第52話 タブラカセ!

1563年 備前石山城


 「毛利陸奥守が三男、小早川隆景と申します」


 思いのほかの大物の来襲に、微かに喉が鳴り掛けた。この盤面にて最も警戒すべき毛利家の、それも俊英と名高い直系が使者だ。重臣を送り込めば済む話だが、わざわざ毛利両川の一翼を寄越してくる時点で、毛利にとっても大分重たい話だという事が分かる。


 ましてや、今現在の両家の関係を見れば、今ここで小早川が害されても仕方ない状況にある。それでも毛利は送り込んできたのだ。


 そしてそれは黒田こちらも同じことが言える。


 ありていに言えば、現在の状況に疑問を持っているのだ。


 今現在、毛利はあろう事か長年の宿敵だった尼子と手を結び、黒田家を追い込もうとしている―――それだけ黒田家が脅威になりつつあるのだと納得もできるが、どう繕った所で微妙な違和感が残る事は否めない。余程頭のキレる人間でなければ注視しない程の違和感だが、そんな些細な不可解な事にはいつだって裏の話があるのだ。


 だから、その裏の話―――歯に物が挟まった時のような違和感の種明かしをこれからするのだ。


 「早速だが話を聞こう」

 「ではお言葉に甘えて―――まずは尼子を扇動してそちらにし向けた事をお詫び致します」


 毛利の兄弟の中でも最も知恵に長ける者という評価や、丁寧な物腰からは想定できないほど顔の濃い男は再び頭を下げた。


 しかし、扇動した、か。宇喜多の読み通りだ。


 「その上で恥を忍んでお願い致す――我らと不戦の約定を結んではくださらぬだろうか?」

 「不戦……な」


 随分と都合がいい申し出だという言葉を飲み込んだ。だが、同盟では無い。つまり、毛利の本当の狙いは―――。


 「つまり俺たちは餌か。毛利は油断してこちらに兵を出して薄くなった尼子を落とす気だと言いたいのだな?」

 「その可能性はあるとだけ申し上げておきましょう」

 「受けるとでも?」

 「ならば、我ら毛利もこのままこの戦に参戦するまで」


 いけしゃあしゃあとよく言う。もし敵に回ったら、この二枚舌を喧伝してやろうか。多分、本心を悟られないようにわざとこのような物言いをしているのだろうが、これは確かに厄介な相手だ。


 「ほう……我らと戦うか。では、博多を巡っての大友との戦は諦めるというのだな?」

 「……はて?」


 ここで舌戦の担当交代だ。自分が口頭で答えてしまったら、その時点で黒田家全体の回答になってしまう。

 それに、こんな厄介な相手に対応できる奴など、官兵衛か宇喜多ぐらいだろう。意地が悪そうに官兵衛が横合いから口を挟むと、とぼけながらも微かに小早川の顔色が変化した。


 「はこのまま毛利を敵に回してもいいと思ってる。いい加減、白黒つけたいと思ってたところだ。そちらが敵対すると明言してくれるならば、容赦無く、徹底的に食い散らかす事が出来る――誰に対して言ったのかをよく考えながら、もう一度先ほどの言葉を言ってみろ」

 「……おっと、失言でしたかね」

 「むしろ、余計な気を回す必要が無くなるから、もう一度聞きたい程ありがたい言葉だったと思うがな」


 ……えっと、官兵衛さん?黒田家の頭脳がそんな喧嘩腰でいいのかよ……。

 しかし、小早川も少し子供っぽい。誰かさんを思わせるような子供っぽさだが、その濃い顔でこれが素なのだろうか?可愛げのあるおっさんなんて、どうしろっつーんだよ。


 「まあまあ、官兵衛君。まだ結論を出すには早い。では――まず、話を戻そう。それで、毛利は私たちに何を求め、何を寄越すんだ?」

 「こちらからは数年の不可侵の約定。求めるは尼子勢の眼を少し引き付けて欲しいという事」

 「虫のいい申し出だな」


 参謀でありながらも、白か黒かハッキリした状況を好む官兵衛が噛みつきたくなる理由もわかるがな。


 しかし、この小早川の口ぶり……毛利の本命は博多か?それとも、これを隠れ蓑にした尼子への侵攻、あるいは俺達を油断させる手筈か?腹の内が俺にはわからない……どうとでもとれる含みのある申し出だ。


 ……まあ、俺にはどだい無理な話か。


 「成程。こればかりは私も官兵衛君に賛成だ。なにせ、私たちにうまみが無い」

 「……あれ?私たちと敵対しなくて済む事が魅力にならない!?」


 で、まあ、こうなるわな。すまんな。この家はそういう家じゃねぇんだ。意識的に外交を捨て、味方には多大な利益を。敵には徹底的な絶望を―――と、ハッキリとしている。この家じゃ、敵か味方かわからない奴は大抵酷い目に遭うんだ。


 力技もここまで来ると勇まし過ぎて笑いが出るぜ。


 「両名の言う通り、確かに難しい申し出だな」

 「い、いや……では、もう少し条件を、」

 「なら一つ訊こうか。不戦の誓いをするとして、お互いの傘下にある勢力に対してはどうする?」

 「……浦上の事でしょうか?」

 「まあ、な」


 うろたえる小早川に逃げ道を作るように核心を告げ、一つ頷いた。こちらとて、本らの目的は浦上であって毛利などではないのだ。


 「ハッキリ言おう。こっちは何が何でも浦上を抹殺するつもりで軍を起こし、その結果横槍を入れられた事で上から下まで満遍なく相当頭にキている。横からデケェ面してテメェら何をぬかしてるんだ?」

