第14話 アンバランスなキスをして

 はい、黒田隆鳳さまだよー。

 唐突だが帰りたくないでござる。嫌な気配がビンビンするぜ。


 そもそもなんで俺自身が嫁を迎えに来たのだろうと、本当に心の底から後悔している。無論、これが単なる嫁取りでは無く周辺の不穏分子のあぶり出しだとか、備前国の内偵だとか、俺個人の感傷だとか様々な理由があっての事だが、実際に嫁となる彼女と顔を合わせたらどうしようもない気持ちになった。


 そもそも公式的には俺はこの婚礼の迎えには同行していない。あくまでもお忍びの存在であり、またこの時代の婚礼のしきたりとして、新婦はこの婚礼中に俺の家臣らに顔を見せてはいけないのだ。だから、式典があるまで実際に会う事は無いだろうとタカをくくっていた。


 それがどうだ、ふたを開けてみれば、宇喜多直家にしてやられた。こちらとしては図らずもお忍びで現れた彼女と―――小夜と顔合わせをしてしまい、挙句、気まずい会話を交わしてしまった。


 彼女には包み隠さず本音を語ったつもりだが、これからこの婚礼を出汁に戦をする身。覚悟しているとはいえ気まずいったらありゃしねぇ。


 あれから唐突に寡黙になってしまった物だから、武兵衛などがえらい心配してしまっている。人としても、人の上に立つ身としても失格だ。半端な自分に虫唾が走る。


 だが、もう既に婚礼の列は出立している。一つの迷いが俺の背後にいる人間の生死に関わる。それを忘れてはいけない。宇喜多直家は俺達が騎兵のみの50名で来た事で何かを察したのか、50名の精鋭の足軽を付けてくれているが、それを頼りしてはいけない。


 ……もはや婚礼でも何でもねぇな。今更か。


 「武兵衛」

 「なんだ?大将。緊張してきたか?」

 「まあな。んで、姫路まで何日の予定だ?」

 「既に一泊したから、あと三日……いや、二日で着きたいな」


 行きは時間調整も含め、騎兵のみで二日。それと同じ速度で帰るという事は、相当無理をするという事だろう。確かに俺でも敵地を突っ切るには時間は掛けられないと思う。


 「そうか。帰りは徒歩の女房衆もいる。宇喜多の手勢もいるが、速度を上げるならば目を配らせておけ」

 「わかった」


 俺の様子を察してか、余計な事は言わずただ短く答える武兵衛に俺は後方の様子を見てくると告げ、そのまま列を離れて後方へと向かった。先導には武兵衛ら40騎。中盤の輿には小夜につき従う女房衆などを囲むように宇喜多の手勢50を円陣配置。殿軍に特に馬術に優れた10騎を控えさせている。


 「これは黒田左近将監様。単騎でいかがなされた?」


 すれ違う馬廻りたちに声を掛け、適当に手を振りながら列を降っていくと、中盤辺りで輿に寄り添うように進む又七郎殿に声を掛けられた。彼は服装こそ正装だが、その手には弓が握られ背中には矢筒があった。俺は一度そのすぐ横を進む輿に目をくれ、あえて目を背けてから彼の隣に馬を並べた。


 「又七郎殿。これより少し速度が上がるが、女房衆らは大丈夫そうか?」

 「このような事があろうかと健脚で度胸のある者を選びました故に大丈夫かと。ただ、流石に左近将監様のように駆ける速度についていく事は無理ですな」

 「………………………」


 何故それを知っているの?


 ああ、そうか。宇喜多直家と初めて会った時に馬と張り合ったんだった。それにその事で一つ笑いをとった憶えもある。

 って事は、あの野郎、言いふらしやがったな。


 「徒歩にて駆ける騎馬を抜いていったくだりは、三郎様から聞かされた時に大笑いさせてもらいましたぞ」

 「あ、やっぱり……」

 「その他にも、左近将監様の数々の破天荒な振る舞いは今や当家の誰もが知っている話ですぞ」

 「え?お手柔らかにしてもらいたいな……流石に」


 因果応報。何その公開処刑。どこまで俺の事笑い物になってんの?確認するように、近くを歩く女房衆に視線を向ければ俺達の会話が聞こえていたのか、クスクスと笑っている辺り本当の事らしい。


