第36話 Shout it loud !!

 三好長逸


 誰も彼もが混乱していた。

 淡河城を囲む味方の陣を後背から1刺しで貫いた、ごく少数の集団。彼らが過ぎ去った後も、誰も近寄る事ができずにぽっかりと空いた道は赤黒く染まっていた。まるでその残滓すら触れたら死ぬような禁忌感を思わせ、その様は悪鬼羅刹の通り道にしか見えなかった。

 

 たった一撃。それだけで戦場の空気が一変した。戦慄、という言葉が最も似つかわしい。


 完全優位だった味方に当然の事ながら動揺が入り混じった様々な噂と情報が錯綜する。


 曰く。黒田家の当主が自ら精兵を率いて通った。

 曰く。その小勢の中で刃を揮う公方の姿があった。

 曰く。敵勢の屍体は一つとして無し。

 曰く。わざわざ本陣近くに迫りながらも、ただ見せつけるだけで過ぎていった。

 そして曰く――淡河城の手勢と、迫りくる敵の本隊による総攻撃が始まる、と。


 当然の事ながら、我々軍の上に立つ者は何とか鎮静しようとしたが、辛うじて先の突撃から免れた者から始まった度し難い程の『恐怖』という感情は、瞬く間に全軍へと伝播した。勝ち戦ならばともかく、こういった事に一番敏感な各地から集められた足軽、一般兵らが黙っていられるわけが無い。万を超える軍が崩壊する音がするようだ。現に脱走する者が後を絶たない。


 それでも、攻囲軍が一気に崩れずに辛うじてその形を保っているのは、偏に各将の尽力と、本隊による援軍、という一縷の望みによるものだった。


 だが、攻囲軍を統括する身として、軍として行動できる内に撤退する事を既に本格的に検討し始めていた。


 策という生易しい物では無く、単純かつ圧倒的な暴力と示威行動だけで、ここまで精神的に追い詰められたのだ。敵方に援軍が来る、来ない以前にそのまま崩される事は想像に難くない。


 こちらは兵数が圧倒的だという意見もある。挽回せずに終われぬという声もある。だが、と長年戦場を駆け巡った勘が告げる――アレは当たってはいけない相手だ、と。


 戦術に定石はあるが、全てが完璧に定石どおりに進んだ戦など1回も無い。お互いが勝とうとして戦いあうのだ。戦に勝つ為には相手の行動を読み、地形を鑑み、そして最善だろうと思う行動をとっていく必要がある。


 だから、『何をしでかすかわからない』という評価は、いくさ人にとってある意味最大級の評価だ。身近な所では松永弾正がそれにあたった。奴は常識的な手段を駆使しつつも、時折迂遠で読み辛い手を打つ。

 黒田左少将は違う。一から十まで常識的では無い。あるいは常識的な手段を非常識な所まで突き詰めた強さを感じる。


 ギリッと奥歯を噛み締め、淡河城を睨みつける。混乱止まないこちらを余所に、正門の上で上半身裸の男らが踊って挑発を繰り返しては城内から明るい笑い声が響いている。


 実に度し難い。


 黒田左近衛少将――その度し難さ、松永弾正以上である。


 黒田隆鳳


 「ウェーイッ‼」

 「ぬ……やるなカンキチ。負けん!!」


 カンキチと武兵衛の脳筋2人が大変見苦しい物をお見せしております。彼らとは断固違う路線で進む、戦国時代のアイドル枠、黒田隆鳳さまだよー。


 いやー……なんつーか「こいつら馬鹿じゃねーの」の一言に尽きるな。1万以上の攻囲軍を前に、鎧を脱いで上半身裸で城門よじ登って敵に向けてポージングしてんだもん。カンキチが分厚い筋肉を使って見事なモスト マスキュラーをすれば、負けじと武兵衛がダブルバイセップスを極めて城内大爆笑。敵中突破して滾っているのはわかるけど、凄まじい挑発だよな。君たちはアレか。敵軍総ポカン計画でも立ててるのかい?


