第12話 Requiem for us

 「……これは想像以上に大変だぞ」


 行きはよいよい帰りは恐い。

 一度走破してみて気が付く。見通しがちょっと甘い、と。


 姫路から宇喜多直家の居城、備前亀山城まで体感で約90kmぐらいだっただろうか。供を騎馬武者の馬廻りだけに絞っても、行きで二日半はかかった。昼夜問わずで行動したわけではないが、帰りは騎馬だけでは無い事を考えると、背筋に寒い物が伝い始める。行きは静かだったが、姫路とここの間には龍野赤松の勢力圏と、浦上兄の勢力圏があるのだ。帰り道、こいつらが大人しくしているわけが無い。


 さながら気分は関羽千里行やな。


 なにが「貴様がいれば大丈夫だろう」だ、官兵衛のバカ野郎が。計算が甘すぎねぇか?俺が後3人ぐらいは要る。武兵衛ならば5人。藤兵衛(小寺政職)ならば3000人……いや、アイツは何人いても全員逃げるから無理か。もしかしたら帰巣本能は凄いかもしれないけど。


 「流石に行きは手を出してこないか」

 「某が敵方であれば、先年『御着崩れ』にて名を挙げた母里殿が率いる黒田家馬廻り50騎を襲おうとは思いませぬな。実際、城から姿が見えた時はどこの手勢が攻めてきたのかと」


 無事に往路を走破し、息をついた武兵衛の言葉に、歓待役の渋めの容貌の男性が応え、そして一度言葉を切ると俺に向けて頭を下げた。


 「それに、まさかとは思いましたが、黒田左近将監様御自らのお迎えとは恐れ入ります」

 「気にするな、又七郎殿。こちらこそ、慶事なのに物々しい出で立ちで申し訳ない」

 「しかしまた、思い切った事を致しましたな」


 俺も馬から降り、その渋い男性――宇喜多の重臣、花房又七郎正幸に頭を下げると、彼は少し声を潜めながら呟いた。彼は俺に備前長光を届けてくれた使者でもあり、この婚礼の調整の為の宇喜多側の窓口になった人なので、ある程度気安くはなっている。

 前世では申し訳ない事に勉強不足で、知らなかったのだが、こちらで生活するうちに、「弓の名人」として音に聞こえてきた豪傑でもある。そして教養人としても名高い。


 30代後半ぐらいのおっそろしくダンディな人だが、一度茶を共にした時に、あの歩く年齢詐称男、宇喜多直家と5歳程しか違わないと知った時には、驚き過ぎて、丁度手に持っていた休夢の禿おやじの茶碗を握りつぶしてしまった事がある。あの時はおかげで、激高した禿によるツルピカ☆シャイニングフィ●ガーを喰らい、危うく頭が割れる所だった。


 ……あの時響いた音は、メキッ、とか、ゴキッ、とかそんなちゃちなもんじゃない。あの親父間違いなく茶碗どころか甲冑も素手で握りつぶせるぞ。俺、あの時ワンハンドで持ち上げられてたしな。


 「いかがいたしましたか?」

 「あ、いえ。又七郎殿の渋い顔を見たら、急にあの時の古傷が……」

 「……ああ、休夢殿の。嫌な事件でしたな……」


 いかん、変な事まで思い出してしまった。又七郎殿の苦笑いがどこか遠くを見ているようにも見える。


 「又七郎殿が新婦側の送り役ですか?」

 「ええ。流石にこの情勢では武張った人間の方がよかろうと、三郎様(宇喜多直家)からの指名を受けまして某が務めます故……とは申しましても、左近将監様までいらっしゃるとは思いもよりませんでしたが。それよりも、急ぎ火と酒を用意しております故に、どうぞこちらへ」


 名目上は迎え役の代表となっている武兵衛の質問に答えつつ、又七郎殿は焚き火の所へ俺達を誘った。今現在、まだ日は昇っていない。そして今は一月。冬真っただ中だ。息も白い。元々用意はしてあったのだろうが、こちらの人数が多過ぎたのだろう。周辺でもあぶれそうな人数の為に急ぎ焚き火を増やしている。


 「あー……ぬくいわー……ぬくいんじゃー」

 「急にだらけるなよ、大将。そういえば、出立は中天頃でしたね」

 「もったいぶらせるのが習わしですからな」

 「一番寒い時期にしたのは大失敗だな……大将」

 「……おう、俺もそう思う」


 迎えに来た者を待たせて『ウチじゃ、娘をこんだけ可愛がっとんじゃゴラァ!』と婿側に見せつけるのが戦国時代の婚礼らしい。それを見越して、迎え側はあえて朝に到着するのが様式美なのだが、いやしかし、寒い。行軍中は気にしなかったけど、一度温まると余計寒く感じるね。正直、もふもふが付いた兜を脱ぎたくない。


 ……決して、これから結婚しなきゃならない身だと実感が湧いてきて震えている訳ではないぜ。


 「いや、しかし、小夜姫のお相手が左近将監様のような方でよかった」

 「えっと……それはどういう、」


 うーん、なんだこの、地雷処理に使われた言われようは?

