第42話 悪魔のバースデー
「い、いらっしゃい……ませえ」
ここまで情けない声を放ったのは人生初体験だった。俺の消えかけたロウソクみたいな声は、曇り空でどんよりとした世界でさえ光り輝く天使に届いただろうか。いや、多分届いてなさそう。
どうしよう。全く想定していなかった。って言うか、なぜ今日ここに来ているのだろう。誰かが教えたのではないかと思った時、瞬間的に俺は後ろを振り返る。さっと台所奥に隠れるマスター。あ、あんのオヤジ……またしても従業員のプライベートを漏らしやがった。
「えへへ。マスターに教えてもらったの。今日のこと」
「あ、ああ……だろうな。じゃあ、何処でも座り、なよ」
マジでまともな切り返しができねえ。天使は俺の様子を見て、何か眉尻を下げて動揺しているようだった。
「おお! 水も滴るいい女になっているな海原よ」
「あはは! 全然いい女なんかじゃないよ。あ! 真栄城さん、こんばんは!」
学園の悪魔は軽く手を振って応えると、
「良かったら女子トークしましょうよ。どっかの世界一ガサツでうるさい男の陰口とか、いろいろ語りたいわ」
「ほほう! ならば我は、なんちゃって生徒会長のダメっぷりを秋次と語り合うとしよう」
「あたしの何処がなんちゃって生徒会長なのよ! 思いっきり正統派のデキる女よ。大体あんたはねえ、」
「ちょ、ちょっと二人ともやめようよー。すぐに喧嘩しちゃうんだから。ね? 秋次君」
「お、おお。そうだな……ご注文は?」
「んーとね。どうしよっかな」
悪魔の向かい側に座った制服姿の天使は、いつもどおりに目をキラキラさせながらメニューを吟味している。
「パイナップルスムージー下さいっ」
「は、はいよ」
注文を聞くなりそそくさとマスターの待つ台所に向かう。この姿には麗音や夏希も怪訝な顔をしていた。背後だったから見えないが、きっと春華はもっと不審がっているに違いないだろう。でも、こんなものが俺のベストなんだ。人生で初めて、異性に好かれているかもしれない事態に対応できるわけない。
「マスター……そろそろできてます? あれ」
「ムフフフ。勿論だよプレイボーイ! いつでもOKさ」
「誰がプレイボーイっすか。勘弁してくださいよ! パイナップルスムージーですって」
ちょっとキツめに言い放ってやったが、マスターはヘラヘラ笑っているだけだ。さて、じゃあそろそろ始めるか。俺はエプロンを脱ぐとフロアに戻る。いつの間にか麗音は普段のガハハ笑いを響かせて春華と夏希と談笑しているようだった。
「じゃあさ、俺もうあがりだから、帰るわ」
この言葉に、いの一番に驚いた顔をしたのは学園の悪魔。まあ、予想どおりといえば予想どおりなのだが。
「え? ちょ、ちょっと待ちなさいよ。帰っちゃうの?」
「ん? 帰るけど?」
「……何かないわけ?」
酷く不安そうな顔になる夏希が、何となく可愛らしく見えてくる。俺は知らないふりをして首を横に振った。
「いや別に。じゃあな!」
「え。ちょっと、アキ」
背後から不安そうな声が聞こえたものの、耳には届かないフリをして入り口の扉を開き、傘を差しながら外に出る。
「さてと、ここから……」
その時だった。まるで追いかけてくるように、誰かが扉を開いたのだ。そして更に、俺のシャツの裾を指で摘んでくる。
「おいおい夏、」
「秋次君……」
心臓が止まりそうになった。学園の天使が店を出て側までやってきたのだ。今まで見せていた明るい笑顔からは想像もできないほど、悲しそうな顔をして。
「ねえ。どうしちゃったの? 最近」
「いや、俺は別に」
「嘘……秋次君。最近すごく素っ気ないじゃん。もしかして、私のこと嫌いになっちゃったの?」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。まさか、俺に嫌われたかもしれないから、そんな悲しげな顔になってるというのか。同時に湧き上がってくる罪悪感。こんな感情は、今までの人生には全くと言っていいほどなかったものだ。
彼女は次の言葉を待っているのが解った。ここはちゃんと否定をしなくてはいけない。これ以上悲しませちゃいけない。ここまでくると、まるで使命だ。
「違う。お前のことを嫌いになるわけない。マジで本当だ。ただ……」
「ただ? なに」
