第2話『アラヤ様、戦われる』


「アラヤさんとやら、魔法戦マギアのルールはご存知ですこと? ……というか、杖は持っていらして?」


 互いに五メートルほどの距離を置いて向かい合うアラヤとオフィリア。

 審判役として、キアナとリーシアが、二人の中間から少し離れたところに立っている。

 オフィリアの問いかけに、アラヤはあっけらかんと答えた。


「いえ、まったく。ですので、ご教示のほどお願いします。杖はこれです」


(……大丈夫なのか、この子)


 アラヤが右手につまんでいるのは、どう見てもそのへんで拾った木の枝だった。

 キアナは内心気が気でなかった

 どこの誰なのかまるで分からないが、自信だけは一丁前のようだ。


 それだけに、負けたときのことを思うと、今から胃が痛くなる。

 見ず知らずの人間に、自分の不始末の尻拭いをさせるのは、なんとも後ろめたい思いだった。

 そんなアラヤに、オフィリアは呆れたように肩をすくめる。


「……はあ、では説明いたします。要は魔法のみを用いた決闘のことですわ。ただし、魔法は三度までしか許されません。それ以上長引くようでしたら引き分けになります」


「なるほど。勝利条件は?」


「いろいろありますが、相手の杖だけを取り上げ、本人に返して差し上げる『返礼レディ』が、もっとも優雅な勝ち方とされていますわ。まあ、さすがのわたくしでも、実戦でこれが成功したのは片手に余る程度ですが……」


「そんな! 一度でも成功するだけでもすごすぎます! 魔法戦の最中は、誰しも杖を奪われることをもっとも警戒していますから、普通は絶対できないんですよ!?」


「さっすがオフィリア様! 素敵! 天才!」


「おーっほっほっほ! もっと褒めなさい、本当はかなりすごいんですのよ、これ!」


 目の前で繰り広げられる茶番を、冷ややかな目で見るキアナ。

 こんな馬鹿丸出しの女なのに、一年生の中では屈指の実力を持つのだから、世の中分からない。


 入学直後に行われた新入生歓迎パーティにて、オフィリアにダンスを申し込んだ男はざっと二十人。

 もちろん、二十人全員と踊るわけにはいかないため、彼女はこんな条件をつけたのだ。


『私のドレスを、ほんのわずかでも揺らすことのできる殿方がいらっしゃったら、その方にパートナーを務めていただきたく存じますわ』


 オフィリアが当日着ていたドレスは、向こう側が透けて見えるような薄絹うすぎぬを、何枚も重ね合わせて仕立てたドレス|(もちろん赤)だった。

 そんな条件、早い者勝ちも同然と、意気揚々と挑みかかってきた男たち。

 一時間後、全員ズボンのベルトを焼き切られ、彼らは手でズボンを支えながら残り時間を過ごすことになった。

 

(……いや、全員・・じゃなかったか)


 とにかく、多少腕に覚えがあるくらいでは、彼女には到底太刀打ちできない。

 魔法に関しては、男女の性差など微々たるもの。

 男だからといって、有利になるような甘い勝負ではないのだ。


「どうですの? 先ほどはつい熱くなってしまいましたが、今ならまだ這いつくばって謝れば、この魔法戦はなかったことにしてあげてもよろしくってよ?」


「いえ、お気遣いなく。私も男の端くれですから、一度言ったことは曲げませんよ」


「あらあら。では、その覚悟に免じてハンデをつけて差し上げましょう。私の勝利条件は『返礼』のみに限定します。それ以外の方法では、一切勝利を宣言することはありませんわ」


