第32話 天使はけっこう恥ずかしがり屋かもしれない
『OH! YES! OH! YES!』
スマホ画面いっぱいに広がる筋肉の隆起を観ながら、俺は自室でスクワットを繰り返している。これは別に海外の怪しい動画を視聴しているわけではない。以前も話したが、俺はいつも筋トレをする際に黒人マッチョ配信者の動画を参考にしつつ、また仮想ライバルとして自らを鼓舞しながら行うようにしている。動画のタイトルは『モーガンの筋トレ講座』というそのまんまな名前である。
大人気の筋トレ動画配信者であり、近々来日する予定らしい。会ってみたいなーと思いつつ、俺は彼と同じスクワットを続けているわけだが。
「ぐうう……まだまだぁ」
一体何回スクワットを続けているだろうか。それにしてもモーガンめ。この眩しい笑顔のままでこうもスクワットが続けられるとは、やはり伊達ではない。しかしカウントも残すところあと僅か。もう少しで終了することは解っているんだ。
「ぬおおお! おおおお」
俺は最後の力を振り絞って全身を沈み込ませる。お寺の階段でのダメージが残ってるがまだまだいける。いけるのだ! そう思いつつ歯を食い縛り体を上昇させようとした時だった。
『天沢くーん! 今日カフェに行くから宜しくねっ』
「ぐえ!」
俺は突然の通知に力が抜けてダウンした。そういえば今日はバイトがあるのだが、海原がカフェに来るのは随分と久しぶりな気もする。
午後になってからバイト先に出勤した俺は、マスターが堂々と昼寝をしている現場を目撃して起こすところから始めなくてならなかった。ほんと、優雅でいいね。
今日は幾らかお客さんも入り、俺は今までになく働いている感を味わっていた。しかし、そんな客入りもとうとうなくなってしまった夕方近くに、一際爽やかなオーラを纏った彼女が来店してきた。
「やっほー! 天沢君。元気してた?」
扉を開けるなり花が咲くような笑顔で窓際席に向かう天使。今日は部活帰りだが、以前と同じく制服姿である。少しばかり驚いた顔をしたマスターを尻目に、俺は早速注文を取りに向かう。
「ああ。かなり元気にしてたぜ。実は、まだ筋肉痛が残ってるけどな」
「真栄城さんをおんぶしたからだね。あの時の天沢君、凄かった!」
「別に大したことじゃないだろ。ご注文は?」
「じゃあ、マスターオススメ特性かき氷の苺味で!」
「はいよー」
最近追加したマスターのおすすめを注文するとは、海原は新しいもの好きなんだろうか。リア充グループってそういうイメージがあるんだけど、実際のところはよく解らんとか考えつつカウンターに向かうと、
「天沢君。今日も彼女、来てるね」
「ええ。なんか用事があったみたいですよ。部活してますからね」
「ふぅーむ。君はなかなか罪深い男だぞ」
「なんの話ですか? かき氷食べたいんですって」
俺はまたいつものようにマスターの意味不明な話をスルーして、注文が出来上がるまで待っていようと思ったんだが、天使はなぜかブンブン手を振ってくる。
「ねえねえ天沢くーん。ちょっと良い話があるの」
「なんだよ。まさかネズミ講にでも誘うつもりじゃないだろうな」
「もう! 違うよー。美姫達がね、一度天沢君と遊んでみたいんだって。今度みんなでカラオケに行かない?」
「カラオケか。確かに楽しかったな。あそこまでテンションが上がるとは思わなかった」
「そうだよねっ! 私も天沢君と歌えて超楽しかったよ」
「ああやって騒ぐと誰とでも仲良くなれそうだよな」
「うんうん。みんないい人ばっかりだよ! じゃあ決まり、」
「だが断る」
「はーい! それじゃあね、今度の……え?」
俺は特に汚れてもいない近くのテーブルを掃除し、足りなくなっている物がないか点検を始める。背中からまだ天使の声がする。俺を死地に誘おうとしているのに気がついてないらしい。だが、どう言うわけかマスターがそそくさとこちらにやってきて、海原の向かい側の椅子を引っ張る。
