第35話 Paint it, Black
淡河城決戦前 京
山科言継
「挙兵してわずか2年ほどで、ここまでの金額を捻出するか。おそろしいのぉ……」
非常に実入りの多かった姫路での滞在から戻り、そこで得た献金額の仔細を眺めて、一人杯を傾ける。その額や、西の大国、毛利が寄越してきた額をはるかに超える金額だ。
更には御料所から毎年上がるであろう、額の試算書を見るに、そこから得られる金額も馬鹿には出来ない。そもそも、試算が出来るという事は、その土地の実入りを完全に整理、検地し、計画を立てた上で施政を行っている事の証左だ。独自性が高く、水の利用程度でも諍い事が起きやすい時勢において、ここまで徹底的に民政に介入する家は皆無に等しい。
特に寺社領に手を出す辺りが怖い物知らずというか……どんな取引があったのか分からぬが、書写山園教寺など下手な大名よりも遥かに強い権力を持つ大寺からよく税を徴収したものだと感心したくなる。黒田家からの献金が多い理由はこの辺りが非常に強い。
ましてや黒田家は地盤の緩い新興の家。よくぞ踏み切った物と感心する。
彼と同じ姿勢の者をしいて挙げるのであらば、今は亡き駿河の今川治部。時代に先鞭をつけた名法、今川仮名目録追加により、聖域なき領国の支配に踏切り、支配力を高めた彼の姿勢とよく被る。
ただし、酒の量は圧倒的に黒田殿の方が遥かに上じゃが。
交渉役として様々な大名とも当たる事があるが、儂としては金を渋る家よりも、いきなりこうも簡単に大金を寄越す家の方が恐ろしい。金を渋る家など所詮その程度の経済力と影響力しかないのだ。
反面、ポンと大金を寄越す家は下手に機嫌を損ねると後々恐ろしい事になる。そして大金を寄越す家ほど口喧しくせず、受け取った側の対応に冷徹な判定を降す。特に黒田左少将はその筆頭とも言える人柄じゃろう。故に恐ろしい。
「やれやれ、主上(天皇陛下)も大層感激しておられたし、黒田殿の任官も間にあってよかったわい……」
実を言うと事前にあのクソ公方から左近将監任官の推挙は来ていた。黒田度の自らが名乗っているとはいえ、随分と黒田殿を舐めた要求だと
故に五位以上の位を任官する事になったのだが、役目については朝廷内でも少々揉めた。形骸化しているとはいえ、民事を司る民部大輔や播磨守をとも考えたが、黒田殿本人の性格を鑑みて左少将に落ちついた。しかし、黒田殿の様子では任官しても意に介さぬ辺りがまた……。
つまり、我々朝廷は貰った額に見合った動きはまだしておらん。これが金を惜しまぬ家を相手にした時の恐ろしい所じゃ。怖すぎて酒が手放せん。
「――して、黒田羽林(近衛の唐名)は早速、儂に何をさせようというのじゃ?」
「あらー、気付かれちゃったのね」
杯を傾けながら、振り返ることなく背後に声を掛けると、女の声がした。実を言うと手が震えそうじゃが、そこは精一杯目の前の酒に集中することで抑え込む。
「これでも、色々と修羅場は潜っておるのでな……流石におなごとは思わなんだ」
「播州黒田家 情報方棟梁 石川五右衛門が妹、石川卯月よ。この前一緒に呑んだわよね?」
「おぉ、あの女言葉の……という事は、あの時の男装のおなごか。して、なんじゃ?密書か?」
「いやー……昼に正面から訪ねても良かったんだけど、予め根回しが必要かな、と思って」
「ほう?」
ようやくだが必死に抑えていた震えが止まる。酒を口にした所為ではないはず。悪い話ではなさそうだと安堵した部分が大きく締めている。
しかし、根回しをされる様な心当たりは……ないのぅ。昼では話せない話となると、周囲には聞かせたくない話か。はてさて……。
「今、ウチに公方がいるのは知ってるわね?」
「うむ」
「そして三好と事を構えている事も知っているわね?」
「うむ」
「朝廷は――これを好機とは思わないかしら?」
言葉の意図がわからず思わず杯が止まる。何を見落とした。だが確実に何かを見落としている――そんな心地じゃ。
「好機、とは」
