第47話 スモーク オン ザ ホットウォーター

 1563年 姫路

 黒田隆鳳


 ふと人の気配がした。 

 執務の邪魔をしないように音を一切立てず、だが感覚の鋭い者ならば勘づく絶妙な存在感。人の気配などわかるものかと思っていたが、中々どうして命のやり取りを続けていると敏感になった物だと思う。気配の質から相手がわかるようになったのだから。


 「小六か。どうした?」


 筆を置きながら声をかけると、執務室の襖がそっと開かれた。姿を現したのは石川五右衛門の弟で俺の小姓(というより秘書)を務める石川小六だった。


 「執務中失礼します。殿。例の件で職人頭から報告が」

 「例の件……?」

 「はい」


 例の件、か。正直、心当たりが多過ぎてわからねぇ……俺から直々に職人に依頼する事は結構あるのだ。今使っているテーブルもそうだし、鉄砲もそうだし、城の増築だってそうだし、街づくりだってそうだ。当然それぞれに担当の役人はいるが、彼らに任せっぱなしではなく、俺と官兵衛も交えて直接技術的な諮問をする事もあれば、そのまま意見交換をする事が多々ある。


 「年明け前に殿が予算を捻出して頼んでいた……」

 「ああー、もしかしてあれか。通してくれ」

 「はっ!」


 物語の中の忍びのように小六がバッと天井へと姿が消えると、今度は再び襖の奥から人を連れて入ってきた。うん……まあ、格好いいけど、今の何?普通に出て呼んだらええやんけ。俺の執務室でそんな高度な遊びをすんなよ。


 上2人程バカじゃないが、小六もいい感じに尖がって来やがったな。


 ……まあいい。本題はこっちだ。


 「お疲れさん。首尾はどうだ?」

 「おぉ、大将。上々でさぁ」


 姫路の大改造は終わらない。実の所を言うと、姫路城は郭の整備、櫓の整備、石垣の導入など外側の防衛を固めたに止め、その予算のほとんどは街の整備へと費やしている。現代ではお馴染のあの白亜の天守閣は未だに存在していない。


 何せ他の事に金がかかるかかる。特に半農では無い常備の軍や、見廻り組を増員したから、おいそれと主君の我儘を通すわけにもいかない。金廻りが良くなったとしても、黒田の倹約体制は未だに健在だ。

 正直な所、人件費の目安として、人一人に掛かるコストに対しその三倍は稼がないとやっていけない。その上でその他の施設政策に金を掛けるのだから、懐ぐらいに着いてはお察しいただきたい。

 むしろ、よく維持している方だと思う。


 だが、そんな中でも半ば私的な事で予算を確保できた案件がある。それは湯殿の設営だ。


 戦国時代だからたりめーだろ、と言われそうだが、とにかく衛生環境が悪い。風呂にしたって、あったとしても蒸し風呂。あとは行水で済ますのみ。


 まあ、転生してもうもうすぐ20年にもなれば、ある程度の耐性は出来てくるが、それでも時折風呂が恋しくなる。勢い余って仮設の五右衛門風呂を自作した事もある……感動し過ぎてのぼせた挙句、風呂から出る時にコケて、全裸のまま失神したけど。


 そうこうしている内に、俺は姫路の主になり、ある程度自由に金と物を動かせる事が出来るようになってきた。そして満を持しての取り組みであり、先の職人のおっちゃんの言葉である。俺は思わず立ち上がって頷いた。


 「ついに出来たか……んじゃ、早速、見せてもらおうか」

 「へい」


 当然の事ながら、予算を引き出す為には色々と言葉を並べた。いずれ広める公共浴場のモデルケースとするつもりなのだ。


 これは仕事である。これは使命である。


 ……ひゃっほぅ!


 ◆


 「一番の問題は湯をどう流すか、っした」

 「まあ、そうだろうな……丘の上だからな」


 貫禄ある職人頭の説明に、思わず頷きながら俺は目の前の光景に感激を覚えていた。当初は、俺個人用の、と思っていたのだが、そこに公共浴場云々と付けた手前、そこそこ広い。木造の湯殿で囲い、そのど真ん中に湯船を設置し、その上に簡単な屋根を取り付けた。さながらその様子はホテルの露天温泉のようにも見える。


 ただ、湯殿そのものの大きさに反して、湯船が小さく感じるのはお湯の供給の問題なのだろう。

 姫路城内にも井戸はあるが、温泉が湧いている訳ではない。水を引いて、沸かして……それを考えると大き過ぎる程だろう。大体、5~6人は入れる。


 「なので、ちっとばかし掘り込み、湯船は周りより低い位置に造りやした」

 「成程な。上からお湯を少しづつ流してくるという事か」

 「へい」

 「周りで身体を洗うとして、その排水はどっちに行く?まさか湯船に戻せとは言わねぇだろうな?」

 「湯船の水を逃がす為にも、気が付かない程度に角度を付けてまさぁ。その先に排水溝を設けとります」


 言葉と同時に職人が桶で湯を汲んで床にばらまけば、その水は見事に石造りの床を張って排水溝へと流れていく。訊けば、排水溝は建物の下を通っており、少し離れた所に作った石造りのため池へと流れるそうだ。そこで残り湯を洗濯なり、雪隠なりに使い、最終的には城の外へと出されるというエコシステムらしい。