 嫌われるよりかはマシだろうか。たぶん、侮られてるんだろうけど。


 「色々と調べさせていただきましたぞ」

 「あ、そう……まあ、そうだわな」

 「御理解いただけて恐縮です」


 ところで、と前置きをして又七郎殿は少し怪訝な表情を作り、心なし明るい声音で会話を始めた。


 「こんな時になんですが、今回差しているその短刀、かなりの物とお見受けいたしますが」

 「目敏いな。コイツは母の形見の守刀だ。普段は差さないんだが、まあ今回はな」


 仰々しい話の入り方の割には他愛のない話だったので、俺は腰に差した長光の隣の短刀の柄を叩いた。この短刀は、いつも使う野太刀と並び、数少ない両親の遺品だ。親父の野太刀は使いつぶす気でいるが、流石にこの短刀は使う気にはなれず、というか、使う時が無いので普段はタンスの奥にしまっているのだ。


 「ほう……少し拝見しても?」

 「ああ、いいよ」


 気分転換に刀談義をするのも、悪くないかと思いながら、無造作にその短刀を鞘ごと投げ渡すと、又七郎殿はそれを慎重な手つきで抜き払い、その刀身をじっくりと見入っていた。


 「見事な乱れ刃ですな。銘はありますかな?」

 「銘は吉光。多分贋作だろうという話だがな」

 「粟田口吉光?!藤四郎ですと!?ですが、なぜ贋作だと?」

 「おやっさんから聞いたんだが、藤四郎は直刃の名手だという話だろ?こいつは乱れ刃だ。それに藤四郎なんて名物を手に入れられるほどウチは裕福じゃなかったしな」

 「……成程、やはりそうですか」


 又七郎殿は何かを考えるように少し目を閉じ、そして短刀を鞘に納めて、俺に手渡した。その様子は藤四郎が贋作だという事を惜しんでいる様子では無い。


 ……余計な墓穴を掘ったか。

 せめて、無銘だと言って、馬鹿正直に銘は言わない方が良かった。


 「左近将監様。この粟田口吉光、贋作などではありますまい」

 「へぇ……何故」

 「乱れ刃の吉光は少ないながらに存在いたします。たとえば、細川京兆家の宝刀と名高い『乱藤四郎』など――まあ、現在は行方不明という話ですが」


 又七郎殿は一つ息を吸い、確信を秘めた力強い眼で俺を見据えた。


 「左近将監様。差しでがましいとは思いますが『細川』とは名乗らないのですかな?」

 「……本当によく調べているな」


 やっぱり墓穴を掘ったか。識者相手になれない事はするもんじゃねぇ。

 観念した事を示すように、俺は軽く肩を竦める。


 「出自が不明な割には、黒田家での扱いが上等だった故に、やはり気になりましてな。某、儀礼古典には詳しいのですよ。この播州はかつての『両細川の乱』にも関わっております故に、それなりの情報もございます。貴方の御母堂は赤松家が保護していた細川家の姫君――ですな?」

 「……政治の道具となる事を良しとせず、好いた男と添い遂げる為に逃げだした単なる農民さ。生まれは武家だったらしいが、な」


 破天荒だと先ほど笑われた俺の性格は間違いなく母親から受け継いだものだ。俺は農民になってからの両親しか知らないが、お袋は辛くても明るく、突拍子の無い事をする人で、それに対して親父は寡黙で、黙々と自分の事をこなす人だった。

 身体洗って来いと冬の川にオーバースローで投げ込まれた事や、山に山菜取りに行っていた母親が、イノシシに追い掛けられて爆走した姿など忘れやしない。あんなん強烈過ぎて忘れるものか。


 けど、そんな俺の母親は室町幕府きっての名門の姫だという。


 両細川の乱とは名門、細川家の本家(通称 京兆家)に跡継ぎがおらず各分家から養子を迎えた事を起因とするお家騒動の事だ。


 そして俺の実の祖父はそのお家騒動で負け、播州に逃げ、そこから海を渡って阿波で死んだ人間、らしい。当時まだ幼児だった母親は、本拠である阿波には連れて行かず、赤松守護家に預けられたと聞き及んでいる。


 あとは紆余曲折を経て下野して農民に。中々波乱万丈な人生だが、それがまた我が母親らしいといえばらしい。


 俺が出自の事を知ったのは、その二人が死んだすぐ後の事だ。母は赤松下野守と小寺藤兵衛の小競り合いの最中、どさくさに紛れて送られてきた赤松下野守の刺客に殺された。

 そして、父が仇として赤松下野守を仇として見定めた時に俺に告げたのだ。母は細川の姫様だった、と。

 そしてその父は志半ばで後を追うように討ち死にした。


 俺が宇喜多直家を『同類』と評価する理由だ。


 だが俺は出自はどうでもいいと思っている。姫の子だった。名門の落胤だ。武士の子だ。そういわれてもそんな風に傅かれた事も無く、農作業と猟にいそいそと勤しんでいたのだ。


