第14話 天使からもらったもの

 あれから少しのあいだ天使はお怒りだったが、俺の家を見れると知ったら機嫌が全回復したようで、またニコニコ顔で隣を歩いてる。


 さっきまで俺達はちょっとばかりおかしくなっていたと思う。全く、ああいう非現実的とも思える空間って、こういうことがあるから怖いのだ。


 住宅街の広すぎるくらいの歩道で、隣を歩く天使は鞄を後ろに持ちつつ軽快に歩きながら、


「すっごく良かったね! あのケーキ屋さん。また行きたいなー!」


「ああ、行けばいいんじゃないか」


「何それ、他人事みたい! でもホントに楽しかった。今日はありがと!」


「俺は何もしてねえよ。さーて、家でのんびりするかな。親父もおふくろもまだ帰ってこないだろうし」


「ご両親が共働きしてるの?」


「ああ。おかげで飯もロクに食えない時あるけどなー」


「ええ? ちゃんとご飯食べれてないの?」


「ああ、朝はちゃんと食うけど、昼とかはパンだったりするな」


「えええ。ダメだよー。ちゃんと食べないと」


「大丈夫だって。じゃあ俺、ここだから」


 海原は目前にある三階建のマンションを見上げて、なんだかミュージカルを眺めてるようなキラキラした笑顔になる。


「ここが天沢君のお家なんだね。三階?」


「そうだ。三階の角、けっこう広いけど、その分家賃も高いからなぁ」


「天沢君のお家、知っちゃった!」


「世界で一番いらない情報だろ」


「ううん。そんなことないよ! 今日は楽しかった! また遊ぼうね」


「ああ、またいつかな」


「もう! 冷たいんだから。じゃあまたね!」


 彼女は手を振りながら去って行く。田舎町の景色と重なり、スポーツ飲料のCMそのままって感じがする爽やかなシーンだ。知れば知るほど、確かに彼女は天使だと、俺ですら納得してしまうのだった。


 しかし、海原はちょっとばかり無防備すぎるというか、全然自分という存在を自覚していないところが多々あることに、俺はまた気がついていくことになる。




 次の日、両親はまた早くから仕事で外出しなくてはいけないことになり、俺はたった一人で優雅に起きた……というわけではなかった。まだまだ惰眠を貪りたかった時間帯に、海原からチャットが届いてしまったのだ。


『おはよー! 天沢君、今日もお昼はパンなの?』


『おはよう。ああ。そうなるな! じゃあおやすみ』


『ダメだよ! そろそろ学校に行く準備しなきゃ。じゃあまた学校でね』


 全く、真面目さにかけても学園一かもしれないなあいつは。と思ってたところで、最後の一言が気になってしまう。また学校でって、今日既に会う予定があるのか?


 若干だが嫌な予感を感じつつ、俺は飯を食ってから余裕をもって登校した。過ぎ去ってしまった眠気が恋しくなりながらも、学園の天使によって遅刻ギリギリというルートは免れたのだ。


 そんなこんなで朝のHRを淡々と眺め、数学に体育に英語に歴史までこなしてから昼休みがきた。さあ購買に行ってパンを買おうかと席を立とうとしたところで、なんだか教室の入り口付近が騒がしいことに気づく。チラリと視線を向けた瞬間、脳内の半分以上を支配していた睡魔が消滅させられてしまう。


「天沢君いますかー?」


 海原だ。なんてことだ。どストレートに俺に会いにくるとは。クラスの視線が一気に彼女に注がれたのちに、次に俺に移り変わってくるのは、もう恥ずかしくて堪らない。我慢できずにさっさと側まで行き、すぐに扉から出る。


「あれ? 何処行くのー」


 クラスの奴らの中には、きっと教室から飛び出て様子を伺う奴らもいるだろうが、背後は振り向かない。廊下の突き当たりを曲がり、ようやく視線を感じなくなってきた人気のない通路で足を止めた。とはいえ、何処で誰が見ているかなんて解らないのだが。


