第29話 背中に悪魔がいる

 唐突だが、やっぱり筋トレはしないより、しているほうがずっと得をすると思う。


 なぜかというと、今は地区で一番大きくて歴史あるお寺の長い石階段を登っているところであり、ちゃんと鍛えていなかったらヘロヘロになっていたに違いないからだ。パッと見はそこまで段数がないのだが、実は相当長いらしく、人によっては最後まで到達できないことも多いとか。


 備えあれば憂いなし、筋トレすれば疲労なし、とはよく言ったものだ。……いや、そんなことは言わないか。


「天沢君ってやっぱり鍛えてるんだね! 私明日筋肉痛になっちゃいそう」


 流石というべきか、学園の天使は女子とは思えない体力を発揮しつつ登り続ける。誰しもを明るい気持ちにさせるオーラは全く陰りが見えない。底知れないポジティブ美少女って感じだ。


「俺だってけっこうきてるぞ。こんなに長い階段だったとはな! 普通に辛いわ」


 まだまだ先は長い。しかし先頭にいる麗音は疲れるどころか、ちょっとずつ登る速度が加速しているようだ。ホント、化物じみたイケメンだと思う。


「うむ。しかしお寺の眺めは格別だぞ。今日はこのミッションを完遂すれば部活は終わりだ! お前達、しっかりと我についてこい!」


「はあ、はあ。ちょ、ちょっと……待ちなさいよお」


 軽快に階段を登って行く俺達に遅れること十段以上、すでにスタミナと脚力の限界に近づいているような真栄城の姿が見える。いつもの強気で自信たっぷりなオーラは微塵もなくってしまい、ちょっと可哀想に思えてしまう程だった。


「真栄城さん、だいじょーぶ!?」


 海原が両手を口元に当てて叫ぶが、真栄城は特に反応する様子もない。俺達とは違って学園の悪魔は、これといって運動をしていない生粋の文化系だから、仕方ないと言えば仕方ない。


「ちょっと待っててやろうか。おーい、麗音。あんまり突っ走るなよ。麗音ー」


「ふはははは! 高鳴るぅー」


 ダメだ。完全に俺たちのことなど忘れて寺への道を駆け上っていやがる。


「待ってって言ってるでしょう! あたしは……はあ、はあ」


 ヤバイな。これは途中でダウンする可能性も充分に考えられる。ちょっと助けてあげる必要がありそうだと、俺は階段を降りつつ、


「海原。先行っててくれよ。俺はアイツをサポートしてくる」


「えええ。じゃ、じゃあ私も降りるよ。真栄城さんが心配だし」


「大丈夫だって! 俺一人でなんとかする。これ以上海原にも負担かけられないしさ。一足早く上に行って、麗音に伝えておいてくれ」


「……う、うん。解った! 天沢君ならきっと大丈夫だね。でも、何かあったら呼んでねっ」


 そう言うと海原は、すぐに階段を上がって行った。さて、どうしたものかと、途中で立っているのがやっとな程消耗しきった悪魔を助けに降りて行く。今なら銀の弾丸がなくても仕留められるに違いない。


「大丈夫かー真栄城」


「え? な、何よ。降りてきたの」


「ああ。もう限界っぽいからな。お前」


「そんなことないわ! このくらい、どうってことないわよ」


「全然どうってことないようには見えないぞ。だって、あと半分くらいはありそうだぞ。本当に行けるか?」


「…………」


 そう言うと真栄城は顔を俯かせ、荒い呼吸をするだけで何も返答しなくなった。どうも彼女は強がりと言うか、自分一人でなんでも解決させようとする癖があるのかもしれない。もしくは、なかなか人に助けてと言えないのか。人に助けてほしいと言えないのは、きっと俺も同じだ。だから、どうも他人事のような気がしなかった。


「ほら。乗れよ」


「……え」


 俺はその場にしゃがみ込み、彼女が乗ってくるのを待った。まさかこの地獄の階段をおんぶしながら登ることになるとは夢にも思わなかったが、きっと今の俺ならなんとかできるはずだという自信もあった。


