第12話 天使のお願い

 あの学園一の天使とまで言われる海原が、頼んでくるお願いっていうのは一体何だろうか。


 期末テストが終了した次の日、何だかそわそわした気持ちで放課後まで過ごすことになった。


『まずは、放課後一緒に帰ってほしいの。そこでお願いが何か言うね!』


 ついつい昼休みに何度も彼女のラインを見てしまう。そして考えても出ない答えに頭を悩ませていた。マジかよ。もしかしてとんでもないお願いをされちゃうんじゃないだろうな。実は海原にヤンキーの知り合いがいてカツアゲされるとか、借金の肩を持たされるとか、改造人間にされちゃうとか……。


 いやいや、アホか。どれもあり得ないだろ。あの超がつくほどお人好しな奴が、何かを悪いことを計画しているとは考え難い。他の奴ならまだしも、海原はない。


 そして眠気を誘う国語の授業が終了した時、いよいよ放課後がやってくる。俺はどうしても海原に一つだけ頼んだ。こんなラインを送ったのだ。


『みんながある程度帰ってからにしようぜ。な?』


 はっきり言って、俺の評判はお世辞にも良いとは言えない。クラスでは日陰者まっしぐらなのに、学園で一番輝いている天使と一緒にいるなんて知れたら。実は恋人同士なのかと勘違いされて、妙な詮索が始まるかもしれない。その鬱陶しさといったらないだろうし、もしかしたら海原の評判を落としてしまう可能性もある。


『もー。天沢君って何かから隠れてるみたい。でも良いよ。君がそうしたいなら』


 グッドを意味する、親指を立てるポーズのスタンプと共に帰ってきた返事は、いくらか俺を安心させた。今日は部活もないし、海原とマスターの手によってシフトを変更されたから暇そのものだ。三十分ほど教室でスマホをいじることに夢中になっているフリをしてから、ようやく俺は校門に向かった。




「遅ーい。約束の時間より遅いよ!」


 ちょっとばかりむすっとした顔の天使が校門で待っていて、俺は頭を掻きながら、


「悪い。もうちょっと長居したほうがいいかも知れないって思ってさ」


「天沢君って指名手配でもされてるの? それとも賞金首?」


「どっちでもねえよ。俺みたいな奴、犯罪なんてする度胸もない」


「賞金首だったら良かったのに。今仕留める絶好のチャンスだし」


「物騒な奴だな! お前は賞金稼ぎか」


「あはは! じゃあ行こー」


 本当にノリがいいんだよな。部活動をやっている連中くらいしか残ってない校舎を背にして、俺達はまたいつもの道を帰っていく。そしていつも通りに上り電車に揺られ、とうとう俺の最寄駅付近までそのままだった。隣に座っている美少女は普通に起きていて、とっくに降りるべきところをスルーしている。


「なあ、そろそろ言えよ。何処にいく気だ?」


「うん。じゃあ言うね! 天沢君のお家」


 一瞬目の前が真っ暗になったかと思う程の衝撃だった。今まで聞いた発言の中でとびきりショッキングだったので、普段は眩しすぎる微笑をずっと凝視してしまう。


「な、何で……」


「の、近くにあるケーキ屋さん!」


 今度は頭の中が真っ白になった気がした。遠のく意識をなんとか保ちつつ、盛大なため息を漏らす。


「何だよー。ビックリさせやがって。そんなことだったら、普通に頼めよ普通に」


「だってだってー。この前すっごい美味しいケーキ屋さんが近くにあるって言ってたのに、なかなか何処にあるのか教えてくれないじゃん。ここまで来たら教えてくれるよね?」


 平然とした顔で電車の広告に顔を向ける俺だが、心臓はバンドのドラムみたいにガンガン叩かれまくっている。俺の家の近くには、知る人ぞ知る三つ星ケーキ屋さんがあって、実は隠れて芸能人も買いにきているのではないかと言う噂まである。


 以前甘いものが大好きな海原と、ラインで適当に話したところ、想像以上にガッツかれたのだが、まさか本当に向かうつもりだったとは。そしてとうとう電車は南駅に到着し、二人で俺のマンション近くまで歩き始める。


