第5話 天使はバイト先でも楽しそうだ
俺がバイトしているカフェの名前は「ときめき」という。
もう還暦に近い、白髪と髭がダンディなマスターが考えたネーミングだが、大抵の人は首を傾げるだろう。かくいう俺もその一人だが、素直に感心している奴が一人だけいた。
「すごーい! ここってお店の名前も素敵だけど、内装は半端じゃないくらいお洒落なんだね」
海原が連れてこられた子供みたいに店内でキョロキョロしている。茶色い長髪がモダンなライトに照らされて、より一層綺麗に揺れた。見惚れてしまったことがバレないように、急いで台所に向かいエプロン姿に着替える。
「おやおや。今日は随分と珍しいじゃないか。秋次君」
「あ、どうもマスター。同じ学校の人なんですけど、ちょっとそこで一緒になっちゃって」
「ふむ?」
何か返答に引っかかることがあったようだが、マスターは別段追求するわけでもなく、カウンターでミルを使い粉砕していた。今店内にいる客といえば、何が楽しいか解らないけど窓際席でニコニコしている海原だけである。仕方なく俺は仕事をこなしにいくことにした。
「ご注文はございますか?」
「うーん。天沢君のオススメがいいなっ」
いきなり面倒なことを言ってくるもんだ。まあ、オススメはあるにはあるのだが。
「マスターのコーヒーはオススメだぞ。ブラックだけど」
「えー。私ブラックは苦手かも。青春みたいにほろ苦いし」
「なんかおっさんみたいな発言するな。じゃあ無難に紅茶とかサンドイッチとかかな」
「ううん。私マスターのコーヒーがいい。今日から大人の世界に踏み込もうと思うの。天沢君と一緒に」
「どうして俺が一緒なんだよ! はい、かしこまりました」
とにかくノリがいいというか、これがトップカーストのコミュ力なのだろうか。気がつけばマスターも彼女を気に入ったらしく、せっせとコーヒーを挿れ始めている。だがその作業の片手間で、近くに来た時に囁いてきた。
「秋次君も隅に置けないねえ」
「俺は大体いつでも隅っこにいますけど?」
「い、いや。そういうことじゃなくてね。じゃあこれ、持って行ってあげて」
マスターの勘ぐりを惚けてスルーしつつ、数分経ってからお盆にコーヒーを乗せて届けに行くと、青春アニメの表紙かっていうくらい眩しい横顔が窓の外を見つめていた。
座っていてもスタイルの良さが分かるって凄い。細い体なのに、膨らむところはなかなかに膨らんでいる。……っていけない! 仕事中に何を考えちまってるんだと、脳内で自分に喝を入れた。
「お待たせしました。ブラックコーヒーです」
「うむ、ご苦労っ。ねーえ天沢君。ちょっとだけお話ししようよ」
「今は仕事中ですので」
こんな空間で女子と喋るコミュ力なんて、全く持ち合わせていない。それに、ちょっとではあるが彼女を警戒している自分がいることも確かだった。だってそうじゃん。こんな根暗で顔もフツメンレベルの男と、どうしてここまで喋りたがるのか。
「えー。だってお客さんいないじゃん」
「いなくても仕事中なので」
また頬を膨らませて不満気になる彼女に背中を向け、カウンター奥の台所に退避しようとしていたところでマスターが、
「少しくらい良いじゃないか。こんなに素敵なお客さんが来てるっていうのに、冷たい態度をとっちゃいかんぞ」
「そうですそうです! マスターのおっしゃるとおり! ね、天沢君」
ね、じゃねえよ……。勘弁してほしい気持ちが込み上げ過ぎて心の防波堤が崩壊しそうだ。人と長く話すことは中学校からなかなか機会がなくなったので、正直言うと不安で仕方がなく、黙っているほうがなんぼか落ち着くのだが。
仕方なくテーブルの側まで戻ると、
「そこ、座ってよ」と向かい側の席に指を刺してくる。マジかよ。しかしマスターの発言もあるので、無下にするわけにもいかず、しぶしぶ俺は言うとおりに腰を下ろした。正面から真っ直ぐに見つめてくる海原の瞳からは、何かの水晶を思わせるような輝きを感じる。天使の微笑を正面から見据えることができず、視線は自然と窓の外に向けられた。
この街には都会にありがちなタワーを思わせる高層ビルがないから、眺めは悪くないと言える。どこを向いても遠くのほうに山が見えるから、自然と都会が一体化している、という表現が出来なくもない。まあ、ただ単に中途半端なだけだが。
