手の方に襲われたときに、使われずに溜まっていた分をほとんど消費してしまったのではないでしょうか」


「ええっ!? じゃあ、もうあれは使えないってことなの? そんなあ……」


「いえ、あくまで仮説なので、本当のところはわかりませんよ」


「おーっほっほ! 『魔道まどうに近道なし』ということですわね。まあ当然といえば当然。学院に入るまで、ろくに修行もしてこなかった貴女が、いきなり撃滅手を撃退するようなとんでもない魔法使いとして覚醒するだなんて、そんな都合のいいことがあっては困りますわ! よちよち歩きのときから研鑽けんさんを積んできた、この私の立場がありませんもの」


 勝ち誇ったように高笑いしながら、オフィリアが颯爽さっそうとテラスに姿を現した。

 胸元が大きく開いた真っ赤なワンピースという大胆な衣装に、反対側が透けて見えるような薄絹のストールを纏っている。

 一張羅いっちょうらの制服以外に選択肢のないキアナからすれば、家着とは思えないほどの着飾りようだ。

 悔し紛れにキアナは憎まれ口を叩く。


「ふん。今にアンタだって私の力に恐れおののくことになるんだからね」


「おほほほ、楽しみにしていますわ。十年後か、二十年後か……それまで私と貴女の縁が続いていればのお話ですけれど」


 完全にバカにしきった態度でせせら笑うと、オフィリアは打って変わって一オクターブ高い声でアラヤにすり寄っていった。


「アラヤさん! 私、貴方に教わりたいことがございますの! よろしいかしら?」


「はい。私が知っていることなら、何でも」


「アラヤさんは戦闘の際、いつも武器を召喚していらっしゃるでしょう? 私もあれができるようになりたいのですが、何かコツのようなものがあればと思いまして!」


(ずるい。私もそれ聞きたい)


 しかし、未だに火花一つ満足に具現化できないというのに、そんな高等技術を知りたがるのは、背伸びのし過ぎではないだろうか。

 そんな自意識と葛藤していると、アラヤは残念そうに首を振った。


「申し訳ありませんが、私の『戈召術かしょうじゅつ』……武器の召喚術はあまり参考にならないかと思います。少々、習得過程が特殊なので」


「構いませんわ! この私の溢れ出る才をもってすれば、どれほどの難行なんぎょうであっても、必ず乗り越えることができると確信しておりますもの!」


 このとんでもない自己評価の高さだけは見習いたい、と密かに思うキアナ。

 しかし、アラヤの渋い表情は変わらない。


「私の場合、意図的に武器の召喚を体得したのではなく、実戦で使っていた武器が、いつの間にか召喚できるようになっていた、という流れなので、学生であるオフィリアさんやキアナさんでは、やはり難しいと思います」


 キアナの脳裏をよぎったのは、いつぞやのヒルベルトの授業での出来事。

 王として国を統べ、軍を率いて戦場を駆けていたという華々しい過去を、アラヤは今と同じ、ひどく苦々しい面持ちで回想していた。

 それが、彼が話したように、己の未熟さ故に国を荒廃させたという後悔からくるものなのか。

 それとも、ほかに理由があるのか。

 キアナには、踏み込んで質問する勇気がなかった。


「実戦? ということは、アラヤさんは戦場に立った経験がおありですの?」


「ええ。一応」

 

「なるほど……やはり私の見込んだ通り、ただ者ではありませんわね。いずれ機会がありましたら、そのときの武勇伝についてお聞かせ願いますのことよ」


 訳ありな雰囲気を察してか、オフィリアも深くは追求しなかった。


「でしたら、身体強化の特訓方法についてご教授願いますわ! 魔法使いといえど、実戦おける機動力の底上げは、戦力の増強に直結いたしますから!」


「それならお教えできますよ。まず、下半身に強化をかけてからその場で跳躍してみてください。……わあ、もうできちゃうなんてすごいですね、さすがですオフィリアさん。で、これを一日百回やってください。休憩なしで。これができたら、今度は逆立ちした状態で腕を突き放して、身体を浮かす練習です。これも百回できるようになったら、走ったり跳んだりするのと同じ感覚で身体強化を使えるようになります」


