第11話『アラヤ様、読み込まれる』


「ふむふむ、なるほどなるほど……興味深いですね」


 食堂の一角で、アラヤは『大陸史Ⅰ』の教科書を読みふけっていた。

 キングストン王立魔法学院は、生徒が自分で履修する授業コマを選択する方式だ。

 

 いくつかの必修単位さえとっておけば、何を学んでも自由である。

 一番人気なのは、単位の付与基準が甘いと評判の『古代王国史』

 ペアを作って喋るだけで単位がもらえる『社交術』あたりだ。

 後者は、あわよくば異性と関係を築こうと目論む受講者(大半は男子である)も多い。


 男子人気が高いのは、実戦的な魔法について学べる『戦術的魔法学』や、外で身体を動かせる『運動教育』

 反対に女子人気が高いのは、『魔法護身術』や『宮廷作法』『魔法芸術』など。

 

 ちなみに『大陸史Ⅰ』は、『必修』『担当教官が厳しい』『授業が退屈かつ難解』の三拍子揃った『鬼門単位』だ。

 おまけに憂鬱な月曜の三限目――午後最初の授業という位置づけも相まって、学生からはかなり嫌われている。


「……貸しておいてなんだけど、それ面白い?」


「はい。知らないことを学ぶのは楽しいです」


「それ読んでそんな台詞が出てくるなら本物ね」


 あれから一時間後。

 気を取り直したキアナは、うんざりした気持ちで丸テーブルに突っ伏した。

 早めの昼食のつもりで食べ始めたパンも、全く喉を通らない。


「なんだか元気がありませんね」


「担当のヒルベルト先生、気に入らない学生をいきなり当てて質問してくるのよ」


「なるほど。キアナさんも目をつけられてしまっているわけですね」


「これも私が平民だからよ。ちゃんと課題もやってるし、居眠りも内職もしてないのに。あーあ、本当憂鬱……」


 どんよりとした目で虚空を見つめるキアナに、アラヤが尋ねた。


「これは純粋な疑問なんですが、制度として平民の入学が認められているということは、かなり先進的な学校なんですよね? なのになぜ平民の方を公然と差別する風潮があるんでしょう?」


「誰も彼もが先進的じゃないってことでしょ。平民のくせに、貴族の特権である魔法を使うなんて生意気! っていう頭の固い伝統派の連中も山ほどいるし。しきたりが変わって、自分の地位が危うくなるのが怖いのよ」


「ふむ。確か副学長のギュンター先生も伝統派でしたね。となると、改革を推し進めたのはそのさらに上の人ですか?」


「そうそう。学院長のランドルフさんが王都でも有名な革新派で、強引に平民でも入学できるよう規則を変えたせいで、いろいろこじれてるってわけ。ま、そのおかげで私は助かってるんだけど」


「ふむふむ。そういうことだったんですねー」


 聞いているのかいないのか、相槌を打ちながらアラヤはまた教科書に没頭してしまう。

 キアナは本日二度目のため息をついた。


 ◆


「では、本日の授業を開始する。教科書の二十七ページを開くように」


 一時間後。

 大教室に集まった数十名の一年生――と、ちらほら混ざっている上級生――たちは、一斉に分厚い革表紙の本をめくった。

 教壇に立っているのは、丸眼鏡をかけた中年の小男ヒルベルト教諭だ。

 陰険そうな細い目で、教室全体をじっくりと見渡す。

 そして、アラヤたちが座っているあたりにピタリと照準を合わせた。

 

「ほう、君が噂の特待生君かね。アラヤ・ベルマン君。朝は大講堂でずいぶんな大立ち回りを披露したそうじゃないか。え?」


『え、あいつこの授業とってんの?』


『そりゃ一年の必修だしな』


『どこどこ?』


 途端、学生たちが落ち着きなく辺りを見渡し始める。

 しかし、


「やかましい! 誰が喋っていいと言った!」


 ヒルベルトのキンキンした怒声で、ピタリと黙り込んだ。

 もっとも、貧相な彼に恐れをなしたわけではなく、あまり怒らせると授業から追い出されるからである。


 ちなみに、ベルマンとはエルマンとベルジュラックの掛け合わせである。

 どちらかの名字を名乗ってしまうと、関係性を突っ込まれたときに面倒なことになるためだ。

 ヒルベルトは眉間にシワを寄せ、憎々しげに言った。


「入学早々大した有名ぶりだな、ベルマン!」


「お恥ずかしい限りです、ヒルベルト先生」

 

「多少は腕が立つようだが、そんなものは私の授業では何の役にも立たん。あまりいい気になるんじゃないぞ」


「はい。肝に銘じておきます」


「ここは野蛮な軍学校ではない。学術の探求を至高とする魔法学院なのだ。分かっているんだろうな?」


「はい。先生のおっしゃるとおりです」


 ねちっこく絡んでくるヒルベルトに、アラヤは爽やかに返答する。

 幼い外見に見合わぬそつのない対応に、ヒルベルトはますます機嫌を悪くしたようだった。


「なら、私の授業に臨むにあたって、当然予習くらいはしてきたのだろうな?」


「十全とは言い切れませんが、一応は」


「ふん! 一応だと!? 嘆かわしい! そんな志の低さでは、到底この学院ではやっていけんな! おまけにキアナ・エルマンなどという平民の落ちこぼれ学生ともつるんでいるようだし!」