「キャー! 出ましたオフィリア様の『宣告ダムネーション』! 自らに枷をはめることで、敗北した相手に与える屈辱を何倍にも高める高等テクニックッッ!!」


「かっこいいー! オフィリア様最高ー!」


 圧倒的優位を自覚しているからこその余裕。

 おのが勝利を疑わない傲慢なる少女へ、聖者はあっさりと言った。


「あ、そうですか。じゃあ、私もそれで」


 ピキ、と高笑いしていたオフィリアの顔が凍りついた。


「……い、今なんとおっしゃいましたの?」


「私も、オフィリアさんと同じく『れでぃ』? で勝つことにします。これなら対等ですよね」


「ふ、ふふっふふふ……お、面白いお子様ですわね……まったく、揺さぶりをかけるのがお上手ですこと……どこで教わったのかしら、そのような姑息な技……」


 かろうじて威厳を保とうとしているオフィリアに、アラヤが止めの一言を放った。


「だって、後からハンデがなければ勝っていたとか、そんな物言いをつけられても困りますし」


「リーシアッッ!! 早く開始を宣言なさい、今すぐにッッッ!!!」


「は、はい! では、アラヤとオフィリア・シルヴィ・ド・ベルジュラック様のご両人! このリーシア・ド・フォンタナとキアナ……「キアナ・エルマン」……が、この魔法戦の決着を見届けます! 

 いかな形であろうとも、私たちの判定を受け入れると誓いますか!?」


「「誓います!」」


「では、始め!」


 リーシアの右手が高く掲げられ、そして振り下ろされる。

 直後、オフィリアの杖が閃いた。


「『火炎の嚆矢イグニス・アロー』!」


 ボッ! と空気を切り裂いて、炎の球が駆ける。

 サイズこそ拳大ながら、当たればただでは済まない威力だ。


「あっ――」


 危ない、と警告を発する間もなく、炎はアラヤへと襲いかかった。

 炸裂。

 数メートルは距離をとっていたキアナたちが、とっさにスカートを抑えるほどの爆風が裏庭を席巻する。

 

 何とか片目を開けたキアナの視界に、くるくると宙を舞う杖が移った。

 土煙でよく見えないが、地面に落ちた音は聞こえなかった。

 

「さ、さすがですオフィリア様! 宣言通り『返礼』で勝利してしまうだなんて!」


 今頃、あの少年は見るも無残な顔で、地面にうずくまっていることだろう。

 これも全て、自分の責任だ。

 苛立ち紛れに、キアナはリーシアに食って掛かった。


「大人げないと思わないの!? 貴族が平民相手に本気を出すだなんて! あの子は自分の杖も持っていなかったじゃない!」


「何を言っているの? 自分から魔法戦を仕掛けておいて、いざとなったら手加減してくださいなんて、恥知らずという言葉をご存知でないのですか? 貴族なら誰でも、五歳のときには教えられていますけどね」


 勝ち誇った様子のリーシア。

 キアナは奥歯を噛み締め、急いでアラヤのもとへ駆け寄った。


「大丈夫!? すぐ医務室に連れて行ってあげるから……!」


「――いえ、どこにも怪我はしていませんから。ご心配ありがとうございます」


 土埃の向こうから、至って健康そうなアラヤの声がした。

 倒れ伏すどころか、自分の足でしっかり立っているようだ。

 状況が理解できず、キアナは目を白黒させる。


「え? でも、さっき……」


「あの炎なら、これで防ぎました。思ったより威力があって、びっくりです」


 土埃が晴れる。

 そこでキアナが目にしたのは、アラヤの周囲を取り囲む、金色の宝槍の群れ。

 地面から伸びたそれらが盾となり、彼を炎の矢から守ったのだ。

 そして、その左手には、瀟洒な造りの杖が一本握られていた。

 