 そして武兵衛。負けず嫌いなのは重々知ってるけど、時折本当に……うん、本当に時折だけど、残念な奴になるな、お前は。これならば小兵衛も連れて来るんだった……。


 「殿直々の援軍、ありがとうございます」

 「あー……うん。お疲れ、神吉下野守。それよりも、アイツら止めないのか?」

 「あの母里殿はわからんですが、ウチの倅は鉄砲で撃たれたぐらいじゃ死にそうに無いので、別に……いいんじゃないですかね?」


 軽いなー、神吉の親父。でもまあ、確かにヘッドショットじゃなければ、鉄砲の弾ぐらいじゃ、あの圧倒的筋肉を通しそうに無いけどさ。


 ……いや、待てよ。鎧を着ていないあの状態ならば、当たる以前に、某ジャングルの王者みたいにふにふに避けとか出来そうだよな。実際、時折飛んでくる矢をポージングしながら避けてやがるし。


 「んで、三好勢を相手してみてどうだった?」

 「……強い、弱いを論じる前に、小競り合いと違って大軍は圧力が凄いっすね。倅がいなければとっくに降伏していたかも知れないっす」

 「今の内に慣れておいてくれよ?もう播州内で切った張ったって段階じゃねぇんだ」

 「御意」


 播州は統一する大名がいなかった所為か、小競り合いには慣れているが、万を超える軍には耐性が無い。軍の規模、兵の単位が違えば戦術、戦略からして変わってくる事は当然。本来ならばその違いをわかってしかるべきなのだが、知っている人間は播州には少ない。俺が思うに、羽柴秀吉を苦しめる程の武将らが揃っていながらも、なすすべなく平定されてしまった理由はコレだ。


 理想を言えば、俺が直属兵を率いて全て平定してしまう事が望ましい。だが、現実を見るとそんなことは不可能だ。武士階級の人間はどうしても自らの土地に縛りついてしまっている。現時点でコレを引きはがすのは容易ではない。


 俺の理想を言えば明治維新後の四民平等からの「国軍化」だろう。西南戦争を筆頭とする旧士族の反乱を鎮圧して「武士」を過去の遺物にしたように、直属兵――つまり出自が武士に限定されない「軍人」が量質ともにもっと力を付けてからでないと、それこそ難しい。ましてや、現時点で「軍人」から将を見出す事は時期尚早というもの。たとえ優秀であっても、将になるには最低でも数年、順当に見て十年単位の経験が必要になると思う。

 となると、代々戦に携わってきた現在の武士階級の人間がどうしても将を務める必要がある。


 播州統一、但馬、因幡平定を経て、直属兵たちの教育は終わった。次は将の教育が必要だ。勿論、時勢が俺の大々的な行動を許さないという理由もあるが、今まで顧みる事無かった与力達を動員した理由はコレだ。


 まずは古参の神吉。何か掴んでくれるといいが……。


 「……殿」

 「おお、淡河弾正」

 「後詰……感謝」

 「なに。身を呈してもらって、こちらこそ感謝だ」


 俺と神吉の親父が会話をしていると、俺が到着した事を知ったのか、城の奥から淡河弾正忠が姿を現して頭を下げた。彼もまた若く、20代ほど。一見すると、無表情で、口下手なのか朴訥とした語り口の近寄りがたい感じの人だが、眼だけは感情豊かで不思議と愛嬌がある。


 「領民は大丈夫か?」

 「……三木城に。ただ……土地が」

 「ああ、それについては今、姫路で復興用の人員を募っている。金も……なんとか捻出している所だ。詳しい見積もりは後日書類で送る。悪いが、被害状況を調べておいてくれ」

 「……了解、です」


 わざわざ餌役になってもらったんだ。はい追い払いました、で終わる訳にはいかねぇよな。淡河は交通の要所にあるので、農業で成り立っている地域では無いが、それでも敵が大軍を引きいれれば復興に時間と金がかかるという物。最前線なので特に敏感に対応しなければならない。


 そして、「黒田家では中央(政府)がしっかりと運営している」、と見せる事で土地に根付いた武士階級の奴らを徐々に引き剥がししやすくする、という狙いもある。万能の天才が治めるならば君主制だが、現状、血縁だけが理由で軍も政治も見なければならない、という状態は非常に効率が悪い。


