第3話 背中合わせの影
「旗上げするにあたっていくつか条件がある」
密談を始める際に、おやっさんが厳かに口を開き、それに加わるように官兵衛も頷いた。
「一つ。主君小寺の処遇」
「助命嘆願か?」
「ああ。乱世を生き抜くには物足りない主君ではあるが、それでも我ら黒田家は小寺家に対して、恩というものがある。なるべくでいい。殺さず……そうだな、逃がしてやって欲しい」
いきなり難しいことを言う……。
不殺のお願いとか、日本史上で燦然と黒く輝く黒田家らしくないとは思うが、意外と篤実家だ。
もっとも、その恩恵にあずかっているのは他でも無い養子の俺なので俺からすれば意外でも何でもない条件だ。そして俺は実際にこの家がどういう家かと言う事をこの眼で見てきている。
「……まあ予想通りかな。次は」
「二つ目。しばらく、わしと官兵衛は表立って参加しない。最低限の兵は貸し出してやる。お前だけでやれ」
「うぇっ?!」
おお、やべえ、変な声が出た。
コホン、と空咳一発。気を取り直して二人の真意を問うべく視線を向ける。
その視線を受けて、官兵衛はやれやれと言った感じに頭を掻いた。
「更に言えば、俺が御着側に付く―――……フリをする、と言えばわかるか?」
「もう一声」
「全ての元凶を親父じゃ無くて、お前にする」
「成程。ようやくわかった」
官兵衛との会話はなんというか、直喩が少なく「察せ」で終わる所が多い。頭いい奴によくある傾向だ。そうやって普段から鍛えられたお陰か、今のやり取りだけで、大まかな筋書きだけは読みとる事が出来た。
筋書きがわかれば後は早い。
「つまり、今真っ向からこの城の手勢を率いると、『俺の反乱』じゃなくて『おやっさんの反乱』になっちまうって事だろ?」
「ああ。親父がこんなにすんなりとこの城を明け渡すとは思わなかったから……少々予定を変更して、『お前が姫路を乗っ取った』という所から流れを始める」
つまり、編集点という奴ですね、官兵衛D(ディレクター)。
「で、それを御着に知らせ、『俺が姫路を乗っ取った』という既成事実を周囲に認知させてから御着城を奪えって事か。成程な……」
「それが、わしと官兵衛の小寺家に対する最後の恩返しだと思え。あと、わしが反乱の旗頭になると、よその家に嫁いだ娘たちが大変なことになる」
がっしりと腕を組んだまま剣呑な目付きでおやっさんが呟くが、どう考えても本音は後半の気がする。俺だって義姉たちの事を出されたら頷くしか無いわい。
だが、真面目な話、前半部分も本音なのだろう。それは決して、おやっさんらや官兵衛が悪名を被りたくないという訳ではない。義理の親子だから、義理の兄弟だからつき従う事が当然だと、周囲が納得する訳が無い。それほどまでに、この戦国の時代が甘くない事ぐらい俺だってわかっている。
力でねじ伏せ、利益で報い、道を指し示すからこそ、人は付き従う。
おやっさんが俺たちにすんなり従った理由は、日頃から俺達の事を見て、かつ、その行動のどこかに今以上に自分の利益になるような事を見出したからだ。
だが、無名でほぼ実績が無きに等しい俺達は、他の人間から見たら、付き従っても何の利益が無いと思うだろう。
だから、先行して実績を作る。この場合言ってしまえば、戦の勝利と下剋上の完遂だ。
この観点から見ても、『おやっさんが旗頭』ではなく『俺が旗頭』と最初から周知された方が良いに決まっている。そうなると必然的におやっさんの力は大っぴらには借りる事はできず、また、その直系の息子である官兵衛が表に立つ事も不味い。
正直、官兵衛とおやっさんの力が借りられない事は痛いが……まあ、こうして陰謀に加わって貰っているだけでもありがたいと思わないとな。
「それと、奇襲の利を捨て、予定を変更するにはもう一つ理由がある。貴様にわかるか?」
「足場となる拠点が確保できた…からか?」
「違う。次の獲物だ」
「内紛を見せつけ、釣り出すつもりか」
話を次のステージに移した官兵衛は、俺の口から出た推論に微かに頷き、俺達の前に姫路城周辺の地図を広げた。その指が西から姫路へ向けてすーっとなめらかに地図をなぞる。西からこの姫路に。やけに現実味を帯びている行軍路だ。
「小寺一族が内紛となれば、他も動くはずだ」
「まあ、俺が敵側でもそうするわな」
「おそらく最初は静観する。内紛が深くなれば動くだろう。動くとすれば龍野の赤松下野守」