「そんな……ありえませんわ、このようなこと……あってはならないことですわ……」


 茫然自失となり、膝から崩れ落ちるオフィリア。

 彼女の手に、自慢の杖は影も形もない。

 代わりに、足元からアラヤが召喚したと思しき槍が生えていた。

 恐らく、あれが彼女の杖を弾き飛ばしたのだろう。


「い、一体何をしたの……?」


「説明するほどのことではありませんよ。オフィリアさんの攻撃を槍で防ぎ、彼女の杖を槍で弾き飛ばしただけです。あ、これ返さなくちゃいけないんでしたっけ」


 簡単に言ってくれる、とキアナは思う。

 魔法とは、イメージによって魔力の質と形を変化させる技法のこと。


 槍のように精巧なものを構成するには、並々ならぬ集中力が必要だ。

 さらに、それを複数本同時に、一瞬で。


 実力で言うなら、王立魔法研究院の顧問クラスに匹敵するだろう。

 一体、このアラヤなる少年は何者なのか。


「はい、オフィリアさん。この杖、とても良い素材を使っていますね。柄の細工も上品で私好みです。大事にしてあげてください」


「あ……こ、この私が……あんな……お子様に……」


 ぶつぶつとうわ言をつぶやくオフィリア。

 もはや目の焦点さえ合っていない。


 衝撃のあまり、我を忘れているようだ。

 そんな彼女を気の毒に思ったのか、アラヤは慌てたように言った。


「ああ、そんなに気を落とさないでください! 貴女の言霊術げんれいじゅつ……『まほう』は素晴らしいものです! きっと、あと十年も修行すれば、私くらい簡単に追い抜いてしまえますよ!」


 心根の素直な人間が聞けば、単なる激励と受け止めるだろう。

 だが、幼い頃から社交界で揉まれてきたオフィリアには、アラヤの発言はこう聞こえてしまったのだ。


『あの程度の魔法で私に挑むなんて十年早いですよ(笑)』


「こ、こんな屈辱は初めてですわあああ――!!」


「「オフィリア様――!?」」


 とうとう理性のタガが外れたのか、奇声を発しながら走り去っていくオフィリア。

 取り巻き二人も、慌てて彼女の後を追う。

 と、リーシアがアラヤの方を振り向き、きっと彼を睨みつけた。


「こ、こんなの 何かの間違いですっ! オフィリア様が、男なんかに負けるはずないんですからっ!」


 どう聞いても単なる負け惜しみだったのだが、何を勘違いしたのか。

 アラヤは好戦的に笑い、きりっとした目で告げた。


「はい。いつでも挑戦お待ちしております」

 

「ど、どこまでもバカにして――! 覚えてらっしゃい!」


 絵に描いたような捨て台詞を残して、リーシアは改めて去っていった。

 

『お、おいマジかよ。ベルジュラックがあんなガキに負けちまったぞ』


『何者だよ、あいつ。エルマンの知り合いか?』


『いや、俺も途中からしか見てなかったから……』


『つか、あいつうちの生徒じゃないよな? 制服着てないし』


 はっとしてキアナが頭上を見上げると、校舎の窓にはギャラリーの姿がちらほらと。

 どうやら、一連の流れは見られていたらしい。

 そして、


「おい、そこのガキ! どこからここに入った!?」


「うわ、やば……!」


 見物人の誰かが通報したのだろう。

 植え込みをかき分けて、警備員の男たちがどやどやと迫ってきた。

 貴族も通っている学院なだけあって、そのあたりはかなり厳しいはず。


 捕まったが最後、相当面倒な目に遭うに違いない。

 場合によっては、不審人物として兵士に突き出されたりして。


「あ、あの! この子、私の親戚なんです! 昨日家に泊まりに来たんですけど、どうしても学院を見てみたいって聞かなくて!」


「何? 本当か?」


「困るなあ。だったらちゃんと見学依頼出してもらわないと」


「すいません、田舎者でして……私からよくよく言い聞かせますから、今日のところは何卒……」


 営業スマイルと一オクターブ高めの声を駆使し、何とか警備員たちを帰らせることに成功した。

 どっと疲れが出たキアナはため息をつく。

 もう、昼休みは五分もない。結局昼食は食べそこねてしまった。

 申し訳なさそうに、肩をすぼめるアラヤ。


「すいません、ご迷惑おかけしてしまって」


「……いいよ別に。あの縦ロールやっつけてくれたし」


「でも……」


「いいって言ってるでしょ」


「正直、キアナさんのお手をわずらわせるまでもなかったのではないかと……」


「どういうこと?」


「多分、逃げようと思えば逃げられたので」


「…………」


 もう一度、警備員を呼び戻そうかと思ったキアナだった。

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