第14話『凶器乱舞』

 音もなく中空を穿つ一撃。

 しかし、アラヤが携えた槍の穂先がわずかに動き、飛来する凶刃を弾く。

 その一瞬の交錯に合わせ、神父は一気にアラヤへ肉薄した。


「『鎌鼬脚ジルヴァ・レーヴェ』」


 明らかに間合いの外から放たれた回し蹴り。

 かすかに反応が遅れたアラヤは、蹴りの軌跡に沿って飛んできた弓なりの刃をかわせなかった。


「アラヤ!」


 思わず叫び声を上げるキアナ。

 耳をつんざく金属音。 

 とっさに出現した金色の大盾が、彼の肉体を刃から守った。

 弾かれた刃は乱雑に回転しながら、近くのアパルトメントの外壁に深々と突き刺さる。


「このっ!」


「遅いなッ!」


 神父の足元から、彼を穿たんと何本もの槍が伸びる。

 だが、まるで予期していたかのように神父は跳躍して槍の群れから逃れた。

 一瞬、キアナは神父の身体が何倍にも膨張したかのような錯覚を覚える。

 巨人に見下されているかのような威圧感。

 それは切り札とも呼ぶべき、大魔法の発現の予兆だった。


「『魔剣工房・凶器乱舞ヴィルベル・シュトルム』――!」


 壁を蹴り、アラヤたちの上空へ躍り出た神父。

 ばっと僧衣の前を開けると、赤い包帯の隙間から、数十本もの刃の先端が覗く。


 長剣。短剣。槍。斧。短槍。

 どれもどす黒い血に塗れ、ボロボロに錆びついた異様な武器ばかり。

 今までの武装は、全て神父の肉体から生み出されたものだったのだ。

 一体、どんな過程を経て召喚に至ったのか。


 即座に球体盾を展開しようとしたアラヤ。

 しかし、鼻をつく異臭に足元を見るや、逡巡に目を泳がせる。

 数瞬の後に、酸鼻極まる暴虐が二人を襲った。


 ◆


「あ……ああ……」


 キアナはショックのあまりへたりこんだ。

 ほんの数分前まで、他愛もない会話をしながら帰路についていたのが嘘のようだった。

 

「っ……お怪我はありませんか、キアナさん」


 キアナを押し倒し、片手で盾を構えながら、アラヤは苦しげにうめく。

 彼の背中からは、何本もの武器が生え、真新しい制服に赤黒い染みを作っている。


 神父が撃ち出した武装など、彼の盾ならば容易に防ぎきれたはず。

 しかし、アラヤは身を投げ出してキアナに覆いかぶさり、凶器から彼女を庇った。


 理由は単純だ。

 数秒前、アラヤが盾を構えるのと同時に、神父は彼の足元へ手投げ弾を投げ込んだのだ。

 当然、そのまま球体盾を展開すれば、内部で無数の破片を浴びることになってしまう。

 そのため、足元の手投げ弾を盾で防ぎつつ、上からの武器の雨を身体で防ぐしかなかったのだ。


「見上げた覚悟だ。その女を見捨てていれば、俺を仕留める手など無数に持ち合わせていただろうに」

 

 地上に降り立つ神父。

 彼我ひがの距離は三メートル。

 身体強化を修めた戦士ならば、一歩で詰められる間合い。

 だが、なぜか神父はその場から動かず、静観せいかんに努めている。

 アラヤの反撃を警戒しているのか、それとも他に意図があるのか。


「買い被りが過ぎますね。私など、所詮は……ぐっ!」


「あまり喋るな。肺に傷がつくぞ。地上で溺死したくはないだろう」


 やがて、革の靴底で石畳を鳴らしながら、神父はゆっくりとアラヤへと歩み寄る。

 秒読みの死が迫る中、キアナは必死に立ち上がろうとしていた。

 だが、


(動けない……一歩も足が動いてくれない……!)