 俺が知る限りでは、名前と、虎ちゃん事件があったので真っ先に確認した14歳という年齢と、美人だという事、長女だという事ぐらいだろうか。


 あの宇喜多直家ポイズンマスターが「丁度いい」とぬかしていた年齢に関してはもうツッコむまい……よくよく考えたら、表沙汰にはあまりならないが、中高生で初体験とか現代でも割とよくあることだし。


 うん、まあ……よくある事。俺は初体験どころか、付き合って5秒ぐらいで「あ、やっぱ今の無し」と言われて別れた事もあったけど……付き合ったというのかね?アレは。持ちネタ化しているが、未だに納得いかない事の一つだ。


 「小夜様は昔はお転婆な方だったのですが、奥方様の件がありましてから塞ぎ込んでいると聞き及んでおりましてな……左近将監様のような方ならば大丈夫でしょうと」

 「塞ぎ込んでいる所をなんとかせぇって聞こえるんだが、なんだ?天岩戸の前で俺が踊ればいいのか?」

 「……踊らなくても、普段からてんてこ舞しているだろう?」


 あ?今、なんつった?武兵衛。座布団くれるぞこの野郎。代わりに寒いから高級羽毛布団寄越せ。サギじゃねぇぞ?ガチョウの奴だ。嫌な事思い出したから不貞寝すっから。


 しかし……なんだ、戯言はともかく、重いな。年頃の子が、父が復讐の為に祖父を踏み台にし、母がそれを恨んで自殺なんて経験したら塞ぎ込みたくもなる。それから間もなくこの本人の意志に関わりなく話が進んだ婚礼だ。誰も彼女の事なんて見ていない。彼女から見れば俺だってそんな身勝手な奴の内の一人だ。

 そんな俺が言える筋ではないかもしれないが、俺はこういった乱世の業って奴が本当に大嫌いだ。


 ……少し居住まいを正すとするか。手遅れにならない内に。


 「又七郎殿。少し頼みが」



 ふと気が付くと日が昇っていた。それでもまだ息は白く、地面には霜が降り、汲まれた水が凍ったままでいるほど寒い。

 手には探し求めた白い水仙と、早咲きの梅を一振り。そして偶然見つけた季節外れの青い竜胆。水仙はすぐ見つかったが、梅を探したら思いのほか手間取った。


 「この先です」

 「そうか、ありがとう」


 又七郎殿が付けてくれた案内役に心付けを渡して帰らせ、一人綺麗に掃除された道を歩いていくと、寂しい木立の中に二つの塔が立っていた。その前で立ち止まり、兜を脱いで適当な枝に掛けると、手に持っていた花を供え、手を合わせた。


 石塔の近くに書かれた難しく長ったらしい名前とはまた別に、「奈美」とある。宇喜多直家の奥さんの名前なのだろう。もう一つの石塔には何も置かれていない。

 余計な事は口にしないつもりだった。ここで眠っているのか、分骨したのか、または直家が自分の感情整理の為に作ったのか知らないが、この石塔の前では何を言っても白々しい言葉になりそうだったからだ。ただ、目を瞑って手を合わせ、しばらくそうしていると、ふと何か匂いを感じた。


 香の匂いじゃない。火縄でもない。煙草のような……。


 「妻には悪いが、香の匂いが苦手でね」


 振り返ると宇喜多直家がいた。その左手には銀で作られた煙管がある。


 「いいのか?城にいなくて」

 「又七郎から聞いて。まさかとは思ったけど、左近将監殿がここに向かったと聞いて慌てて飛んできた」


 それに、と宇喜多直家は言葉を繋げて後ろに何か合図を送った。

 まあ、当然護衛ぐらいは連れてきているのだろうとは思っていたが、現れたのは白無垢姿の女の子だった。

 綿帽子の下、目は伏せられ、俯いている上に少し暗いのでその表情は良く見えない。恨みか、嘆きか、わからない。瞑い、という事だけが印象についた。その姿は死ぬ間際の死に装束にも見える。

 彼女は父親に無言で促され、俺に一度だけ会釈すると、横を通って石塔の前で手を合わせた。


 「……礼を言いたい。左近将監殿がここに来なければ、私はここに来るつもりは無かった」


 その後ろ姿を見て、絞り出すような声で宇喜多直家が呟いた。やはり後ろめたいのか、感情がやけに籠った声だ。


 「――ここに来ると、嫌が応にでも死にたくなる」

 「でもだからこそ死ねない――お互い業の深い事だ」


 奴の気持ちはわかる。俺も両親の墓の前に立つと後悔と思い出の深さで死にたくなる。だが、だからと言って俺たちが簡単に死んでしまっては、それこそ犠牲にしてきた人たちが浮かばれなくなってしまう。だから、ここに来ないのだろう。


