第10話『アラヤ様、驚かれる』


「その盾、形状も自由自在というわけか。最初からそれを使っていればよかったじゃないか」


「むやみに手の内を見せたくはありませんから」


「だが結局見せてくれたわけだ。認めてくれている、と思い上がってもいいのかな?」


「ご想像にお任せします」


「ふ、つれないな……」  


 舞台を去ろうとしたローレンを、オフィリアが必死に呼び止める。


「お、お待ちなさい! まだ勝負は……」


「ああ、君の勝ちでいいよ、ミス・ベルジュラック。僕の魔法では、君の弟君の盾は破れない。……今のところはね」


 追いすがるオフィリアには目もくれない。

 あっさりと言ってのけたローレンは、振り返ることなく講堂を後にする。

 すでに、魔法戦の勝敗はもとより、オフィリアのことなどまったく興味がないようだった。

 

「おいおいおい! 何だよ今の戦い!」


「教師対抗戦でもあんなの見れないぞ!?」


「アラヤの使ってた盾! あれ概念武装がいねんぶそうって奴だよな!?」


「あんなの初めて見た……」


「絶対、本気を出したらローレン様の方が強いはずよ!」


「でも、アラヤ君の盾は破れないって言ってたし……」


「今はって言ってたでしょ? きっと何か秘策があるのよ!」


 目の前で繰り広げられた超学生級の魔法戦に、観客たちは大興奮だった。

 すぐに親しい者たちで額を突き合わせ、熱い議論や感想を交わし始める。


「な、なあ! 今の盾、どんなイメージで作ったんだ!?」


「あの槍、手元じゃなくて地面から出してたよな!? どういうことなんだ!?」


「アラヤ君! 質問があります、あなたの魔法の師匠はどちらにお住まいですか!? それとも独学ですか!?」


「わ、ちょっと皆さん落ち着いてくださいって」


 前列の観客たちは舞台へ這い上がり、立役者のアラヤの元へと詰めかけていた。

 あっという間に十数人の人だかりに囲まれるアラヤ。

 人混みに押しのけられ、オフィリアはあっという間に舞台端まで追いやられてしまう。


「……ふふ、私など誰もお呼びではないようですわね」


 自嘲げにつぶやき、オフィリアは上手かみて方向へはけていく。

 すれ違いざまに、慰めの言葉をかけようとしたキアナだったが、


「見ないでくださいっ……」


「オフィリアさん……」


 舞台の上では堪えていたのだろう。

 オフィリアは肩を震わせながら、大粒の涙をこぼしていた。

 結局、キアナは何も言葉をかけることができなかった。


 数分後。

 ようやく人だかりから解放されたアラヤは、辺りを見渡しながら尋ねた。


「キアナさん、オフィリアがどちらに行かれたか分かりますか?」


「んー、まあ大体」


「よかった。ではすぐに行きましょう。きっと傷ついてしまっているはずですから」


 心配そうに眉根を寄せるアラヤ。

 そんな彼が、キアナはなぜだか誇らしかった。


 ◆


 薄暗い裏庭の一角。