「あれから頭のほうは大丈夫? 変な頭痛がしたり、気持ち悪くなったりすることない?」
「ん? ああ……別に何も問題ないよ。医者も問題なさそうだって言ってるし、大丈夫だ」
「そっか! じゃあ心配いらない感じだね。昨日部活で会ったときは、なんだか顔色悪そうだったから心配しちゃった」
「あれは部長のいびきがあんまり応えるもんでな。別の理由で体調が悪くなりそうだったんだ」
「あはは! あの人個性的だね。ねえ天沢君がいる部って楽しい?」
「別に楽しくはない。あの場にいると落ち着くし、いい時間潰しになるからいるだけなんだ」
「運動部とかで頑張ろうとか思わないの? 野球部とか」
「運動部に入りたいと思ったことはないな。海原は何部に入ってるんだ?」
話を切り上げようと思ったが、逆に質問してしまった。なんだか無性に気になってきたからだ。
「私は野球部だよ! マネージャーしてるの」
これはまたぴったりな役回りだと思った。海原は明るい上に、俺みたいな奴が怪我してもいつまでも心配するような面倒見の良さもあるみたいだし。
「昔から野球の応援も、甲子園も大好きだったから、一度やってみたかったんだよね。天沢君も入部してみない? きっと楽しいよ」
「遠慮しとく。集団競技は苦手なんだ」
「ふぅーん。そっか」
ちょっとばかり声のトーンが落ちて、海原は静かにコーヒーを口に運んだ。
「んぅ!」
口の中で苦味が広がったのか、泣きそうな顔になりつつも我慢している。うーん、これはかなりのお子様体質かもしれない。ここらが会話の切り上げ時と判断した俺は、静かに椅子から立ち上がる。
「じゃあな。これから忙しくなる時間だから、準備しなくちゃいけないことがあるんだ」
「あ、待って! 良かったらさ、ライン交換しようよっ」
「は!? なんで?」
背中越しに聞こえた声に、俺は戸惑いを隠せずに振りかった。一体どうして、海原が連絡先を交換する必要があるんだと、脳味噌という名の自家製コンピューターをフル回転させていると、彼女はフットワーク軽めにひょいっと側まで寄ってきて、
「ラインの交換くらい普通じゃない? クラスラインだってあるんだし」
「いや、学校のは……半分義務みたいなもんだろ」
「いいからいいから! ね!」
意外な押しの強さに負けてしまい、俺はしぶしぶズボンのポッケからスマホを取り出してバーコードリーダーを起動させる。スマホ画面を両手で持って差し出してくる海原の顔は、まるで遊び道具を前にした子犬みたいだった。ビビッとしたバイブと共に読み込みは完了し、俺はフレンド申請ボタンをタップする。
「やった! これで天沢君と私はフレンドだね」
「一体何のフレンドか知らんが。お前ってライン友達何人いるんだ?」
よく友人の多さを自慢していたり、一種のステータスみたいに思っている奴がいるが、もしかしたら海原もそういうタイプだったっていうことなんだろうか。まあ、学校でも一番の有名人だし、そんな感じもしてくる。
「クラスラインと家族を除いたら、十人くらい。天沢君は?」
意外と少ねえ! 海原の考えがまるで解らなくて困ってきた。一見すると楽勝っぽいのに、やってみると意外と難しい数学の問題みたいだ。俺は自分のライン登録者を確認していく。
「クラスラインと家族を除けば……いない」
「えー! じゃあ私がフレンド一号だねっ」
何が嬉しいのか知らないが、海原は今日一番の太陽とでも表現できそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、バイト頑張ってね! またねー」
「お、おお……」
またしても間抜けな返事と顔になりつつも、長髪をなびかせて去っていく背中を見送る。一体何を考えてんのか、さっぱり解らないが、本音を言えば彼女と連絡先を交換したのは嬉しかった。それは物凄く、時間が立つほどに膨れ上がってくる。女子と連絡先を交換できたのは、今回が初めてだ。
しかし、どうして俺なんかとラインを交換してくれたのだろうか。謎に満ちた毎日は、まだまだ続くのだった。
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