「購買部までパン買いに行くんだよ。お前こそ何の用だったんだ?」


「えへへ! あのね、天沢君が栄養失調になったらいけないなと思って。その、ちょっと作ってきたんだけど。良かったら……これ」


 学園の天使はまるで自分をモチーフにしてるんじゃないかっていう、可愛らしいゆるキャラのキーホルダーが付いた鞄から何かを取り出して、小さな両手でそれを差し出してくる。


「え!? これっても、もしかして」


「うん。お弁当なんだけど、良かったら」


 ピンク色のカバーに包まれたお弁当箱を見て、俺は目を白黒させていたに違いない。確かにロクに飯を食ってない話はしたんだけど、まさか作ってきてくれるなんて。現実の出来事とは思えなくなってくる。


「お、おいおい。マジかよ」


「うん! マジだよ。あ、もしかして。迷惑だったかな?」


 ちょっと不安げにこっちを見上げてくる表情は、昨日ケーキ屋さんで見た顔に近かったので、思わずドキッとしてしまう。女の子が、それも海原が作ってくれたお弁当。迷惑なわけないじゃないか。っていうか正直、超嬉しい。


「いや、別に迷惑じゃないけど。じゃ、じゃあ今日は貰おうかな。ありがとよ」


 恥ずかしさに頭をかきながら、俺は彼女から弁当箱を受け取る。顔中が火がついたみたいに熱くなってて、多分見た目にも出ているかもしれない。それにしても信じられん、女子にお弁当を作ってもらえたとは。まるで曇り空から光がさして、快晴に変わっていくように海原の顔から微笑みが溢れる。


「良かった。断られたら私の晩ご飯だったよ」


「断らねえよ。この弁当箱、いつ返そうか?」


「いつ返してもいいよ。ホントは一緒に食べたいけど、友達と約束してるの」


「お、おう。そうか。あ! それからさ。俺に会いに教室に来たりとかは、しないほうがいいと思うぞ」


「え? どうしてー? なんか天沢君って、とってもシャイだよね!」


「違うわ! 全然シャイとかじゃないんだけど、お前にとって良くないんだよ。ホントに」


 さっきので妙な噂が立たなかったか心配だ。


「ふーん。解った! 天沢君がそうしたいっていうなら、合わせるよ。なんか秘密の関係みたいだねっ。犯罪者の集いみたいな感じ」


「そんな物騒な感じではない!」


「一緒に銀行を襲う計画を立ててます……みたいな!」


「俺とお前じゃどんな銀行からも金奪えねえよ」


「スパイ映画のほう?」


「お前じゃすぐに捕まるな、間違いない」


 そんな時だった。唐突に後ろから声がかかる。


「あ、春ー! そこにいたんだ。みんなでお弁当食べよ」


 パッと振り向いた先には、よく海原と一緒に歩いている美姫っていう女子が手を振っている。


「はーい!」と天使は答えると、踵を返しつつも、「じゃあまたねっ。ラインする!」


「お、おう」


 すぐに可憐な背中が遠ざかっていく。全く、どうしてこうヒヤヒヤさせてくれるんだろうか。俺はそのまま屋上に向かい、一人で弁当を食べることにした。


 ピンク色のカバーを開けると、想像以上に美味しそうな世界が広がっていた。卵焼きにサラダ、ご飯や人参、豚肉、ブロッコリー、ソーセージと言った定番メニューがいっぱいに敷き詰められている。実はご飯の部分がアニメキャラと思われる男の顔になっており、ちょっと笑ってしまう。


 そして食べてみると、ただのお弁当とは思えないくらい全てが旨かった。人生で感じたことがないほど幸せな気持ちになりつつ、俺はこっそりと教室に帰ると、何人かに海原とのことを詮索された。だが、どうやら誰も俺と彼女について疑うわけではなく、ちょっとした用事があると考えただけだったらしい。俺は内心ホッとした。妙な噂が発生するのも難しいくらい、俺と学園一の天使には差があるらしい。でも用心しなくてはいけないことは変わらないけど。


 もしかしたら、ちょっとずつ俺の生活は楽しくなっているかもしれない、そんなことをぼんやり考えた昼下がりだった。

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