 「……黒田左少将殿と公方様は似ている部分がありますが、こういう所が決定的に違います」

 「ふむ……耳が痛いが、言わんとしてる所はわかるぞ、兵部」

 「おろ?てっきりあの馬鹿共と一緒に居るかと思ったら……俺にはどういう所が違うかわからんぞ、閣下」

 「公方様は命令し、ふんぞり返っていれば事が進むと思っておりますが、左少将殿は自ら現場を駆け廻って、自ら指揮をとって、自ら労って人を動かすという点です」


 ……違いが大きすぎて逆にわかんねぇよ。そもそもそこまで違うんなら比較すんなよ。ウニと栗を比べているようなもんじゃねぇか。


 さてさて、会話はこれぐらいかな。いつでも兵が飛び出せるように手配を進めながら、俺は鎧を纏ったまま軽くステップを踏んで、三角飛びの要領で壁を蹴り、突起を掴んで難なく屋根の上まで跳び上がる。その様子に兵たちがどよめいたので、オマケにその場でバク宙一回。ムーンウォークを披露すると拍手が湧いた。


 しかし、小さな城だが壁は漆喰、屋根もしっかりしてんだな。流石は最前線の城か。そして高低差もそこそこあって、中々防御力が高い。


 「あー……えっと、大将?」

 「今更正気に戻んなよ、武兵衛。まあいい。味方の軍勢は見えるか?」

 「あ、ああ。休夢殿が微かに」


 武兵衛が指を指した先に目を凝らして見ると、敵方からでは見つかりにくい位置に隠れながらも準備を進める味方手勢の中に確かに光るハゲ頭が見えた。頭巾ぐらい被れよ……。


 準備は整っているのか?山名は……一緒にはいねぇな。休夢本隊も俺たちが突っ込んだその隙に移動を済ませているが、同行していないように見える。あのおっさん、回り込むつもりか。

 さあて、じゃあ、やるか!


 「おーいっ!叔父上ー!俺だー!準備はできたかーっ?」

 「ちょ、お前……」


 「いつでもあわせるぞーっ!」


 息を一杯吸い込んで叫ぶと、隠れていた休夢の手勢が姿を現し、休夢の声が確かに届いた。結構な距離があるが、あの親父も相当声でかいしな……。


 「何人揃ったーっ?」

 「先発で4000-!本隊2万ー!なんだー!?もう少し待つかー!?」


 敵を挟んで大声でやり取りをすると、面白い程に眼下の敵勢が動揺していた。あのハゲ親父も示し合わせた訳じゃないのにわかってらっしゃる。


 俺がここに居る時点で本隊なんてねぇよ、ばーかばーか。


 俺たちが突っ込んだ時に兵の纏め方、冷静さを見れば三好長逸にこの程度のブラフは通じない。だが、ブラフはブラフでも使い道がある。一万以上も集まっていれば、全員の頭がいいなんて事はありえないのだ。

 

 狙うは兵の心。先ほど十分に染み込んだであろう恐怖心に火を点けろ。


 「いや、それはいいだろー!俺たちでコイツらやっちまおう!」


 大声でやり取りをしながら、呆けていた武兵衛の脇を小突き、予備の槍を寄越すように指示を飛ばすと、即座に手渡された。それを突破した時に動きを見せていた本陣あたりへとぶん投げた。


 「見えたかー?」

 「なにがー!」

 「敵本陣ー!あの辺りー!」

 「…………わかったー!」


 今の間は呆れたんだろうか。ま、伝われば何でもいいわ。

 今度はカンキチを小突いて、持って来させた俺の野太刀を抜き払い、天に掲げる。


 「支度が済んだらすぐ出るぞー!」

 「おーう!」


 さて、いい感じに虚実混じったやり取りだったがいかがだったかね?三好の諸君。

 度肝を抜いたか?相手が悪かったと思うんだな。


 「さあ、戦を始めようかッ!」

 「「「うぉおおおおおおおおおおおっ!」」」


 いちど意地悪く笑ってから下した死刑宣告に、城内、及び休夢の軍から雷鳴のような怒号が響き渡る。


 真横で武兵衛とカンキチが吠えている。何をしに来たかわからんが、ちょうど、上に登ってきた公方と閣下も刃を抜き払って空に掲げ吠える。




 さーて、三好の皆さん。お帰りはあちらですよー。逃げたければどうぞー?

 ただし、何かが潜んでるかもしれないけどね。


 ◆

 オマケ


隆鳳  「ところでお前ら寒くないの?」

武兵衛 「正直寒い」

カンキチ「寒いっす」

隆鳳  「……1月になにやってんの、お前ら」


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