 せめて今度は、自分が彼の盾になろうと思った。

 どうせ殺されて死ぬのなら、守られた義理くらいは果たすべきだと思った。


 しかし、それすら敵わない。

 本能が、理性が、感情が、彼女の蛮勇を許さなかった。

 命乞いをするよりほかに、取るべき策などないと叫んでやまないのだ。

 

 不甲斐なさと惨めさのあまり、キアナの両目から大粒の涙がこぼれる。

 食いしばった歯はミシミシと軋み、今にも砕けそうなほどだ。


「無様な。貴様を殺すには瞬きすら不要だ。存在しないのと変わらん」


 必死に立ち上がろうともがくキアナを、いっそ憐れむように見下ろす神父。

 下手な罵倒や嘲弄より、その無関心さこそが何より彼女の心を掻きむしった。

 ミシリ、と脳が軋む。

 閉ざしていた記憶の扉が開こうとしている。

 故郷を焼かれた憎悪。全てを理不尽に踏みにじられた屈辱。

 どす黒い感情がキアナの中で渦を巻き、その余波は漆黒の魔力となって現出した。


「……貴様」


 キアナの眼球から、夜闇よりもなお濃いオーラのようなものが漏出ろうしゅつする。

 この世の悪意を煮詰めたような、触れるもおぞましい負の瘴気。


 ピクリと眉を動かし、わずかに構える神父。

 だが、そこまでだった。

 すぐにオーラは止まり、キアナは気を失って崩れ落ちた。

 

「……虚仮威こけおどしか? 未熟さ故か? まあいい」


 解せぬように眉をしかねつつも、神父はアラヤの胸ぐらを掴み、無理やり引き起こす。


「冥土の土産だ。何か一つ、頼みごとでもあれば聞いてやろう」


 口を開こうとした矢先、アラヤの口から大量の血塊がこぼれ落ちた。

 内臓に傷がついたのだろう。

 それでも、末期まつご喘鳴ぜんめいを漏らしながら、やっとのことでアラヤは告げる。


「……キアナさんだけは、見逃してください」


「それはできない。目撃者は生かしてはおけん」


「そうですか。なら、何も」


 全てを諦めたように目をつむるアラヤに、神父は厳かに言った。


「己を殺す者の名くらいは聞いておきたいだろう。我が名は――――」


「それは遠慮しておきます」


 神父の名乗りを遮り、アラヤははっきりと口にした。

 そして、今度は神父の口元から鮮血が溢れ出した。


「なっ……!?」


「まだ死ぬつもりはありませんので、またの機会にお伺いしますね」


 地に片膝をつき、うめく神父。

 その胸を、金色の宝槍の穂先が貫いていた。

 神父の背後。

 虚空から召喚されたアラヤの槍が、死角からの奇襲を敢行したのだ。


「手元か地面からしか槍は出せない……と聞いていたのかもしれませんが、そんなことはありませんよ。具体的な範囲までは、お教えできませんが」


 何事もなかったかのように告げるアラヤ。

 その身体に刺さっていた武器がひとりでに抜け落ち、やかましい音を上げて地面に落ちた。

 傷口からの出血も、もうほとんど止まっている。

 治癒魔法。

 身体機能を強化し、損傷部位の自己修復を加速させる魔法の一種である。 

 ただし、発動に多大な魔力を必要とするため、自分を対象として発動する場合、よほどの重傷でなければ、コストパフォーマンス的に使う意義は薄い。


 だが、瀕死の状態では多大な魔力の消耗に耐えられない。

 習得の困難さも相まって、前線に立つ人間が身につけるのは、割りに合わないとされている魔法だ。

 苦しみに喘ぎながら、神父は呪詛を吐くように独白する。 


「高精度の召喚術、卓越した技量、致命の傷をも癒やす治癒! 『聖者』にも比肩する異才を備えておきながら、おまけに美姫びきのごとき端麗な容姿の持ち主ときた! 反吐へどが出るとは、まさに今の我が胸中きょうちゅうを表現するための語彙ごいなのだろうよ……!」