 中央広場を抜けて、小さなビルが並ぶ広い歩道を二人で歩いているだけで、ちょっと俺はドキドキしてしまう。これじゃ何だか、カップルみたいじゃないか。しかし隣を歩いている天真爛漫の鏡みたいな海原は、


「ケーキ、ケーキ、天沢てーん」


「俺の店じゃねえから」


 即興で作り上げた歌を口ずさむほどテンションが上がっている。正直、どうしたらいいものかと悩むこと十分ちょい、とうとうケーキ屋さんに到着した。二階だての、何とお城をモチーフにしたケーキ屋であり、店内で飲食することも勿論できてしまうのだ。


「すごーい! 西洋のお城をちっちゃくしたみたいな外観だね」


「ああ、メルヘンって感じなんだよなぁ。じゃあ、入るか」


 もう童心に帰った子供みたいにキラキラした瞳になっている天使を引き連れ、俺は数年くらい入っていない店内に入る。


「いらっしゃい……おお! 秋君じゃないか」


 コックの帽子をかぶったお腹のふくよかなおじさんが、カウンターから声をかけてくる。この店の店長であり、俺とは昔からの知り合いだった。


「どうも、久しぶりっす。ちょっとケーキ食べたくなったんで寄りました」


「ほほう。珍しいもんだ。おや、そっちのお嬢さんは」


「あ、こんにちは。私海原って言います。天沢君のスクールメイトなんですっ」


「ほっほっほ。これは快活なお嬢さんだね。さあさあ、今一番人気のある席が空いてるよ。二階どうぞ」


 堂々とスクールメイトって言葉を使う奴も珍しい。店長はなんだか微笑ましいものを見るような温かい目をして、手で店の中へ促していく。


「わあああ。すっごーい!」


「今日はマジで凄い連呼してるよな、お前」


「だってだって、お店の中までピカピカだよ!」


 俺達はメイドさん的コスチュームの店員に案内されて、一つだけあるテラス席に腰掛けた。町を一望できる風景は悪くない。遠目に見える年季の入った電車が、さっきまで俺たちを運んでいたんだよなと考えていたら、食い意地の張ってそうな天使がずっとメニューと格闘していることに気づく。


「えーと。シフォンケーキもいいけど、アップルケーキも捨てがたいし、ガトーショコラも一口味わってみたいし、」


「そんなに食いたいもんがあるなんてな。俺はジュースだけにしとくわ」


「ええ! どうして? 勿体ないよ。こんなに美味しそうなケーキ達が泣いちゃうよ」


「ケーキは泣かないだろ。泣いたら怖いわ!」


「天沢君って甘い物苦手なんだっけ? ごめんね、無理して付き合ってもらって」


 申し訳なさそうに上目遣いになる顔にドキッとしつつ、俺もテーブルに供えられているもう一個のメニューを眺め始めた。


「別にいいって。マジで期末テストではお世話になったし、これくらいどうってことない」


「そっか! 良かった」


「もう決まったか?」


 海原がコクリとうなずいたので、俺はメイド的なファッションのお姉さんに手を振る。うーん、しかし店長。趣味がいい。


「ご注文は何になさいますか?」とおしとやかな声で聞かれたので、俺は「メロンジュース」と答える。甘い物大好きな天使はと言うと、


「こ、恋の奇跡ケーキって言うのでお願いしますっ」


「凄い名前のケーキ選んだな。じゃ、じゃあ以上で」


 店員さんが去ってからも海原は目を爛々とさせて、店内や景色、それから俺を見たりして普段の三割増しでキラキラし始めた。こんなに明るくて面白くて、その上頭も良いって反則だな。だから学校の連中も、みんな彼女に夢中になるわけだ。今も時折ラインが来てるみたいで、俺と喋ったり店内の雰囲気を楽しんだりチャットしたりを同時進行でこなしてる。


「お待たせいたしました。メロンジュースです」


 意外とジュースが届くのは早かった。まだ五分とたっていないが。


「ありがとうご……え」


「天沢君。それって」


 俺と海原は同時に目が点になった。ちょっと大きめのメロンジュースに添えられていたストローは、どういうわけか飲み口が二つ備えられている。俗にいうカップルストローと呼ばれるものだった。

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