第6話 天使が偶然帰り道にいた

 生まれて初めて女の子と連絡先を交換してしまった翌日、金曜午後のことだった。


 いつもと変わらず数学教師の睡眠を誘うのんびりした授業に耐え忍び、体育の授業でやったサッカーではオウンゴールを決めてしまい、周囲の冷ややかな視線に耐えながらも下校時間になった。


 今日は部活もなければバイトもない。正真正銘フリーな時間になるわけだ。まあ、特にすることもない俺にとっては、溜まっていた観たい映画をパソコンで視聴しようとか、クリアしていないゲームでLv上げでもするかとか、そんな余暇しか浮かばないわけだが。


 宿題をする為の忌々しいノートを鞄に詰めていると、机に置いていたスマホが振動する。またどうでもいいメールマガジンでも送信されてきやがったかと、チラリと横目で見やったとき、まるで想定しないメッセージが届いたことに気づく。


 それは海原春華からのチャットだった。まさか液晶を覗く奴もいないと思うが、俺はすぐにスマホをとってロックを解除する。彼女からの内容はこうだ。


『天沢君お疲れー♪ 今日は部活? それともバイト? お暇な感じ?』


 暇といえば暇なのだが、こういう時はどう返したらいいものか悩む。正直な話、人生で一度も女子とチャットなどしたことがないのだ。だから気が利いた言葉なんて浮かばないし、内容が残ってしまう分ある意味面と向かっての会話より厄介な気もする。


『部活もバイトもない。暇じゃないが、帰るとこだ』


 考えても上手い答えが出ないから、ぶっきらぼうに答えるしかなかった。クラスのイケメン達はもっと手慣れた返事をするんだろうな。小学校の頃から彼女を作ったりしてるくらいだし。


 その後ラインのやり取りをしていたら、思っていた以上に時間を浪費してしまった。別に歩きながらでも良かったのに、こういう所が不器用だ。俺は最後のチャットを送信してからすぐに教室を出ていった。



 一人っきりの下校ってのは気楽でいい。ウチの高校はわりかし高所にある為、遠目に見える山々とか、その景観を損ねないサイズのビル達を眺めながら帰ることができる。サラリーマンになったら、そんな景色を楽しむこともなく、きっと大急ぎで職場まで向かい、夜遅くまで監禁される事になるのだろう。世知辛い世の中だ。


 そんな哀愁めいたことに考えを巡らしながら校門を抜けようとした時だった。丁度門を出るか出ないかという瞬間、何かがそよ風みたいに前に現れる。


「お疲れ! 天沢君っ。一緒に帰ろ!」


「海原……何で……」


 突然の展開に、頭が真っ白になった。目前にいるスクールカーストトップの美少女は、いつも誰かと一緒に楽しそうに下校するところをよく見ていたのだが。


「今日ね! 急に用事がなくなっちゃったの。友達ももう帰っちゃったし、寂しいなーって思ってたら、天沢君を見つけちゃった!」


「いや……俺と一緒に帰るのは、やめたほうがいいんじゃないか?」


「え? 何で?」


 目をまん丸にして見上げてくる小さな顔は、まさに小動物のように愛らしいが、どうも恥ずかしくなって直視していられない。


「俺みたいなやつとつるんでると、きっと嫌な噂がたって、お前の株も下がるっていうかさ」


「どうして天沢君と一緒に下校すると、私の株が下がっちゃうの? 何か不祥事でもしたの?」


「俺は至って健全だが、なんていうか……その。地味というかな」


「ううん! 天沢君は実は派手なところもあると思うよ。インサイダー取引とかしてそう」


「してねえよ! そんな情報ないわ!」


「あはは! というわけで行こうよっ」


「どういうわけだよ」


 何だかんだで一緒に帰ることになってしまった。坂道を降り続けていき、バイトの方向とは逆に進めば駅に辿り着く。きっと海原も俺と同じように電車通学をしているのだろう。ってことは電車まで一緒になってしまうのだろうかと、いらない不安が頭をもたげる。


「そういえば、天沢君って細いように見えるけど、体格いいよね。何かスポーツとかしてたの?」


「ずっと昔に……柔道は習っていたな」


「え! 凄い! もしかして黒帯? 馬乗りになってボカボカ殴ってたの?」


「何で柔道で馬乗りになるんだよ! そんなことしないわ! 黒帯なんて取れなかった。海原は何かやってたのか?」


「私は野球。小学校からやってるよっ。今は応援してるだけだけど」


 応援だけじゃなくて、自分でもやっていたのか。彼女がそこまで野球が好きだというのは、俺には少しばかり意外なことに思えた。華奢でスレンダーな体躯は、野球という競技には向かない気がする。腕だって細い。それに野球って肌が浅黒くなるイメージだけど、むしろ海原は真逆で透き通ってる、大抵の女性が羨むような肌色だ。


 矛盾した存在……そんな言葉がしっくりくる。それにしても、こんなマネージャーがいたら最高だろうな、ウチの野球部も。


 そして下り坂を終えて、駅までの平坦な道に入ってきたところで、ちょっとばかり焦りを感じ始める。なんていうか、誰かと一緒に歩いている時の沈黙って、俺にとってはけっこう堪える。隣を歩くのがアニメから飛び出してきたんじゃないかと思えるほどの美少女なら尚更である。内心困りつつ、何か話題を求めて周囲を落ち着きなく見回していた。


 本屋、保育園、雑貨屋、ファミレス、公園、でも一番チラチラ見てしまうのは、隣にいる眩しい女子だった。それから数秒した後、何ともいえない不思議な体験をした。海原とただ二人で歩いている、それだけで変にふわふわした、ちょっとした心地良い感覚に包まれるのだ。


 この感覚は何なんだろう。ぼっちとはいえ、今までの人生で一度も誰かと下校しなかったわけではない。中には偶然にも女子と一緒になってしまったという、今にしては考えられないこともあった。しかし、そのどれとも違う……いるだけで何かが埋まっていくような、そんな感覚。


「ねえ天沢君」


「え!? な、何だ」


 急に声をかけられたから、見事に声が上ずってしまった。しかし俺のそんな様子にも驚くことなく、爛々とした瞳を輝かせて彼女は言ってくる。


「良かったら野球部に入ってみない? 私の見立てでは、天沢君はすっごい才能が隠れてる気がするんだよねっ」


「断る」


「早い! もーう。どうして?」


「前も言ったけど、苦手だし嫌なんだよ。集団競技ってやつが」


「ふーん。じゃあしょうがないか」


 あからさまに肩を落とした海原にかける声も見つからないまま、とうとう駅の入り口に到着した。今の時間帯は部活がない奴らは前の電車に乗った後だし、校内に用事がある連中はまだ帰る時間帯ではない。中途半端だが空いていて帰りやすいとも言えるし、海原も他の生徒に見られて妙な噂が立つこともなさそうだ。


「……お前って上り方向? それとも下り?」


 今更だが聞いてみた。心の中で下りであることを願っていると、


「私は上りだよ! 天沢君は?」


「……上り」


 さっきまで肩を落としていた天使の顔が、今度は雲ひとつない快晴を思わせる笑顔になる。かくして俺と学園の天使は、同じ電車で帰ることになってしまった。

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