第34話 続・悪魔の誘惑
地球が風邪を引いて熱でも出したんじゃないか、そんな妄想を掻き立ててしまうくらい暑い夏の日。俺は冷房が効いた図書館で優雅に勉強をする予定だった。
しかしながら、実際のところはそういう簡単な流れにはならなかったのだ。図書館の入り口脇に、黒いキャミソールにデニムパンツというラフな服装をした学園の悪魔、真栄城夏希がすました顔で立っている。右脚のサンダル裏を壁につけて、なんかファッション雑誌のモデルがやりそうなポーズをしていた。
「すまん。待たせちまったか」
「いいえ。待たせた分はジュースを奢ってもらう予定だから気にしないで。さあ行きましょうか」
「いきなりゲンキンな奴だな。ジュースを奢る程待たせちゃいないだろ。せいぜい二分くらいだ」
涼しい顔でこちらの話をスルーしながら、夏希は隣を歩き図書館へ足を踏み入れる。街一番の図書館というだけあって、うちの高校の図書室なんて足元にも及ばないほどの面積と蔵書数を誇っている。まあ、当たり前と言えば当たり前なのだが、進んで図書館に行く習慣などない俺は多少面食らってしまう。
「あそこにしましょうか。ちゃんと宿題は持ってきたの?」
「ああ、ここにある。見るだけで忌々しい呪いの品がな」
夏希に言われたとおり、鞄には夏休みの宿題を入れてあった。彼女が指定したテーブルは、超ギリギリで六人くらいが座れる広さで、庭の大部分が見渡せる景色が良い窓際席だ。夏休みではあるが人はあまりいない様子で、ちょっとくらい声を出しても怒られたりはしないだろう。
「それで。一日で終わらせるって、一体どういう魔法なんだ?」
「そっちじゃないわアキ。ここに座って」
「う」
俺は学園の悪魔の向かい側に腰掛けようとしたが、窓際左端にいる彼女は隣を指定してくる。このテーブルはけっこう狭いので、本を広げて勉強をする時真ん中にいると、隣と肩が触れてしまいそうだ。仕方なく隣に座ると、悪魔の柔らかい肩が微かに触れたり触れなかったり。俺は湧き上がる煩悩を振り払いつつも、宿題を開いて終わっていないページを広げた。
「あらあら。まだ中盤にも達してないじゃないの。もう! このペースでは終わらないんじゃなくて?」
「痛いところ突くなよ。これでもいつもよりは早いんだ」
自分で言ってて恥ずかしくなってくるが、夏希は特に笑いもしなければ眉をひそめることもしなかった。そしておもむろに、バッグから何かを取り出して広げてくる。
「え、お前……それって」
「ふふ! あなたと同じものよ。もう終わってるけど」
いつにも増して香水のようないい匂いがする。彼女は自らの宿題をパラパラとめくると、俺と同じページを広げて、指先で少しだけこちらに押しやるようにした。春華についで成績優秀である優等生が書いた、既に答えが全て載っているも同然のページ。
「え。どういうことだよ」
「もう。簡単な話じゃないの。写しなさいよ」
「え!?」
俺は思わず図書館内で大きな声を出してしまい、夏希は指先を縦にしてシーッというジェスチャーをする。動作一つ一つに色気があるというか、大抵の男はコロッと虜にしてしまうだろう。
「あたしのを書き写しちゃえばすぐに終わるでしょう? これならそう時間もかからないわ」
「い、いやいや。それはいけないんじゃないか。流石に」
「ふぅーん。そう。じゃあこの話はなしってことで、」
スッと自らの宿題を下げようとする瞬間、俺の左手が勝手に紙を抑える。
「あら? やっぱり書き写す気があるんじゃない。そうよね。だって、ここで終わらせてしまえば、この一ヶ月何も気にすることなく有意義に過ごせるのだもの」
「ぐうう。し、しかし……」
寸前のところで思い留まろうとするが、何とも争い難い誘惑だ。夏希は静かに宿題から手を離すと、左手を頬に当てて肩肘をつけ、隣にいるこちらに微笑まじりの流し目を送ってきやがる。
「いいのよ。誰にも言わないであげるわ。あたしとあなただけの秘密よ」
「お前、一体何を企んでる? 何か裏があるんだろ。騙されないぞ」
ここまで揺さぶられている俺が言っても全く説得力はないが、とりあえず言わずにはいられなかった。
「え? ふふふ。そうねえ。確かに目的ならあるわ」
ほらきた。どんな悪魔の契約を結ぶつもりでいるのか。
「何が狙いなんだ? 言ってみろ」
「え、えーとね……その」
ここにきて悪魔の反応は意外そのものだったと言える。だって、バトル漫画の悪役よろしく太々しく宣言するものだと思っていたからだ。明らかに何かを躊躇しているところを見ると、想像以上にヤバイ交換条件を出すつもりかもしれないと、心の中の警戒レベルが一段階上がる。そして小さく潤いのある唇が静かに息を吸い込み、何かを決意するように、
「じゃあね……これを全部写してあげる代わりに、あたしと、」
「二人ともお疲れ様っ」
唐突に風鈴みたいな爽やかな声がした。俺と夏希がハッとして顔をあげる。きっと部活帰りだったのだろう、そこにいたのはセーラー服に身を包んだ天使、海原春華だった。
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