最終章 天使か、悪魔か

第40話 天使の憂鬱、悪魔の微笑

 天沢秋次達と城見学やプールに行った二日後、海原春華はカフェのテラス席で一人ため息を漏らしていた。普段は天真爛漫で前向きさしか見えない彼女にとって、それは珍しい光景だった。


「なんか……レスが遅くなってる」


 彼女がスマホで開いていたのは、秋次とのチャット画面である。今までは遅くても数時間待てば返信がきていたのだが、ここ二日ほどは違った。半日経っても返信がこない場合があり、きたとしても一言、二言程度の淡白なものだ。


「うぅん……」


 力なく丸テーブルに突っ伏す彼女に、背後から誰かが近づいてくる。


「なーに落ち込んでんの!?」


「ひゃうう!?」


 突然首筋に冷たいものを当てられて、学園の天使は小さく体を揺らした。冷えたジュース入りのカップを当ててきた友人、美姫はケラケラ笑いながらも向かい側に腰掛ける。


「ちょっとぉ。やめてよお!」


「だってさー。春ってば珍しく、なんかへこんでるし」


「え。別にへこんではいないよ」


 思わず視線を逸らした瞬間を、親友の一人である美姫は見逃さない。


「ふぅーん! じゃあ悩んでるわけだ。春が悩んでること、当ててあげよっか?」


「え! 解るの?」


「解るよ。天沢君でしょ」


 海原は大きく目を見開いて、十秒近くも動きを止めてしまう。美姫はそんな親友の解りやすいリアクションがおかしくてたまらない。


「え、えええー」


「あははは! ウケる! バレバレだよ。きっと好きなんだろーなって、ずっと前から気づいてたし」


「凄いっ! 美姫ってもしかしてエスパーなの?」


「違うよ。すっごい解りやすいタイプだよ、春は。でもさー」


 ジュースを一口含みつつ、彼女は思案するように腕を組んだ。


「どうして天沢君なの? ちょっと意外過ぎなんだけど」


「え。そうかなー。カッコいいじゃん」


 海原は意外とばかりに即答すると、今度は美姫のほうが面食らってしまう。


「え、あ、うん」


「何そのリアクションー。カッコ悪いと思ってるの?」


「べ、別に思ってないけど、うん。普通かなって。だって春、恋バナになると言ってたじゃん。王子様が好きだって。あれって、薬丸君のことだと思ってたんだよね」


「ううん! 違うよ。秋次君、王子様じゃん」


「え!? ああ、うん」


「何その反応ー。あ、そうだ! ねえ……秘密だよ。この話」


 美姫はプッとジュースを吹き出しそうになるが、寸前で堪えて数秒後にまた笑い出した。


「あははは! 大丈夫大丈夫! あたしは口が固いんだから。……多分言わない!」


「多分じゃなくて、絶対だよー」


 顔をむすっとさせた学園の天使と友人が戯れている中、申し訳なさそうに駆け寄ってくる二人組がいた。一人は薬丸充であり、もう一人はクラスメイトの女子。


「ごめんごめん! 遅くなってしまったね」


「あー! 全然気にしないでいいよ。むしろ今のタイミングで良かったかな。いろいろ相談もしてたし。ねー……春」


 美姫にからかわれ、海原は耳まで赤くなり、


「や、やめてよっ。別に相談なんてしてないし」


「え? 何があったの。春ちゃん」


 学園の天使は首をぶんぶん横にふった。そんな仕草を薬丸充は興味深げに眺めつつ、次の瞬間にはにこやかに隣の席に腰掛けていた。中性的なルックスと、勉強もスポーツもそつなくこなす優秀さで、彼は学年でも高い人気を持っている。天沢秋次とは対極に位置しているような存在だった。




「お姉ちゃん、最近変わったね」


「ん? あたしが? そうかしら」


 夕方まで友人と公園で遊んでいた真栄城裕は、迎えにきた姉と一緒に自宅まで帰る途中だった。既に築何十年と経っている一軒家ばかりの通りを、彼女は買い物袋片手に歩き考えを巡らせる。


「なんか明るくなった」


「んー。特に変わってないと思うけど?」


 真栄城夏希には特に自分に変化があるとは思えないし、考えたこともない。しかし弟は、姉が最近以前よりも明るく、ほんの少しではあるが社交的になったように感じられた。高校生になってから姉は酷く他人に冷たい面があり、自分との対応の落差が逆に怖かった。彼女の変化に敏感だったのだ。


「お姉ちゃん、きっとお友達ができたんでしょ?」


「友達……は、いないんじゃないかしら」


 何もない田舎道を歩きながら、少年は質問の内容に少しばかり後悔した。真栄城夏希は自分に友人がいるという自信がなかった。自分がそう思っていても、相手が同じように友人と思っているとは限らない。ふと、今日はあまり喋らないなと不思議に思い、弟は彼女を見上げる。予想していた姉の表情とは違った。


 姉は楽しげな微笑を浮かべてスマホをいじっていた。最近たまに話が出るあの人だ、と直ぐに解った。裕はまだスマートフォンの使い方もよく知らない上に、チャットというものも理解できていない。それでもスマホを使ってお話をしているのだということは、何となく理解できるようになっていた。


「アキって人とお話ししてるの?」


「え? あらあら! よく解ったわね。そうよ。アキお兄ちゃんとチャットをしていたの」


「アキお兄ちゃんは、お姉ちゃんのお友達?」


「そう……かな」


 夕暮れ空を見上げながら、真栄城夏希は考えているようだったが、ただぼんやりしているようにも見える。アキって人とお話ししている時だけは、姉は自分に過剰なほどの干渉をしてこなくなる。名前しか知らない人に、弟は心の中で何度かありがとうを言っていた。


 このままアキという人とお姉ちゃんがもっとお話をするようになれば、きっと自分は今より自由になれるはず。そうぼんやりとした希望を持っていた。考えるなり元気になってきて、駆け出したい気持ちになってくる。


「ねえねえお姉ちゃん! 僕この前算数のテストで八十点取ったの」


「うふふ! 知っているわよ。ゆう君、本当によく頑張っているわ」


「今度はもっともっといい点数取るよ!」


「まあ! もっt頑張るつもりなのね。お姉ちゃんも鼻が高いわ」


 姉は買い物袋を持ちつつも、両手を頬に当てて今にも泣きそうなほど感激した顔になっている。ここまで機嫌を取っておけばいけるはず、と少年は兼ねてからお願いしようと思っていたことを、勇気を出して口にする。


「だから。その……お姉ちゃん! 今日からはお風呂は、一人で入りたいん……だけど」


「うふふふ。そう……え? だ、ダメよ! ゆう君にはまだ早いわっ!」


「わああ!?」


 突然彼女が大きな声を上げた為、弟は驚いて飛び上がってしまう。だが姉は、直ぐに穏やかな微笑を取り戻すと、


「お姉ちゃんがいないとまだ危ないのよ。だから今日も一緒に、ゆっくり入ろうね」


「え、ええー……」


 少年はガッカリしつつも、こうなったらアキとかいうお兄ちゃんに頑張ってほしいと、心の中で強く思うのだった。

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