 俺の設計で進めた訳じゃない辺りが、凄ぇよな……。


 「つーか、下水まで作っちまって、よくこんなに石があったな」

 「石垣の廃材でさぁ。それを懸命に研磨しやした。一応、外は草鞋履いとく事を薦めときやす」

 「成程な。で、湯船の縁は木枠で保護、か」

 「排水溝も木の蓋で落ちねぇ様にしやした」

 「ウチにゃあ落ちそうな奴がいるからな……」


 明智とか十兵衛とか光秀とかキンカンとか。あと、酔っ払ったおやっさんとかも怪しいな……。


 「ただ、木だと腐らないか?」

 「腐りますが、手入れは木の方が楽でさぁ」

 「成程」


 現代並に技術があればセメントブロックなり作らせるんだが……いや、実は既にコンクリの研究は始まっているんだけどな。まだ実用段階では無い。木の蓋が腐る前に切り替えができるよう、少し急がないとな……。


 「んで、どうよ?職人としてどう思うよ?公共浴場は造れそうか?」

 「んー……そっすねぇ。職人っすから、やれと言われたら造るだけならいくらでもやりまさぁ。問題は造った後の薪だ何だって問題の方が……」


 だよな。このサイズでも結構コスト掛かりそうだし。

 やるとしたら、公営か……今井宗久のような商家を焚き付けるというテもあるが、おそらく「入浴」という習慣が根付くまで実入りが薄く、手を伸ばしてこないだろう。俺が商人だったら準備はするが、「さあここから伸びるぞ」という兆候が出るまで参入は待つだろうし。


 「試験場って形で街中に造って、稼働させながら試行錯誤するが一番早いか」

 「っすかねぇ……予算が降りりゃいいんすけど」

 「降りるさ。疫病が出る前に清潔を保たにゃ、みんな揃って死ぬぞ」

 「……大将からそう言ってもらえると仕事に気合が入りやす」


 ……問題はどうプレゼンするか、だ。次の戦を見越して、最近また財布の紐が固くなってきたからな。


 ま、とりあえず今日は思う存分楽しませてもらうかな。


 ◆


 「ふぃ~……足が伸ばせる風呂ってのはいいねぇ」


 春めいた夜空に湯気が踊る。お湯でしっかりと髪と身体を洗った後は、じっくり肩まで浸かって温まりながら水の音に耳を澄ます。これぞ風流。温泉でないのが少しだけ心残りだが、これぞ死んでも忘れぬ日本人の心という物だろう。


 「気持ちよさそうですね」

 「まあ、なぁ―――小夜?」

 「小六殿からここだと伺いまして」


 立ち込める湯気の向こうから小夜の声がしたかと思えば、微かに戸が閉まる音がした。

 開ける音に気が付かなかったとは……小六の姉の卯月の仕業か。油断し過ぎたか。しっかりと湯帷子を着て現れた小夜の姿に思わずため息を零す。


 裸が見たくてため息をしたわけじゃねぇぞ?ただ、まんまとしてやられた事が悔しい。


 「一人か?」

 「ええ……その夫婦水入らずで、と言われまして」

 「お湯なら沢山あるけどな」


 必死で理性をフルメタルでコーティング作業を進めつつ、平静を装いながら軽口を叩く。まさか、小夜にこんな大胆な事させるとは……気配を探ってみても、覗いている気配はねぇ。どういうつもりなんだか……。


 「えっと……その、ご一緒しても?」

 「ああ――っと、入る前に軽く汚れを――いや、俺がやってやるか。ほれ」


 入浴のマナーと言ってもわかんねぇだろうから、一度湯船から出て職人お手製の手桶でお湯を掬い、何杯か小夜にゆっくりとかけてやった。こちとら全裸だがかまわねぇだろ。毎日は見せていないけど。


 「あ、ありがとうございます。でも、何故?」

 「……えーっとだな。湯船には温まる為に入る物で、この中で身体を洗ったら寛ぐにも寛げねぇだろ?温泉なんかはそうするらしい」

 「へ、へぇ……そう、なんですね」


 平静を装ってはいても、小夜も結構一杯一杯らしく、既に入っていないにも関わらず耳まで赤い。ゆっくりとお湯を掛けながら俺も結構精一杯だ。なにせ、濡れた湯帷子が身体に張り付いて、ある意味裸よりエロい。そしてほんのり朱が差すうなじの破壊力はヤバい。


 奥さん相手に俺もなにやってんねん……ホンマに。あれだな、この作業には仏像に甘茶掛ける時のような悟り感が必要だ。


 「さ、こんなも―――……え、あの、ちょっと?」


 大体こんな物だろうか、と小夜を促した瞬間、小夜が脱いだ湯帷子がペチャッと音を立てて石畳の上に落ちた。瞬間、唖然とする俺を置いて、急いで小夜が湯船へと飛び込んでいった。


 「……えっと、小夜さん?」

 「隆鳳さまの今の言葉が本当ならば、湯帷子もあまり良くないかなと思いまして」


 言いつつも、恥ずかしいのか、なるべくお湯から身体を出さないようにしながら、湯帷子をせっせと縁にたたみ直す姿が面白いから許す。時折大胆で、大体マメたいよね……ウチの姫様は。


 「……ったく」


 濡れた髪を後ろに流し、俺も観念しながら湯船へと身を沈めた。


 ま……悪くはねぇよな。


 「き、気持ちいいですね、隆鳳さま」

 「ああ」


 ところで、湯船は広いのになんで近いの?恥ずかしがっているのに……本当に肌が触れそうなその距離はなんでせうか?俺の位置からは、小夜の白い肌が水を弾く所までハッキリと見える。


 恥ずかしがり屋で甘えん坊、か。愛されていると思えば悪くない。


 ……いかん。のぼせる前に別の意味で鼻血が出そうだ。


 ◆

 お蔵入りのNGシーン


「殿-!お酒いるー?お酒ー」

「色々と台無しだよ!石川妹ぉッ!」

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