第44話 天使の看病

 二学期は昨日から始まっており、本来なら真面目に机で先生の話を聞いているべき時間帯だが、俺はベッドでうずくまっていた。これは断じてサボりではない。早い話が夏風邪である。


 昨日の夜あたりから急に体調が悪くなってしまい、今朝学校に連絡して休みをもらった。両親は心配こそしてくれるが、実は二人とも出張中という最悪のタイミングであり、どうしても戻ってこれないようだ。


 熱まで出てしまったらしく、寒くて辛くて堪らない。心細いが、そんな時にもチャットはくる。


『秋次君おはよー。ねえねえ、今日はお暇な感じ? 私部活なくなったから暇なんだよね』


 今日も能天気な学園カーストトップ、海原春華からのラインだった。


『暇ではあるが、動けない』


『え? 金縛り?』


『違うわ! 熱だよ。風邪引いて学校休んだ』


『え、えええ』


 春華は動揺すると、大体この言葉を放った後にしばらく固まる。チャットにおいてもそれは一緒だ。


『大丈夫!? 熱があるの?』


 と思ったらわりと早めに追撃がくる。マジかよ。


『計ってないけど、多分あると思う。しかも俺あと数日、一人っきりなんだ』


 寂しかったせいか、いらんことまで伝えてしまった。春華からすればどうでもいい情報なのに。それから少しの間返信はなかったのだが、昼休みになってまたキャビネットに投げていたスマホが振動する。


『ずっと一人なんだ……。ねえ、今日お家に行ってもいい?』


 え……とばかりに返信を躊躇う俺。もし会って風邪を移そうものなら、学園一の大罪人になってしまう恐れがある。熱が上がってきているのか、頭がボーッとして考えることもロクにできない。


『いや。移すかもしれないからさ。やめておいたほうがいいって』


『ううん! いいの。移したら秋次君に看病してもらうからw』


『いやいや! でも、お前に風邪移したら、俺きっと殺されるって』


『なんでー? 大丈夫だよっ。秋次君が死んでも、きっと何かが残るから』


『何も残らねえよ!』


『www ねえいいでしょ? スポーツ飲料水とかお家にあるの? 持っていくよ』


 一応常備されてる飲料水はあるが、ちょっと足りなくなりそうな予感もある。俺は普段から人より水分を摂ってしまうタチだし。それに何より、本当は誰かに側にいてほしかったわけで。押されれば紙でできた人形みたいに倒れてしまうくらい弱い。


『じゃあ、悪いけど頼もうかな』


 送ってしまった内容に自分で後悔していると、親指を上にあげるグッドマークのスタンプがくる。あんまり情けない姿を見せたくないと思いつつも、心配されていることがちょっとだけ嬉しかった。




 いつの間にか夕方近くになっている。夏希からもラインがきたが、風邪のことには触れずチャットを続けた。これ以上見舞いに来る奴が増えちまったら罪悪感で死んでしまうだろう。まあ、あいつは俺の家を知らないけど。寒気と頭痛と喉の痛みにそろそろ耐えかねそうだと思っていると、不意にインターホンが鳴った。


「は……はい」


 掠れた声を何とか出しつつ、俺はヨロヨロと玄関に向かいドアを開ける。扉を開いた先には、不安げにオロオロとした顔になっている学園の天使がいた。


「こんにちは。わああ……秋次君、もう死にそう」


「うん。そろそろやべえわ」


「棺桶持ってきたほうが良かった?」


「いらねえ!」


「あはは! じゃあ早速持ってきたのあるから、あげるね! ちょっと入ってもいい?」


「別にいいけど」


 俺はふらつく体でベッドまで戻ろうとした、その時。スッと彼女の両手が俺の体を支えてくる。


「無理しなくていいよ。ゆっくり、ゆっくり」


「お、おおう」


 返事になっていないが、内心驚きまくっていたから無理もない。彼女に支えられながら、俺はもう一度自室に戻り、ベッドに横になる。布団をかけてくれる瞳は優しげで、もうナースさんにしか見えない。