「朝廷の権威を回復する好機よ。三好が推し進めている将軍位の剥奪を朝廷が却下し、黒田と三好の争いに停戦の勅令を出せば、人はこう思うでしょう?――朝廷の権威復活せり、と」
「な……に?そうか……そういう事か。じゃが、それで言う事をきかなければ、」
「ウチの大将を誰だと思ってんの?三好にだってきかせるわよ、無理矢理。今頃、叩きのめしている所じゃないの?だって、あの方、ついに自ら動き始めたわよ?」
だから、もしかしたら、もう手遅れかもね、と笑うように言ってくれるが、ありえないと言えない所が黒田羽林の恐ろしい所か。2年で3国、うち10日で2国を制圧したことは記憶に新しい。実際に姫路を訪れるとその政治手腕に目が行くが、遠目で見て際立つのはその尋常ではない武力だ。
「私たちが勝って、落とし所を朝廷が用意する――いい感じじゃない?山科卿が相手だからあえて明け透けに言うけど、朝廷は黒田家という勝ち馬に乗ればいいのよ」
「確かに……じゃが、何故儂らを使おうとする?」
「それは、殿御本人にでも聞いてみたら?ただ単純に面倒だから、かもしれないし、もしかしたら参謀殿の深謀遠慮かもしれないし。ただ、殿は『朝廷には権威を取り戻してほしい』とは言っていたから、案外あの方の考えかもね」
朝廷に権威を取り戻させていかがする?朝廷復興の立役者として各地に影響力を伸ばすことが目的か――あり得ない話ではないが、実際に会ってみた感じどうも違和感が残る。
儂が会った黒田羽林は徹底した実力主義者。悪く言えば、我こそが覇王、と我道を突き進む独立色の強い男じゃ。
歴史を紐解けば朝日将軍、木曽義仲。彼に通じる物がある。ただ、木曽義仲と違う点は、彼は権威に対して劣等感を持っていたのに対して、全て見透かした上で権威を眼中に置いていないという点にある。
読めぬ……男じゃ。おいしい話にも迂闊に乗れぬ。
「悩むのはいいけど、こっちはさっさと公方を送り返したいのよ」
「それがわからんのじゃ。儂が知る黒田殿とその考えがどうしても繋がらん。何故公方に手を貸そうとする?」
「……さあね。情でも湧いたんじゃない?」
この言い方は何か知っておるな。それでいて言葉を濁らせるか。密約でも成ったか。あのクソ公方がよく黒田殿を動かした。
「この言い方じゃ拙いか。では一つだけ――殿の今の本命は畿内じゃない。こんな寂れた上に面倒な所なんていらない」
「む……京をして寂れた所と言うか」
「言うわ。わからないならば、京の様子でも見てくれば?だから、今は地を均し、種を蒔いている所」
「わかるような、わからんような……ふむ」
種を蒔く……やはり公方に与するのは何か布石があっての事。して、本命は西か、あるいは対岸か。三好と和睦をする以上、対岸では無いな。
三好を和睦で動きを封じる――そんな所か。
「乗らないなら、別口から行くからいいわ。そうね……他の公家は嫌だし、傘下に入った本願寺からがいいかしら?」
「何!?本願寺が傘下じゃと!?」
「今、顕如上人が実際に姫路に滞在しているわよ?殿とは意気投合しちゃって大変」
お、おお……何という事を。これはもはや事件じゃ。黒田家の圧倒的な暴力に本願寺の絶大な影響力と膨大な財力が加わるだと?巧く収まっている内ならばまだいい。暴発した時には畿内一帯が跡形も無く吹き飛ぶぞ?!
「もう一度言うわ。畿内は本命ではないけど、私たちは手を抜くわけじゃない。私たちの地均しは既に始まってるの。公方、本願寺――さてお次は?」
これは……しばらく余所酒が手放せそうにないわい。
◆
今回のオマケ
五右衛門、隆鳳、官兵衛、小夜から本日の一言。
五「うーちゃん頑張ったわね……私を差し置いて」
隆「あれ……俺、またお預け?」
官「頼むから貴様はそのまま大人しくしてろ」
小「隆鳳さまのお帰りはまだかしら……」
次回、三好戦!
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