 「母が捨てた出自など俺には関係ねぇさ。俺は俺だ。一国一城を持ったとしても、今更名前を変えるつもりはない」

 「左様ですか……」

 「……又七郎殿が気にする理由はよくわかる。俺にとって赤松下野守は両親の仇だからな。奴と決着が付いたら姓を戻す頃合いかもしれない――という考えはわかる」

 「ですが、血筋を誇る必要は無い、と?」

 「そうだ」


 この時代の感覚だと違うかもしれない。だが、俺は血筋を見た訳ではない。血筋を尊んだ訳でも無い。

 その人を見て、その人と接し、だからこそその人を尊んだ。 


 「俺の身体に流れている血は枯れた名門の血じゃねぇ。両親が愛し合って生まれ、黒田の藤巴の下で守られ、育てられた血だ。だから、俺が掲げる旗は、細川の二つ引両の旗よりも、見慣れた藤巴の旗でいい」

 「成程……ちなみに、この事、黒田家の皆様は?」

 「確実に知っているのは黒田美濃守おやっさん、それと今はもう死んじまった官兵衛のおかあちゃんだけだ。官兵衛だとかは多分知らないんじゃないか?」

 「……事が事だけに然もありなん。しかし、この事、三郎殿にお伝えしても?」

 「別にかまわねぇよ。どうせ、ある程度察していただろうし、それに、いずれ小夜には話すつもりだったんだ……聞いてんだろ?小夜」


 俺がすぐ近くの輿に視線を向けながら話を振ると、その輿の中からガタガタガタッと慌てる音が聞こえてきた。


 この会話、俺は別に隠す事でも無いと声を大きくして喋っている上に、又七郎殿もそれに合わせて少し大きな声での会話になっている。聴き耳を立てていた女房衆も、宇喜多家の足軽も関心が無い振りをしながらも、耳をそばだてている。


 俺の事をどこぞの馬の骨と思っていた諸君、残念だったな。その通りだ。


 それはともかく、この様子じゃ、話す、話さない以前に拡散するのが早ぇわ。もう諦めよう。いい加減、官兵衛も気にしないふりをしながらも、大分気にしていたようだし。


 「先に知ってしまった身としてはなんですが……左近将監様は自らの家中にも折を見て話すべきですかな」

 「話した所で何かが変わる訳でもねぇだろ。俺は俺だ。滅亡寸前の細川家の再興を目指している訳でもねぇし、その内勝手に知るだろうよ」


 自分の口から言うとなると、どんなタイミングで、どんな面下げて言えばいいかわかったもんじゃねぇ。なんだ?酒の席で「実は俺、細川家の人間でさー」とでも言えばいいのか?だからどうしたと言われるのがオチだ。俺の所為なのかもしれないが、黒田家はそういう気風の家だ。


 あと、細川家の再興はリアルチートと名高い細川藤孝さんに任せます。あの人は本家の人じゃないけど。


 細川京兆家の当主は俺の実の叔父に当たる細川晴元?誰だよそんなマイナー武将。三好ごときにいようにやられている奴なんて、知らない人ですねぇ……。


 俺のルーツは、祖父が元々、阿波細川家の出なので阿波にあるらしいが、そこも三好の支配圏だしな。あまり調略に利用できるとも思えない。


 しかし……あの遠縁のチートは味方に引き込めねぇかなぁ。ああ、でも余計な将軍が付いてくる。ホント、アレだな。この時代の将軍はペットボトルの飲み物一本買っただけなのについてくるレジ袋みたいな存在だ。


 『あ、袋要りません』、といちいち言わなきゃわかんねぇか?


 そう言う事を考えると、やっぱ自分の口から官兵衛には話しておくか。アイツにそのテの工作を丸投げしたい。


 あ、そういえば、史実で黒田家と細川家ってメチャクチャ仲悪くなかったっけ?

 ……まあいいか。既に大分歴史変わってるし。


 「しかし、家中はともかく、対外的に公表する、公表しないでだいぶ違いますがいかがするつもりで?」

 「公式的に公表はしない。それをすると、俺が意図する意図しないに関わらず、お袋の事を利用する事になっちまう。だからたとえ公表するとしても、風聞として流す程度だ」

 「……不器用なんですね」


 俺と又七郎殿の会話に割り込むように、どこか呆れた様な声がした。又七郎殿を含め、周囲の人間は驚いたようにその声のした方向を向くが、俺はあえてそっぽを向く。

 また、やっちまった……か?