 戦国時代は止まらない。止まってはいけない。生きている者が止まってしまったら、それはこの世において無価値と同義だ。そして後悔だけが取り残される。だからこそ、宇喜多直家は復讐を成し、下剋上が成った後もたった一人で梟雄である事を演じ続けてきたのだろう。


 決して、血も涙も無い非情の男だからここに来ない訳ではない。


 本当に非情な奴は謀略家には成れても、大成はしない。謀略とは人の心を操る。だから相手の心を理解し、相手の心に寄り添い、かつその上であえて操る非情さがある奴にしか出来ない。人の痛みがわからない奴には出来ない。


 「もしかして……隣りの墓石はアンタのか」

 「…………いえ。あそこは私を怨んで死に別れた女性ひとの隣。たとえ死んだとしても私は入りません」

 「そっか」


  そこで自然と会話が途切れ、視線を墓の前に戻すと、白無垢姿の彼女は父親の言葉など聴こえていないほど、一心不乱に手を合わせていた。その手が微かに震えているのは、おそらく寒さからではないだろう。


 しばらくその姿を黙って見守っていると、長い挨拶が終わったのか、彼女が立ち上がり、こっちに向かって深くゆっくりと頭を下げた。そして再び頭が上がり、初めてハッキリと見えた容貌に涙の痕は無い。

 気丈な子だ、と思う。


 「黒田左近将監さま、ですね」

 「……ああ」

 「小夜、と申します。母に花を手向けてくれた事、感謝いたします」

 「気に―――……いや、」


 気にするな、と喉まで出かかった言葉が何故か詰まった。当然だという声も、勝手にやった事だという声も、ただ真っ直ぐこちらを見つめてくる化粧映えする切れ長の瞳に呑まれそうになる。


 「……駄目だな、さっきから上手く言葉が出てこない。覚悟はしていたんだけどな」

 「なぜですか?」


 さあ?という無責任な言葉も、今度は意識して呑み下す。


 「俺は君と違って弱いからだ」

 「……逆では?」

 「いや、合ってる。こんな業の深い世界が嫌だから罪を重ね、それでもこの世界を変えてやろうと決意して立った。けど、振り返る勇気が俺には無い。今笑えればいい。未来も笑えればいい。その為だったらなんだってする。誰だって殺す。どんな罪だって被る――そう言って後ろを振り返る勇気が、払った代償の事を見つめる勇気が無い」

 「…………………」

 

 軽口を叩けないとこんなにも言葉に詰まるとは、本当に薄っぺらい。それでも最初にしなければならない事だと思う。この婚礼話を貰った時から――あるいはそれよりもずっと前から、意図的に目を背けていた事だ。


 俺がすべき事は彼女に同情する事じゃ無い。謝る事じゃ無い。手を差し伸べる?バカ言え。威張る?とんでもない。


 ―――自らの弱さ認め、そして告白する事だ。


 「初対面なのに急に何を、と君は思うだろう。けど、だからこそ俺はこの場所で言葉に詰まるんだ。ここには君の父君――俺と同類の人間が失ってしまった人が眠っている」

 「……それで、何故、貴方が?」

 「どうしても守りたくて、罪を被ってでも守ろうとして振るった刃が、取り返しのつかない結末になってしまったら――その結末がここにはある。それでも、俺たちは振りかえらずに前に進まなければならない。だから、俺は『この場所』に来て、自戒と鎮魂の花を手向けた。けど、『今』『この場所』で『君』にどう声を掛けていいのか……その言葉が見つからない」

 「……貴方は優しい人ですね」


 俺の身勝手でやたら拙い告白を聞いて暫し、彼女は瞼を閉じた後、もう一度深く頭を下げた。


 「お言葉、心に留め覚悟いたしましょう。不束者ではございますが、貴方様がせめてもの安らぎが得られますよう、妻としてお努め致します。幾久しく―――宜しく御願い致します。左近将監さま」


 「……ありがとう。こちらこそ、宜しく御願い致します、小夜」


 彼女の口から出てきた、仰々しい儀式の中、誓うよりも重たい言葉。

 だけど、だからと言って俺の言葉が肯定された訳ではない。だからこそ、違える訳にはいかない言葉だ。

 風に吹かれ、鎮魂の花が舞う。傍らに宇喜多直家が静かに佇んでいる。涙を隠すように、堪えるように俺たちに、そして自らの妻の墓に背を向けていた。


 「――振り返るな。今は黙って俺に着いてこい。義父オヤジ

 「……ああ」


 “今はまだ”――そうやって誰もが自分に言い聞かせている。

 “いつかきっと”――その言葉に変わるまで俺たちは何度も言い聞かせている。



 ◆

 余談


 水仙の花言葉は「自惚れ」。隆鳳と直家の自戒の花。


 梅の花言葉は「高潔」「忍耐」「厳しい美しさ」。直家の妻に宛てた花。


 竜胆の花言葉は「哀しみに寄り添う」「誠実」 さて、誰に宛てた花だろうか。

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