第26話 天使は思っていたより怖がりだった

 人生で初めて、それも学園一の美少女を家に招き入れてしまった俺は、内心ではドキドキしっぱなしだった。


 いや、もしかしたら小さい時とかに、近所の女子がきたことくらいはあるかも知れないが記憶にない。それだけ女子と俺は縁遠い存在だったと言えるだろう。人生は全く予想がつかないことだらけ。マジで怖いわ人生。


 リビングのテーブルを挟んで一生懸命に、しかし楽しそうに英語を説明している彼女は、どんな時でも輝いているような気がした。本当に凄い奴だなー、とかぼんやり考えていると、いつの間にか海原がジト目でこっちを見つめていることに気づく。


「天沢君。ちゃんと聞いてるのー?」


「ん!? わりぃ。ちょっと考え事してた」


「もう! ダメだよっ。私だっていつも教えたりできないんだから。今日はあと三十ページは進めようね」


「げえ!? ウッソだろ? そんなに出来ねえよ」


「ううん。天沢君ならきっとできるよ! 私が保証します」


「かい被りだぜそれは。っていうか、宿題写させてくれたらすっごい楽なんだけどなー」


「ダメっ! ちゃんと自分で解かなくちゃ、後々自分が大変になっちゃうんだよ。ゲームで裏技使っちゃうより、ちゃんと進めたほうが楽しいでしょ? それと一緒」


「勉強は楽しくなんて全然ならねえけどな。なあ、ちょっと休憩しようぜ」


 俺があまりにぐったりしているので、流石に海原も仕方ないと思ったのか、ちょっとだけ微笑を浮かべながら立ち上がる。


「うん! じゃあちょっと休憩しよっか。ねえ、ベランダに出てもいい?」


「ん? 別にかまわねえけど、落ちるなよ。死ぬぞ」


「落ちないよー。私そんなにドジじゃないし」


「その割には、けっこうな頻度で転んでないか」


「誰しも転ぶ時はあるでしょ。天沢君の意地悪っ」


 顔をむすっとさせてしまった学園の天使は、リビングの窓を開けてベランダに出ていく。俺はその華奢な後ろ姿と、野球部のマネージャーとして炎天下にいるとは思えないほど透き通った肌を眺めて、妙なため息が自然と出た。


 きっと女子ならみんなが羨むような肌は、全く陽に焼けているような様子がない。どうやらアルミ手すりに両肘を乗せて、外の景色を眺めているらしい。夕方になって幾分涼しくなり、微風が彼女の長い茶髪を揺らした。なんていうか、マジで見惚れてしまう。


 そんな時、急に海原が目を輝かせて振り返ったので、俺は思わず顔を逸らして夏休みの宿題を眺めるふりをする。


「ねえ天沢君。ちょっとゲームしてもいい?」


「……え? なんだよ。ゲームって」


「天沢君、よくラインでお話ししてたじゃん。お暇な時はゲームしてるんでしょ? 私もやってみたい!」


 よく俺のことを覚えているもんだ。カーストトップの記憶力は、どんなことでもちゃんと覚えてられる。記憶の守備範囲が半端じゃなく広いらしい。




「きゃあああ!」


「ちょ、お前。落ち着けって!」


 リビングのソファに座り、家庭用ビデオゲーム機を遊んでいた俺たちだったが、ちょっと遊ぶゲームのチョイスを間違えてしまったらしい。ソファで隣に座っている海原は、もう生まれたての小鹿みたいにプルプルしながら、コントローラーを握り締めて怯えまくっている。俺達は巷でも有名なゾンビを倒すシューティングゲームを二人プレイで遊んでいるのだが、彼女は想像以上に怖がりだった。


「で、出ちゃったよ。天沢君、ゾンビが出て来ちゃった!」


「ゾンビを倒すゲームだからな。それは出るだろ」


「ひゃひいっ! 大量だよ。埋め尽くされるううう」


「大丈夫だ! 落ち着け。落ち着いて一体ずつ撃っていけば、意外とクリアできるんだぞ。このステージは」


 何せまだ最初のステージだから、難易度も恐怖も控えめなはずなのだが。ゾンビが一匹現れるたびにビクッと肩を震わせているところを見ると、この後本格的に怖くなってくるステージに上がれば、泡を吹いてショック死するかも。