 気を取り直す為に空咳を一発。まだ大丈夫。まーだ大丈夫。


 「……不器用じゃねぇさ。関係を匂わす程度にしておいた方が、相手の出方が見やすい、ただそんだけの話だ」

 「でも、今、利用したくないと……」

 「う……いや、それは……まあ、そうなんだが、」

 「出立する前、私にも気を掛けてくれましたよね。貴方は不器用です」

 「…………その件についてはホンマに勘弁して下さい」


 なんだろう、このまま続けていくと、俺は彼女の前ではずっと猫を被っていないといけない気がする。


 馬鹿が出来そうに無い。おちゃらけていないと死んでまう人間にマジレスとか勘忍してくだせぇ。 


 「そう中途半端に気を回そうとするから支離滅裂になるのです」

 「はい……」

 「中途半端に気を遣われるぐらいならば、『それがどうした』と笑い飛ばして下さい。そうしてもらった方が、気を遣われるこちら側が楽です」


 突然始まった公開説教に、最初は唖然としていた周囲の人間の表情が徐々に生温い苦笑に代わっていく。クッソ恥ずかしい。


 「……ですが、貴方が悩みながらも、ことさら明るくふるまっている事は理解いたしました。それは十分に伝わりましたから、これからも、その苦悩は私が多少なりとも理解いたします。夫婦なんですから……ね?」


 やべー。すげー恥ずかしいんですが、何この公開処刑。あれ、この子こんなキャラなの?俺ととことん相性悪くね?俺、穢れ過ぎてるから光属性に弱いんだ。『ね?』って何アレ?破壊力高ぇよ!


 輿が御簾で覆われていてよかった。今、俺、メッチャ顔赤い。冬なのにあっちー。団扇……いや、センスが欲しい。


 又七郎殿。したり顔で俺の肩をポンポンと叩くのはやめていただきたい。このタイミングでダンディなアンタから青二才扱いをされるだなんて惨めじゃないか。


 「……わかった。悪いが大いにその言葉に甘えさせてもらう。だが、小夜も我儘を言え。その方がこっちも楽だ。夫婦で取り繕い、探るような会話をする趣味は無ぇ」

 「ふふっ、わかりました。お手柔らかに」


 多分、彼女の―――小夜の中で何か気持ちの整理がついたのだろうか。声は少し明るく、微かに笑い声も聞こえた。

 そういえば、彼女の笑い声を聞くのは初めてか。御簾の向こうでどんな顔をしているかわからないけど、多分これでいいのだろうと思う。


 でも、女房衆の皆さん。拍手をするのはやめてくれませんかねぇ? 


 アンタら確かに黒田家ウチ向けの人選だわ。


 「大将!……と、なんだこの状況?」


 そんな状況に、息を切らして現れた武兵衛も呆気にとられたのか、首を傾げた。その後ろには、数人の伝令に加え、この婚礼の列には加えず、姫路城に伝令の為に置いてきた馬廻りの姿がある。


 何か遭ったか。ああ、良かった。さて頭を切り替えよう。アンパンマ●の如く。


 「悪い知らせか。何が遭った」

 「あ、ああ、官兵衛から使いが。『赤松下野守が浦上親子を謀殺。挙兵。現在、室山城を攻撃中』だそうだ」


 やっぱり来たな。赤松下野守……。


 「一度進軍を止めるぞ。武兵衛、列の前後に触れを出せ。あと、斥候を増やせ、周辺の警戒を怠るな」

 「わかった。斥候は常時の倍に増やして来る前に飛ばしてある」


 武兵衛が背後の騎兵に指示を飛ばすと、それを受けて前後へと兵が散っていく。これから緩やかに足が止まるはずだが、その前に事の確認を済ませないとな。


 「赤松下野守、やってくれるな。某らと姫路の分断を狙ってきたか」

 「官兵衛は?」


 俺が視線を向けると、武兵衛の後ろに控えていた伝令が少し前に出た。確か彼は、御着陥落後に仕えた奴で、俺と同じく農民の出だった。武芸はあまり良くないが、馬の扱いが巧い男だ。この人選、官兵衛は良く見ている。


