第41話 雨の日に悪魔を呼んだ

 時刻は十八時を回っていた。外は雨が降っている。それもとびきりの豪雨だ。


 八月もとうとう下旬になってしまい、俺は普段ならば宿題のことで焦り出すものの、結局はギリギリまで引っ張って悶絶していたことだろう。しかし、春華のレクチャーや応援もあってか、意外と余裕で終わるような進行具合になってきている。


 だが、そんな恩を上げればキリがない学園の天使に対して、最近はあまりチャットを返していないし、喋ってすらいない。


 それがどうしてなのかと言えば、簡単な話。俺が避けてしまっているからだ。


 もしかしたら、本当にあのカーストトップの美少女、海原春華が俺のことを好きなのかもしれない……そんなことが脳裏をよぎってからというもの、どうもうまくやり取りできなくなった。チャットするだけで緊張してしまい、今までのように気軽な返信ができない。


 だから最近は天使とのチャット頻度は減り、むしろ悪魔とチャットすることが増えていった。今日もバイト先にいる俺に、奴は会いにくる予定なのだが。


「いやー! 全くもって嫌な天気だ! そして悪い知らせがあるぞ、秋次よ」


「いらっしゃい。どうしたんだよ、なんかイライラしてるじゃん」


 ドン! と大きく扉を開いてやってきたのは学園の悪魔ではなく、豪快かつ型破りなイケメン麗音だった。多少服が濡れているようだったが、マスターは特に気にすることなく台所で調理をしている。珍しく不愉快そうな様子の友人は、店内中央の丸テーブル席に腰掛けると、


「イライラするのも当たり前だ! いいか、よく聞くのだ。せっかくの夏祭り取材が無くなってしまったぞ。我はまだ海原の浴衣姿を撮影できておらんのに」


「お前は海原の写真集でも作るつもりなのかよ! まあ、台風来ちゃってるみたいだしな。今回ばかりはしょうがないって」


 本来なら明日俺達は夏祭りと花火大会の取材に向かうはずだったのだが、今年一番の超大型台風が間違いなく上陸してしまうということで、残念ながら中止になってしまったわけだ。


「しょうがないじゃん。で、ご注文は?」


「コーヒーをブラックで。それにしても、今日という日はなんて不運なのだ。祭りは中止になるわ、我の飼い猫が自分で登ったドアから降りれなくなってニャーニャー朝から喚くわ、自販機に五百円玉を飲まれるわ。何より、あの悪魔女と会わなくてはいけないことが一番の不運だな。今日は厄災の日だ」


「いくら何でも言い過ぎじゃないか。俺としては、別に嫌な奴ではないと思ってるけど。噂のわりには」


 お客さんが友人だけなので、俺としては気楽な時間だった。まあ、客が少ないのは本当にいつものことだけれど。濡らした床をモップで拭いたりしていると、ぐったりとテーブルに突っ伏したイケメンがボソリと呟いた。


「無論嫌な奴ではないぞ、アイツは。噂というものは一人歩きしてどんどん大きくなるからな、それはもう鬱陶しいくらいに。何を隠そう我もその被害者である」


「お前はいつだって加害者サイドのような気がするけどな」


「秋次、お前は解っておらん。何しろ、今の我は彼女持ちということにされているからな」


 俺は思わずあんぐりと口を開き、麗音を見つめた。


「え? そうじゃん。お前彼女いるだろ?」


「しばらく前に別れておるわ。だが学校の奴らときたら、次から次へと妙な噂を流しおって、三股くらいかけていることになっているぞ、今の我は」


「マジかよ。それはちゃんと否定しろよ」


「ふん! 面倒だからそのままにしているのだ。変な女子が色目を使ってくることもないからな」


 そうだった。麗音ははっきり言ってモテる。だが、自分がモテるということに喜びを感じないタイプらしい。友人の俺でさえ、この男が一体何に関心があるのかは謎だが、とにかくそれは異性ではないようだ。


「真栄城など、クラスの男子が虐められているところを庇ったことで悪人になったからな。奴も哀れよ」


 この言葉には、店内を整理していた俺の手も止まってしまった。全く予想だにしていない事を麗音は知っている。


「は? なんで虐められている奴を庇って悪人になるんだよ?」


「おや? まだ知らなかったのか。真栄城と争った挙句、虐め主犯格の男は学校を辞めていったのだ。そいつと親しかった奴らが、奴の悪評を広めたのだぞ」


「……マジかよ」


 思っていたより酷い話だった。てっきり夏希は何かしら悪事を働いていたからこそ、不名誉な呼び名を得てしまったと推測していたんだが。理不尽な感じが胸に沸いてきて、少しだけ気分が悪くなってきた。


「ゆっくりしていってくれよ。麗音君」


「あ、ども」


 マスターが持ってきたコーヒーを口に運び、ようやく麗音は落ち着いた様子だった。雨が少しずつ弱くなっているな、とか考えていると、扉が開いて貞……じゃなかった。雨に濡れた夏希がやってきた。生徒会なんちゃらの集まりで、今日は制服姿だ。


「もう! 酷い天気だわ。今日は記念すべき日だっていうのに」


「いらっしゃい。ご注文は?」


 俺の言葉を聞いて、さっきまで噂をされていたとも知らない夏希はちょっと不機嫌な顔のままでお気に入りの窓際席に座り、


「コーヒーを頂戴。温かいので」


「真栄城、我の真似をするな」


「アンタみたいな脳筋の真似なんか誰もしてないわよ! どうして今日ここにいるわけ? あたしは呼ばれたから来たんだけど」


 フフン、とばかりに上機嫌なドヤ顔をする悪魔に、俺はちょっとばかり苦笑いを浮かべつつ、マスターのところに向かう。気がつけば麗音と悪魔の言い合いはスタートしており、こちらとしては好都合と言える。実は、二人を呼んだのは俺だったのだ。理由は、今日は特別な日だったから。


「マスター、そろそろできます?」


「んー。もうちょっと時間かかるかな」


「コーヒーは俺やりますんで」


 そんなことを話していると、また入り口ドアの鈴の音が響き、誰かが入店してきた。これは想定外だな、とか思いつつ、店員としてしっかり対応をするべくフロアに出る。


「ゴメンくださーい! あ、秋次君……」


 茶色いロングヘアーが雨に濡れて、いつもより色っぽく見える。白いセーラー服も微かに湿っているようだった。俺は唖然として言葉を失う。だって、今一番会うのが怖かった……学園の天使が現れてしまったからだ。

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