「あ、天沢君。助けて! 全部狙って!」


「無理だ! お前も狙ってくれよ」


 幸いこのステージは一人でも難なくクリアできるのだ。俺はポンコツと化した相方を助けつつも、なんとか第一ステージの親玉を倒し、クリア画面が表示されたところで、糸が切れたマリオネットみたいに海原がガクリと崩れ落ちた。


「お、おい海原! 大丈夫かよ?」


「はあはあ……もうダメ。私死んじゃう。天沢君に遺書渡しておくね」


「渡すなそんなもの! っていうかさ。もう遅くなっちまったな」


 気がつけば夕方を軽く過ぎて、そろそろ夜も深まろうという時間帯だ。そんな時、天使の携帯から軽快なJーPOPの音楽が流れる。どうやら着信音のようだ。


「あ、ごめん。ちょっと電話するね」


 彼女は玄関の辺りまで行ってから通話を始めた。わりとサクッと話は終わったようだが、戻ってきた時少しだけ慌てた様子で、床に置いていたバッグを手に取ると、


「お父さんから電話来ちゃった。私の家門限厳しいんだよね。あーあ……もうちょっといたかったなあ」


「え、まさか怒ってた? なんか悪いな」


「ううん! 全然気にしないで! ウチの両親って心配性なの。じゃあまたね!」


「ちょっと待てよ。送ってく」


 流石に家まで送るわけにはいかないが、駅までなら送ろうとは考えていた。中途半端な都会であり田舎のこの街はとにかく治安が良いが、何があるかなんて解らない。海原みたいな女子だったら、寄りつこうとする男も多いだろう。


「え? いいのー。なんか悪いよ」


「気にするなって。しかし海原って物好きだな。俺みたいなやつの勉強まで見てくれるなんて」


 玄関で靴を履きながら、海原は何か驚くような顔になっていた。俺はおかしなことを言ったかなと首を傾げつつ、とにかく二人で家を出て駅へ向かっていく。


 ゾンビシューティングをやっていた時とは違い、今彼女はとても楽しそうに、それは踊り出すんじゃないかってくらい上機嫌に隣を歩いている。何もない住宅街を抜けて、小さな田んぼを眺めつつ、ちょっとだけ都会のビルを歩いていく。特に何もないんだけど、なんか気持ちいい。海原と一緒に歩いていると、俺は時々そんな変な感覚を覚える。


 楽しい時間だけではなく、落ち着いて過ごせる時間だって過ぎることが早いことに、彼女と一緒にいることで気がつかされた。そしてもう、駅構内まで来ちゃったのだ。


「じゃあ天沢君。ここでいいよ。ありがとっ」


「おお。じゃあ気をつけてな」


 改札前で、陽気な海原が手を振って踵を返そう……としていたがUターンして来て、なぜか眉尻を下げつつ近づいてくる。わりかしいつもより距離が近かったのでドキッとした。こっちを見上げた視線は何か不安げでもあった。


「どうした? もしかして忘れ物か?」


「ううん。違う。ね、ねえ天沢君。何か気がついたりしない?」


「うん? 気がつくって何がだ」


 まさか、これは女子特有の面倒臭いパターンじゃないだろうかと、俺はちょっと嫌な予感を感じつつ頭を掻く。こういうのは正直難問中の難問としか思えなくて、正解を言える自信が全くないからだ。しかし意外にも、海原はすぐに引っ込み、


「ううん。今ので解ったから大丈夫だよ。まだ、生暖かいってことだね!」


「へ? 生暖かいって何がだよ」


「ご、ごめん間違った! まだ手ぬるいってことだね。多分」


「全然違う気がするし、よく解らん!」


「い、いいのっ! じゃあね!」


 海原は急に手を振って駆けていき、あっという間にホームへ消えてしまった。結局なんだったのか解らない俺は、ポカーンとしながらその場に突っ立っていたのだった。


 でも一つだけはっきり言えることがある。この日はそれまでに感じたことがないくらい、楽しく満たされた一日だったと思う。それだけは確かだ。

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