 「はっ!官兵衛殿はこちらに通じている浦上小次郎が室山城に籠り、応戦しているとの報を受け、即座に室山城救援へと兵を出しております」

 「報を受けたのは何時だ?」

 「一日前です!」


 足の止まり始めた列の流れに沿うように、それぞれが下馬しながら聞くと、キビキビとした返事が返ってくる。

 一日前に襲撃の方を聞いて即座に出撃……室山城が落ちなければ、今まさに戦っている最中か。


 「赤松の兵数は?」

 「おそらく1500から2000」

 「その兵数……奴ら本気で取りに来ているな」

 「だろうな、武兵衛。赤松下野守からすれば室山と室津は姫路より旨みがある。官兵衛は何人引き連れてる?」

 「500です。内、鉄砲隊が200。副将に櫛橋左京殿」


 櫛橋……ああ、息子の方か。何度か小隊を率いた事があるとは聞いているが、指揮能力はどうだろうか。官兵衛の筋書き通り進むのであれば問題は無いだろうが、一抹の不安が残る。


 「大将……官兵衛の奴、予定より兵を増やしたな」

 「ああ、鉄砲の分だろうな。兵を先行させ、誘き寄せ、自らは足の遅い鉄砲隊を率いて一網打尽――って所だろうな」


 挙兵当時だったならば、鉄砲200と言われたら卒倒しかけた自信があるが、今は多少なりとも鉄砲の数を増やしていっている。とはいえ、現代感覚で言えば鉄砲1丁につき百万円から数千万円。相当の覚悟が無ければ軍事運用はできない。


 それでも、虎の子扱いの鉄砲隊を引っ張り出すという事は、兵数差を鑑みての事か、それとも他の何かがあるのか。


 「御着城からは出ていないのか?」

 「別所が怪しい動きを見せている為、御着城の手勢は東の押さえに出ております」

 「なにっ!?」

 「落ち付け。想定内だ、武兵衛」


 想定内ではあるが、面倒くさい状況だ。まだ東が怪しい動きで済んでいる所を見ると、官兵衛の奴は速戦を臨むはず。それに室山が籠城しているとはいえ当主が死んだばかりで兵が纏めきれるとは思わない。予想通り、これからは時間との戦いになっているはずだ。

 定石を外して騎馬にした甲斐があったか。


 「武兵衛。20騎、元気が余ってる奴を選び出せ。あと、余ってる奴でいい。槍を一本持ってこい」

 「先行するのか!?」

 「俺が行く。お前はこの列の守護の役目を果たせ。速度を緩めて戦が終わる頃に通りがかるよう、室山城目がけてゆっくり来い」


 硬い表情で頷く武兵衛から又七郎殿に視線を移し、俺は頭を下げる。


 「すまぬ、又七郎殿。無責任で悪いが先に行かせてもらう」

 「いえ……このまま進ませても大丈夫ですかな?今ならまだ退けますぞ?」

 「一撃で蹴散らします。流れていく敗残兵にだけ気を付けて下さい。それでも危険だと斥候が判断した場合は、武兵衛と貴方に判断を委ねます」

 「……御武運を」


 又七郎殿の言葉に頷いて返し、俺は降ろされた輿の下へと向かった。もう一人、話を通さなければならない人がいる。


 「小夜。俺だ」

 「左近将監さま。その様子では何かありましたか?」

 「ああ。すまん。戦が始まった。俺は露払いをしに先に出る」

 「……わかりました」


 御簾が上げられ、真っ直ぐにこちらを見る彼女と視線があった。先ほどの会話の所為か、不思議と罪悪感は消えていた。

 俺は黙って彼女に母の形見の短刀を手渡す。


 「これは?」

 「守刀だ。持っていろ」


 でも、とその口が動く前に近寄り、抱き寄せてその唇を唇で塞いだ。至近距離で、驚いて見開かれた瞳を見つめ、そして唇を離して、自分のしでかした事に対しての気恥かしさに乱暴に袖で拭う。


 多分、それでも今の俺の顔には紅が付いている。別にかまわねぇだろ。紅が目立たねぇほど顔が紅くなってる自覚がある。


 「当座の誓いだ。お前には指一本触れさせねぇ」

 「……御武運を」

 「ああ」


 それから意識して堂々と二、三歩。思い出したようにもう一度彼女を振りかえり見る。


 「あー……あと、一つ言い忘れていたが、俺の事は隆鳳と呼べ。左近将監って言われても他人の事かと勘違いしがちでな。んじゃ、帰ってきた時に頼むぜ」



 さて、戦すっかね。

 一日駆け通しだろうが、構うもんか。 この気恥かしさに比べりゃぁな。


 オマケ

 その後、輿の近くに戻った又七郎さんと武兵衛さん。


「何かこの辺り少し暑くないか?又七郎殿」

「そうですな。誰か火でも焚きましたか?」

「「「「いえ、誰も、何も見ていません!」」」」


女房衆はガッツリ見てました。

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