「が、頑張りますわ~~! それ、一! 二! 三! 四!」


 その場でゴムまりのように跳びはね始めたオフィリアを尻目に、キアナはアラヤに問いを投げかけた。


「で、ローレンの方はどうなの?」


「問題ないと思います。今夜にでも、ギュンターさんに交渉してみるとお話ししていましたし」


「ならいいけどね。これで成果なしじゃ、アンタもお尻狙われた甲斐がないでしょ」


「あ、あはは……いえ、本当に大丈夫ですから。大丈夫大丈夫……分かってますよ本当に」


「……めちゃくちゃこたえてるみたいね」


 一見無敵に見えるアラヤにも、弱点と呼べるものは存在したらしい。

 同情するキアナに、アラヤはため息をついた。


「まったくお恥ずかしい限りです」


「気にすることないでしょ。私だってあんなデカいのに迫られたら怖いし」


「いえ、もしあれ﹅﹅がローレンさんの本心なら、それなりの態度でお応えしなければならないと思うんですが、どうにもふざけているようにしか見えなくて。そうなると、こちらとしても対応に迷う部分がありまして……」


 思っていた困り方と違い、拍子抜けするキアナ。

 ある意味、このクソ真面目さこそがアラヤの真の弱点なのかもしれない。

 心配して損した、と今度はキアナがため息をついた。


「……思い切り股間でも蹴り上げてやればいいんじゃないの?」


「それはさすがに抜本的解決ばっぽんてきかいけつすぎる気がしますが……」 


「いや、そういう意味で言ったんじゃないから」


 そんな物騒な提案を素でする女だと思われているのだろうか。

 キアナはアラヤからの自己評価が気がかりになった。


「私などのことより、キアナさんの方が心配ですね。もしかしたら、また誰かに襲われるかもしれません。なるべくこちらに立ち寄る機会は増やすつもりですが、キアナさんもあまり人気のない場所にはいかないよう、重々気をつけてくださいね」


「……ん、分かった。気をつける」


 念入りに言い含めるアラヤに、キアナは口をへの字にしてうなずいた。

 仮にも撃滅手を一人で撃退したにも関わらず、アラヤがまったく褒めてくれなかったことでふて腐れていたのだ。

 

(まあ、もし次襲われたら確実に殺されるし、別に私が何か努力したおかげってわけじゃないし……)


 また単純に、感心よりも心配の方がまさっているのだろう。

 アラヤにとっては、まだまだ自分はヒヨッコで、戦いの場に立つような人間ではないのだ。

 理屈では納得していても、面白くないことには変わりはない。

 

(とりあえず、今は鍛錬あるのみかな。それでいつか、私だってやるときはやるってとこ見せてやるんだから)


 内心そう決意するキアナだった。


 ◆


 キングストン王立魔法学院は副学院長室にて。

 事務仕事に没頭していたギュンターの耳に、扉をノックする音が届いた。

 予定していた時間通りの来訪だ。


「……入れ」


「失礼します、ギュンター先生」


 やって来たのは、彼の一派であるローレンだった。

 深夜であるにも関わらず、髪型にも制服にも一切の乱れが見られない。

 世間話もそこそこに、ローレンは早速本題に入った。


「以前からお話していた通り、一週間後の親睦会。これに僕も参加させていただきたく思うのですが、いかがでしょうか」


「……アラヤ・ベルマンを抱き込んだそうだな。首尾はどうだ」


「実に良いと言えるでしょう。我らが伝統派にとって有益な情報をいくつも引き出しました。ミス・ベルジュラックとも完全に縁を切らせましたから、革新派……あえて言うなら、学院長派の戦力削減に大きく貢献したと自負しています」