 いつぞやの御堂の前に、オフィリアは膝を抱えて座り込んでいた。


「昨日とは立場が逆になったわね、オフィリアさん」


「……わざわざ傷口に塩でも塗りに来ましたの?」


 顔も上げずに返事をするオフィリア。

 こころなしか、自慢の縦ロールも萎んで見える。

 ぶん殴ってやりたいと思うほどには憎んでいた相手だった。

 キアナが嫌う、貴族という概念を象徴したような立ち居振る舞い。

 それでいて、普段は取り巻きを使ってこちらを攻撃し、気まぐれに諌めてみせることで自らの格を上げようとする意地汚さ。


 だが、プライドの塊のような彼女が、つい先ほど受けた仕打ちを思うと、とても追い打ちをかける気にはなれなかった。

 散々大見得を切っておいて、公衆の面前で無様に大敗。

 後ろ盾になっていたはずのアラヤに危機を救われ、お情けのように形だけの勝利を与えられる。

 挙げ句の果てに、観客からは自分など最初からいなかったかのように扱われたのだ。

 キアナが頭の中で練っていた復讐計画を全てひっくるめても、ここまで無残な有り様にはならないだろう。

 キアナは肩をすくめて言った。


「まさか。私、あなたと同類になんかなりたくないし。アラヤがあなたのこと心配してたから案内しただけ」


「アラヤさんが……?」


 アラヤの名に反応したオフィリアの顔は、それはそれはひどい有り様だった。

 涙と鼻水、それらを乱暴にハンカチで拭ったせいで、メイクが半端に落ちてしまっている。

 

「……とんだ無様を晒してしまいましたわ。私、これからどんな顔をして学院を歩いたらいいのかしら」


「まあ、その顔では歩かない方がいいかもしれませんね」


「……それは皮肉ですの?」


「すいません、冗談のつもりだったんですが……」


「……貴方にも苦手なことがありますのね」


 キアナに小突かれ、肩をすぼめるアラヤ。

 少し元気が出たのか、オフィリアは弱々しく笑った。


「オフィリアさん、先ほどの魔法戦の件についてなんですが」


「何ですの? 勝手に助けに入ってしまって申し訳ない、とでも? やめてくださいまし、余計に惨めになるだけですわ」


「いえ、そのことではなくてですね」


 違うのかよ、とキアナは密かに突っ込みを入れていた。

 オフィリアも同じ気持ちだったのか、怪訝けげんな面持ちで首を傾げている。


「……なら何です?」


「『火炎の嚆矢』でしたっけ? 発動速度も弾速も申し分ないのですが、恐らく強者には通用しないと思うので、それをお伝えしようと思って」


「……貴方に言われては、返す言葉もありませんわ」


 まさかのダメ出しだった。

 苛立たしげに爪先で地面を叩くオフィリアに、アラヤはつらつらと改善点を挙げていく。


「体内の魔力の練り方が分かりやすすぎるんです。『これからこのくらいの規模の火炎魔法を使います』と教えているようなものなんですよ。それから、いくら得意技だからといって、毎回初手しょてに同じ魔法を使っていては読まれてしまうのも当然かと。それから……」


