第25話 天使のお節介が発動する瞬間

 それはあまりにも唐突な提案であり、俺にとってはハードルが高過ぎて超える気にもならない展開だった。だってそうじゃん、海原みたいな女の子を家に入れるなんて。


「このまま駅前まで歩くのだるいなー。天沢君のお家ならすぐじゃん」


 ノーテンキに野球のボールを軽く浮かせては、グローブでキャッチする仕草を繰り返しながら、海原はたまにチラリとこちらに視線を送る。腕組みしながら考える俺。既にマンションは目前である。


「で、でも。いくら何でも、俺の家はまずいだろ」


「えー。どうして?」


「いやいや、だってさ! 男子の家に女子が上がるってことは、普通いろんな危険があるものなんだ。解るだろ?」


 この世の中、大抵男は野獣である。学園の天使は、みんなが善人に見えるフィルターでもかかってるんだろうか。ちょっと心配になってしまうくらい無防備だ。


「あはは! 大丈夫だよ。天沢君はそんな人じゃないって信じてるし」


「俺が狼じゃないとどうして言い切れるんだよ」


「だって、いつだって優しいじゃん。しかもいざって時は助けてくれるし。野獣系っていうより、少年漫画系っ」


「初めて聞く系統だな」


「海賊を目指す漫画に出てきそう」


「多分、海賊の王様を目指す漫画のことだよな?」


「みんなから元気をもらってるライバルがいそう」


「とんでもないライバルだな」


「実は人間離れしたテニスができたりして」


「やったこともないわ!」


「人を殺せるノートとか持ってそう」


「怖えな! どんだけヤバいやつなんだよ俺は!」


「あはは。とにかくカッコいいってこと。ねえ、もう疲れたっ。ちょっとくらいならいいでしょ?」


 まあ、確かに言われてみれば駅まではけっこう歩くことになる。別にずっと俺の家にいるわけでもないし、流石に疲れてきたからいいか。


「じゃあ。少しだけな」


「やったー! 天沢君のお家に入れる。初めてだよ、男の子の家」


 え? そうなのか。てっきりもう男子の家なんて慣れてるもんだと思ってた。俺達はとにかくマンションの入り口に入り、エレベーターに乗ったのだが、ここにきて徐々に意識してしまう自分がいた。まずい、後から心臓の音がどんどん強くなってくる。


 急激な緊張と不安に襲われつつも、足は自然と部屋の玄関にたどり着き、あっという間に彼女を招き入れることになった。


「わあ! すっごーい。とってもお洒落なお家だね」


 玄関に入るなり、海原は感嘆の声をあげる。今まで家についてはちゃんと話してこなかったが、両親は室内のお洒落にはわりとこだわってる。平凡な3LDKだが、リビングは親父の趣味であるどこぞの絵画が、いくつも壁に飾られていた。ソファとかテーブルとかも白を多く用いており、この辺りは綺麗な空間だ。あくまで、この辺りはだが。


「ねえねえ。天沢君のご両親ってデザイナーさんなの?」


「ん? いや、どっちも会社員だよ。でも働くのがとにかく好きだから、最近は帰ってくるのが遅いんだ。理解しかねるよな。ここで勉強するか」


 リビングのテーブルなら勉強にはうってつけだろう。俺は直ぐにエアコンのスイッチを入れる。だが海原は、どういうわけかちょっとばかり落ち着きなく周囲を見回した後、何故かもじもじした顔になった。


「凄いと思うよ。真面目でいいご両親じゃない。あ、あのさー、天沢君」


「え? どうした。ああ、お菓子なら閉まってあるから、」


「違うよ! 天沢君の部屋が見たいんだけど、いい?」


 うわ……と俺は露骨に嫌な声が出そうだった。とにかく天使は好奇心が旺盛らしく、男子の部屋とやらを覗いてみたいらしい。しかし、正直に言うと見せたくないのだ。なぜかというと、めっちゃくちゃに汚いから。


「おいおい。俺の部屋なんて見たって、面白いことは何ないぞ。虚無みたいな部屋だ」


「え。もしかして何も置いてないとか?」


「いや、ちゃんと物はあるが。とにかく見せたくないんだよ」


「ええー。ここまで来たら天沢君の秘密が知りたいな。だってミステリアスだし」


「何もないって。以前から言ってるが、俺は至って平凡そのものだぞ。とにかくそこのテーブルに座れよ。今ジュースを、」


 冷蔵庫からジュースを取り出して振り返った時、既に海原の姿はなかった。あ、あのヤロ。俺は瞬間移動さながらに自分の部屋までいくと、開かれた扉の前で固まっている彼女がいた。


「ひ、ひゃああー。こ、これは、なんという無法地帯!」


「だから言っただろ! 面白いことなんてねえって」


「もー、天沢君ってばだらしないんだから。ちゃんと綺麗にしなくちゃダメだよ。ねえ、お掃除用具はどこなの?」


「ああ、こっちの部屋に……え!? ちょ、ちょっと待て。お前もしかして、俺の部屋を掃除するつもりか?」


「うん! 勉強の前に、まずは綺麗にしなくちゃ。私に任せて!」


「いいって。そんなことしなくて。散らかっているようで、実は必要なところに、必要な物が置いてある配置なんだよ」


 実のところ全く無駄のない配置になっている自信はある。雑誌だって充電器だって、ティッシュにタオルだって適切な位置にあることは間違いない。まあ、足の踏み場と、見栄えに関してはいまいちだが。


「ダメだよ。きっとこのままじゃ、埃が溜まって天沢君死んじゃう」


「死なねえよ俺は」


「いつの間にかゴミに埋れて、ゴミが本体か自分が本体か解らなくなっちゃうよ」


「もう完全にイカれてるだろそれ!」


「とにかく! これは綺麗にしなくちゃいけません。すぐに終わらせるから、待ってて!」


 頼んでもいないのに海原は、唐突に俺の部屋の掃除を始めてしまった。そして時間が経つこと十数分、本当にあっという間に、乱雑に散らかりまくっていた世界が、整頓されきった秩序に満ちた空間に変貌したのだった。あまりの変わりように呆然と立ち尽くす俺と、一仕事を終えて爽やかな笑顔でガッツポーズを決める海原。


「やったね! これで天沢君の部屋はバッチリだよ。変なブルーレイディスクとかもなかったから良かった」


「変なブルーレイってなんだよ」


「べ、別に! じゃあ勉強しよっ」


 やっぱりエロいものを隠し持ってると疑っていたな。この前のエロ画像事件をまだ気にかけていたらしい。俺がエッチなものを所持していたらどうだと言うのか。別に彼女には何も不利益はないのに。なんだかんだでバタバタした後に、海原との自宅勉強会が始まった。

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