第二章 天使と悪魔

第17話 悪魔に遭遇してしまった日

 この学校には天使がいるが、牛耳っているのは悪魔である。


 もちろんこの表現も比喩ではあるのだが、実際悪魔と呼ばれて周りから恐れられているにも関わらず、六月に行われた生徒会長選挙に一年生でありながら当選してしまった、そんな矛盾だらけの女は確かに存在している。


 彼女の名前は真栄城夏希まえしろなつき。まだ一年生だというのに生徒会長になってしまったという前代未聞の快挙だったわけだが、彼女の周りにはどうもきな臭い噂がつきまとい、決してイメージが良いわけではなかった。例えば柄の悪い連中と付き合いがあるとか、選挙で何かしらの不正行為を行なっていたとかだ。


 そんな人間であるにも関わらず、海原にはギリギリ届いていないが成績優秀、モデルのようにスラっとしていて美人であるらしい。


 まあ、俺みたいなカースト下位に位置している男など、接点はおろか視界にも入ることはない……筈だった。




「やっベー! このままじゃ終電に乗り遅れちまう!」


 ルーティンワークであるバイトが終わり、俺はいつも通り時間に余裕を持って電車に乗れるはずだった。しかしながら、どういうわけかその時は、立ち寄った書店でギリギリまで立ち読みをしてしまい、終電が発車する時刻である二十三時半までわりとギリギリになっていた。


 とはいえ、このペースで走り続ければ難なく間に合うだろう。そう思っていた矢先だった。電柱の側に座り込んでいる、うちの制服を着た女子を発見したのは。


 長い黒髪が寄りかかるように電柱に体を預けているようだった。こんな遅い時間帯に女子が一人で座り込んでいるという状況は、何かよくない事情がありそうだ。とはいえ終電時間は迫っているし、放っておきたい気持ちにも駆られたが、俺は足を止めてしまった。


「どうした? 大丈夫か?」


 その人が上級生であるという可能性もけっこう高かったのだが、焦りまくっていたのでつい敬語が抜けてしまった。女の子は見るからに青ざめていた顔で、キッとこちらを睨みつけると、


「話しかけないで、この下衆」


 うわぁ。どうしてしょっぱなからこんなキツイ言葉を投げてくるのかと、話しかけたことを後悔する。でも、声自体はそこまで辛辣な感じじゃないからまだ良かった。俺の豆腐メンタルが一気に警戒信号を鳴らすが、やっぱり放っておくわけにもいかないだろう。そして彼女は、驚くほど美人だった。


「いや、こんな所でうずくまってるから。つい……」


 彼女の額からはうっすらと汗が滲んでいて、体調が悪そうなことは間違いない気がした。


「別に関係ないでしょ。ちょっと休んでいただけよ。もう少ししたら電車に乗るわ。さっさと消えて。この豚! 猪! いったんもめん!」


「酷いな! 最後の妖怪だし、俺そんなペラペラじゃないぞ! 電車はもうすぐ終電だ。間に合わないだろ。親御さんが迎えに来てくれんのか?」


「親はきっと、今日は来れないわ。でもいざとなったら……こ、コンビニで朝までいるから」


「もうコンビニだって閉まるだろ?」


「……何とかするわ」


 弱々しい返事だった。この辺りのコンビニは二十四時間ではない。というか、もうすぐ何処のお店も閉まる時間帯だった。この女の子はマジで行くあてをなくしてしまうだろう。流石に女子が一人でずっと真夜中に彷徨い続けるのは物騒すぎる。


 もう終電までマジで時間がない。置いていくか連れていくか、ギリギリの境界線でタイムアウト間近だった俺は、もうやけくその行動を選択してしまう。


「もう! ちょっと掴まれ!」


「きゃあ!? な、何。ちょっと、ちょ」


 俺はちょっとだけ彼女の体を後ろに傾けさせてから、思い切り抱き上げた。普通は背中におぶらせるものだけど、彼女は頑として協力してくれそうにないから、強行作戦に出ることにしたのだ。海原にした時と同じ、お姫様抱っこの体勢になってしまったが、今回はそのまま走り出した。


 体を鍛えておいたことは無駄じゃなかったらしい。駅の入り口付近に設置されている丸時計は、タッチの差で発車時刻に間に合うことを教えてくれた。


「…………」


 最初は手足をバタバタとさせていたその女の子は、次第に大人しくなり、しばらく呆然とした視線を向けていたが、たまにチラリと俺が顔を向けると、不機嫌そうに視線を背けた。そんな時、凄く肝心なことを聞いてないことに気がつく。


「上りの電車? それとも下り?」


「……上り」


 不機嫌そうな彼女の返答に、俺は内心ほっとする。もし下りだったら乗る電車が変わるから、どうしようかと焦ってしまうところだ。


 階段を駆け上がり、何とか片手を自由にさせてお互いの電子カードを改札にタッチさせ、本当に電車の扉が閉まるギリギリのところで突入に成功する。


「ま、間に合ったー!」


 駅員さんの注意のアナウンスがいつもより強めだった。きっと俺に対してのものに違いないだろうけど、まあ今回はしょうがない。大きく肩で息をしながら、走り出した電車の中で立ち尽くしていると、しばらく黙りこくっていた少女が口を開く。


「そ、そろそろ……降したら?」


「あ! 悪い!」


 俺はすぐに彼女をロングシートの角席に座らせる。そして自分は二人分ほど席を開けたところに腰を下ろしたのだが、彼女はずっと黙ったままだ。しかし、こんなに顔が赤かっただろうか。


 終電ともなると電車の中は本当にガラガラだ。この車両には二人しかいない。しばらくは沈黙が車内を支配していたが、二分ほどしてから彼女の小さな声が響く。


「アンタ……名前は?」


「え? ああ、俺は天沢秋次」


「……ふーん。あたしのこと知ってた?」


「いや、知らない。あ、もしかして上級生だった? 俺は今一年生なんだけど」


「あたしも一年よ。その……一応お礼は言っておくわ。ありがとう」


 彼女はそれっきり黙り込み、俺たちの会話は終了となってしまった。今でも体調は悪そうだが、会った当初よりは持ち直しているみたいだから、まあ何とかなるだろう。


 彼女がこの学園きっての悪評持ちでありながら、生徒会長になってしまっているという矛盾だらけの存在、真栄城であることを知ったのは、後日になってからだった。

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