「変な話かもしれないが、ちょっと緊張していたんだ。お前と話すことに」
「え? 私と話すことに、どうして緊張するの」
「だってさ、だって。俺なんか彼女いない歴イコール年齢だぞ! 普通に女子と話すのは緊張しちゃう時があるんだよ。そういうもんなんだ」
喋ってから後悔する。彼女ない歴イコール年齢なんてステータスを聞いちゃった日には、大抵の女の子はドン引きするだろうと思っていたからだ。最近では中学生で彼女がいても不思議じゃないし。
「幻滅するよな……こんな話」
しかしそんな俺の不安を、学園の天使はぶんぶん首を横に振って否定する。変なところで子供っぽいところが残っているのが、逆に魅力的だと思う。
「ううん! 幻滅なんてしないよ。だって、私も同じだし」
「へ?」
「私も、彼氏いない歴イコール年齢だし……一緒だよ」
それは全く信じられない情報だった。こんなにアクティブで、かつ学園でもトップのリア充である彼女が、彼氏を作ったこともなかったなんて。嘘みたいな話だ。
「だから、変に構えないでよ」
「あ、ああ。悪かった。普通に接する。普通にな」
春華はまだ何か不満そうな感じではあったが、とにかく気まずさは少しだけ和らいだ。そんな時俺は、雨風に乗ってきた一枚の葉っぱが、彼女の頭に乗ったことに気がつく。
「あれ、なんかついてるぞ」
「え? あ……」
「うお、ちょ」
俺は葉っぱを跳ね除けることには成功したのだが、春華が妙に前に出るものだから、優しく触れたままになってしまう。そして無造作に、本当に考えなしに、柔らかい茶髪を撫でてしまった。
「秋次君……」
「わ、悪い。そんなつもりじゃ」
「ううん。もうちょっと続けて」
「え!?」
上目遣いにこちらを見上げてくる眼差しが、全く予想外の催促をする。一体、なにがどうなっているのか知らないが、今の俺に逆らう理由などなかった。少しの時間、右手があまりにも柔らかくてサラサラした、まるで神様が作ったような髪を撫で続けた。
「えへへへ」
いつの間にか春華は雨空とは対照的に晴れ晴れとした笑顔になり、同時にこっちも心の曇りが消え去ったような感じがした。
「ありがとっ! 秋次君」
「子供みたいだな、全く」
「秋次君だって子供だよ。今さらお話しするのが苦手とかいうんだもん」
「そ、そんな気分だったんだよ! じゃあそろそろ、な?」
「あ! そうだね。じゃあ、これからはちゃんとチャットしてね!」
ニコニコ笑いながら、春華は店内に戻っていく。ちくしょう、最後に釘を刺されてしまった。しかし気にしている時間はそろそろない。夏希が帰るとか言い出す前に行動しないと。俺は窓際にいる奴に見つからないように裏口に回り、もう一度店内に入って台所に向かう。そして冷蔵庫の中に入れてあった、マスター特性のジャンボケーキを取り出した。
店内ではまだ麗音と夏希が言い合いを続けている。優しげな目で見守っていたマスターは、俺がケーキを手にしたことを知ると照明を落とした。微かな灯は残っているものの、ほとんど見渡すことはできないだろう。
「きゃっ!? な、何? 停電?」
「ふむ、停電かもしれんな」
「あれー。本当だね」
麗音と春華が棒読みになっているのはちょっと不満だが、まあ仕方ない。そしてロウソクの火を灯しながら、静かに彼女の元へやってきた。ワケもわからず立ち上がり、目を丸くしている学園の悪魔。
「あ、アキ? 帰ったんじゃ……」
「用事が残っててさ。ほら、お前今日誕生日だろ。おめでとう!」
俺の言葉と同時にマスターは照明をつけ、麗音と春華はクラッカーを鳴らした。目を白黒させている夏希は、だんだんと水晶みたいな瞳を涙で滲ませていく。
「お、おいおい。泣くことはないだろ」
「う、うるさいわね! 別に泣いてないわ」
「泣いておるではないか! ガハハハ! 誕生日ケーキくらいでなにをオーバーな。そんなことでは、我のプレゼントを見たらショック死するぞ」
「私からもあるよ! えーと」
次々とプレゼントを出され、珍しく学園の悪魔はもじもじしながらもお礼を言っていた。誕生日を祝われて余りにも照れくさかったのか、その後は珍しく少し無口になっていた。
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