 最後の一言で、アラヤの片眉がわずかに動いた。

 それには気づかず、得意げに小鼻を膨らませるヒルベルト教諭。

 しかし、笑ったのは一部の勉強熱心な伝統派の学生だけだった。


 多くの学生は、噂で見聞きしたアラヤの力に興味津々だったからだ。

 ヒルベルトは腕組みをし、何とかアラヤをやりこめようと必死に考え始めた。


「アラヤ……アラヤか。そういえば、かの高名な聖者せいじゃに君と同名の者がいたな。知っているかね?」


「ええ、まあ」


 曖昧な笑みを浮かべるアラヤ。

 彼が初めて見せた狼狽ろうばいにも見える態度に、ヒルベルトはすっかりのぼせ上がった。


「ほう! ならば、聖者アラヤ出生の地と、その父親の名前は? 出産に際し、どのような苦労があったのかくらいは当然知っていると思うが」


「イスラ王国のスーリヤ大王宮。父の名はダルマ。産婆はメジーナとシャリアとラマティ。クシャの月の深夜に産気づき、夜明けまでかかった大変な難産でした。ちなみに逆子だったそうです」


 立て板に水を流すかのように、アラヤはすらすらと言ってのける。

 しばらくの間、口を半開きにして固まっていたヒルベルト教諭。

 やがて、ぎこちない所作でうなずいた。

 

「え……あ……ふ、ふん。それなりに調べてきているようじゃないか」


「恐縮です」


 揚げ足もとれなかった気まずさを払拭するためだろう。

 ヒルベルトは大きく咳払いをし、つばを飛ばしながらまくし立てた。


「で、ではそんな博識な君に訊ねたいことがある。聖者アラヤは十五歳にしてイスラ王国の国王に即位し、およそ二十年の間王の座についていたわけだが、最後は民からの信頼を失い、王宮を去ったとされている。その理由として推察されるものは?」


(十四歳で王様? いや、それより……)


 誰からも愛されるような性格のアラヤが、国民によって玉座を追われたという事実に、キアナは少なからず衝撃を受けた。

 一体、彼の過去に何があったというのだろう。

 ごく一瞬、数千年の昔に思いを馳せたかのように、アラヤの目が悲痛にかげる。

 だが、すぐにアラヤは口を開いた。


「……を疎ましく思った、当時の宰相さいしょうタクシャによる陰謀という説が有望とされています。国庫を圧迫する原因となった、幾度いくたびもの戦争も、このタクシャが裏で手を引き、開戦せざるを得ない状況を作り上げたことで勃発したと」


 それが正しいかどうかは、他ならぬヒルベルト教諭の表情が証明していた。


「な……なぜ分かった?」


「この教科書の四百五十五ページの『雑学』という欄に書いてありますよ」


 キアナは鳥肌が立つ思いだった。

 この少年は、わずか一時間で、この分厚い教科書を隅から隅まで丸暗記したとでも言うのだろうか。

 他の学生たちも、慌てて教科書をめくり、該当箇所を探し始めた。


『うわ、本当に書いてあるよ……』


『すげえ、こんな教科書真面目に読む奴いたのか』


 驚愕と称賛の入り混じった声に紛れ、ヒルベルト教諭はぼそりと告げた。


「…………もういい。座れ」


「了解しました」


 席につくアラヤに、キアナはひそひそ声で話しかけた。


「やるじゃない。あのハゲメガネに一泡吹かせるなんて。私まで胸がすっとしたわ」


「……いや、そんなつもりはなかったですけどね」


「でも、これでアンタも要注意人物入りね」


「うーん、そうでもないと思いますけどね」


「どういうこと?」


 首をかしげるキアナに、アラヤは『大陸史Ⅰ』の表紙をつついてみせた。


「これの著者、ヒルベルト先生なんですよ」


「……なるほどね」


 いつもとは違い、学生たちに背を向けて板書を始めるヒルベルト教諭。

 これ以降『大陸史Ⅰ』は、必修単位の中でも屈指の人気授業として名を馳せることになるのだが、それはまた別のお話。

 授業終了後、キアナはアラヤに尋ねてみた。

 

「ねえ。さっきの話なんだけどさ、アンタ王様だったって本当?」


 すると、アラヤは苦笑いしながら答える。


「ええ。それは事実です。教科書にあった通り、お世辞にも民に愛された王ではありませんでしたけどね。まったくお恥ずかしい限りです」


「でも、二十年も続いたんだからすごいじゃない。それに、王宮を追放されたのだって、ナントカって宰相が仕組んだせいでしょ?」


「いえ、あれは全て私の責任です。戦乱を招いたのも、民を苦しめたのも、全ては私の至らなさが招いたことにほかなりません」


 笑みを消し、アラヤはきっぱりと言い切った。

 有無を言わせぬその剣幕に、キアナは二の句が継げなくなってしまう。

 すぐに、触れてはいけないものに触れてしまったのだと気がついた。


「……ごめん。聞かなければよかった」


「お気になさらず。さあ、次の授業が始まってしまいますよ。急ぎましょう」


 普段の笑顔に戻るアラヤ。

 しかしそれは、もうこの話は終わりだということでもあった。


 

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