「ちょ、ちょっとお待ちになって! 魔力の練り方が分かるって、どういうことですの!?」


「ああ。これは鍛錬次第で誰でもできます。学院では教えていないんですか? ……そういえば、まだ入って二ヶ月でしたね。なら知らなくても不思議ではないかもしれません」


 合点がいったとばかり、一人でうなずいているアラヤ。

 キアナは物を言う気にもなれなかった。


 アラヤが言っているのは『筋肉の動きを見ていれば次に相手が何をしてくるか分かる』というレベルの話。

 オフィリアとて、十秒も二十秒もかけて魔力を練っているわけではない。

 使い慣れた魔法なら、ものの二秒とかかっていないはず。

 それを見ただけで看破できるとは。

 オフィリアも同感なのか、柳眉をいからせてアラヤに詰め寄った。


「そんなこと、教えられてできる人間なんているはずありませんわ! 壺に入っている水の量を、中を覗かずに当てろと言っているようなものです!」


「え? そうなんですか。なら今のは聞かなかったことにしてください。私の早とちりです」


「そ、そこまで言っておいてそれはなしですわ! ぜひともその技、私にも教えてくださいまし!」


「うーん……困りましたね。二人も同時に弟子をとって教えるなんて、自信がありませんし」


 その言葉を聞き逃さなかったオフィリアは、目を爛々と輝かせた。


「でしたら、私には家庭教師としてついていただければ結構ですわ! 週に二回……いえ、一回でも十分です。これならアラヤさんの負担にはならないでしょう?」


「おお、それなら大丈夫そうです! ……でも」


 ちらりとアラヤはキアナの顔色を伺う。

 キアナは必要以上にムキになって言った。


「はあ? 別に私に許可なんかとらなくていいでしょ。教えるのはアンタなんだから」


「その通りですわ! キアナさん、貴女もたまには良いことをおっしゃるのね」


「光栄ですわオフィリアさん。あなたもたまには良いことをおっしゃってはいかが?」


 皮肉たっぷりにキアナは言ったが、オフィリアには全く通じていなかった。


「私は常に己にとって最善の選択をする女ですわ! あ、もちろんお給金の方はたっぷり弾ませていただきますから。もし足りなければいつでもおっしゃってくださいな」


「いえいえ、食べていけるだけで構いませんよ。お家はキアナさんのお部屋を間借りさせてもらってますし」


「まあ、なんて謙虚なんでしょう……! こんな素晴らしい殿方を、小汚いアパルトメントに押し込めておくなんて、国の損失ですわ! ぜひとも私の邸宅へ……!」


「ちょっと、オフィリアさん? その件についてはもう片がついたと思うんですけど?」


「ま。細かいことを気にされる方ですのね。小じわが増えますわよ?」


「まだそんな歳じゃないっつーの!」


「おほほ、それでは私このへんで失礼させていただきます。リーシアとアニェーゼに元気な顔を見せてあげないと……あ、それと」


 オフィリアはやおらアラヤの手をとり、軽く口づけをした。

 そして、少しかがむと、情熱的な眼差しでアラヤを正面から見つめる。

 まるでプロポーズでもするかのような雰囲気に、なぜかかたわらのキアナが顔を赤くした。


「……な、何してんの?」


「これだけはお伝えしておかないといけないと思っただけですわ。――アラヤさん。先ほどは助けていただいてありがとうございました。あの武神のごとき鮮やかな立ち回り、それでいて、決しておごることのない謙虚な心。ええ、恥を捨てて正直に申し上げます。私、貴方にときめいて﹅﹅﹅﹅﹅しまいました」


「とっ――!!」


 遠回しに受け取っても、相当に直球な親愛表現に、素っ頓狂とんきょうな声を上げるキアナ。

 しかし、当のアラヤは動じる気配もない。

 いつものように、にこっと笑った。


「ありがとうございます。オフィリアさんのような魅力的な女性にそう言っていただけるなんて、光栄です」

 

「うふふ。お上手ですのね」


「そんなことありませんよ」


 和やかな雰囲気で笑い合う二人。

 目の前にいるのに、置いていかれたような気持ちになり、キアナは密かに焦りをつのらせた。


(な、何この手慣れた感じ。もしかしてこいつ、結構そういう﹅﹅﹅﹅経験あったりして……いやでも一応教祖だったんでしょ? そんなことしないよね……?)


 キアナの脳裏に、いかがわしい映像が浮かび上がる。

 玉座に座り、絢爛豪華な衣装を身に纏うアラヤ(大人バージョン)。

 そして、筋骨隆々な彼の肉体に縋りつく、名も知れぬエキゾチックな美女たち。

 夜な夜な寝室に呼ばれた女性たちは、嬉々としてアラヤに身を委ね、めくるめく快楽のるつぼへ……。


「キアナさん、キアナさん?」


 完全に妄想の世界に浸っていたキアナは、アラヤの声で我に返った。 

 慌ててぽかんと空いていた口元を袖で拭い、それから何気ない仕草で周囲を見渡す。


「……オフィリアさんは?」


「もう行ってしまいましたよ」


「あ、そう。ふうん……」


 キアナは横目でちらっとアラヤを見やる。


「……な、なんて返事したの?」


「え? 何がですか?」


「だ、だから、オフィリアさんに告白されてたでしょ? それになんて返事したのかってこと」


 すると、アラヤはきょとんとして目をしばたかせた。


「告白? ただの社交辞令だと思ったのですが。もしかして違っていたのでしょうか?」


 そのすっとぼけた態度への苛立ちと、勘違いして盛り上がっていたことへの恥じらい。

 この二つがぐちゃぐちゃになって混ざり合い、キアナの感情をオーバーフローさせた。


「…………知らない!」


 耳まで真っ赤になったキアナは、一声発すると脱兎のごとくその場から走り去った。

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