「ご苦労。日時と場所は追って伝える」


 ギュンターは書類から目を上げ、ねぎらうように何度かうなずいた。

 かねてより、学院長ランドルフとの勢力争いに明け暮れているギュンターとしては、アラヤの出現は無視できない出来事だった。

 一個人というくくりを遥かに超越した武力と、分け隔てなく他者と接する高潔さを併せ持つ、まさに規格外の存在。

 当初は、ただの少々腕が立つだけの薄汚い平民と侮っていたが、ローレンとの魔法戦マギアの評判を聞き、ギュンターも考えを変えていた。


 貴族至上主義を掲げる伝統派に、キアナ・エルマンなどに肩入れするアラヤを引き入れるのは至難を極めるだろう。

 性格からして、金や女で釣るのも無駄。

 ならばせめて、学院長の手勢にならないよう、学院から排除するという方針を固めていた。

 一連の工作が空振りの連続に終わり、しばらく策を練っていたところに現れたローレンは、まさに青天の霹靂へきれきとも呼ぶべき成果をギュンターのもとへ運んできたわけだ。


 ギュンターにとってローレンは、実力はあるが青臭い、未熟な若者という印象だった。

 それ故に親睦会への参加も許可していなかったのだが、あのアラヤを懐柔したとなれば、一皮むけたものと見てもいい。

 そんな判断から、ギュンターはローレンの頼みを聞き入れたのだ。

 ローレンはあくまで澄ました表情のまま、優雅に一礼した。


「ありがとうございます」


「ベルジュラックたちは今何をしている?」


「何やら商業関係の書類など取り寄せては、調べ物にいそしんでいるようです」


「ふん。商会の件か。小娘の浅知恵でどうにかなるものではないわ」


 ギュンターとワルド商会の関係を、ローレンは知らないことになっている。

 もしローレンが余計な情報を得ていると悟られれば、ギュンターの不興ふきょうを買うのは確実。

 ごくわずかに眉が動いた以外は、鉄の自制心をもってローレンは表情を変えなかった。


「おっしゃる通りです。僕に公衆の面前で大敗をきっし、アラヤ・ベルマンにも離反りはんされたことで、かなり派閥内での存在感が落ち込んでいるでしょうから、このあたりで汚名返上おめいへんじょうを果たそうという腹づもりでしょう。まったく浅はかなことです」


 立て板に水を流すように、阿諛追従あゆついしょうを口にするローレン。

 それに気を良くしてか、ギュンターはこんなことを口走った。


「あの身の程知らずな小娘もここらが潮時だろう。これ以上恥を晒す前に、引導を渡してやるのが先達せんだつの務めというものかもしれんな」


「……いえ、その必要はないでしょう。もはやミス・ベルジュラックは我が陣営の敵とはなりえません。捨て置くのがよろしいかと」


 張り詰めた沈黙が室内に満ちる。

 ローレンがオフィリアと敵対しているのは周知の事実。

 そのことを踏まえた上での軽口に対し、ローレンの反応は過敏ともいえた。

 他人を自らの踏み台としか思っていないギュンターならば、戯れにオフィリアの命を摘み取るくらいは平気でやってのける。

 それを理解していたからこそ、ついローレンは本音混じりの提言ていげんをしてしまったのだ。

 やがて、ギュンターはおもむろに口を開いた。


「……お前の言う通りだ。放っておいても自滅するだろうしな」


「ええ、そうでしょう」


「明日も授業だろう。下がっていい」


「はい、失礼します」


 どこか安堵した様子のローレンが、再度一礼して部屋を出ていく。

 その足音が聞こえなくなるのを待ってから、ギュンターは独り言のように言った。


「――聞いていたな。やれ」


「よろしいので?」


「あの若造わかぞうに私のやり方を教えてやる。多少馴れ合った程度で情をかけるような甘さは、これを機に捨ててもらわねばな」


「了解。あの少年が出てくるのなら、久方ぶりに胸が躍る仕事と言えますな。……ケテルブルクには?」


「アラヤ・ベルマン相手ならともかく、ベルジュラックの小娘ごときに、奴の助けはいらんだろう」


御意ぎょい


 窓の外には、いつの間にか神父服を着た痩身の人影があった。

 真紅の包帯の隙間から覗く口元は、三日月のように笑っていた。


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