第48話 なぜか学園一の天使に、俺はストーカーされてる!

 生きるっていうことは、つまり選択の連続なわけで、片方を選べば片方はなくなる。


 当たり前でしかないこの事実が、ものによっては非常に辛く、切ない決断になり得ることをこの時まで俺は知らなかった。


 これから話すのはただの結果報告だ。ありふれた男が二人の女子に想いを寄せられ、そしてどう決断したのか。正しかったのか、それとも間違っていたのか。まずは一日の始まりから話すことにしよう。



 九月もあと少しで中旬になろうとしていた。昨日天使や悪魔といろいろあり、実はほとんど睡眠を取ることができなかった。だってパニックだったんだ。何で俺がこんなにモテてしまっているのか理解に苦しむし、相手は学園カーストトップの天使海原春華と、美人生徒会長であり悪魔、真栄城夏希だ。


 あり得ない状況に困惑しつつも、朝のHRを終えて淡々と授業をこなしていく。春華からも夏希からもメッセージはこない。今も心の中で、俺という個人がどちらに傾くべきかを悩んでいるような気がする。メトロノームみたいに揺れる気持ちは、時間を追うごとに加速していくようだった。


 昼休みにまたクラスのイケメンがやって来るのかと思えばそんなこともなく、リア充グループの代表である春華はいつも通りに廊下でキャッキャしている姿を見せていた。


 そして普通に放課後になり、俺は帰ろうと一人昇降口に向かう。本当は部活の日だったが、今日は何も考えず家に帰りたかった。何気なく下駄箱を開いた時、普段とは違う何かが目にとまる。


「あれ? これって……」


 靴の側に、どういうわけか手紙のようなものが置いてあったのだ。それも二通も。昔の漫画とかで読んだことがあったんだけど、もしかしてこれって。唐突かつ強烈な予感を感じた俺は、二通の手紙を取るとそそくさと鞄に入れ、すぐに教室側へ歩き始める。早足で階段を上がり、いつの間にか三階の図書室に入っていた。


 伝統文化研究部の部室には予想どおり誰もいない。麗音もまだ来ないだろう。何処にいても生徒がいる学園内で、俺が唯一落ち着ける場所はここだけだ。だからわざわざやってきたのだ。気持ちを沈めつつ、とにかく一枚目の手紙を開いてみる。まん丸とした可愛らしい字で、こう書いてあった。


『もし良かったら、今日の放課後に屋上に来てください。ずっと待っています。 海原春華』


 まさかとは思っていたが、やはりこれはラブレターじゃないのか? 心臓の鼓動と汗が止まらなくなりそうだった。しかし手紙はもう一通入っている。俺はそちらも開いてみることにした。


『今日の放課後、あなたのバイト先のカフェで待ってるわ。答えを聞かせて。 真栄城夏希』


 間違いない。天使と悪魔のラブレターだ。何で全く同じタイミングになってしまうのか不思議でしょうがないが、きっとそんな展開に誘導してしまったのは俺自身の鈍感さだったんだろう。


 指定してきた日時も二人同じく、今日の放課後。つまり今だ。春華も夏希も、もう既に待っているのかもしれない。じゃあ俺はどっちに行けばいい?


 昨日から悩み続けてきた問いに答えなくてはいけない。俺は自分を落ち着かせようと何度も深呼吸をした。そして思いだす。この数ヶ月間を、今までの人生では想像もできないくらい、本当は楽しかった毎日を。


 心の中に麗音やクラスメイト、筋トレ配信者のモーガンやいろんな人間が現れては消える。天使や悪魔が何度もその魅力的な姿を見せてくる。そして解ってきた。本当はちゃんと答えが出ているじゃないか。解っているはずじゃないか、そう誰かに言われてるような気さえする。


 ふと、時計の針がいつもより残酷であることに気づく。過ぎ去る時間に焦り、俺は立ち上がった。そして我を忘れて駆け出していった。するべき行動は一つしかないと、そう思っていたんだ。




「随分と遅かったんじゃない? まあ、待たされることは嫌いじゃないのだけれど」


 バイト先のカフェで窓際席に座っている学園の悪魔、真栄城夏希は紅茶を飲みながら微笑を浮かべた。生徒会室の時と同じように、隣に座ることを指定される。マスターはバイトである俺がプライベートで店に来たにも関わらず、むしろ歓迎するくらいの勢いで迎え入れてくれた。そして小さくこう囁いてくる。