「……守護赤松の世継ぎ争いを口実にするか」
この播州は赤松家が代々守護と君臨してきた国。だが、力を削がれた守護家は没落した上に内紛を起こしている。前守護、赤松晴政とその息子、現守護の赤松義祐による親子間の権力争いがこの国の群雄割拠の大きな筋だ。
そして、赤松下野守は赤松晴政側。そして俺たちの現在の主君、小寺政職は赤松義祐側だ。小寺が揉めれば間違いなく手を伸ばしてくる。
「その前に終わらせられたら最良。もし攻めてきたら先に迎え撃つ」
「手を組まずに、か?」
「お前は良くても、俺と父上は建前上、小寺側に立たなければならないからな」
「成程……」
「それに、この時点で手を組む組まないなど、言ってられん。大望を抱くなら小競り合いなどひと呑みしろ」
「……ぐうの音も出ねぇな。やるとしたらここか」
予測される行軍路を見て、何カ所か俺が指で襲撃地点を示すと、官兵衛もゆっくりと頷いた。
寡兵で二面作戦など馬鹿げているが、地の利があり、背後の備えがしっかりとしている限り、引き込めばまず大丈夫だろう。中々大変な戦だが、少なくともこの城の兵はらばそのくらいやってのけるだろうという錬度への絶対的な自信がある。
だが、おやっさんのみ、少々渋い表情を崩さずに地図を見つめていた。
「おやっさん、何か気になる点が?」
「ああ。赤松はいい。問題は余所の勢力が動いた場合だと思ってな」
「別の勢力?別所は三好の侵攻で動けないはずだが」
「あるいはその三好が侵攻してくる可能性もなきにしもあらずだぞ?官兵衛」
今度は東側から御着城に向けて、行軍路がすーっとなぞられる。その途上に何個か姫路城と同じく御着城の支城に当たる城が点在しているが、大軍で押し寄せられた場合、かなりさし込まれるだろう。
「そうなると、少し厳しいぞ。三好相手だと兵力差が酷い。カサゴを狙ってウツボを釣るようなモンだ」
「……ああ、確かにな」
救いは西からとは違い、東から攻められる際に数クッションか存在する事だろうか。
あるいは、その『数クッション』を奪う事を目的として動いてくるか……。
それならば、奪い返せばいいだけだから、ある意味楽なんだが……流石に本腰入れてここを狙われると厳しい。
「だが、官兵衛、おやっさん。三好は確かに脅威だけど、それよりも西から浦上、って方が可能性が高くないか?」
「浦上か。風評を聴く限り、更に西からさし込まれているらしいから、動けはしないだろうと思うが……赤松と組んでくる可能性も否定できないな。重臣の宇喜多ぐらいは寄越すかもしれない」
「宇喜多、か」
当代は“謀聖”と謳われた宇喜多直家。現在はまだ小勢力に甘んじているが、言わずと知れた大物だ。
地味な連中が多いこの地帯で官兵衛以外で唯一名前を挙げる事が出来る存在……出来れば味方にしたいものだ。味方にしたら味方にしたで、毒殺されかねないけど。
「手ごわいな。だが、外部が動けばわしらも手を出す事が出来る。それまでに多少の根回しも必要となるか……やれやれ、隆鳳に任せるとはいっても、大人しくもしてられんか」
ああ、そうか、外敵相手ならば、ともに手を取る大義名分も立つか。
……外から敵をおびき寄せるのは、むしろ、それが狙いか?
まあいい。俺は参謀の意見を信じるだけだ。
「わかった。相手がなんであれ……決まりだな」
「しくじるなよ?」
「お前こそな、官兵衛」
「俺が何をしくじるというのだ?」
「……ま、頼りにしてるぜ、参謀。ひとまずここでお別れだ」
渋い顔をする官兵衛に笑いかけ、俺は立ち上がりながら抜き払った脇差を地図の上に突き立てる。
「さて、はじめるとしようか」
元は最底辺の生まれだから、この時代の生きづらさは十分知っている。
前世が無かったら、「こんなものか」で終わっていたであろう、惨めな日々だ。
だから俺は野心を抱いた。だから俺は夢を見た。
見たくない物を「見たくない」と目を瞑る日々は終わりだ。
「立つぜ。天下獲りだ」
その日、小寺家本拠、御着城に戻った黒田官兵衛により情報は伝播する。
黒田職隆の義子、黒田隆鳳、城内の数名の兵を率い謀反。
姫路城陥落。
城主、黒田職隆及び、黒田官兵衛以外の一族の安否は不明。
一挙騒然となる。
黒幕二人。背中合わせの影が二つ。
定められたはずの未来と決別した時代が踊り出す。
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