 「……想像以上にやり辛いですね。わかりました、毛利は浦上から手を引きましょう――その代わり、傘下の勢力を含めたこちら側に穏便な対応をお願いしたい。無論、そちらの傘下の勢力への手出しも控えましょう」

 「……だとよ、官兵衛」

 「足りんな。美作も俺達が貰う。それで手打ちだ」

 「……ぐっ、い、いいでしょう。その条件で呑みます」


 そこまで今のウチと戦いたくないか。確かに、黒田家は謀略を力技で粉砕して我が道をいく家だから、毛利とはとことん相性がいいんだろうが……うん。


 それにしても、官兵衛と宇喜多の顔の嬉しそうな事。我が事成れり、って顔だな。悪夢に出そうだぜ。



◇ ◇ ◇


 その後はすんなりと書状の交換と捺印も終わり、無事不戦の条約が結ばれたあと、小早川が帰った後で、再び三人で俺達は笑った。


 「あー、疲れた。しかし……案外気がつかねぇものだな。俺とってそんなに似ているか?」

 「知っている人間からすれば似ていないとは思うけど……まあ、振る舞いはそっくりだし、笑いをこらえるのが大変だったよ」


 奴より俺の方が少し年上なんだけどな―――っと、自己紹介がまだだったな。代理の有馬源次郎則頼だ。新参だが、俺は黒田隆鳳の従兄弟でな。兄妹と言われる程、背格好だけは似てるんだわ。


 小早川さんよ、ゴメンな。影武者なんだ、俺。


 もっとも、まあ……あっちの方が数段幼いし、少し小さいし、無邪気だし―――そしてべらぼうに強いから、宇喜多の言う通り、初対面の相手以外には通用しないけど。


 「あの馬鹿が成長したらこんなんだろうな、ぐらいの違いだ」

 「よかった。隆鳳はもう成長しないだろうから、ずっと似る事は無いわ。たとえ成長したとしても、こき使われてるから俺の方が先にどんどん老けていくわ」


 つーかさ、俺、これだけの為に赤穂からここまで呼び出される事は無かったんじゃね?所領が移ったばかりで大変なんだぜ?


 ……まあ、痛快ではあったけど。おもしれぇ、っつーのは、この俺にとって―――そして多分隆鳳にとって最も大事な価値観だ。


 「しかし、バッチし読み通りだったか」

 「ああ、これで毛利は尼子に手を出せなくなった。尼子……というより、その当主の尼子義久の外交勝ちだ」


 今、俺がここで代理を務めるのには当然の事ながら訳がある。


 すぐに判明するだろうから秘密と呼べるほどの物ではないが、この毛利との密談の前に既に尼子は幕府を介して黒田家に降っている。それは勢力揃って、という物では無くほぼ尼子義久とその与党の仕業だ。


 当主が続いて若くして死んだ事で、尼子は内部でかなりのゴタゴタが起きている。そのほとんどが毛利の扇動による物なのだが……そこで、尼子義久は決断する。


 君主でありながら、勢力を売って、家中の統制に踏み切ったのだ。そこで利用したのが、毛利が呼びかけた黒田包囲網であり、その裏に潜んでいるであろう、毛利の思惑だ。


 毛利は裏切る―――それを知っても尚手を結び、幕府を介し、毛利より先に黒田家に接触を試みたのだ。


 結果として、この毛利のもちかけた不戦の条約により、黒田家に降っている尼子は毛利からの圧力を一気に消し去った。お互いがお互いの傘下の勢力に手は出せないと約定しちまったもんな。これで毛利が尼子に攻めようものなら、即座に黒田毛利の全面戦争が始まる。


 俺達は体よく利用された形だが、尼子義久の鮮やかな外交の手並みは感嘆したくもなる。


 それでなぜ、隆鳳が不在になるのかというと――。


 「出雲……今頃滅びていねぇだろうな」

 「婿殿は尼子の外交の手並みに感嘆し、価値を見出したからこそ受けいれたが、浦上征伐に横槍を入れられた事にいい加減頭にキていたし、同行している幕府の名代も細川兵部だし……」

 「誰だよあの二人を組み合わせた奴は」

 「少なくとも俺ではない」

 「私でも無いね」


 隆鳳は今、密約が交わされるや否や、電撃的に――そして隠密裏に出雲入りして、上辺だけでは無い尼子の従属化を敢行しに行った。今回尼子が備前に出してきた連中はほぼ親黒田派なのだそうだ。反黒田、反尼子義久派は漏れなく出雲に固まっている。

 ……どう考えても、今現在出雲では粛清に次ぐ粛清で血風が吹き荒れているとしか思えない。


 尼子義久も流石に隆鳳がここまで果断に攻め込むとは読み切れなかっただろうな……御愁傷様。


 そしてようこそいらっしゃい、尼子義久。黒田家は優秀な人材を心から歓迎する。

 辛いだろうけど、頑張ろうな。



 ◇本日のオマケ

 有馬源次郎と黒田隆鳳


「よぉ、元気か妹」

「俺は女じゃねぇ!」


大体こんな感じの2人。

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