「とうとうこの時がきたな。グッドラック」


 うるさいですよと言いたかったがやめた。マスターはそそくさと店の奥に引っ込んでしまい、まるでここには俺と彼女しかいないみたいに感じられる。緊張で少し指先が震えた。女の子とこんなに親密な状況になるなんて、少し前なら想像もできなかったことだ。人生においてないかもしれないと予感していた、縁遠い願望の一つだった。


「喋らないのね。ずっと」


「あ、すまん。ちょっといろいろ……考えててさ」


「そう。あたしの気持ちはもう、充分に伝えたはずだわ。今度はあなたの気持ちを伝えてもらう番よ」


 そうだ。もう夏希からははっきりと伝えてもらっている。だが彼女はもう、言わなくても解っているかのような、暖かい微笑をこちらに送ってくる。


「実はね。あたしが手紙を入れようとあなたの下駄箱を開けた時、既に一通入っていたの。誰の手紙かは直ぐに理解したわ」


「俺には正直信じられない」


「うふふ。あなたはもう少し、自分に自信を持ったほうがいいわよ。あたしを選んだってことでいいのよね?」


 知り合って少ししか経っていないが、ここまで幸せそうな彼女の笑顔を見たのは初めてだった。言わなくてはいけない。それなのに俺は、どうしても言葉が出ない。


「もう! 黙らないでよ」


「ああ。悪い」


 少しばかり子供みたいに拗ねて、プイっと顔を窓の景色に向けたと思ったら、彼女はすぐにこちらに向き直した。しかも、体ごと。


「言いにくいなら、これで答えて……」


 突然甘くささやいた夏希の体が前のめりになり、その白くて美しい顔を近づけてくる。見れば見るほど男を夢中にさせてしまうような瞳は静かに閉じられ、何を求めているのかは俺にも解った。夏希は人の目なんて気にしない。いや、今の彼女の視界には、俺しか写ってないのだろうか。


 唇と唇が触れ合う、その寸前。


「ごめん」


 俺が本当に申し訳なさげにただ一言囁くと、時が止まったかのように彼女は動かなくなる。ハッとした……それでいて余りにも悲しげな顔を一瞬だけ見せた。それは今まで見たこともない彼女であり、普段よりも少しばかり幼い、仮面を外した素顔だったのかもしれない。


 曖昧に終わらせるんじゃなくて、ちゃんと言うべきだ。そのほうが誠実だと思い込み俺はここに来た。でもそれは、もしかしたら間違いだったのかもしれない。だが悔やんだところでもう遅い。


 夏希はすぐにいつもの強気な顔を取り戻すと、何事もなかったかのように座り直し紅茶を人啜りする。


「何それ? もしかしてあなた、断りにきたってこと?」


「……そうなるな。ちゃんと言わなきゃと思って」


 彼女は何も言わないまま、ただ紅茶を眺めているようだ。そして不意に窓を向く。


「あたしじゃダメだったってことね。まあ、別にいいけど」


 それから夏希はしばらくの間、ずっと窓の外の景色を眺めていた。不自然なくらい長く。そして気がついた。微かに肩が震えている。


「本当にごめん。お前とは友達でいたい」


 酷く勝手な言葉だったかもしれない。しかしながら本心だった。


「ここにいていいのかしら? そろそろ行きなさいよ。いくらスマホで、連絡が取れるからといっても、今日を逃してしまったら、もう叶わなくなるわ。そういう、そういうものが……」


 スラスラと喋るいつもの感じとは程遠い、途切れ途切れの言葉だった。彼女は必死に平静を装っていて、俺は気がつかないふりをしている。泣いていることを知られたくないのだろう。だが、あまりにも悪い気がして立ち上がれない。


 そんな時、誰かが俺の肩を叩いてくる。ゴツゴツしたたくましい手で。


「おー! 奇遇ではないか二人とも。我もここで休憩をしようと思っていたところだ。座ってもいいか?」


「ガ……ガハハ男? 何でアンタがここにいんのよ!?」


 いつもの豪快な笑顔を見せながら変人イケメン、冬部亜麗音が現れた。夏希は驚いて一瞬こちらを向いたが、直ぐに窓へ顔を向けてしまった。何で今こいつが現れるんだ? 俺がちょっとパニックになっていると、奴は珍しく耳元で囁いてくる。