「い、いいわよ! 二度も助けられるなんて、癪……だし」


「気にするなって! 後でジュースでも奢ってくれればいいからさ。それにお前がこのままだったら、いつまでも俺達待ちぼうけじゃん? さ、乗れよ!」


「………じゃ、じゃあ。ちょっとだけ、お願いするわ」


 静かに背後から細い体が、ゆっくりと覆いかぶさってきたことを確認し、俺は体をあげる。以前お姫様抱っこで駅までダッシュした時も思ったが、真栄城は軽いので特に問題はなさそうな感じだ。さっきよりもずっと負荷はあるが、とにかくもう一度階段を一段、一段と登り始める。既に麗音と海原の姿は遠くなっていた。


 背中から何か甘い香りが漂ってくるようだった。以前嗅いだ薔薇に近い、甘美な何かを想像させる匂い。彼女は俺の肩に両手を添えているが、どうにも弱々しい力だなと感じる。


「ごめんなさい。あたし、足引っ張っちゃった」


「気にするなよ。誰だってそう言う時はあるんだから。真栄城も俺も、きっとみんなも」


「夏希って呼んでほしいの」


 階段を登りながら、運動とは無関係に一瞬心臓が強く高鳴った。普段とは違う弱々しい呟きは、なんていうか凄い色気を纏っていたからだ。


「い、いやいや! この前から言われてるけどさ。なんでだよ。俺はなかなか女子を名前では呼べないんだよ。悪いな」


 真栄城の真意は解らないが、ここまでハッキリ断っておけば大丈夫だろう。


「もう! 別にいいじゃないの。言ってくれないなら、こうするまでよ」


「ん? あ、あああ! ちょ、ちょっと待て」


 なんて大胆な真似を。マジでこれは現実なのかよ。真栄城は両手を俺の首にかけるようにして、更に前のめりになる。つまり黒いタンクトップ越しの大きくて柔らかい胸が、完全に背中に押し付けられている。


「ねえ、呼んでくれるの? ねえ」


「や、やめろコラ! 放り投げるぞ」


「ふふ! そんなことできない癖に。酷いわ、ちゃんと約束したのに破るなんて」


 完全に忘れていた。俺の背後にいるのは、良からぬ噂に溢れた学園の悪魔であったことを。しかし、どうしてこう俺と喋る時だけ急に優しそうな声になるのかね。理解しかねるとか考えつつ、必死に煩悩を振り払って階段を上がり続ける俺。


「わ、解った解った! 呼ぶ。これからはそう呼ぶから、まずは押しつけているものをどうにかしろ」


「ふふ! 嬉しいわ。アキってあたしの弟みたいに言うこと聞かないんだから」


「弟がいるのか。さぞ苦労してるだろうなそいつは」


「うふふっ。そんなことないわ。厳しく教育してるから、逆に楽な生き方になるはずよ」


 ようやく理性を失う危機から逃れた俺だった。気持ちいいのか地獄なのかよく解らない状況になりつつも、なんだかんだで階段を登り切った先には、海原と麗音が並んで待っていた。由緒正しいお寺を背景に、イケメンと茶髪ロングの美少女が並んで立っている。すげえ絵になる図だとか考えながら、やっと真栄城を降ろすと、膝を地面につきそうなほど消耗してしまった。


「天沢君! 大丈夫?」


 心配そうに駆け寄る天使に、俺は手をあげて応える。


「まさか真栄城をおんぶしてここまで登ってくるとはな。筋トレは家でやればいいのではないか?」


「筋トレのつもりでやったんじゃねえよ! いや、しんどかったわー」


「天沢君、ホントに凄いよ! でも……」


 ん? なんか海原が複雑そうな顔でもじもじしている。そう言えば真栄城のやつが、背後からずっと俺の背中をさすっているようだ。


「ありがとうアキ。本当に助かったわ。さあ、お話を聞きにいきましょう」


「全く、お前は人使い荒いな」


 真栄城はまた語気が元に戻っていた。俺と悪魔を交互に見ながら、何か落ち着きがなくなっている様子の海原。全く気にすることなく寺の中にズカズカ入って行く麗音。うーん。ホントにまとまりの無い連中って感じだわ。

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