「これだけ騒ぐと、夜警団の方たちが来てしまうかもしれません。言いたいことがあれば早めにお願いします」


「言いたいこと……か。なるほど、ならば言わせてもらおう」


 そのとき、神父の視線がアラヤの後ろ――アパルトメントの屋根の辺りを見た。

 瞬間、アラヤは飛び退る。

 彼が立っていた場所に何本もの白い杭のようなものが突き立った。

 大きさは人間の腕と同程度。頑丈な石畳に、二十センチ以上めり込む凄まじい破壊力だ。

 否、それは杭ではなく、くぎ

 まるで、巨人をはりつけにするために開発されたような、異形の拷問具である。


「――何たる体たらくでありますか。神に選ばれし撃滅手げきめつしゅともあろうものが、失望を禁じえないのであります」


 続いて、アパルトメントの屋根から、僧服の裾を翻して一人の女が飛び降りてきた。

 年齢は二十代前半。

 黒いヴェールを被った銀色の髪。

 目尻の吊り上がった猫のような目。


 右手には、先ほど放たれたものと思しき白い釘が握られている。

 自身より二回りは大柄な神父を軽々と小脇に抱え、女は一跳びでまた屋根の上へ。


「アラヤ少年! 我が名はブルート・フォン・ゼッケンドルフ! いずれまた相見えることだろう! そのときを楽しみにしているぞ!」


「私はあまり楽しみではありませんが……ああ、もう聞こえていないですね、あの距離では」


 朗々たる宣言をしながら、神父はあっという間に夜の闇へと消えていった。

 追いかけようとしつつも、アラヤはすぐに痛みに顔をしかめて立ち止まる。

 傷はふさがったものの、まだダメージは残っているらしい。


 一連の戦闘で、目を覚ました者がいるのだろう。

 あちこちで雨戸が開いたり、眠りを妨げられたことへの怒りの声が聞こえ始める。

 さらには、夜警団のものらしき駆け足の音までも。

 アラヤは倒れ伏しているキアナを担ぐと、足早にその場を立ち去った。


「――どうやら、厄介な人たちに目をつけられたみたいです」


 彼にしては珍しい憂鬱そうなつぶやきは、街の喧騒に溶けていった。


 ◆


「これはもう着られませんね。明日新しいものをもらいましょう」


 ズタズタの血だらけになった制服を脱ぎ、もともと着ていたボロに袖を通すアラヤ。

 互いの輪郭さえおぼろげな暗闇の中、彼だけが朗らかに話し続ける。


「思いの外、傷が浅くて助かりました。内臓まで傷ついていたら、さすがの私も一晩痛い思いをしていたかもしれませんね」


「……私に気使わなくていいから」


「キアナさん?」


 先ほど意識を取り戻したキアナは、壁にもたれて膝を抱えていた。

 脚と前髪で隠れた顔は、陰鬱に曇っていた。


「なっさけなって感じ。強くなりたいとか完全に口だけじゃん、私。アンタが傷だらけで倒れてたのに、立ち向かうどころか立つこともできなかった。魔法だっていつもあんな感じ。使おうと思っても、何か詰まってるみたいに全然形にならない。肉の盾にもなれない、土嚢どのう以下の無能って奴」


 怨嗟のごとく垂れ流されるキアナの泣き言を聞き、アラヤはばっさりと言い切った。


「その通りですね。現状をよく認識できていると思いますよ」


「…………」


 恒例の空気を読まない発言も、今回ばかりは突っ込みを入れる余地がない。

 どん底だったメンタルが、さらに落ち沈んでいくキアナ。

 だが、アラヤはそんな彼女のかたわらにそっと寄り添って座った。


「ですが、あなたには強くなりたいという意思があります。意思の力こそが、何よりも強い魔法ですから。あなたはきっと強くなれますよ。適切な努力をすればの話ですが」


 じわ、と彼女の大きな瞳に涙が浮かぶ。

 沈みきっていた心に、温かいものが広がっていった。


「……相変わらず一言多いんだから」


「まあ、事実なので」


「はいはい。確かにそうだよね」


 キアナはようやく立ち上がり、深呼吸を一つした。

 そのときにはもう、いつもの彼女に戻っていた。

 眉根をきっと引き締め、怒りも露わに気炎を上げる。


「あの包帯男、今度会ったら一発かましてやるんだから!」


「その意気です。私の分もお願いしますよ」


「あったりまえよ!」


 アラヤが差し出した拳に、キアナも己の拳をぶつけた。

 

 ◆


 同時刻。

 キングストン王立魔法学院は副学長室にて。


 教室一つ分にも匹敵する広大な部屋。

 壁は全て分厚い学術書や歴史書の本棚で覆われている。

 

 部屋の南端。

 黒檀の執務机につき、神経質そうに貧乏ゆすりをする初老の男が一人。

 他でもない、副学長のギュンター・テイルローブだ。

 