「実に危ない忘れ物を見てしまってな。それと、ここは我が何とかするから安心しろ。お前は行ってこい」


 麗音は俺の鞄に二通の手紙を入れた。やべえ! 余りにも気が動転してて、図書室に置き忘れてきていたのか。拾ってくれたのが麗音で本当に良かった。


 ここに来たってことは、麗音には俺の考えが読めていたんだろうか。アホなように見せて、実は賢いのかもしれない。


「マジですまねえ。ありがとな」


 俺は友人に心からの礼をしつつ、足早にカフェを去る。麗音にも夏希にも頭を下げたい気持ちに駆られながら、もう一度学校へと走り出した。間に合ってくれと願いながら。




 放課後の校舎にはほとんど人が残っていなかった。予想していたよりも時間がかかってしまい、焦りつつもようやく屋上に辿り着いた俺は辺りを見回す。肩で息をしながらも、必死に学園の天使を探した。


 だが、広々とした屋上に彼女の姿はない。まるで誰もいない世界に取り残された最後の人類みたいに立ち尽くした。


「マジかよ……。そりゃ、そうだよな……」


 時間が経ち過ぎてしまった。春華は泣きながら帰ってしまったのだろうか。それとも、案外平気な顔して電車に揺られているのだろうか。または、友達とカラオケにでも行ってるかもしれない。いずれにしろ、俺にとっては悲しい末路だったことに変わりはない。


 しばらくして、俺は空が滲んでいることに気がつく。クラスでもうだつが上がらなくて、カースト底辺に位置している情けない男。そんな男にこれ以上ない幸運が舞い降りていた。だが手にした幸運は、自分自身の行動によって潰えてしまった。まあ、俺にしては順当な結末ってところか。





「秋次君」


 空を眺めて呆然としているばかりだった俺は、突然声をかけられ驚いて振り返った。どういうわけかそこには彼女が立っていた。学園の天使、今どうしても会いたくて堪らなかった存在、海原春華が。


「春華!? お前……帰ったんじゃ、ないのかよ」


「えへへ。実はね、こっち側にいたんだよ」


 塔屋の反対側、こちらからは見えない所にどうやら彼女はいたらしい。


「マジかよ。ずっと待っていたのか?」


 あり得ないことだらけだった。普通だったら怒って、すぐに去ってしまうだろうに。


「うん。だって私、秋次君のストーカーだもん。あれ、秋次君……泣いてるの?」


 冗談めいた言い方で、天使は夕日が霞むほどの笑顔を浮かべ、少しずつこちらへ歩いてくる。同時に俺もまた歩き出していた。まだ距離は遠い。でも俺たちは、確実に近づいてる。


「何でお前みたいな優等生ナンバーワンが、俺のストーカーなんだよ!」


 彼女の瞳が少しずつ潤んでいく。真面目な顔に戻っていく学園の天使は、今にも泣き出しそうだ。


「私は優等生じゃないよ。秋次君を校門で待ってたりしたの」


「やっぱりそうか。変だと思ってた」


 全くもって不思議な体験だったと思う。お互いの気持ちが何となく理解できる。言う前から伝わっている。


「……引いちゃった?」


「いいや、むしろ。すげえ嬉しい」


 俺の中にある何かが爆発しそうで‥…実際爆発してしまった。それはもう見苦しく、子供みたいに。


「春華……春華ぁっ!」


 力一杯叫んだ時、俺はまたなぜか視界が滲み、彼女もまた瞳から光るものが溢れている。いつしか駆け出した俺は、彼女の華奢な体を強く、強く抱きしめる。


「秋次君……」


 何で人を好きになると、こうも周りが見えなくなるのだろう。きっと部活をしていた連中には俺の叫び声は聞こえていただろう。でもそんなことどうでも良かった。気にすることなんて何もない。今はそう思えるんだ。


「お前が好きだ。大好きだ! 俺と……付き合ってくれ」


 抱きしめながら出てきた言葉は、それはもうありきたりで陳腐な、かつ使い古された言葉だったろう。でも、学園の天使は優しく両手を背中に回して、全てを包み込んできた。


「私で、良かったら」


 掠れた声で彼女は言った。それは間違いなく、今までの人生で一番嬉しいささやきだった。

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