「天沢君。今お客さん全然いないから、ここで彼女と座って話しなさい」
「ま、マスター。バイト中にそれはまずいですよ」
「いいじゃんいいじゃん! マスターがオッケーくれたんだから、むしろ座んないとだよ。ありがとうございます!」
マスターは学園の天使に礼を言われた瞬間に、ポッと頬を赤くして厨房に引っ込んでいった。乙女かよ。そして、俺は仕方なく彼女の向かい側に座る。
「ねえねえどうして? みんな優しいし大丈夫だよ。なんか天沢君のことが気になるって言ってたし」
「お、お前なあ。前も言ったかもしれないが、俺と遊んだりしてることは、みんなに言わないほうがいいぞ」
「え。な、なんで? 天沢君は、もしかして影の実力者ポジションを狙ってるの?」
「そんなポジションいらん」
「隠れキャラになりたい感じ? コマンド入力しないと出てこないとか」
「普通にキャラクター一覧にいたいわ!」
「エンディング後じゃないと戦えない人を目指してる感じ?」
「裏ボスになれる実力なんかねえよ! なんて言うか。前も言ったかもしれないけど、俺とお前じゃ全然違うんだよ。お前は学園でも一番優等生なわけだし、俺は底辺って言うか……」
海原は真剣な顔で首を横に振り、ちょっと眉尻を下げていた。なんかこう言う仕草だけで胸が痛くなってしまうのは不思議だ。
「そんなことないよ。私別に優等生じゃないし。天沢君は底辺なんかじゃないでしょ」
「と、とにかく。お前の友人達とカラオケに行くのは絶対無理なんだ。解ってくれ」
それだけ言って席を立とうとしたら、カウンター付近でこっちを覗き込むマスターと目があった。
「マスター。かき氷どうなりました?」
「あ! す、すまん。ちょっと熟成させていてね。もうすぐできるから」
「かき氷に熟成とかないでしょうが!」
「うーん。解った! じゃあそっちは諦めるね。なんかごめんなさい!」
「別にいいって。俺はコミュ障だからさ」
その後マスターがどういうわけかかき氷を二つ持ってきて、ワケもわからず俺まで食べることになってしまった。海原はしばらく喋っているうちに、また天真爛漫の代表みたいになっていく。
「美味しかったー! ごちそうさまでしたっ」
「マスターはなんでもプロ級だからな」
「ありがとう海原さん。また来てね」
マスターは既に彼女にデレデレ状態だ。しばらくしてからカウンターで会計を済ませた後、天使は入り口ドアまで近付いてから、何かを思い出したようにテーブルで片付けをしていた俺の側に来る。
「ねえ天沢君。真栄城さんと何があったのか知らないけど、あの……」
「ん? どうした?」
「私も名前で呼びあってみたいな。ダメ?」
神様に祈りを捧げる直前みたいな顔になった海原に見つめられて、ちょっとクラっとしそうになる自分がいる。どうして名前を呼ぶなんてことにこだわるのだろう。別件だがさっき断ったばかりだし、そのくらいはOKしないと罪悪感で寝れなくなりそうだ。
「……まあ、いいんじゃないか」
「ほんと! やったー! じゃあ、ちょっと呼んでみて」
俺はちょっと頭を掻きつつも、ぼそっと呟いた。
「……春華」
「……………」
あれ? 聞こえなかったんだろうか。なんか時間が止まったみたいになってるけど。よく解らなかったのでもう一度言ってみる。
「……春華」
「……は、は」
彼女の顔が俯いてきて、段々顔が赤くなってきたように見える。あれ? どうしちまったんだ? とりあえずもう一度言ってみよう。
「春華」
「は……はいっ! じゃ、じゃあまたねー!」
「お、おーい! どうした?」
突然何かから逃げるように扉から出て行った学園の天使に、俺はポカーンとした顔で見送るしかなかった。こうして俺は、天使も悪魔も名前で呼ぶことになってしまったのだ。
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