 夜半を過ぎていながら、明かりは手元を照らす程度のほのかなランプだけという異様な状況。

 だが、彼は仕事のために夜遅くまで居残りをしているわけではなかった。


 不意に、開け放たれた窓から入る月明かりに影が差す。

 ギュンターが振り向くと、そこには見上げるような痩身と、小柄な修道女が。

 興奮と激痛に息を荒らげながら、包帯姿の男が三日月のように目を細める。

 

「日付けが変わるまで机に向かっておられるとは。教育者の鑑ですな、ギュンター殿?」


「……貴様の軽口に付き合う気はない。それより、首尾はどうだ」


「上々……と申したいところですが……まあ上々でも良いでしょう。必要なものは手に入りました」


 ギュンターが懐から取り出し、掲げてみせた『それ』を見て、ギュンターは小さくうなずく。


「ご苦労。あとは適当に処分しておけ」


「お言葉ですがギュンター殿、せめて明日の朝まではご自分で持っておいてはいかがですかな? 万が一、例の少年が失せ物探しに役立つ類の魔法を有していた場合、今晩の出来事が全て無駄になりますぞ」


「ならば貴様が持っていろ。今夜中にたねばならん用事があるのだ」


「同じことです。この傷では迎撃も叶いませんからな。その点、ギュンター殿の執務室ならば安全だ。こそ泥程度が入り込めるような、やわな防備は敷いておりませんでしょう」


「……女。ならばお前だ」


「私に命令しているのでありますか?」


 修道女の装いをした猫目の女が、瞬きもせずにギュンターを見つめる。

  

「あなたの命令を聞く義務があるのはブルート・フォン・ゼッケンドルフのみ。この私、ヘルムート・ケテルブルクは、ゼッケンドルフの監督役以外の務めを請け負うつもりはないのであります」


 淡々と抑揚のない声で言う女。

 木で鼻をくくったような返答だったが、ギュンターはそれ以上は食い下がることはなく、不愉快そうにしかめ面をするだけだった。

 ゼッケンドルフから受け取ったそれ﹅﹅を、執務机の引き出しに放り込み、厳重に施錠するギュンター。

 

「……ご苦労。もう行っていいぞ」


 そっけなく顎で外を指し示すギュンターだが、ゼッケンドルフは動かない。

 未だ出血の止まらない胸を抑えながらも、血走った目を爛々と輝かせながら饒舌に喋り始めた。


「あのアラヤという少年は何だ? 神童などという言葉で片付けられるものではない。そこらにのさばるごみのような糞餓鬼とは桁違いだ。どこのどいつだ? 天は二物を与えずなどとほざいた輩は。三つも四つも持っている奴がふらふらほっつき歩いているではないか!」


「……そこの小娘、とっととこの死にぞこないの狂人を連れて帰れ。目障りだ」


「それに関しては同意であります」


 抑揚のない声でつぶやく女。

 だが、最後に彼女はギュンターにこう尋ねた。


「アラヤ・ベルマンと共にいた女は何者でありますか?」


「……ああ、キアナ・エルマンのことか。ただの掃いて捨てるほどいる無才の平民だ。あれがどうした?」


「出自は?」


「知らん。興味もない」


「ではこちらで調べさせていただくであります。単に黒髪黒目というだけならまだしも、アラヤ・ベルマンのような規格外が目をかけている以上、捨ておくわけにはいかないのであります。場合によっては――外科手術的処置﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅も視野に入れるのであります」


 女は表情一つ変えずに淡々と述べる。

 まるで、買い忘れた夕飯の食材を数え上げているかのように。

 狂信とは、おのが信仰をこそ絶対の正義と信じること。

 たとえそれが、どれほど傲慢で暴虐に満ちた教義であったとしても。

 ゼッケンドルフとはまた別種の狂人を前に、ギュンターは皮肉っぽく唇を歪めた。


「……ふっ。つくづく、貴様らのアカシア人嫌いには目を見張るものがあるな」


星黎せいれいの導きを否定する背教はいきょうの輩には、神の鉄槌を下さねばならないのであります。これは千年帝国レムリアに生を受けし者として、当然の義務であります」


 今度こそ女はゼッケンドルフを連れ立って帰っていった。




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