第43話 天使と王子様

 とうとう夏休みが終わり、二学期の始業式がやってきてしまった。


 また怠い毎日が始まっちまう。でも今回はちゃんと夏休みの宿題を終わらせてあるから安心といえば安心である。今回の宿敵は意外と余裕だったのだ。まあ、それも学園の天使のおかげなんだが。だからそこまで気が重いわけでもない。


 俺は駅を降りて、学校までの道のりを一人歩いている。朝からテンションが高い連中が羨ましいわ。しかもカップルで登校している奴らもいる。ああやって人前でイチャつける奴らの気が知れないんだが。そんなことを考えていると、ふとこの前カフェであったことを思い出してしまう。


 まさか学園の天使の頭を撫でてしまうなんて。そしてその天使とのチャットは、最近俄然頻度が上がってきている。


 正直に言うと、今そこまでテンションが下がっていないのは、海原春華に久しぶりに会うからであり、もしかしたら。そう……もしかしたら付き合えちゃうんじゃないかという、淡い気持ちに駆られているからなのだ。信じられないことだが、どうやら事実のようらしい。俺が王子様なんて、見当違いもいいところだけれど。


 気がつけば人よりも早く足が進み、どんどん追い越していた。まるではしゃいでるみたいじゃないかと、校門付近までやってきた時、前方に見覚えのある華奢な後ろ姿が見える。数人のリア充グループの中心で、一際可憐な茶色い髪が風に靡いていた。


「あ……おい春、」


 後ろから声をかけようとして、俺は思いとどまった。自分の学校内での身分を、まさか忘れてしまっているなんて、とんだ不覚だった。それと、彼女の周りには一人、あまり見覚えのない男もいる。随分と親しげに、かつ積極的に話かけているように見えるその男は、中性的な顔立ちでかつ長身で、麗音とは別タイプのイケメンであるように感じた。


「見て見て。あれ、薬丸君じゃない?」


 前を歩いていた女子達が、春華達を見て何か言っている。そうか、アイツは薬丸っていうのか。どうやら有名人らしい。


「ホントだー。やっぱ王子様だよね」


 もう一人の女子が放った一言が、俺の心に重いボディーブローを放ったかのようだった。王子様? 王子様だって?


 昇降口で靴を履き替えながら、俺は徐々に理解が深まっていく。もしかして、春華の好きな王子様って、あいつのことだったのか? 考えれば考えるほど合点がいく。よくよく考えてみれば、何処をどう見ても俺は王子様ではないのだ。反対にさっき見かけたあの男は、王子様という言葉が誰よりも似合う気がした。


「何だ……そうだったのか」


 全ては俺の思い込みだったのか。始業式で校長先生の長いお話があり、生徒会長である夏希の挨拶が始まっても、ほとんど耳に入ってこない。どうして当たり前のことに気がついただけなのに、俺はこんなにも体が重くなっているのだろうか。


 そして今日のスケジュールは午前中で終わり、俺は半ば呆然としたまま、特に用もなく家に帰るところだった。鞄に教科書を詰めようとしていたところで、スマホが振動する。


『秋次君お疲れ! 今日は部活なの? バイトなの? それとも私なの?』


 あっけらかんとしてる。まあそうか。別に俺が勘違いしていただけだからな。じゃあ何で、こんなに頻繁にラインをくれるのだろうという疑問が新たに湧き上がってくる。


『最後の選択肢はない! 特に用事はない。ただ帰るだけだ』


 何故か急にアニメキャラが滝みたいな涙を流してるスタンプが送られてくる。謎すぎて脳内がパンクしそうだ。


『ねえねえ、今度一緒にご飯でもいこーよ』


『ああ、考えておく』


 こんな回答をすることが限界だった。今日は正直言うと不貞寝したい。そんな中、次は違う奴がスマホを振動させてきた。


『暇で暇でどうしようもないのでしょう? 一緒に帰らない?』


 こんな嫌味なメッセージを送ってくるのは、学園の悪魔しかいない。まあ、別にいいか。夏希は既に評判悪いし、俺と並んで歩いても影響はないだろう。




「どうだったかしら? このあたしの素晴らしい挨拶は」


「自分で言うなよ。良かったんじゃん。多分」


「何よそれ。曖昧な返事をするのね」


 いつもと変わらない駅までの帰り道。いつもと変わらない商店街通りで、俺だけが普段と違った。どうも心ここにあらずといった感じ。空虚な塊が歩いているみたいだ。正直、夏希の言葉も半分聞いていない。


「もしかしてアキ。あなた、挨拶を聞いてなかったの? まさかよね」


「え、いや。聞いてたぞ」


 思わずドキッとして、ちょっと魂が体に戻ってきたような錯覚を覚える。こういうところ鋭いんだよな悪魔って。左隣を歩いている姿は、まるで何処かの芸能人みたいだ。


「いいえ! 今の反応は間違いないわ。あれだけ長い挨拶をこなしたというのに、全く聞いていないなんてショックもいいところよ。辛過ぎて今日飛び降り自殺しちゃうかも」


「このくらいで自殺はしないだろ! 悪い。いろいろあってさ。考え事をしちまってたんだ」


「ふーん。あなたってやっぱり変わってるのね。学園のみんなは九割九分聞き惚れていたというのに」


「大体のやつは聞いてなかったと思うけど」


「あなただけが惚けた顔をしていたのが壇上からでも解ったわ。名指しで注意しようかと思ったくらい」


「やめろよ! 恥ずかしくて死んじまう」


「終業式の時はいきなり指名するから、返事を考えておきなさい。一発芸でもいいわ」


「お前の挨拶は自由過ぎだろ! 校長先生もビックリだ」


「型にはまらないのがあたしの主義よ。じゃあアキ、今から挨拶を聞いていなかった罰ゲームをしましょう」


「は!? なんだよ罰ゲームって。幾らなんでもやり過ぎだ」


「あたしって時々やり過ぎちゃうのよね」


「解っているなら自重しろよ!」


「いいえ! 出過ぎた杭は打てないものよ。じゃあ……電車を降りるまではこうしていること。それが罰ゲームよ」


「え? そ……おお!?」


 急にモヤモヤした何かが頭から吹っ飛び、意識は全部左手に集中してしまう。彼女の白く柔らかな右手が、スッと絡み付いてきたからだ。ネットで知識としては知っていたが、これは指を絡ませる形の繋ぎ方であり、よく恋人がやっているらしいのだが。


「あ、あのさ……あのさ! これって」


「ん。……なに」


 さっきまで饒舌だった夏希は、急に無口になって隣を歩いている。彼女は他の生徒達の目線なんて全然気にしてないことは普段から知っているが、チラリと目を向けると、なぜか俯いていた。春華みたいに頬が綺麗に紅潮している。


 俺も恥ずかしくなっちまって、結局その後ポツポツと会話を続けるだけで、ほとんどは静かに帰り道を進むことになった。なのに、気まずいどころか妙に心地良い。


 そういえば夏希も王子様が好きだとか言っていたけど。彼女は薬丸のことは気にかけているとは思えなかった。知っているかすら怪しいくらいに。


 全く理解不能な事態だが、もしかして夏希は……俺のことが好きなのか? いやいや! ちょっと待てよ。朝のことで目が覚めたが、俺は王子様ってガラではない。


 家に帰ってからも、脳内で小悪魔はチラチラと顔を見せ、気がつけば心の中に住み着くようになった。

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