第45話 陰日向に

 1564年某日 姫路

 小寺藤兵衛


 「藤兵衛殿。丹波の開発の件だが」


 我々の仕事は陰日向。建物の土台がそうであるように、上に建つ館を人は目にするが、土台などには目もくれない。だが、土台の無い建物を人は「砂上の楼閣」という。

 その事を誇る事も無い。誇りなど我々にはいらない。ただ、粛々と数字を躍らせ、筆を取る。


 そして、一仕事終えればまた次の仕事。


 わざとふと思い出したように掛けられた美濃の言葉にピタリと算盤を弾く手が止めると、数枚の報告書が手渡された。そこには進軍の傍ら、現地を非公式に調査した結果が、並べられていた。それによると、やはり丹波は地元民の独立色が強い事が窺える。特に今回の場合は、ほぼ大半を戦では無く、調略で切り取った形だ。既存の物がそのまま残っている事が今後の事に影響しそうだ。


 我らが殿があそこまで不器用に暴力を振り撒く理由が良くわかる。

 敵以上に邪魔なのだ。既存のやり方に固執する味方は。


 「所見はいかがだろうか?」

 「武力で奪った黒井城一帯。それと、内藤が捨てた八木近隣……そこからかなぁ。波多野の領域には口を出さ無い方が良いなぁ」

 「別所の時と同じですな」


 だが、我々はそういった時のやり方は既に経験している。既存の勢力が強いならば、武力で切り取った場所でしっかりと善政を見せつけ、相手が自ら望むように仕向ければいい。


 これは殿のするそれとは違う、私たち内政に生きる者たちの戦の形である。


 「して、明智殿はどこに拠点を――ふむ」

 「八木の近く。亀山に新たに城を築きたいそうだ」

 「こちらに近い黒井城ではなく八木?」

 「八木は三好家の内藤蓬雲軒(松永弾正の実弟)が拠点としていた場所だ。口丹波に位置し、京への睨みが利かせやすい」


 つまり、丹波における三好家の中心拠点。成程、攻めの姿勢だな。


 「既に開発されている地区の再利用。まあ、理屈はわかるが、問題は城造りの予算かぁ……殿は?」

 「戦略的には間違っていないから却下はせん」

 「八木じゃダメなんですかねぇ……?」

 「……山城は使い辛い。経済効果が薄い」

 「つまり、どちらにしても試算が必要ですかなぁ……」


 ついで、物流の為の街道の整備と土地の調査。丹波の西と東で人と物の流れをよくして、亀山の近隣の八木、傍を通る波多野にその羽振りを見せつける必要もある。1つの国を切り取るという戦は並大抵ではない。

 

 ……いや、切り取りは簡単だ。統治し続ける事に比べれば、だけど。


 えー……1年の大まかな予算編成は4月からだから、それまでに算出して金額を照らし合わせて……あぁ、また胃が痛くなりそうだ。まあ、まだ、人が育ってきた分、楽はできそうかなぁとは思いますが。


 「わかった。まずは、予算の仮組みからだなぁ。ただ、あまり早くはできそうにないなぁ……流石に人がいない」

 「お願いします」


 ……やや不満そうだったな。最近、美濃は私への遠慮が無くて困る。


 それにしても、美濃も大変だ。筆頭家老としてのそれだけでなく、腕白な子らを心配する親としても。殿は……本当に母君に似た方だ。


 しかし、この実の親子にも見える様子を見ると、ただ単に「同じぐらいの歳の子がいるから」という理由で幼き日の殿を美濃に預けた事は正解だったと思う。


 私と美濃しか知らぬ事だが。


 かつて赤松弥三郎と共に、殿の父、正満様に赤松家の、そして播州の未来を見た者として、かの御方が失意の果てに選ばれた隠棲先を用意する事と、その遺児、聡明丸様を保護する事は私の最後の務めだった。


 我々小寺家は、赤松守護家最大の凋落のきっかけとなった尼子侵攻の時に真っ先に裏切った。裏切ったのは父だったが、父の判断に従った私も同罪。

 だから、せめてもの罪滅ぼしがしたかった。


 罪滅ぼしにもならなかったが。


 その正満様が死んでから、領内で暴れ回る幼き日の聡明丸様を保護する為に軍勢を出した事もある。そうして何とか保護して、隠密裏に黒田美濃守に預け――巡り巡って今のような状態になった。


 播州で一つの勢力を保ち、袂を別った赤松弥三郎と対立していた以上、聡明丸様をかくまっている事を表沙汰には出来ずに触れずにいたが……まさか今の様になるとは思いもしなかったなぁ。


 美濃の息子、官兵衛は賢い子だ。そして美濃から時折聞く若君の様子を見れば、いずれはそうなるかもしれないという可能性だけはあったが、実際に姫路城で蜂起された時には心底弱った。たった数人においそれと降る訳にもいかぬし、かといって若君に盾突く訳にもいかぬ。普段より優柔不断と嫁には罵られていたが、あんな状況で迷うなというのも無理な話だ。


 極めつけは、動かぬ我らに業を煮やした若君が御着城にたった2人で斬り込んでくるという事件だった。そのお陰でたった2人に降ったという情けない評価は付いたが、あの時の決断だけは後悔はしていない。


 母君に似た意志の強い瞳。正満様を彷彿させる存在感。姿はまったく似ていなかったが、おそらくあの方が心折れずに私たちを率いていたら―――そんな夢を思い起こさせてくれた。斬り込んできたという報を聞いて思わず飛びだし、躍動する姿を見たあの時は本当に死んでもいいと思った。


 だから、今のような状況は最上なのだと思う。私も必要とされ、また、しばらくして、赤松弥三郎も長らく抱き続けてきた疑惑を晴らし、播州王、赤松の血の下に戻ってきた。正満様が居ない事だけが心残りだが、あの頃思い描いた事は形を変えて確かにここにあるのだから。


 なにより、かの日に保護した若君は、父君の影を残しながらも、果敢で勇猛で斬新で刺激的な君主に育ってくれた。少々刺激が強すぎる時もありますが……それを陰日向で補佐するのが私の新たな務めなのでしょうな。そう思えば、何でも出来る……はず。


 「……美濃」

 「なんでしょう?」

 「そういえば、弥三郎が姫路にいるそうな」

 「ええ。龍野に帰る前に、次の件についての軍議に参加する為にしばらくは姫路の屋敷に滞在していると……何か?」

 「いや……なに、ひと段落したら、いずれ酒でも酌み交わしながら感慨に耽りたい物だと思って」

 「……ふむ。そういえば、藤兵衛殿は、彼奴らに例の事は――?」

 「いやぁ、美濃。そういう事は黙っておくが花だ。言いたくなったら死に際にでも言う。あるいは私が死んでからあの御方に伝えてくれ」

 「……ふむ。まったく……」


 こういう事は言わぬが花。個人的な感傷など、弥三郎と美濃が知っていればいい。官兵衛が嗅ぎつけていたが、駄目だ。これは、私たち大人の意地、なのだ。


 さーて、続きを始めよう。どこから手を付けるべきかなぁ……。


「ところで美濃。お前と官兵衛はあの時加担しとっただろ」

「……さて、忘れたな」


 ◆

 一言

 おっさん共の渋さを書く事は難しい……。

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