「待っててね! 準備するから。あ……それと。台所使ってもいい?」


「え。もしかして、何か作るつもりなのかよ。いや、そこまではいいって」


「ダメだよ! 秋次君、ほとんど料理とか作らないでしょ。こういう時にしっかり栄養を摂らないと、本当に大変なことになっちゃうんだよ」


「でもさ……悪いじゃん。そこまでしてもらったら」


「いいの。私が勝手にしてるだけだから」


 そう言いながら春華はいつものように、雲ひとつない青空みたいな笑顔になった。俺は少しの間言葉を失い、その眩しすぎる姿に見惚れてしまう。そして彼女は部屋から出て、何かを始めている。


 学園の天使……いや。今だけ限定の学園のナースはタオルで包んだ水枕などを持ってきた後、今度は台所で料理を始めている様子だった。まだ意識は朦朧としているが、少しだけ楽になってきたような気がする。


 俺の部屋に戻ってきた彼女の手にはお椀が二つほどあり、一つはさつまいものおかゆで、もう一つは豆腐白玉とフルーツだった。


「持ってきたよ。じゃあ早速食べよっ」


「あ、ああ。悪いな、ホント。そこに置いといてくれ」


「はい、あーん」


「あー……ん!? ちょ、ちょっと待て」


 大きめのスプーンに入ったおかゆを口元に持ってくる天使に、俺はタジタジになってしまう。だってそうじゃん。まさか学園一の美少女に、本当に食べるところまで手伝ってもらうなんて、贅沢の極みというか、なんというか。


「どうしたの? 早く食べないと冷めちゃうよ」


「いや……自分で」


「ダメ。秋次君フラフラだから、きっとちゃんと食べれないよ。はい、あーん」


 意外と頑固なところもある春華に、俺はもうどうしていいのか解らなかったが、この状況では逆らえそうもない。観念したように口を開いた。


「むぐ」


「あはは! 秋次君、なんか可愛い」


「お、男に可愛いとか言うなよな」


「そっか。そうだよね! ごめんね。はい、あーん」


「え……これ食べ終わるまでやるのか」


「もちろん! はい、お口開けてっ」


 俺は恥ずかしさに抵抗したくなったが、体があまり動かないのでそれも難しいことは明白だった。結果的に最後のフルーツに至るまで、学園の天使に一から十までサポートしてもらったのだ。空になったお椀を見て、彼女はまるで聖母さまみたいな微笑を浮かべる。


「良かった。とにかく全部食べれて。スポーツ飲料はここに置いておくね。冷蔵庫にもあるけど」


「ああ、ごちそうさま。ホントにごめんな」


「いいよ! 困った時はお互い様でしょ」


 言い終わる前に、春華の手が掛け布団から出ていた俺の右手に優しく触れていた。小さくて柔らかい、滑らかな感触が俺の中で浸透してくるようだった。ほとんど意識しないまま、左手で春華の手を包むように触れてみる。何だか泣きそうになってくる。こんなに優しい女子は、きっとどこを探してもいない。


 だが、不意に一緒に歩いていた王子と呼ばれた男が脳裏に浮かんでしまう。何で今アイツが浮かぶんだよ、と自分に嫌気が差してくるが、仕方ないじゃないかと理性で押さえ込もうとした。


「……秋次君。あのね、元気になったら。聞いてほしいお話があるの」


「聞いてほしい話?」


「うん! 元気になってからでいいよ。私も今はまだ、言える勇気がないっていうか、その」


 そわそわしている春華が、いつも以上に可愛らしく思えた俺は、よく事情を飲み込めないままに首を縦に振った。それから一時間ほど側にいてくれたが、無情にもスマホが振動する。どうやらお父さんから電話があったらしく、心配しつつも部屋を後にした。


 その後もしばらく春華からのラインは続いた。本当に心配してくれるんだな、と心の中で感謝しつつ、胸の奥がずっと熱くなっているような錯覚を覚えた。


 この日以降、俺はいつも心のどこかで、天使のことを考えるようになってしまった。

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